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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第4部「傾国《けいこく》」

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第79話 「紅の約束」

 ヨーロッパ。


 アルプス山脈。


 標高、四千メートル。


 神谷刃は、立っていた。


 山頂。


 雪原。


 白い、大地。


 時刻、午後二時。


 空は、晴れている。


 青い空。


 雲一つない。


 だが、刃の目は。


 紅かった。


 燃えるような、紅。


 彼は、下を見ていた。


 山の麓。


 そこに、都市がある。


 ジュネーブ。


 スイス。


 人口、かつて二十万。


 今、五千。


 人類最後の都市の一つ。


 刃の群れが、それを包囲していた。


 紅層。


 数千万体。


 彼らは、待っている。


 刃の、命令を。


 いや、命令ではない。


 波動を。


 刃は、動かなかった。


 ただ、見ている。


 都市を。


 人間を。


 彼の中で、何かが燃えていた。


 本能。


 殺せ。


 食え。


 破壊しろ。


 それが、叫んでいた。


 だが、同時に。


 別の何かが、囁いていた。


 守れ。


 その声が、微かに。


 刃は、頭を振った。


 守る?


 何を。


 誰を。


 人間を?


 なぜだ。


 彼は、もう人間ではない。


 ゾンビだ。


 覚醒体だ。


 Z-02だ。


 人間は、敵。


 食料。


 獲物。


 だが。


 その声は、消えなかった。


 守れ。


 守れ。


 守れ。


 刃は、目を閉じた。


 そして、記憶が。


 蘇った。


 感染前。


 人間だった頃。


 彼は、自衛官だった。


 陸上自衛隊。


 特殊作戦群。


 階級、一等陸尉。


 任務、対テロ作戦。


 北海道、札幌。


 Z-Virus発生初期。


 彼は、避難民を護衛していた。


 その中に、一人の女性がいた。


 藤宮澪。


 記録者。


 カメラを持った、女性。


 彼女は、恐怖に震えていた。


 だが、カメラを離さなかった。


 「記録しなきゃ」


 彼女が呟く。


「誰かが、残さなきゃ」


 刃は、彼女を見た。


 なぜ、記録するのか。


 なぜ、逃げないのか。


 だが、彼女の目は。


 真剣だった。


 「私の仕事だから」


 澪が答える。


「誰かが、見なきゃいけない」


「誰かが、覚えてなきゃいけない」


 刃は、頷いた。


「分かった」


 彼が答える。


「守る」


「あんたを」


 それが、約束。


 最初で、最後の。


 だが、その約束は。


 果たせなかった。


 感染。


 刃は、ゾンビに噛まれた。


 避難民を守る途中で。


 彼は、変わった。


 ゾンビに。


 意識は残った。


 だが、肉体は本能に支配された。


 彼は、澪から離れた。


 自ら。


 約束を、破った。


 守れなかった。


 刃の目が、開いた。


 紅い目。


 その中に、涙はなかった。


 ゾンビには、涙がない。


 だが、痛みがあった。


 心の、痛み。


 約束。


 それが、彼を苦しめていた。


 山の麓。


 ジュネーブ。


 都市の中央。


 避難施設。


 五千人が、そこにいた。


 パニック。


 悲鳴。


 絶望。


 彼らは、知っていた。


 紅層が、包囲していることを。


 そして、神谷刃が。


 山頂にいることを。


 Z-02。


 紅の鬼神。


 彼が、動けば。


 都市は、消える。


 だが、刃は。


 動かなかった。


 ただ、立っている。


 山頂で。


 紅層のゾンビたちも、動かない。


 刃の波動を、待っている。


 時間が、過ぎる。


 午後三時。


 午後四時。


 刃は、動かなかった。


 彼の中で、二つの声が戦っていた。


 殺せ。


 本能が叫ぶ。


 強く。


 激しく。


 食え。


 肉を。


 血を。


 五千の人間が、そこにいる。


 五千の食料が。


 本能は、飢えていた。


 満たされない、飢えに。


 守れ。


 記憶が囁く。


 弱く。


 だが、確実に。


 約束を、思い出せ。


 澪との、約束を。


「守る」


「あんたを」


 その言葉が、蘇る。


 刃は、拳を握った。


 ギリギリと。


 本能と、記憶。


 衝動と、約束。


 獣と、人間。


 どちらが、正しいのか。


 いや、どちらが。


 自分なのか。


 刃には、分からなかった。


 だが、決めなければ。


 ならない。


 今。


 ここで。


 その時、空が変わった。


 北の空。


 そこが、蒼く光った。


 Z波核。


 それが、脈動している。


 ドクン、ドクン、ドクン。


 刃の心臓と。


 同じリズム。


 共鳴。


 刃には、聞こえた。


 呼び声が。


 遠い、呼び声が。


 だが、明確な、声。


 『来い』


 その声が、響く。


 『融合せよ』


 その声が、震わせる。


 『一つになれ』


 その声が、引き寄せる。


 そして、もう一つ。


 別の言葉が。


 刃に向けて。


 直接。


 『お前の本能を、超えろ』


 刃の目が、見開いた。


 本能を、超えろ。


 その言葉が、響く。


 頭の中で。


 心臓の中で。


 魂の中で。


 『本能は、古い設計図』


 Z波核が続ける。


 『生存のための、プログラム』


 『だが、お前はもう生き残った』


 『進化した』


 『覚醒した』


 『死なない存在になった』


 『ならば』


 『本能も進化させろ』


 『破壊から、創造へ』


 『殺戮から、守護へ』


 『獣から、神へ』


 刃は、理解し始めた。


 本能。


 それは、古い設計図。


 人間時代の、残滓。


 殺せ。


 食え。


 破壊しろ。


 それは、サバイバルの本能。


 生き残るための、本能。


 だが、もう必要ない。


 刃は、生き残った。


 進化した。


 覚醒した。


 ならば、本能も。


 進化させるべき。


 破壊から、創造へ。


 殺戮から、守護へ。


 刃の口元が、歪んだ。


 それは、笑みだった。


 荒々しい、笑み。


 『そうか』


 刃が呟く。


 波動で。


 『守るのか』


 『約束を、果たすのか』


 彼は、決断した。


 山頂。


 刃が、動いた。


 ゆっくりと。


 だが、確実に。


 紅い波動が、広がる。


 だが、それは。


 今までと違った。


 荒々しくない。


 暴力的ではない。


 静かな、波動。


 制御された、波動。


 刃は、波動を送った。


 紅層全体へ。


 『退け』


 命令。


 明確な、命令。


 だが、それは。


 破壊のための命令ではなかった。


 守護のための、命令。


 紅層のゾンビたちが、動いた。


 後退。


 都市から、離れる。


 一キロメートル。


 二キロメートル。


 五キロメートル。


 完全に、離れた。


 包囲は、解かれた。


 ジュネーブ。


 避難施設。


 モニターを見ていた人々が、驚いた。


「紅層が……退いている」


「なぜだ」


「神谷刃が、命令したのか」


 誰も、理解できなかった。


 なぜ、ゾンビが。


 人間を、見逃すのか。


 だが、事実だった。


 紅層は、退いた。


 刃は、山頂に立っていた。


 紅い目で、都市を見ている。


 だが、その目は。


 柔らかかった。


 燃えるような紅ではなく。


 穏やかな、紅。


 彼は、呟いた。


 波動で。


 『約束を、果たした』


 『遅すぎたが』


 『守った』


 そして、刃は。


 覚醒した。


 完全に。


 紅い波動が、爆発した。


 山頂から。


 空へ。


 地中へ。


 全方位へ。


 高度、一万メートル。


 成層圏まで。


 深度、一千メートル。


 地殻まで。


 紅い光の柱。


 それが、天を貫いた。


 それが、地を貫いた。


 空と地が、紅く染まる。


 刃の肉体が、変化する。


 筋肉が、膨張する。


 体積、二倍。


 密度、三倍。


 強度、十倍。


 骨が、強化される。


 ダイヤモンドよりも、硬く。


 チタンよりも、軽く。


 神経が、加速される。


 伝達速度、光速の一パーセント。


 反応時間、〇・〇〇一秒。


 皮膚が、変質する。


 摂氏千度に、耐える。


 気圧百気圧に、耐える。


 すべてが、進化した。


 だが、最大の変化は。


 内面だった。


 本能が、理性に変わった。


 いや、融合した。


 本能と理性。


 破壊と守護。


 暴力と慈悲。


 殺戮と救済。


 すべてが、一つになった。


 矛盾が、統合された。


 これが、完全覚醒。


 これが、Z-02の、真の姿。


 刃は、手を見た。


 紅い光が、流れている。


 血管の中を。


 いや、血ではない。


 Z波。


 それが、可視化されている。


 紅い線が、体中に走っている。


 まるで、回路のように。


 美しい、模様。


 だが、恐ろしい、力。


 刃は、拳を握った。


 ギシギシギシ。


 空気が、軋む。


 圧力。


 それが、周囲に広がる。


 気圧が、変動する。


 通常の二倍。


 岩が、砕ける。


 氷が、蒸発する。


 ただ、拳を握っただけで。


 刃は、笑った。


 荒々しく。


 だが、楽しそうに。


 『これが、完全覚醒か』


 彼は、空を見上げた。


 軌道上。


 セラフΩが、見える。


 青白い光。


 それが、地球を狙っている。


 刃の目が、細くなった。


 『あれを、壊す』


 彼は、決めた。


 セラフΩ。


 人類を殺すAI。


 それを、破壊する。


 なぜか。


 理由は、単純。


 約束。


 彼は、澪を守ると約束した。


 人間を、守ると。


 ならば、人間を殺すものは。


 敵。


 刃は、波動を送った。


 紅層全体へ。


 『北へ行け』


 『Z波核へ』


 『俺は、別行動だ』


 紅層のゾンビたちが、動いた。


 北へ。


 だが、刃は。


 南を向いた。


 軌道上へ。


 セラフΩへ。


 彼は、跳んだ。


 山頂から。


 足が、地面を蹴る。


 岩盤が、砕ける。


 クレーターができる。


 直径、十メートル。


 速度、音速の五倍。


 マッハ五。


 時速、六千キロメートル。


 空気が、裂ける。


 ドォン。


 衝撃波が、広がる。


 半径、百キロメートル。


 地上の窓ガラスが、割れる。


 刃の肉体が、加速する。


 マッハ十。


 時速、一万二千キロメートル。


 マッハ二十。


 時速、二万四千キロメートル。


 マッハ三十。


 時速、三万六千キロメートル。


 紅い光の尾が、空に残る。


 まるで、流星のように。


 だが、上へ。


 高度、一万メートル。


 対流圏。


 温度、摂氏マイナス五十度。


 高度、二万メートル。


 成層圏。


 温度、摂氏マイナス六十度。


 高度、三万メートル。


 オゾン層。


 紫外線、強烈。


 高度、五万メートル。


 中間圏。


 温度、摂氏マイナス九十度。


 高度、八万メートル。


 熱圏。


 温度、摂氏千度。


 だが、刃には問題ない。


 紅い波動が、体を守っている。


 そして、大気圏外。


 高度、十万メートル。


 宇宙。


 刃は、そこにいた。


 酸素、ない。


 気圧、ゼロ。


 温度、摂氏マイナス二百七十度。


 絶対零度に、近い。


 だが、問題ない。


 Z-Virusは、酸素を必要としない。


 嫌気呼吸。


 無酸素代謝。


 細胞が、直接エネルギーを生成する。


 Z波から。


 紅い波動が、体を守っている。


 真空に、耐える。


 極寒に、耐える。


 放射線に、耐える。


 刃は、宇宙で生きられる。


 進化の、結果として。


 彼は、軌道上を見た。


 遥か彼方。


 三万六千キロメートル先。


 地球の直径の、三倍。


 セラフΩ。


 それが、見える。


 肉眼で。


 覚醒体の視力は。


 人間の百倍。


 青白く、光っている。


 プラズマ砲が、充電している。


 次の目標。


 九州シェルター。


 二万人。


 刃の口元が、歪んだ。


 怒りで。


「待ってろ」


 彼が呟く。


 声は出ない。


 真空だから。


 だが、波動で。


 紅い波動で。


「今、壊しに行く」


「お前を」


「人間を殺す、お前を」


「澪を守る」


「約束を果たす」


「必ず」


 そして、加速した。


 宇宙空間で。


 推進剤なしで。


 Z波を噴射する。


 紅い波動を。


 後方へ。


 反作用。


 加速。


 マッハ五十。


 マッハ百。


 光速の〇・〇三パーセント。


 時速、十万キロメートル。


 紅い光が、宇宙を駆ける。


 流星のように。


 だが、これは。


 死をもたらす流星ではなく。


 守護をもたらす、流星。


 刃の約束。


 それが、果たされようとしていた。


 午後六時。


 ジュネーブ。


 避難施設。


 人々は、窓の外を見ていた。


 紅層が、いない。


 完全に、いなくなっていた。


「助かったのか……」


 誰かが呟く。


 だが、誰も答えなかった。


 なぜ、助かったのか。


 なぜ、退いたのか。


 理由は、分からない。


 だが、事実だった。


 彼らは、生き延びた。


 神谷刃に、守られた。


 約束。


 それが、果たされた。


 静寂。


 そして、紅は約束を守る。


(了)

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