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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
ゾンビサイド第3部「蠢動《しゅんどう》」

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第59話「黒と白の境界」

この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。

ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。

どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。

雪が降っていた。


静かに。


音もなく。


白い結晶が、天から舞い降りてくる。


藤宮澪ふじみや みおは、その雪の中を歩いていた。


いや——歩いているというより、彷徨さまよっていた。


方向感覚はない。


目的地もない。


ただ、足が動くままに。


本能が導くままに。


彼女はもう、人間ではなかった。


感染した。


基地で、ゾンビに噛まれた。


そして——変わった。


死んだはずなのに、動いている。


心臓は止まっているのに、歩いている。


呼吸もしていないのに、存在している。


これが、新しい生命の形。


人間の次の段階。


だが澪の意識は、まだ残っていた。


薄れている。


かすみがかかったように、曖昧になっている。


だが、完全には消えていない。


彼女は、まだ”自分”を感じることができた。


藤宮澪という名前。


気象観測員だったこと。


最後の記録を残したこと。


それらの記憶が、微かに残っている。


だが同時に、別の”何か”も感じていた。


波動だ。


遠くから、呼び声が聞こえる。


北へ来い。


そこへ来い。


全てが、そこで終わる。


いや——始まる。


澪は、その声に従っていた。


抗うことはできない。


抗おうという意志すら、もう薄れている。


ただ、歩く。


北へ。


極地の、さらに先へ。


彼女の周りには、他のゾンビもいた。


かつては人間だった者たち。


基地の仲間たちだった者たち。


田村もいた。


彼もまた、同じように歩いている。


無言で。


無表情で。


ただ、北へ。


澪は、彼らと一緒に歩いていた。


だが会話はない。


言葉を交わすこともない。


必要がないからだ。


波動で、全てが繋がっている。


意識が、共有されている。


言葉など、もう古い。


時間の感覚も、失われていた。


どのくらい歩いたのか。


何日経ったのか。


分からない。


昼と夜の区別もつかない。


極地では、太陽が昇らない。


永遠の薄暗闇が、続いている。


だが、それでいい。


時間など、もう意味がない。


ただ、歩き続ければいい。


目的地に着くまで。


ふと、澪は立ち止まった。


なぜ止まったのか、自分でも分からない。


本能が、そう命じた。


何かが、近くにいる。


強い波動。


だが、種類が違う。


澪よりも、もっと強い。


もっと深い。


覚醒体だ。


彼女は、その方向を見た。


雪の中に、影が見える。


人の形。


だが、普通の人間ではない。


普通のゾンビでもない。


その存在感が、圧倒的だった。


影が、近づいてくる。


ゆっくりと。


だが確実に。


澪は、動けなかった。


恐怖ではない。


ただ、圧倒されていた。


その存在の、重さに。


そして——


影が、目の前に現れた。


男だった。


若い。


20代後半ぐらいだろうか。


黒い髪。


鋭い目。


そして——紅い眼。


澪は、その眼を見た。


人間の眼ではない。


だが、何かがある。


意識。


意志。


そして——感情?


男は、澪を見つめていた。


無言で。


だが、その視線には何かがあった。


探るような。


確かめるような。


まるで、何かを思い出そうとしているような——


澪もまた、男を見つめ返した。


彼女の薄れかけた意識が、何かを感じ取った。


この男を、知っている?


いや——知らない。


だが、“似ている”。


誰かに。


何かに。


人間だった頃の、誰かに。


男が、口を開いた。


「……お前、人間だったのか」


声が出た。


言葉が紡がれた。


澪は驚いた。


ゾンビが、喋った。


いや——彼女も喋れるのかもしれない。


試したことがなかっただけで。


澪は、口を動かしてみた。


「……ええ」


声が出た。


かすれている。


だが、確かに言葉になった。


「あなたも?」


男は、短く頷いた。


神谷刃かみや じん


「……藤宮澪ふじみや みお


名乗り合う。


それは、人間らしい行為だった。


ゾンビには、必要のない行為。


だが二人は、そうした。


まるで、最後の人間性を確かめるように。


刃は、澪を見つめ続けた。


その眼に、何かが宿っている。


感情。


記憶。


それとも——


「……お前、記録者だったのか」


刃が、呟いた。


澪は、少し驚いた。


なぜ、それが分かる?


「どうして……」


「波動だ」


刃は、簡潔に答えた。


「お前の波動から、感じる。観測する者の、気配」


澪は、黙った。


そうか。


波動は、記憶も伝えるのか。


意識も、共有されるのか。


ならば——


「あなたは、戦士だった」


澪も、感じ取っていた。


刃の波動から。


戦いの記憶。


血の匂い。


破壊の衝動。


そして——守ろうとした、何か。


刃は、何も言わなかった。


ただ、遠くを見た。


彼の紅い眼が、何かを映している。


過去。


失われた時間。


人間だった頃の、記憶。


「……俺は、何を守ろうとしていたんだ」


刃が、呟いた。


独り言のように。


「何のために、戦っていたんだ」


澪は、答えなかった。


答えられなかった。


彼女にも、分からない。


自分が何のために、記録を残していたのか。


誰のために、最後まで観測していたのか。


もう、意味がない。


人類は滅んだ。


記録を読む者はいない。


観測する意味もない。


だが——


「でも、私たちはやった」


澪は、静かに言った。


「最後まで、自分の役割を果たした」


刃は、彼女を見た。


紅い眼が、じっと見つめる。


「……そうか」


彼は、短く答えた。


「それが、人間だったということか」


「ええ」


澪は、頷いた。


「それが、私たちだった」


二人は、しばらく無言で立ち尽くした。


雪が、降り続けている。


白い世界。


静寂の世界。


その中で、二つの影が向かい合っている。


紅い眼と、灰色の眼。


破壊の記憶と、観測の記憶。


それらが、交わる。


「……俺は、もう消える」


刃が、突然呟いた。


澪は、彼を見た。


「消える?」


「ああ」


刃は、自分の手を見た。


震えている。


いや——揺らいでいる。


まるで、陽炎かげろうのように。


「もう、保てない。自分が」


澪は、理解した。


刃の意識が、限界に来ている。


個が、消えようとしている。


群れに、飲まれようとしている。


いや——群れですらない。


もっと巨大な、全体意識に。


「あなたも、感じている?」


「ああ」


刃は、頷いた。


「近づいている。あの”場所”に」


彼は、北を指した。


「そこで、全てが終わる。個が消え、全体が生まれる」


「それが……進化?」


「分からない」


刃は、静かに答えた。


「でも、抗えない」


澪も、それを感じていた。


自分の意識が、少しずつ溶けていくのを。


藤宮澪という個人が、消えていくのを。


だが、恐怖はなかった。


ただ、受け入れるだけ。


「……一つ、聞いていいですか」


澪は、刃に尋ねた。


「あなたは、後悔していますか」


刃は、少し考えた。


そして——


「……分からない」


彼は、正直に答えた。


「後悔という感情が、もう薄れている」


「そう、ですか」


澪は、微かに笑った。


笑えるのか、と彼女自身が驚いた。


だが、確かに笑っていた。


「私も、です」


二人は、再び沈黙した。


だが、それは不快な沈黙ではなかった。


理解し合った者同士の、静かな時間。


やがて、刃が動いた。


「……行くぞ」


「ええ」


澪も、頷いた。


二人は、並んで歩き始めた。


北へ。


あの”場所”へ。


周りには、無数のゾンビがいた。


皆、同じ方向へ向かっている。


波動で繋がり、意識を共有し、一つの流れになっている。


刃と澪も、その流れの一部だった。


だが、まだ”個”として存在していた。


最後の、人間性の欠片かけらとして。


「……なあ」


刃が、また口を開いた。


「お前の記録、誰が読むんだ」


「分かりません」


澪は、正直に答えた。


「でも、残しました」


「……意味があるのか」


「分かりません」


澪は、同じ答えを繰り返した。


「でも、それが私でした」


刃は、何も言わなかった。


ただ、歩き続けた。


そして——


「……俺も、同じだったのかもな」


彼は、呟いた。


「意味があるか分からない。でも、戦った」


「ええ」


澪は、頷いた。


「それが、あなただったんです」


刃は、初めて笑った。


いや——笑ったように見えた。


紅い眼が、少しだけ和らいだ。


「……人間らしい、な」


「ええ」


澪も、微笑んだ。


「人間らしい、ですね」


二人は、歩き続けた。


雪の中を。


静寂の中を。


だが、刃の姿が揺らぎ始めた。


輪郭が、曖昧になっている。


まるで、消えかけているように。


「……もう、限界だ」


刃が、呟いた。


「意識が、保てない」


澪は、彼を見た。


刃の姿が、どんどん薄くなっている。


いや——姿が消えているわけではない。


“個”が、消えているのだ。


神谷刃という人格が、波動に溶けていく。


全体意識に、吸収されていく。


「……最後に、一つだけ」


刃が、澪を見た。


その眼に、最後の輝きがあった。


「お前と会えて、良かった」


澪は、驚いた。


そして——涙が出そうになった。


いや、涙は出ない。


もう人間ではないのだから。


だが、確かに”何か”が溢れた。


感情。


温もり。


人間だった頃の、記憶。


「私も、です」


澪は、精一杯の声で答えた。


「あなたと会えて、良かった」


刃は、頷いた。


そして——


彼の姿が、完全に揺らいだ。


紅い眼が、光を失った。


いや——光を失ったわけではない。


その光が、波動全体に拡散した。


個が消え、全体になった。


神谷刃という存在は、もういない。


ただの”群れの一部”になった。


だが——


澪には、まだ感じられた。


波動の中に、刃の欠片が残っている。


完全には消えていない。


記憶として。


意識の一部として。


それは、永遠に残る。


澪は、立ち止まった。


そして、刃が消えた方向を見つめた。


「……さようなら」


彼女は、呟いた。


「ありがとう」


風が、吹いた。


雪が、舞った。


その中を、澪は再び歩き始めた。


一人で。


いや——一人ではない。


周りには、無数の仲間がいる。


波動で繋がった、新しい種族。


そして、彼女の中にも——刃の記憶が、残っている。


澪の意識も、もう長くはないだろう。


もうすぐ、彼女も消える。


藤宮澪という個人が、波動に溶ける。


だが、それでいい。


人間としての最後の時間を、彼女は人間らしく過ごせた。


会話をした。


感情を交わした。


そして——別れを告げた。


それで、十分だった。


澪は、北へ歩き続けた。


あの”場所”へ。


全てが終わり、全てが始まる場所へ。


そして彼女の後ろには——


無数のゾンビが、続いていた。


白と黒の境界が、消えていく。


人間とゾンビの、境界が。


生と死の、境界が。


個と全体の、境界が。


全てが、溶け合っていく。


新しい世界へ。


(了)

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。

また次の物語で、お会いできる日を願っています。


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