第六話 真似出来ない感情
それは、
大きな出来事じゃなかった。
ニュースになるようなことも、
人生が変わるほどの事件も、
起きていない。
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ただ、
同僚が泣いていた。
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理由は、
仕事のミスだった。
誰にでも起こりうる。
取り返しもつく。
周囲も、
そう言っていた。
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「大丈夫だよ」
「気にしなくていい」
いつも通りの言葉が、
次々と飛ぶ。
僕も、
その中に混じっていた。
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そのはずだった。
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口を開こうとして、
止まった。
“正解の慰め”が、
頭に浮かばない。
どんな言葉を使えば、
安心させられるか。
今までなら、
すぐに分かったのに。
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彼女の泣き方が、
思っていたより、
静かだった。
声を抑えて、
必死に堪えている。
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その姿を見た瞬間、
胸の奥が、
ぎゅっと縮んだ。
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理由は、
分からない。
理屈じゃない。
ただ、
見ていられなかった。
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僕は、
言葉を探すのをやめた。
代わりに、
近くの椅子を引いて、
そっと座る。
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「……無理に、
大丈夫って言わなくていいと思う」
声が、
少しだけ震えた。
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沈黙が落ちる。
誰も、
口を挟まない。
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彼女は、
しばらくして、
小さく息を吸った。
「……ありがとう」
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それだけだった。
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それで、
十分だった。
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後で考えれば、
特別なことはしていない。
正解でもない。
解決策もない。
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それでも、
胸の奥に、
残る感覚があった。
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あれは、
誰かの真似じゃない。
台本もない。
評価もない。
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ただ、
その場で、
感じたことだった。
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帰り道、
歩きながら思う。
模倣は、
便利だ。
人を傷つけない。
失敗しにくい。
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でも、
感情までは、
守ってくれない。
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自分が、
何に反応するのか。
何が、
苦しいのか。
何に、
手を伸ばしたくなるのか。
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それは、
真似できない。
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不器用だった。
上手な言葉も、
気の利いた態度も、
出なかった。
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それでも。
あの瞬間の自分は、
確かに、
そこにいた。
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完璧じゃない。
正解でもない。
でも、
空っぽじゃなかった。
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その夜、
鏡の前で、
自分の顔を見る。
いつもと同じ顔。
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それなのに、
少しだけ、
違って見えた。
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真似できない感情が、
確かに、
ここにある。
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それが、
怖くて。
でも、
少しだけ、
誇らしかった。
第七話:真似しない日




