第7話「斬光」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
商店街に悲鳴が響き渡った。
アーケードの天井に反響する叫び声は、ガラスの割れる音と、何かが引き裂かれる鈍い音に混ざり合う。秋の昼下がり、買い物客で賑わっていたはずの通りは、一転して阿鼻叫喚の地獄と化していた。
灰色の空から差し込む淡い光が、血溜まりを照らす。コンクリートに広がった赤黒い液体は、逃げ惑う人々の足跡で無数の模様を描いていた。
「助けて……! 誰か……!」
若い女性の悲鳴が途切れる。彼女の腕にゾンビの歯が食い込み、肉が引きちぎられる音が響く。ぐちゃり、という湿った音。女性の体が地面に崩れ落ち、すぐに別のゾンビたちが群がった。
商店街の各所で同じ光景が繰り広げられていた。数十体のゾンビが、無秩序に人間を追い、襲い、貪る。逃げる市民たちは道の角で転び、店の中へ逃げ込んでも窓を破られ、行き場を失っていく。
風が吹き、看板が軋む音を立てた。空気には血と汗、そして腐敗臭が混ざり合っている。まるで世界そのものが終わろうとしているかのような、絶望の匂いだった。
その時だった。
商店街の端、駐車場に続く路地から、一人の青年が現れた。
背は高く、黒いジャケットを羽織った痩せ型の体格。右手には長い何かを持っている。刀だ。鞘に収められた日本刀の柄を握り、彼は静かに商店街へと足を踏み入れた。
名は神谷刃。大学生にして、家に伝わる古武道の使い手。その目は冷静で、迷いなど微塵もなかった。
刃の視線の先では、四、五体のゾンビが一人の老人を追い詰めていた。老人は転び、両手を前に突き出して這いずり後退している。ゾンビたちの喉から漏れる呻き声が、まるで餓えた獣のようだった。
「……間に合え」
刃は小さく呟き、駆け出した。
足音は最小限。だが速度は速い。地面を蹴る音が一度、二度、三度と響き、刃はゾンビの背後へ滑り込むように接近した。
鞘から刀身が抜かれる。
キィン——
金属音が空気を裂き、銀色の刃が光を反射した。
そして一閃。
刀は横薙ぎに振り払われ、最前列のゾンビの首を正確に斬り落とした。頭部が宙を舞い、鈍い音を立てて地面に転がる。胴体はそのまま前に倒れ込み、ずるりと音を立てて崩れた。
血が噴き出す。赤黒い飛沫が弧を描き、隣のゾンビの顔にかかる。だが刃は止まらない。
返す刀で、二体目の首を斬り飛ばす。刀身は骨を断ち、肉を裂き、一瞬で生命活動を停止させた。三体目が振り向き、呻き声を上げる。その喉元へ、刃の刀が突き刺さった。
ずぶり、という鈍い感触。刀身が脳幹まで貫通し、ゾンビの体が硬直する。刃は刀を引き抜き、すぐに次の標的へ視線を向けた。
四体目、五体目——すべて同じ動き。正確で無駄のない剣筋。まるで訓練場での型を繰り返しているかのような、流麗な動作だった。
そして静寂。
老人の目の前で、五体のゾンビがすべて地に伏した。刃は刀を一振りして血を払い、鞘に収める。カチリ、と小気味よい音が響いた。
「大丈夫ですか」
刃が老人に手を差し伸べる。老人は呆然と刃を見上げ、震える手でその手を掴んだ。
「あ……ありがとう……」
「ここは危険です。今すぐ避難してください」
刃はそう告げると、すぐに周囲へ目を向けた。
商店街の各所に、まだ多くのゾンビがいる。遠くで悲鳴が上がり、ガラスが割れる音が続いた。刃の表情に焦りはない。ただ、冷徹な判断だけがそこにあった。
「……数が多い。だが、やるしかない」
刃は再び刀を抜き、ゾンビの群れへと向かっていった。
最初の標的は、店の前で若い男性を襲っていた三体のゾンビ。刃は駆け寄り、一体の背中へ刀を叩き込んだ。刀身が背骨を砕き、心臓を貫く。ゾンビの体が硬直し、そのまま前に倒れた。
二体目が振り向く。その首を、刃は一太刀で斬り落とした。頭部が回転しながら宙を舞い、地面にゴロリと転がる。三体目が襲いかかってくるが、刃は体を捻り、その腕を斬り飛ばした。
ゾンビの腕が肘から先で分離し、血が噴水のように吹き出す。だが刃は構わず、そのまま首を斬り落とした。三体すべてが倒れるまで、わずか十秒。
「逃げろ! 早く!」
刃が叫ぶと、男性は慌てて立ち上がり、駐車場の方向へ走り出した。刃はその背中を一瞬だけ見送り、すぐに次の戦場へ向かった。
アーケードの中央では、十数体のゾンビが固まっていた。彼らは一人の女性を囲み、ゆっくりと距離を詰めている。女性は壁に背中を押しつけ、震える声で助けを求めていた。
「誰か……助けて……!」
刃は迷わず飛び込んだ。
最初の一撃は横薙ぎ。三体のゾンビの首が同時に斬り飛ばされ、血の雨が降り注ぐ。次の瞬間、刃は体を低くし、足元を狙って刀を振るった。二体のゾンビの膝が砕け、バランスを崩して倒れる。
倒れたゾンビの頭へ、刃は即座に刀を突き刺した。一体、また一体と、確実に息の根を止めていく。
残りのゾンビたちが一斉に襲いかかってくる。刃は刀を構え、深く息を吸った。そして——
「ハァッ!」
気合とともに、刃の刀が空間を切り裂いた。
一閃、二閃、三閃——連続する斬撃が、ゾンビたちの体を次々と両断していく。首、腕、胴——刀が触れた部分はすべて切断され、肉片が宙を舞った。
血飛沫が刃の顔にかかる。だが彼は表情を変えず、ただ黙々と刀を振るい続けた。まるで機械のように正確で、まるで芸術のように美しい剣技。それは見る者を圧倒する、まさに「斬光」だった。
やがて、周囲のゾンビがすべて倒れた。
刃は息を整え、刀の血を払う。シャッ、という音とともに、赤い雫が地面に落ちた。
「……大丈夫ですか」
刃が女性に声をかける。女性は涙を流しながら頷き、震える声で答えた。
「あ……ありがとうございます……本当に……」
「駐車場へ向かってください。そこにトラックを用意しています」
女性は何度も頭を下げ、よろめきながら走り去っていった。刃はその背中を見送り、再び周囲を見渡した。
商店街にはまだゾンビが残っている。だが数は減り、生存者たちも次第に駐車場へ集まり始めていた。刃はその様子を確認し、小さく息を吐いた。
「もう少しだ……」
そう呟き、刃は最後の戦いへと向かった。
駐車場の入口付近——そこには最大の群れが集まっていた。二十体を超えるゾンビが、逃げ込もうとする市民たちを阻んでいる。市民たちは叫び、押し合い、パニック状態に陥っていた。
「落ち着け! 押すな!」
誰かが叫ぶが、混乱は収まらない。ゾンビたちはその隙を突いて、じりじりと距離を詰めていく。
刃は駆け出した。
足が地面を蹴り、風が頬を撫でる。刀を抜き放ち、刃はゾンビの群れへ突っ込んだ。
最初の一撃は縦斬り。ゾンビの頭頂部から股下まで、一気に切断する。体が左右に裂け、内臓が零れ落ちた。
次は横薙ぎ。三体の首が同時に斬り飛ばされ、胴体が崩れ落ちる。返す刀で、別のゾンビの腹を袈裟懸けに斬り裂く。血と内臓が飛び散り、地面を赤く染めた。
刃の動きは止まらない。一歩踏み込み、回転しながら刀を振るう。刀身が円を描き、周囲のゾンビをまとめて薙ぎ払った。五体、六体——次々と倒れていく。
だが、ゾンビも止まらない。
倒れた仲間を踏み越え、残りのゾンビたちが刃へ殺到する。刃は刀を構え直し、深く息を吸った。
「……来い」
小さく呟き、刃は再び刀を振るった。
それは嵐のような斬撃だった。
刀が空気を切り裂くたびに、ヒュンヒュンと風切り音が響く。刀身は光を反射し、まるで銀色の閃光が走っているかのようだった。
ゾンビの腕が斬り飛ばされ、首が落ち、胴が裂ける。一撃ごとに一体、時には二体が崩れ落ちる。刃の動きに無駄はなく、呼吸も乱れない。まるで舞うように、彼は戦場を駆け抜けた。
やがて——
最後の一体が倒れた。
刃の刀がその首を斬り落とし、頭部が地面に転がる。ゴトリ、という鈍い音が響き、そして——静寂。
商店街に、もうゾンビの呻き声は聞こえなかった。
刃は刀を下ろし、大きく息を吐いた。全身が汗と血で濡れ、筋肉が悲鳴を上げている。だが彼の目には、まだ光があった。
「……終わった」
刃は刀の血を払い、鞘に収めた。カチリ、という音が静かな商店街に響く。
そして振り返ると、駐車場に集まった市民たちが、呆然と刃を見つめていた。
「……すごい」
誰かが呟いた。
「助かった……本当に助かったんだ……」
別の誰かが泣き崩れる。市民たちの間に安堵が広がり、やがてそれは歓声へと変わった。
「ありがとう! ありがとうございます!」
「あなたがいなければ、俺たちは……!」
刃は小さく頷き、市民たちの前へ歩み寄った。
「まだ安全ではありません。この町は終わりです。すぐに避難しなければ」
刃の言葉に、市民たちは顔を見合わせた。そして一人の中年男性が前へ出た。
「どこへ……どこへ逃げればいいんです?」
「都市です。ここよりは大きく、防衛も整っているはず。トラックを用意しています。全員乗ってください」
刃がそう告げると、市民たちは慌ててトラックへ向かい始めた。駐車場には大型トラックが二台停まっており、荷台には既に何人かが乗り込んでいる。刃はその様子を見守り、一人一人を確認していった。
「子供優先で。老人も先に乗せてください」
刃の指示に従い、市民たちは秩序を保ちながら乗車していく。やがて全員がトラックに乗り込み、刃は運転席の男性に声をかけた。
「準備はいいですか」
「ああ。いつでも出られる」
「では、出発してください。都市まで一気に走り抜けてください」
運転手が頷き、エンジンをかける。ゴォォという重低音が響き、トラックがゆっくりと動き出した。
刃は荷台へ飛び乗り、市民たちと一緒に町を後にした。
トラックが商店街を抜け、幹線道路へ出る。周囲には倒れたゾンビの死体が散乱し、血の海が広がっていた。だが、もう生きているゾンビの姿はない。刃が一掃したのだ。
市民たちは荷台の中で肩を寄せ合い、涙を流していた。安堵の涙、恐怖の涙、そして感謝の涙。刃はそんな彼らを横目に、静かに刀の柄を握り締めた。
風が吹き、刃の髪を揺らす。空は灰色に曇り、冷たい空気が頬を撫でていく。刃は遠くの地平線を見つめ、小さく呟いた。
「……都市なら、まだ希望があるはずだ」
トラックは町を離れ、都市へと向かっていった。刃は刀を膝の上に置き、目を閉じた。
彼の戦いは、まだ始まったばかりだった。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




