表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第1部「黎明《れいめい》」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/40

第6話「町への道」

この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。

ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。

どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。

朝日が山際から顔を出した頃、村は完全な静寂に包まれていた。


血だまりが黒く乾いた路地。壊された扉。散らばる衣服の切れ端。誰も立ち止まらない。誰も振り返らない。


俺たち——ゾンビの群れは、ただ歩いていた。


足音が揃わない。ズル、ズル、と地面を引きずる音。時折、誰かが低くうなる。喉の奥から絞り出される、言葉にならないうめき声。


「……ァ……ァァ……」


俺の口からも、それは漏れていた。


意識はある。考えることもできる。だが体は止まらない。足は前へ、前へと進み続ける。


そして——俺は、群れの先頭にいた。


村を出た一本道は、まっすぐ町へと続いている。田んぼの緑が広がり、あぜ道の雑草が風に揺れている。セミの声が、どこか遠くで鳴き始めた。


いつもと同じ、夏の朝。


だが、この道を歩いているのは——もう人間じゃない。


俺の視界の端に、仲間の姿が映る。引きずる足。だらりと垂れた腕。血で汚れた服。昨日まで隣人だった人々が、今は同じ「何か」になっている。


空は青い。雲はゆっくりと流れている。世界は何も変わっていないのに、俺たちだけが変わってしまった。


   ◇


この道を、俺は何度も通った。


いや——俺たちは、何度も通った。


「京くん、早く早く!」


澪の声が、頭の中で響く。


藤宮澪ふじみやみお。俺より二歳年上の、幼馴染おさななじみ


いつも俺の手を引いて、この道を歩いてくれた。買い物に行く時も、祭りに行く時も、学校の帰り道も。


「ほら、また遅れてる。そんなんじゃ夏祭り終わっちゃうよ?」


浴衣姿の澪が振り返って、笑う。黒髪が夕暮れの風に揺れて、俺の胸がドキドキする。


「待ってよ、澪ちゃん……」


「澪ちゃんじゃなくて、澪さんでしょ? お姉さんなんだから」


そう言いながら、また手を引いてくれる。温かい手。優しい手。


母と一緒に買い物に行った時も、澪が一緒だった。自転車のカゴに野菜を詰め込んで、三人で笑いながら帰った。


「京くんは将来、どんな大人になるのかなー」


「……わかんない」


「澪さんは知ってるよ。きっと優しい大人になるって」


そう言って、澪は俺の頭をでた。


あの日の空も、今日みたいに青かった。


あの日の風も、今日みたいに優しかった。


「……ァ……ゥゥ……」


喉から漏れる声は、もう言葉じゃない。何かを伝えようとしても、出てくるのはうめき声だけ。舌が動かない。唇が震えない。


澪は今、どこにいるんだろう。


確か——大学を卒業して、海外に行くって言ってた。


「京くんも、いつか外の世界を見に行きなよ。この村も好きだけど、世界はもっと広いんだから」


最後に会ったのは、いつだっただろう。


俺が高校を卒業する前? それとも後?


思い出せない。


でも、澪の笑顔だけは、はっきりと覚えている。


群れの中から、ガシャン、と音がした。誰かがあぜ道の脇に置いてあった農具を蹴り倒したのだ。クワが地面に転がり、刃先が朝日を反射する。


誰も気にしない。誰も拾わない。


ただ、進む。


アスファルトの道に出た。靴底が硬い地面を叩く音が、リズムを刻む。ズッ、ズッ、ズッ。不揃いな足音が重なり合い、奇妙な行進曲を奏でている。


道の両脇には、田んぼが広がっている。苗が風に揺れ、水面がキラキラと光っている。カエルの鳴き声。トンボの羽音。


平和だ。


あまりにも平和すぎる。


「……澪……」


心の中で、名前を呼ぶ。


「……俺、どうしちゃったんだろうな……」


答えは返ってこない。


澪は、もうこの村にはいない。海の向こう、遠い世界にいる。


俺がこんな姿になったことも、知らないだろう。


知らない方が、いい。


「……止まれよ……」


心の中で叫ぶ。


「止まってくれ……頼むから……」


だが足は止まらない。本能が、俺の体を支配している。肉を求める衝動が、脳を焼き尽くしている。


町が近い。


もうすぐ、人がいる。


そして俺は——群れの先頭で、最初に町の人間と出会うことになる。


   ◇


同じ頃、町では朝が始まっていた。


バス停に立つ高校生たちが、スマホを見ながら笑っている。


「マジで? 昨日のドラマ見た?」


「見た見た! 最後ヤバかったよね!」


制服姿の女子生徒が声を弾ませ、男子生徒がイヤホンを片耳に突っ込んだまま頷いている。バスを待つ列は、いつもと変わらない。誰も焦っていない。誰も恐れていない。


商店街では、シャッターが次々と開いていく。


ガラガラ、という金属音。八百屋のおばさんが店先に野菜を並べ始める。パン屋からは甘い匂いが漂い、出勤前のサラリーマンが立ち寄っていく。


「おはようございます」


「暑くなりそうですね」


「そうですねえ、今日も三十度超えるって言ってましたよ」


何気ない会話。何気ない笑顔。


町は、いつもと同じ朝を迎えていた。


交差点では、信号が青に変わり、横断歩道を人々が渡っていく。ベビーカーを押す母親。ランドセルを背負った小学生。犬の散歩をする老人。


平和だ。


この町には、まだ何も起きていない。


だが——


「……なんか、サイレン多くない?」


バス停の男子生徒が、ふとつぶやいた。


「え?」


「ほら、さっきから救急車とか消防車とか、やたら通ってる気がするんだけど」


確かに、遠くでサイレンの音が鳴り響いている。ピーポーピーポー。ウーウー。断続的に、何度も何度も。


「どっかで火事?」


「いや、救急車だから事故じゃない?」


「でも多すぎない? さっきから五台くらい通ったよ」


女子生徒が不安そうに眉を寄せる。男子生徒がスマホでニュースを検索し始める。


「……あれ、何も出てないな」


「ローカルニュースは?」


「それも特に……」


首を傾げる。だが、バスが来たことで話題は途切れた。扉が開き、生徒たちが乗り込んでいく。


何事もなかったかのように、日常は続く。


だが——町の外れでは、異変が始まっていた。


町へ続く農道。田んぼと住宅地の境界あたり。


買い物袋を手に提げた主婦が、ゆっくりと歩いていた。五十代くらいの女性。エプロン姿で、朝の食材を買いに行く途中なのだろう。


「暑いわねえ……」


額の汗を拭いながら、彼女はつぶやく。


そして——彼女は気づいた。


前方から、人の群れが歩いてくる。


   ◇


「……あら?」


主婦は足を止めた。


前から歩いてくる人々。十人、いや二十人以上はいる。みんな、同じ方向へゆっくりと歩いている。


「何かあったのかしら……?」


不思議そうに首を傾げる。だが、彼女はまだ気づいていない。その群れが何なのか、理解していない。


距離が縮まる。


五十メートル。


四十メートル。


三十メートル。


「……え?」


主婦の表情が、強ばった。


群れの先頭を歩く青年——俺の姿が、彼女の視界に入ったのだ。


血まみれの服。引きずる足。虚ろな目。


「……何、あれ……?」


声が震える。買い物袋を持つ手が、わずかに揺れる。


だが、彼女はまだ逃げなかった。


「ちょっと、大丈夫!? 怪我してるの!?」


彼女は駆け寄ろうとした。


善意だった。


心配だった。


助けようとした。


——その瞬間、俺の頭の中で、声が響いた。


「京くん、やめて」


澪の声だ。


「お願い、それ以上近づかないで」


幻聴だとわかっている。澪はここにいない。海の向こうにいる。


でも——


「……やめろ……」


心の中で叫ぶ。


「……澪、見ないでくれ……」


——それが、最悪の選択だった。


「ァァァアアアッ!!」


俺の喉から、獣のような咆哮ほうこうが迸った。


体が勝手に動く。足が地面を蹴る。腕が前に伸びる。


主婦の目が、恐怖で見開かれる。


「え——」


言葉が途切れた。


俺の手が、彼女の肩に食い込む。爪が服を裂き、肉に突き刺さる。


「いやああああああっ!!」


悲鳴が響く。


買い物袋が地面に落ち、中身が転がる。トマト。キュウリ。卵のパックが割れて、黄身が地面に広がる。


そして——群れが一斉に襲いかかった。


ドッ、ドッ、ドッ、という足音が重なる。二十体以上のゾンビが、一人の女性に殺到する。


「やめて! やめてえええ!!」


彼女の悲鳴が、一瞬だけ空気を震わせた。


そして——


ブチッ。


肉が裂ける音。


ゴキッ。


骨が砕ける音。


「ァ……あ……ァ……」


主婦の声が、途切れ途切れになる。目が焦点を失い、口から血が溢れ出す。


俺の口に、温かい何かが流れ込んでくる。


肉だ。


人間の肉だ。


「……やめろ……やめてくれ……」


心の中で叫ぶ。だが口は、噛み続ける。飲み込み続ける。


頭の中で、また澪の声が響く。


「京くん……どうして……」


悲しそうな声。


泣いているような声。


「……見るなよ……」


心の中で叫ぶ。


「……澪、こんな姿……見ないでくれ……」


主婦の体が、ピクリ、と痙攣けいれんする。そして——動かなくなる。


いや、違う。


動かなくなったのではない。


「……ゥゥ……ァ……」


彼女の口から、うめき声が漏れ始めた。


感染したのだ。


数秒で。


噛まれた瞬間に。


主婦の目が、虚ろになる。体が起き上がる。そして——群れの一員になる。


俺たちは、また歩き始めた。


二十体だった群れが、二十一体になった。


   ◇


「……何、今の……」


遠くから、男の声がした。


農道の向こう側。住宅地の入り口あたりに、数人の人影が見える。


主婦の悲鳴を聞きつけて、駆けつけてきたのだろう。


「おい、あれ……」


「何やってんだ、あいつら……」


「血……血だらけだぞ……」


声が震えている。足がすくんでいる。


だが、彼らはまだ理解していない。


「まさか……映画みたいな……」


一人が、震える声でつぶやいた。


映画。


そう、映画だ。


テレビで見た、ゾンビ映画。


だが、これは映画じゃない。


現実だ。


「ァァァアアアッ!!」


群れが、一斉にうなり声を上げた。二十一体の喉から響く、獣の咆哮。


それが合図だった。


群れが、走り出す。


いや、「走る」というより「殺到する」という表現の方が正しい。統制の取れていない、ただ肉を求めて突進する獣の群れ。


「うわああああ!!」


男たちが逃げ出す。だが、遅い。


群れの速度は、人間の全力疾走には及ばない。だが、油断していた人間には十分すぎる速さだった。


「助けて! 誰か!!」


悲鳴が響く。


住宅地の路地で、一人の男が群れに飲み込まれる。そして、また一体増える。


窓から覗いていた住人が、悲鳴を上げて窓を閉める。


「警察! 警察呼んで!」


「何なの!? 何が起きてるの!?」


パニックの声が、あちこちから上がり始める。


俺は、その全てを見ていた。


止められない。


止まらない。


群れの先頭で、俺はただ町の中へと進んでいく。


住宅地の路地。商店街の入り口。人々が逃げ惑う交差点。


町が、呑み込まれていく。


「……すまない……」


心の中で、何度も謝る。


「すまない……すまない……」


母さん、すまない。


村のみんな、すまない。


そして——


「……澪、すまない……」


俺の口から出るのは、ただのうめき声だけ。


「ァァ……ゥゥ……」


澪の顔が、頭の中に浮かぶ。


笑顔の澪。


手を振る澪。


「京くん、また会おうね」


そう言って、バスに乗り込んだ澪。


あれが、最後だった。


もう二度と、会えない。


いや——会えたとしても、俺はもう人間じゃない。


澪に、この姿を見せることはできない。


群れは進む。


町は、崩れていく。


平和だった朝が、地獄に変わっていく。


   ◇


空は、相変わらず青かった。


セミは、相変わらず鳴いていた。


風は、相変わらず優しく吹いていた。


だが——


町には、もううめき声しか響いていない。


群れは進む。


俺は進む。


止まれない。


止まらない。


これが、始まりだった。


町が呑まれる、序章だった。


そして俺は——人間だった頃の自分を、少しずつ失っていく。


澪の顔も、いつか忘れるのだろうか。


澪の声も、いつか消えるのだろうか。


「……忘れたくない……」


心の中で、祈る。


「……澪だけは……忘れたくない……」


だが、群れは進む。


俺は進む。


人間の記憶を抱えたまま、怪物として。


(了)

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。

また次の物語で、お会いできる日を願っています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ