第三話 模倣が通用しなくなる
その日は、
特別な出来事があったわけじゃない。
会議も、
予定通りに始まって、
予定通りに進んでいた。
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資料は揃っている。
想定される質問も、
頭の中で整理してある。
いつも通りだ。
いつも通り、
“問題のない自分”でいればいい。
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「じゃあ、
最後に聞きたいんだけど」
上司が、
こちらを見る。
「君は、どう思う?」
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一瞬、
頭の中が静かになった。
嫌な沈黙じゃない。
慌ててもいない。
ただ、
何も浮かばなかった。
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正解は、分かる。
この場で無難な意見。
評価を落とさない言葉。
誰も反対しない結論。
いくつも候補はある。
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でも、
それを口に出す理由が、
見つからなかった。
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数秒。
たったそれだけの沈黙。
周囲は、
特に気にしていない。
誰かが、
代わりに話し始める。
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会議は、
何事もなかったように続いた。
僕だけが、
置いていかれた。
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席に戻りながら、
胸の奥に、
小さな違和感が残る。
失敗したわけじゃない。
怒られたわけでもない。
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それでも。
模倣が、
少しだけ遅れた。
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昼休み、
一人で弁当を食べながら考える。
さっき、
なぜ何も言えなかったのか。
体調が悪い?
寝不足?
理由を探しても、
どれも、
しっくりこない。
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ふと、
思ってしまう。
もし、
あの場で意見を求められたのが、
他の誰かだったら。
あの人なら、
どんな言い方をしただろう。
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無意識に、
誰かの顔を思い浮かべている。
それに気づいて、
少しだけ、
怖くなった。
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帰り道。
駅のホームで、
人の流れを眺める。
皆、
それぞれの顔をしている。
迷っている人も、
疲れている人も、
楽しそうな人もいる。
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その中で、
自分の表情が、
分からなくなった。
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ちゃんと、
自分の顔で立っているはずなのに。
どこか、
借り物みたいだった。
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その夜、
家に帰ってから、
何もしたくなかった。
動画も、
音楽も、
いつもは選べるのに。
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選ぶ理由が、
分からない。
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楽しいかどうか。
好きかどうか。
その判断を、
誰かに委ねてきたことに、
今さら気づいた。
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模倣は、
完璧だった。
だからこそ、
脆かった。
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うまくいっている間は、
疑う必要がない。
でも、
一度、
自分の感情を求められた瞬間。
模倣は、
何も答えてくれなかった。
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布団に入り、
天井を見つめながら思う。
このままでも、
生きてはいける。
でも。
このままじゃ、
自分には、
なれない。
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不器用な誰かが、
間違えながら話していた。
あのとき、
なぜか、
目を逸らせなかった。
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たぶん。
僕はもう、
気づいてしまったのだと思う。
完璧な模倣よりも、
不器用な一歩のほうが、
人間らしいということに。
第四話:正解を外す




