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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
ゾンビサイド第3部「蠢動《しゅんどう》」

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第57話「滅びの観測者」

この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。

ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。

どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。

白い世界だった。


窓の外は、全てが白い。


雪、氷、霧——それらが混ざり合い、視界を奪っている。


藤宮澪ふじみや みおは、極地観測基地の小さな部屋で、ノートパソコンに向かっていた。


キーボードを叩く音だけが、静寂を破る。


カタ、カタ、カタ。


規則的な音。


それが、彼女にとって唯一の”生”の証だった。


画面には、日付と時刻が表示されている。


2028年、12月15日、午後3時22分。


だが窓の外は、昼なのか夜なのかも分からない。


極地の冬。


太陽が昇らない季節。


世界は、永遠の薄暗闇に包まれている。


澪は、キーボードを叩き続ける。


記録を残すために。


人類最後の、観測者として。


画面に文字が並んでいく。


『観測記録 第487日目』


『北方防衛線、完全崩壊を確認』


『生存者数、推定300名以下』


『食料残量、あと2週間分』


『電力、太陽光発電のみで維持中』


『外部との通信、途絶して72日目』


淡々とした記述。


感情を排した、事実のみの羅列。


それが、澪のやり方だった。


彼女は元々、気象観測員としてこの基地に派遣されていた。


だが今、彼女の役割は変わっている。


気象ではなく、“終末”を観測している。


人類の滅亡を、記録している。


それが、彼女に残された唯一の使命だった。


ふと、外から音が聞こえた。


風だ。


いや——風だけではない。


何か、別の音が混じっている。


澪は顔を上げ、窓の外を見つめた。


白い霧の中に、影が見える。


動いている。


ゆっくりと。


だが確実に、近づいてくる。


彼女は息を呑んだ。


ゾンビだ。


群れが、ここまで来た。


澪は立ち上がり、窓から離れた。


心臓が、速く打つ。


恐怖ではない。


いや——恐怖もあるが、それだけではない。


もっと複雑な感情。


諦め、安堵、そして少しの好奇心。


ついに来たのか。


ついに、終わるのか。


彼女は深呼吸をし、再び椅子に座った。


そしてキーボードに手を置く。


まだ、書くことがある。


まだ、記録すべきことがある。


最後まで、観測者でいなければならない。


『追記:午後3時25分』


『基地周辺にゾンビ群を確認』


『推定数、200〜300体』


『接近速度、時速約2キロメートル』


『到達予想時刻、午後5時頃』


澪は、冷静に入力していく。


指が震えている。


だが文字は、正確に打ち込まれていく。


彼女は、プロだった。


どんな状況でも、記録を残す。


それが、科学者としての矜持きょうじだった。


部屋のドアが開いた。


男が入ってくる。


白髪混じりの、50代ぐらいの男性。


基地の責任者、田村たむらだ。


「澪さん、見ましたか」


「ええ。来ましたね」


短い会話。


二人とも、冷静だった。


もう驚くことはない。


この日が来ることは、分かっていた。


田村は、澪の隣に立ち、窓の外を見つめた。


「どのくらいで、ここまで?」


「2時間弱です」


「そうか」


田村は、静かに頷いた。


「他の皆には?」


「もう伝えました。各自、準備しています」


「準備って……何を?」


澪は、苦笑した。


準備など、意味がない。


抵抗しても無駄だ。


この基地には、武器らしい武器もない。


あるのは、工具と調理器具ぐらいだ。


「まあ、気休めですよ」


田村も、苦笑を浮かべた。


「せめて、最期まで人間らしくいたいんでしょう」


「人間らしく、ですか」


澪は、その言葉を反芻はんすうした。


人間らしさ。


それは何だろう。


恐れること?


抵抗すること?


それとも——記録すること?


「澪さんは、最期まで書き続けるんですか」


「ええ」


澪は即答した。


「それが私の役割ですから」


「誰が読むんです?」


「誰も読まないかもしれません」


澪は、画面を見つめたまま答えた。


「でも、残さなきゃいけない。人類が、ここまで来たことを。そして、ここで終わったことを」


田村は、静かに頷いた。


「……そうですね。誰かが、記録しなきゃならない」


彼は澪の肩に手を置いた。


「ありがとう、澪さん。最後まで、あなたがいてくれて良かった」


「こちらこそ」


澪は、小さく微笑んだ。


「田村さんがいなければ、私はもっと早く諦めていました」


田村は何も言わず、部屋を出て行った。


澪は、再びキーボードに向かった。


外の影が、少しずつ大きくなっている。


群れが、近づいている。


彼女は、淡々と記録を続ける。


『午後3時40分』


『群れ、基地まで推定1.5キロメートル』


『気温、マイナス28度』


『風速、12メートル』


『視界、約50メートル』


『基地内生存者、確認済み18名』


『全員、最期の準備中』


澪は、一度キーボードから手を離した。


そして立ち上がり、棚から一冊のノートを取り出した。


日記だ。


彼女が、感染拡大以降ずっと書き続けてきた、個人的な記録。


パソコンには、科学的な観測データを残す。


だがこのノートには、もっと個人的なことを書いていた。


感情、思考、記憶——人間としての、彼女自身の痕跡。


澪は、ペンを手に取った。


最後のページを開く。


そして、ゆっくりと文字を綴り始めた。


『私の名前は、藤宮澪』


『2028年12月15日、極地観測基地にて』


『これが、最後の日記になるだろう』


『外には、もう”彼ら”がいる』


『数時間後には、この基地も飲まれる』


『私も、おそらく——』


澪は、ペンを止めた。


窓の外を見る。


影が、もっと近づいている。


もう、輪郭が見える。


人の形をした、何か。


かつては人間だったもの。


今は、別の何かになったもの。


彼女は、ペンを再び動かした。


『恐怖はある』


『でも、不思議と穏やかでもある』


『もう逃げる場所はない』


『もう戦う意味もない』


『ただ、受け入れるだけだ』


『人類の時代が終わることを』


『新しい種族が生まれることを』


『それが進化なのか、滅亡なのか——私には分からない』


『でも、これが現実だ』


『私は、最後までそれを見届ける』


『観測者として』


『記録者として』


『そして、一人の人間として』


澪は、ペンを置いた。


ノートを閉じる。


そしてそれを、棚の一番目立つ場所に置いた。


誰かが見つけるかもしれない。


いや——おそらく誰も見つけない。


でも、それでいい。


残すこと自体に、意味がある。


彼女は、再びパソコンに向かった。


最後の記録を入力する。


『午後4時00分』


『群れ、基地まで約1キロメートル』


『間もなく、接触予定』


『これが、人類最後の観測記録となる』


『記録者:藤宮澪』


『人類の歴史に、終止符を打つ』


澪は、エンターキーを押した。


データが保存される。


クラウドに、自動でアップロードされる設定になっている。


だが今、クラウドサーバーは機能しているのだろうか。


誰かが、このデータを読むことはあるのだろうか。


分からない。


でも、それでいい。


澪は、パソコンを閉じた。


そして窓の外を見つめた。


群れが、もう目の前まで来ている。


先頭の個体の顔が、見える。


男性だ。


若い。


20代ぐらいだろうか。


顔は青白く、目はうつろだ。


だが、動いている。


生きている——いや、生きているとは言えないが、存在している。


澪は、その姿をじっと見つめた。


これが、新しい世界の住人。


人間の後継者。


彼らが、これから地球を支配する。


ふと、彼女は思った。


もし自分が感染したら、どうなるのだろう。


意識は残るのだろうか。


記憶は残るのだろうか。


それとも、全てが消えて、ただの”肉”になるのだろうか。


分からない。


でも、もうすぐ分かる。


基地の外壁に、何かがぶつかる音がした。


ドン、ドン、ドン。


規則的な音。


群れが、壁を叩いている。


中に入ろうとしている。


澪は、立ち上がった。


部屋を出る。


廊下を歩く。


他の生存者たちが、それぞれの部屋に閉じこもっている。


誰も、姿を見せない。


皆、自分のやり方で最期を迎えようとしている。


澪は、基地の中央ホールに辿り着いた。


そこに、田村が立っていた。


彼の手には、斧がある。


「澪さん」


「ここで、待つんですか」


「ええ」


田村は、静かに微笑んだ。


「逃げても無駄だ。なら、ここで迎えよう」


澪は、彼の隣に立った。


「私も、ここにいます」


「いいんですか」


「ええ。最後まで、観測します」


二人は、入口の扉を見つめた。


扉が、激しく揺れている。


ドン、ドン、ドン。


音が大きくなる。


ヒビが入る。


そして——


バキッ。


扉が壊れた。


冷たい風が、ホールに吹き込む。


そして、影が入ってくる。


一体、二体、三体——


次々と、ゾンビが侵入してくる。


田村が、斧を構えた。


だが彼は、振り下ろさない。


ただ、構えているだけだ。


最後の抵抗の姿勢。


意味のない、しかし人間としての尊厳を保つための、形だけの抵抗。


澪は、その光景を見つめていた。


恐怖はある。


だが同時に、妙な静けさもあった。


これで、終わる。


全てが、終わる。


先頭のゾンビが、田村に近づく。


田村が、斧を振り上げた。


そして——


振り下ろす直前、彼は止まった。


「……やっぱり、無理だな」


彼は、斧を床に落とした。


ガラン、と音がする。


「すまない、澪さん。最期まで格好つけられなかった」


「いいんです」


澪は、静かに答えた。


「人間らしい、最期です」


ゾンビが、田村に飛びかかった。


叫び声。


だが、短い。


すぐに、静寂が戻る。


澪は、その光景を見ていた。


次は、自分の番だ。


ゾンビたちが、彼女に向かってくる。


澪は、目を閉じなかった。


最後まで、見届ける。


観測者として。


それが、彼女の役割だから。


ゾンビの手が、彼女の肩に触れた。


冷たい。


氷のように冷たい。


そして——


痛み。


鋭い痛みが、首筋を走る。


噛まれた。


血が流れる。


視界が、揺らぐ。


だが澪は、まだ意識を保っていた。


最後の瞬間まで、観測し続ける。


彼女の視界に、一人のゾンビが映った。


若い男性。


先ほど見た、先頭の個体だ。


彼の目が、澪を見つめている。


虚ろな目。


だが——その奥に、何かがある気がした。


意識?


感情?


それとも、ただの錯覚?


分からない。


澪の意識が、遠のいていく。


体が、冷たくなる。


力が、抜けていく。


でも、彼女は最後まで考えていた。


これで、終わる。


人類の時代が。


私の人生が。


でも——それでいい。


次の時代が、始まる。


新しい生命が、この星を満たす。


それが、進化の流れ。


澪の視界が、暗くなった。


音が、遠くなった。


感覚が、消えていった。


そして——


全てが、静寂に包まれた。


極地観測基地は、静かだった。


外では、ブリザードが吹き荒れている。


だが基地の中は、もう動くものがない。


生存者は、全員が感染した。


人類最後の拠点が、陥落した。


ただ一つ、小さな部屋の棚に、ノートが残されていた。


藤宮澪の、最後の記録。


誰も読むことのない、人類の終焉の記憶。


それが、静かにたたずんでいた。


(了)

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。

また次の物語で、お会いできる日を願っています。


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