第四話 正解を外す
その日は、
失敗するつもりなんて、
少しもなかった。
いつも通り出社して、
いつも通り挨拶して、
いつも通り仕事をする。
模倣は、
まだ使えるはずだった。
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午後、
小さな打ち合わせが入った。
人数は少ない。
空気も重くない。
失敗する要素は、
どこにもない。
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「じゃあ、
この件について、
何か意見ある人いる?」
上司の問いかけ。
今度こそ、
言えると思った。
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頭の中には、
ちゃんと“正解”があった。
無難で、
角が立たなくて、
評価も下がらない意見。
今までなら、
迷わず口にしていた。
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でも。
口が、
開かなかった。
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代わりに、
別の言葉が浮かぶ。
整理されていない。
根拠も弱い。
感情が、混じっている。
言えば、
空気が変わる。
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胸の奥が、
少しだけ、
ざわついた。
怖さと、
なぜか、
小さな期待。
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「……個人的には」
声が、
思っていたより低く出た。
それだけで、
少し驚く。
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「今のやり方、
少しだけ、
やりづらい気がします」
言い終わってから、
心臓が跳ねた。
こんな言い方、
したことがない。
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一瞬、
沈黙が落ちる。
長くはない。
でも、
今までの人生で、
一番長く感じた。
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「……どういう意味?」
上司が聞く。
責める口調じゃない。
ただの確認。
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頭の中が、
一気に白くなる。
上手く説明できない。
言葉が、
整わない。
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「……うまく、
言えないんですけど」
それでも、
続けた。
「やっていて、
少しだけ、
違和感があって」
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会議室の空気が、
ほんの少し、
変わった。
誰かが、
視線を動かす。
誰かが、
息を吸う。
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正解を外した。
それだけは、
はっきり分かった。
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でも。
怒られなかった。
笑われもしなかった。
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「……なるほどね」
上司が、
ゆっくり頷く。
「じゃあ、
もう少し考えてみようか」
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会議は、
そのまま進んだ。
僕の意見は、
採用されたわけでも、
否定されたわけでもない。
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ただ、
“存在した”。
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席に戻ってから、
手が、少し震えていることに気づく。
失敗したのに。
正解じゃなかったのに。
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なぜか、
胸の奥が、
軽かった。
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完璧じゃなかった。
上手くもなかった。
それでも、
確かに、
自分の言葉だった。
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その夜、
帰り道で思う。
模倣をやめたわけじゃない。
ただ、
一度だけ、
外れただけだ。
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それなのに。
世界の見え方が、
少しだけ、
変わった気がした。
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不器用だった。
でも。
間違えたはずなのに、
初めて、
ちゃんと立っている感じがした。
第五話:不器用を選ぶ




