第五話 不器用を選ぶ
正解を外した翌日、
世界は、何も変わっていなかった。
出社時間も、
同僚の挨拶も、
コーヒーの味も。
拍子抜けするほど、
いつも通りだった。
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それが、
少しだけ、
怖かった。
昨日のあれは、
本当に起きたことだったのか。
ただの気の迷いだったんじゃないか。
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午前中の仕事は、
驚くほど集中できなかった。
指は動く。
作業も進む。
でも、
頭のどこかが、
ずっと揺れている。
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昼休み、
同僚と並んで歩きながら、
会話に相槌を打つ。
いつものタイミング。
いつもの笑い方。
体が、
勝手に動く。
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——戻れる。
そう思った。
昨日のことを、
なかったことにして。
また、
正解を演じればいい。
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そのほうが、
楽だ。
傷つかない。
迷わない。
誰にも、
変だと思われない。
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でも、
心が、
ついてこなかった。
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「さっきの件、
どう思う?」
突然、
話を振られる。
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まただ。
頭の中で、
正解を探す。
無難な意見。
誰かが言いそうな言葉。
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でも、
口に出る直前で、
止まった。
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「……正直に言うと」
声が、
少しだけ震える。
「まだ、
よく分からないです」
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一瞬、
空気が止まる。
昨日よりも、
短い沈黙。
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「そうなんだ」
同僚は、
特に気にした様子もなく、
話を続けた。
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拍子抜けするほど、
簡単だった。
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完璧じゃなくても、
世界は止まらない。
分からなくても、
人は怒らない。
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それなのに、
胸の奥が、
妙にざわつく。
安心と、
不安が、
同時にある。
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帰り道、
考える。
僕は、
不器用を選びたいのか。
それとも、
ただ、
模倣に疲れただけなのか。
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答えは、
まだ出ない。
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夜、
部屋で一人、
テレビをつける。
バラエティ番組。
誰かが、
噛み噛みで話している。
失敗して、
笑われている。
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前なら、
目を逸らしていた。
今は、
なぜか、
見ていられた。
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不器用な人は、
格好悪い。
でも。
ああやって、
そこにいる。
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誰の真似でもなく。
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その夜、
布団の中で思った。
完璧な人間より、
不器用な人間のほうが、
ずっと、
人間らしい。
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まだ、
うまくできない。
まだ、
怖い。
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それでも。
もう、
完全な模倣には、
戻れない。
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それだけは、
はっきりしていた。
第六話:真似出来ない感情




