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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
ゾンビサイド第3部「蠢動《しゅんどう》」

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第56話「北の進軍」

雪原が続いていた。


どこまでも白い。


地平線が、空と溶け合っている。


灰色の空。白い大地。その境界すら曖昧あいまいで、まるで世界が色を失ったかのようだった。


風が吹いている。


冷たく、鋭く、容赦なく。


だがそれは、もはや藤原京ふじわら きょうにとって何の意味も持たない。


寒さを感じない。


痛みもない。


ただ、風が肌を撫でる感触だけが、微かに残っている。


京は、果てしない白の中を歩いていた。


一歩、また一歩。


足音はない。


雪に沈む靴音すら、風に消される。


音のない世界。


静寂だけが支配する、終末の大地。


だが彼の後ろには、無数の足跡が続いていた。


群れだ。


数万——いや、もはや数えることすら意味をなさない規模の、生命の痕跡。


雪原に刻まれたわだちは、幅数百メートルに及んでいる。


それは道ではない。


痕跡ですらない。


ただの”侵食”だ。


大地を踏み潰し、雪を踏み固め、全てをならしていく、巨大な生命体の移動跡。


京の背後には、無音の行進が続いている。


ゾンビたちは、声を出さない。


呼吸もしない。


心臓も動いていない。


ただ、歩き続ける。


主の意志に導かれて。


それは命令ではなく、引力のようなものだ。


京という”核”が放つ波動に、全ての個体が引き寄せられている。


抗えない。


逃げられない。


ただ、従う。


それが群れの本質だった。


北へ。


さらに北へ。


シベリア平原は、途方もなく広かった。


地図で見た時には、ただの空白地帯に見えた場所。


人間が住まない。


文明が届かない。


忘れ去られた大地。


だが今、京はその”空白”を、群れと共に埋めている。


何もない場所を、存在で満たしている。


生命——いや、生命だったものたちの群れが、この荒野を横断している。


進行速度は速くない。


走るわけでもない。


ただひたすら、歩いている。


人間であれば、数日で力尽きる距離を、彼らは何週間でも歩き続ける。


だがそれは、止まらない。


疲労もない。


休息もいらない。


飢えすら、今は問題ではない。


時間という概念すら、もはや彼らには無関係だった。


京は、ふと空を見上げた。


灰色の雲が、低く垂れ込めている。


重たい空。


色のない天。


太陽の位置すら不明瞭だ。


昼なのか、夕方なのか。


それすらも、もはやどうでもいい。


時刻は意味を失った。


ただ、明るいか暗いか——それだけだ。


だが京には、北の方角が分かる。


理屈ではない。


波動だ。


遠くから、何かが呼んでいる。


それは音でもなく、言葉でもない。


電波のような、精神波のような、生命そのものが発する”信号”。


Z波の波紋。


遠く、極北の地から響く、微かな呼び声。


それは全てのゾンビが感じている。


だが応えられるのは、限られた者だけだ。


覚醒体。


進化した個体。


理性を保ち、意志を持つ者たち。


京は、その波長を追って進んでいる。


背後から、気配が近づいた。


振り返らなくても、分かる。


波動の色が違う。


黒ではなく、紅。


理性ではなく、破壊。


「刃か」


短く呟く。


神谷刃かみや じんが、京の隣に並んだ。


無言。


足音もなく。


まるで影のように、すぐ横に立っている。


刃の紅眼が、白い雪原を見つめている。


その眼に、感情があるのか。


意志があるのか。


もはや区別がつかない。


人間だった頃の神谷刃は、確かに”何か”を持っていた。


怒り、憎しみ、闘争心——それらが彼を動かしていた。


だが今は違う。


感情は摩耗し、意識は薄れ、残っているのは”破壊の本能”だけだ。


それでも刃は、京の進行を妨げない。


敵対もしない。


ただ並走している。


それで十分だった。


二人は、言葉を交わさない。


必要がないからだ。


互いの波動が、既に繋がっている。


京の黒い眼と、刃の紅い眼。


理性と暴力。


創造と破壊。


それらが、一つの方向へ歩を進めている。


後方から、別の波動が届いた。


覚醒体だ。


ヤマト、カグラ、ツバキ——京が統合した進化体たちが、群れの中に混じっている。


彼らもまた、無言で進んでいる。


だが彼らには、まだ”個”が残っている。


名前がある。


記憶がある。


意志がある。


それでも彼らは、京に従っている。


統率ではなく、共鳴。


京という”核”に引き寄せられて。


それは支配ではなく、意志の重なり。


波動の同調。


全ての個体が、同じ未来を見ている。


それが今、北へと流れている。


群れの中には、覚醒していない個体も無数にいる。


彼らは意識を持たない。


ただの”肉”だ。


動く死体。


本能だけで歩く、抜け殻。


だがそれでも、彼らは群れの一部だ。


数が必要だ。


質ではなく、量。


この星を覆い尽くすために、圧倒的な”数”が必要なのだ。


風が強まった。


雪煙が舞い上がり、視界が白く染まる。


ブリザードだ。


人間であれば、前が見えない。


凍死する。


遭難する。


だが京は、歩みを止めない。


刃も、止まらない。


群れも、止まらない。


視界など、必要ない。


波動で感じる。


方角を。


進むべき道を。


仲間の位置を。


全てが、Z波で繋がっている。


何万という足音のない行進が、ただ続く。


雪が積もる。


個体が埋まる。


だが群れは進む。


倒れた者は、踏まれる。


埋もれた者は、置いていかれる。


それでいい。


個は消耗品だ。


群れが進めば、それでいい。


遠くに、山脈の輪郭が見えた。


ウラル山脈——ヨーロッパとアジアを分ける、巨大な壁。


人間が引いた、大陸の境界線。


文明の分水嶺ぶんすいれい


歴史が、ここで東西に分かれた。


文化が、ここで枝分かれした。


だがそれは、もはや境界ではない。


人間が引いた線など、今は意味をなさない。


国境も、領土も、全てが無効だ。


この星に残っているのは、ただ”地形”だけだ。


山があり、川があり、海がある。


それだけ。


人間の概念は、全て消えた。


京は、山を越える。


群れを率いて。


刃と共に。


覚醒体たちと共に。


そして無数の、名もなき死者たちと共に。


ふと、空が変わった。


灰色の雲が割れ、一筋の光が差し込む。


だがそれは太陽ではなかった。


緑の光。


揺らめく、幻想的な輝き。


天空を染める、不可視の炎。


オーロラだ。


極北の空に、光のカーテンが広がっている。


それは静かに、ゆっくりと、波打っている。


まるで生きているかのように。


まるで呼吸しているかのように。


京は立ち止まり、空を見上げた。


刃も、足を止める。


群れも、静止する。


何万という個体が、一斉に動きを止めた。


無音の中、オーロラだけが舞っていた。


緑、青、紫——色彩が波打ち、天を染めていく。


光が流れる。


波が揺れる。


そのリズムが、まるでZ波の波動に似ていた。


京は、その光を見つめた。


これが、この星の美しさか。


人間がいなくなった世界の、静謐せいひつ


彼らが去った後に残された、原初の輝き。


文明が消え、騒音が消え、全てが静まった後に現れる——本当の”自然”。


彼はふと、昔のことを思い出した。


人間だった頃。


藤原京という名前を持ち、村で暮らしていた頃。


あの頃、彼は何を見ていたのか。


何を望んでいたのか。


何を恐れていたのか。


もう、思い出せない。


記憶は残っている。


映像として、情報として、脳に刻まれている。


だが感情が、失われている。


温度が、ない。


色が、ない。


ただの”データ”になってしまった過去。


彼はもう、人間ではないのだ。


人間だったもの。


人間の残骸。


進化した、別の何か。


だがそれでいい。


京は、そう結論づけた。


人間の時代は終わった。


彼らは滅びを選んだ。


争い、奪い合い、殺し合い——そして感染に飲まれた。


それは自業自得だ。


ならば次の時代を、自分たちが創ればいい。


新しい種族が、この星を支配すればいい。


それが進化だ。


それが自然の摂理せつりだ。


彼は再び、歩き始めた。


オーロラを背に。


群れを率いて。


刃が、無言で続く。


その後ろに、無数の影が続く。


終末の行進は、止まらない。


人類の残骸を踏み越え、文明の廃墟を通り抜け、ただ北へ。


やがて群れは、山脈のふもとに辿り着いた。


巨大な岩壁が、眼前にそびえている。


切り立った崖。


氷に覆われた斜面。


人間であれば、装備なしでは登れない。


だが京は、躊躇ちゅうちょしない。


彼は岩を掴み、登り始めた。


素手で。


何の道具も使わずに。


指が岩に食い込む。


爪が割れる。


だが痛みはない。


ただ、登る。


刃も、続く。


彼の動きは、京よりも速い。


まるで獣のように、壁面を駆け上がっていく。


紅眼が、岩肌をにらむ。


覚醒体たちも、続く。


ヤマトが、カグラが、ツバキが——それぞれの方法で、山を登る。


そして無数の、名もなき個体たちも。


群れ全体が、山を登り始める。


それは異様な光景だった。


何万という死者が、無言で山を登る。


列をなして。


途切れることなく。


まるでありの行列のように。


落ちる者もいる。


滑り落ちる者もいる。


崩れる者もいる。


だがそれでも、群れは進む。


個の死など、もはや問題ではない。


一体が落ちれば、次の一体が登る。


十体が崩れれば、百体が続く。


全体が進めば、それでいい。


損耗は許容範囲だ。


群れは、そうやって進化してきた。


やがて京は、山の頂に立った。


そこから見下ろす景色は、果てしなかった。


白い雪原が、地平の果てまで続いている。


西には、ヨーロッパの大地。


かつて文明が栄えた場所。


今は静寂に沈んでいる。


東には、シベリアの荒野。


人が住まない、凍てついた世界。


それもまた、静かだ。


そして北には——


何かが、待っている。


京には、それが分かった。


視覚ではない。


波動だ。


Z波の共鳴。


あの”光”の源が、あそこにある。


遠く、遠く。


地平の果て。


氷の海の向こう。


極点の、そのさらに先。


そこに、“何か”がある。


それは生命ではない。


物質でもない。


だが確かに、存在している。


波動の核。


Z波の根源。


それが、京を呼んでいる。


全ての覚醒体を、呼んでいる。


進化の終着点へと。


「行くぞ」


京は、短く呟いた。


刃が、無言で頷く。


群れが、再び動き出す。


下山は速かった。


落下する者、転がる者、崩れる者——だが群れは減らない。


むしろ、増えている。


道中で遭遇した人間の集落。


避難施設。


軍事基地。


それらを全て飲み込み、京の群れは膨れ上がり続けている。


もはや日本から始まった”波”ではない。


これは地球全体を覆う、終末の津波だった。


数日後——京の群れは、凍てついた川を渡っていた。


氷の上を、無音で行進する死者たち。


氷は厚い。


だが完全ではない。


所々にひび割れがある。


途中、氷が割れた。


バキリ、と音がした。


亀裂が走る。


そして、崩壊。


何百という個体が、一瞬で水中に消える。


黒い水面に、白い波紋が広がる。


そして静寂。


だが誰も助けない。


誰も振り返らない。


群れは、ただ前へ進む。


氷が割れようと、仲間が沈もうと、関係ない。


進むことだけが、使命だ。


京は、その光景を見ていた。


感情は、ない。


ただ、観測している。


これが進化だ。


強い者が残り、弱い者が消える。


環境に適応できない個体は、淘汰とうたされる。


それだけのことだ。


だが同時に、京は思う。


人間だった頃の自分なら、こうは考えなかっただろう。


助けようとしただろう。


だが今の自分は、そうしない。


する必要がないのだ。


個は死ぬ。


だが群れは、生き続ける。


それが、新しい生命の形。


京は、それを受け入れた。


夜が訪れた。


いや——訪れたというより、世界が暗くなっただけだ。


太陽が沈む。


光が消える。


それだけ。


オーロラが、再び空を彩る。


今度は赤い光も混じっていた。


まるで血のような、不吉な輝き。


緑と赤が、渦を巻いている。


生と死。


創造と破壊。


それらが天空で交わり、溶け合っている。


京は、その光を見上げた。


刃も、見上げている。


二人の眼が、光を映している。


黒と紅。


理性と破壊。


それらが今、同じ方向を向いている。


同じ光を見ている。


同じ未来へ、歩いている。


言葉はない。


約束もない。


ただ、“共鳴”があるだけだ。


波動の一致。


それが、二人を繋いでいる。


そして——遠くから、新たな波動が届いた。


人間の波動だ。


生存者がいる。


北方のどこかに、まだ抵抗している人間たちがいる。


だが京は、動かない。


追う必要はない。


彼らは、いずれ群れに飲まれる。


時間の問題だ。


ならば急ぐ理由はない。


京の目的は、人間の殲滅せんめつではない。


“あの場所”へ辿り着くことだ。


北の光の、その先へ。


群れは、再び歩き始めた。


オーロラの下を。


終わらない行進を。


北へ。


さらに北へ。


呼び声の、その先へ。


京は、歩き続けた。


群れと共に。


刃と共に。


覚醒体たちと共に。


そして無数の、名もなき死者たちと共に。


彼らは止まらない。


休まない。


ただ、進む。


そして彼は、確信していた。


この行進の果てに、何かが待っている。


新しい世界の、始まりが。


人類が消え、文明が崩壊し、全てが静まった後に——


何かが、生まれる。


進化の到達点。


生命の次の段階。


それが、あの北の果てにある。


京の黒い眼が、遠くを見つめる。


刃の紅い眼が、同じ方向を見つめる。


群れが、無言で進む。


オーロラが、空を染める。


赤と緑の光が、揺らめいている。


生と死が、混ざり合っている。


そしてその光の下を——


終末の行進は、止まらない。


永遠に。


果てしなく。


この星が終わるまで。


いや——この星が、新しく生まれ変わるまで。


彼らは、歩き続ける。


(了)

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