表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第1部「黎明《れいめい》」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/40

第4話「抗《あらが》う村人たち」

この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。

ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。

どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。

 村の外れで、悲鳴が響いていた。


 「こっちだ! 納屋なやに逃げ込め!」


 男性の声。荒い息。走る足音。砂利を蹴る音。ザッ、ザッ、ザッ。五人の村人が、必死に走っていた。老人、主婦、若い男性、中学生、そして小学生の女の子。息を切らし、汗を流し、涙を流しながら。


 後ろから、うめき声が追ってくる。


 「ウゥ……アァ……」


 低い、人間ではない声。それが、何十人分も重なって、空気を震わせている。足音が、地面を這うような音が、じわじわと近づいてくる。


 老人——元大工の田所が、つまずいた。


 「うわっ!」


 地面に手をつく。膝を打つ。痛みが走る。でも、立ち上がらなければ。追いつかれる。食われる。


 「田所さん!」


 若い男性——村の消防団員、中村が、田所の腕を掴んで引っ張り上げる。「立ってください! もう少しです!」


 田所は歯を食いしばり、立ち上がる。膝が痛い。足が重い。息が上がる。七十過ぎの体には、きつすぎる。でも——走らなければ。


 納屋が見えた。古い木造の建物。壁は日に焼けて、色褪せている。屋根は波板トタン。農具や肥料を保管する場所。田所が、若い頃に自分で建てた納屋。扉は開いている。そこに駆け込めば、少しは時間が稼げる。


 「急げ!」


 中村が叫ぶ。彼は最後尾を走りながら、後ろを振り返った。


 ゾンビの群れが、迫ってくる。


 ふらふらとした動き。足を引きずるような歩き方。でも、止まらない。人間よりも遅いが、確実に距離を詰めている。その中には——知っている顔がある。昨日まで一緒に酒を飲んだ仲間。いつも挨拶を交わしていた隣人。子供の同級生の親。祭りで一緒に笑った人たち。


 全員、もう——人間じゃない。


 口から血を垂らし、目は焦点が合わず、服はボロボロで、血まみれ。それでも、こちらに向かってくる。


 中村は歯を食いしばり、納屋に飛び込んだ。他の四人も、すでに中に入っている。主婦の吉田が、娘の美咲を抱きしめている。中学生の健太が、壁に背中をつけて荒い息をついている。


 「扉を閉めろ!」


 中村が叫ぶ。田所が、重い木の扉を押す。ギィ、ときしむ音。扉が閉まる。中村が内側から太い角材を渡し、扉を固定する。カチャン、と角材が受け金に収まる音。


 ドン!


 その瞬間、扉に何かがぶつかる音。ゾンビたちが、扉を叩いている。ドン、ドン、ドン。執拗しつように。休むことなく。扉が、振動する。


 「これで……持つか?」


 吉田が、震える声で言う。彼女の腕には、小学生の女の子——娘の美咲がしがみついている。美咲の顔は、恐怖で青ざめている。涙が、頬を伝っている。


 「わからない」


 中村が答える。納屋の中を見回す。薄暗い。窓から差し込む光だけが頼り。細い光の筋が、ほこりを照らしている。床には、農具が並んでいる。くわかま、シャベル、おの。壁には、角材や板が立てかけられている。肥料の袋が、隅に積まれている。


 匂いがする。土の匂い。木の匂い。油の匂い。そして——外から漂ってくる、血の匂い。


 「武器になるものを探せ。戦うしかない」


 中村の言葉に、全員が動く。田所が鍬を手に取る。重い。昔は軽々と振れたのに、今は重い。それでも、握る。吉田が鎌を握る。刃が、光を反射している。鋭い刃。でも、それを人に——いや、もう人じゃないが——向けることができるのか。手が震える。健太が、角材を持ち上げる。太い角材。ずっしりと重い。両手で握らなければ、持てない。


 「戦う……? あれは、人間だぞ」


 健太が、震える声で言う。顔は青ざめている。唇の色も悪い。


 「もう人間じゃない」


 中村が言う。彼の手には、重い斧がある。刃こぼれした、古い斧。でも、切れる。「あれは……化け物だ。殺さなきゃ、俺たちが殺される」


 ドン、ドン、ドン。


 扉を叩く音は、止まらない。


 ミシミシと、扉が軋む音も聞こえ始める。


-----


 京は、群れの中にいた。


 納屋の扉を、叩いている。いや、「叩いている」というより、「ぶつかっている」と言った方が正しい。体が、勝手に扉に向かって歩き、そのまま衝突する。ドン。痛みはない。いや、痛みはあるのかもしれないが、感じない。肩がぶつかる。頭がぶつかる。でも、体は気にしない。ただ前に進むことだけを求めている。


 周りには、他のゾンビたちがいる。山田さん、佐藤さん、田村さん、花屋のおばさん。みんな、同じように扉を叩いている。うめき声を上げながら。「ウゥ……アァ……」という、人間のものではない声。


 京の心は、叫んでいた。


 やめろ。


 もう、これ以上は。


 でも、体は止まらない。


 扉の向こうに、人間がいる。生きている人間がいる。温かい血が流れている。柔らかい肉がある。体が、それを求めている。飢えが、京を支配している。胃の奥から、いや、胃があるのかもわからないが、体の奥底から湧き上がる飢え。それが、京を動かしている。


 京の視界に、扉の隙間から漏れる光が見える。その光が、まぶしい。いや、まぶしくはないのかもしれない。でも、何か——人間だった頃の記憶が、その光に反応している。


 納屋。


 ここは、田所さんの納屋だ。


 京は、子供の頃、ここでよく遊んだ。田所さんは優しい人で、京が納屋に入っても怒らなかった。「気をつけろよ」と言いながら、笑っていた。「農具は危ないからな」と、注意してくれた。夏は涼しくて、冬は暖かい。ここで、友達とかくれんぼをした。ここで、昼寝をした。農具の匂い、木の匂い、土の匂い。全てが、懐かしい。


 母さんが、ここまで京を迎えに来てくれたこともあった。「京、もう帰るわよ」と、笑顔で。田所さんが、「また遊びに来いよ」と言ってくれた。


 でも——


 今、京は、その納屋を襲っている。


 中にいる人間を、食らうために。


 中にいる田所さんを、殺すために。


-----


 ガシャン!


 窓ガラスが割れた。


 ゾンビの腕が、窓から伸びてくる。血まみれの手。指が曲がっている。爪ががれている。それが、空をつかむ。何かを探すように。


 「窓だ! 窓をふさげ!」


 中村が叫ぶ。田所が板を持ってきて、窓に打ち付ける。トンカン、トンカン。くぎを打つ音。金槌が、釘の頭を叩く。でも、手が遅い。老人の力では、素早く動けない。息が上がる。手が震える。


 ゾンビの手が、田所の腕を掴む。


 「うわっ!」


 田所が悲鳴を上げる。引っ張られる。窓に引きずり込まれそうになる。力が強い。人間の時よりも、ずっと強い。


 「田所さん!」


 中村が駆け寄り、斧を振り上げる。溜め。大きく振りかぶる。筋肉が緊張する。汗が額を伝う。そして——


 振り下ろす。


 ガン!


 斧が、ゾンビの腕に食い込む。骨を砕く音。ゴキッ。でも、ゾンビは離さない。うめき声を上げながら、さらに引っ張る。痛みを感じていないかのように。


 中村は、もう一度斧を振る。ガン! 今度は、腕が切断される。黒い血が飛び散る。壁に、床に、中村の顔に。粘りけのある、臭い血。


 切断された腕が、床に落ちる。ドサリ。でも、まだ動いている。指が、痙攣けいれんするように動いている。まるで、生きているかのように。


 「気持ち悪い……」


 健太が、顔を背ける。吐き気をこらえている。胃が、ひっくり返りそうだ。


 「板を打ち付けろ! 早く!」


 中村が叫ぶ。田所が、震える手で板を持ち上げる。釘を打つ。トンカン、トンカン。釘が、板を固定する。窓が、ようやく塞がれる。


 でも——


 ドン、ドン、ドン。


 扉を叩く音は、止まらない。


 そして——


 ミシミシと、扉が軋む音。


 角材が、たわんでいる。木が悲鳴を上げている。


 「まずい……持たないぞ」


 中村がつぶやく。汗が額を伝う。背中も、汗でびっしょりだ。手に持つ斧が、震えている。


-----


 京の体は、扉を押し続けていた。


 他のゾンビたちと一緒に。何十人もの力で、扉を押している。ミシミシと、木が悲鳴を上げている。もうすぐ、壊れる。もうすぐ、入れる。もうすぐ、食える。


 京の心は、悲鳴を上げていた。


 やめろ!


 壊すな!


 中には、人がいる!


 生きている人がいる!


 田所さんがいる!


 中村さんがいる!


 でも、体は止まらない。


 そして——


 バキッ!


 角材が折れた。


 扉が、勢いよく開く。


 ゾンビの群れが、なだれ込む。


 京も、その中にいる。体が、勝手に納屋の中に入っていく。薄暗い納屋。農具の匂い。木の匂い。そして——人間の匂い。汗の匂い。恐怖の匂い。血の匂い。


 「来るな!」


 中村が叫ぶ。斧を構える。その目には、恐怖と決意が混ざっている。手は震えているが、斧を握る力は強い。


 最初のゾンビ——佐藤さんが、中村に向かって歩く。ふらふらと、でも確実に。腕を伸ばして、中村を掴もうとする。


 中村は、斧を振る。


 ガン!


 斧が、佐藤さんの頭に食い込む。頭蓋骨ずがいこつが割れる音。グシャ。黒い血が飛び散る。佐藤さんの体が、崩れ落ちる。ドサリ。もう、動かない。


 「頭だ! 頭を潰せば止まる!」


 中村が叫ぶ。


 田所が、鍬を振り上げる。次のゾンビ——田村さんの頭を叩く。ガン! 鈍い音。田村さんが倒れる。頭から血を流して。もう、立ち上がらない。


 でも——


 遅い。


 ゾンビの数が多すぎる。


 次から次へと、なだれ込んでくる。


 健太が、角材を振る。ゾンビの頭を殴る。でも、うまく当たらない。肩に当たる。ゾンビは、ひるまない。健太に掴みかかる。


 「やめろ!」


 健太が叫ぶ。角材を振り回す。でも、ゾンビは離さない。健太の腕を掴み、引き寄せる。力が強い。抗えない。


 そして——


 噛みつく。


 「うああああ!」


 健太の悲鳴。血が飛び散る。健太の体が、震える。目が見開かれる。口が開く。でも、声が出ない。


 「健太!」


 吉田が叫ぶ。鎌を握りしめ、ゾンビに向かって走る。鎌を振る。刃が、ゾンビの体に食い込む。でも——


 別のゾンビが、吉田に掴みかかる。


 「離して! 離して!」


 吉田が叫ぶ。鎌を振り回す。でも、ゾンビの数が多すぎる。二体、三体と、吉田に群がる。服を掴む。髪を掴む。腕を掴む。


 そして——


 吉田も、噛まれる。


 首に。


 悲鳴。


 血。


 倒れる体。


 全てが、数秒の出来事だった。


 中村は、必死に斧を振る。次々とゾンビを倒す。でも——切りがない。倒しても、倒しても、次が来る。息が上がる。腕が痛い。でも、止まれない。


 そして——


 中村の背後に、ゾンビが回り込む。


 京だった。


 京の体が、中村の肩に掴みかかる。


 中村が振り返る。その顔に、驚きが浮かぶ。汗と血で汚れた顔。でも、その目には——まだ、希望があった。


 「京……くん?」


 中村は、京を知っている。村の若者。静かで、優しい子。いつも母親と一緒に買い物に来ていた。消防の訓練を見学に来たこともあった。「かっこいいですね」と言ってくれた。


 でも——


 今の京は、もう——


 京の体が、中村の首に噛みつく。


 やめろ!


 やめてくれ!


 中村さんは、良い人だ!


 いつも村を守ってくれた!


 消防団で、火事の時も、台風の時も、いつも先頭に立ってくれた!


 俺が子供の頃、迷子になった時、探してくれたのも中村さんだった!


 京の心は、叫び続ける。でも、体は止まらない。


 中村の血が、京の口の中に広がる。温かい。甘い。美味しい。鉄の味。生命の味。


 快感が、脳を貫く。


 中村の体から、力が抜けていく。斧が、床に落ちる。ガラン、と音を立てて。


 そして——


 中村も、倒れる。


 京の体は、中村の肉を食らう。骨を砕く。血を飲む。


 全てが、本能のままに。


-----


 納屋の隅で、美咲が震えていた。


 母親の吉田は、もう——立ち上がっている。ゾンビになって。うめき声を上げながら、ふらふらと歩いている。口から血を垂らして。目は焦点が合わず。


 美咲は、声も出せない。ただ、震えている。涙が、頬を伝う。止まらない。呼吸が荒い。心臓が、激しく鼓動している。ドクン、ドクン。


 納屋の床には、倒れた村人たちがいる。中村、田所、健太、吉田。全員、血まみれで倒れている。動かない。


 そして——


 次々と、立ち上がり始める。


 ゆっくりと。


 ぎこちなく。


 もう、人間じゃない。


 ゾンビだ。


 美咲は、納屋の隅の木箱の影に隠れる。体を小さく丸める。息を殺す。心臓が、激しく鼓動している。ドクン、ドクン。その音が、自分にも聞こえるほど大きい。見つかる。絶対に見つかる。


 でも——


 ゾンビたちは、美咲に気づいていない。いや、気づいているのかもしれないが、今は——他の獲物を探している。納屋を出て、村の中心に向かっていく。


 美咲は、隙間から外を見る。


 村が、燃えていた。


 誰かが、火をつけたのだろう。家が、燃えている。炎が、空に舞い上がっている。煙が、空に立ち上っている。黒い煙。それが、青い空を汚している。


 ゾンビの群れが、村の中を歩いている。何十人も。いや、何百人も。全員、うめき声を上げながら。


 その中に——


 京の姿も、あった。


 ふらふらと歩く京。血まみれの京。もう、人間の京ではない。


 美咲は、涙を流しながら、祈った。


 誰か、助けて。


 誰か、来て。


 お母さん。


 お父さん。


 でも——


 誰も、来ない。


 村は、終わった。


 もう、誰も助けに来ない。


 空には、煙が立ち上り続けている。


 村の外れから、中心へ。


 全てが、燃えている。


 全てが、終わっている。


 美咲は、木箱の影で、小さく丸くなった。


 そして——


 ただ、震え続けた。


-----


(了)

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。

また次の物語で、お会いできる日を願っています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ