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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第2部「裂け目」

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第31話「漂流」

この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。

ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。

どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。

 北への道。


 神谷刃は、崩れた街を歩いていた。


 アスファルトが割れ、建物が傾き、車が放置されている。窓ガラスは砕け散り、看板は倒れ、電柱が折れている。


 静かだ。


 人の声がしない。車の音がしない。鳥の鳴き声すら、聞こえない。


 ただ、風の音だけが響いている。


 刃は、剣を背負ったまま歩く。足音が、静寂を破る。ザッ、ザッ、ザッ。


 左腕が、熱い。


 もう、我慢できないほどに。


 視界が——歪んでいる。


 二重に見える。時々、三重になる。焦点が合わない。まっすぐ歩いているつもりなのに、体がふらつく。


 刃は、壁に手をついた。冷たいコンクリート。ザラザラとした感触。


 深く息をする。


 大丈夫だ。


 まだ、大丈夫だ。


 そう自分に言い聞かせる。


 でも——体は、嘘をつけない。


 刃は、シャツをまくった。包帯を確認する。


 紫色の筋が——首まで達していた。


 胸から肩、肩から首へ。まるで蔦が這うように。皮膚が、青白く変色している。血管が浮き出ている。黒く、太く。


 時間がない。


 もう、数時間かもしれない。


 いや——もっと短いかもしれない。


 刃は、包帯を巻き直した。シャツを下ろす。


 そして——歩き出す。


 止まるわけにはいかない。


 まだ、やることがある。


-----


 倒壊したビルの前。


 刃は、足を止めた。


 瓦礫の山。鉄骨が剥き出しになり、コンクリートが砕け、ガラスが散乱している。


 その中から——声が聞こえた。


「助けて……誰か……」


 弱々しい声。女性の声。


 刃は、瓦礫へ近づいた。


「どこだ!」


 刃が叫ぶ。


「ここ……です……」


 声の方向を探る。瓦礫の隙間。そこに、人影が見える。


 女性だ。


 三十代くらいだろうか。血まみれで、足が瓦礫に挟まれている。


 刃は、瓦礫を動かし始めた。


 重い。


 コンクリートの塊。鉄骨の欠片。


 でも——止まらない。


 一つ、また一つ。


 手が切れる。血が滲む。でも、気にしない。


 やがて——女性の足が、自由になった。


「動けるか?」


 刃が手を差し伸べる。


 女性が、その手を握った。冷たい手。震えている手。


「ありがとう……ございます……」


 女性が、涙を流す。


 刃は、女性を抱え上げた。体が軽い。痩せている。


「避難所は、どこだ?」


「北に……二キロほど……」


 刃が頷く。


「そこまで、連れて行く」


 女性が、刃の顔を見た。そして——目を見開いた。


「あなた……顔色が……」


「大丈夫だ」


 刃が、笑う。


「まだ、動ける」


 女性は、何か言いかけたが——黙った。


 刃は、女性を背負い、歩き出した。


-----


 避難所。


 古い小学校だった。校庭にテントが張られ、焚き火が焚かれている。人々が集まっている。老人、子供、女性。疲れ切った顔。


 刃は、女性を下ろした。


「ここで、休め」


 女性が、深く頭を下げる。


「本当に、ありがとうございました」


 刃は、頷いた。


 そして——振り返ろうとした時、視界が揺れた。


 ぐらり。


 足元が、崩れる感覚。


 刃は、膝をついた。手を地面につく。


「大丈夫ですか!」


 女性が、駆け寄る。


「大丈夫だ……」


 刃が、立ち上がろうとする。でも——体が、言うことを聞かない。


 力が、入らない。


 視界が、暗くなる。


 これは——


 刃は、自分の手を見た。


 震えている。


 そして——皮膚が、青白く変色している。


 包帯の隙間から、紫の筋が見える。


 もう——隠せない。


 刃は、女性を見た。


「ここから、離れろ」


「え……?」


「早く!」


 刃が叫ぶ。


 女性が、後ずさる。


 刃は、立ち上がった。ふらつきながら。


 そして——避難所から、離れる。


 人々が、刃を見ている。不安そうな目で。


 刃は、歩く。


 一歩、また一歩。


 校庭の端。フェンスの外。


 そこで——倒れた。


-----


 同じ頃。


 海沿いのキャンプ地。


 感染者処理班のテント。


 藤宮澪は、そこにいた。


 テントの中は、暗い。ランプの明かりだけが、辺りを照らしている。


 澪の前に——少年がいた。


 十代前半。中学生くらいだろうか。痩せた体、青白い顔、虚ろな目。


 首に、噛み跡がある。


 発症寸前だ。


 少年は、椅子に縛られている。ロープで、手首と足首を。動けないように。


 でも——まだ、意識がある。


「お願い……します……」


 少年が、か細い声で言う。


「殺して……ください……」


 澪は、ライフルを構えていた。


 銃口が、少年の額を向いている。


 引き金に、指がかかっている。


 でも——引けない。


「早く……」


 少年が、涙を流す。


「俺が……化け物に……なる前に……」


 澪の手が、震える。


 これが——任務だ。


 感染者を、処分する。


 それが、自分の役割だ。


 でも——


 この少年は、まだ人間だ。


 意識がある。感情がある。恐怖がある。


「お願い……」


 少年が、懇願する。


 澪は、目を閉じた。


 深く息をする。


 そして——目を開ける。


 引き金に、力を込める。


 でも——


 撃てない。


 澪は、銃を下ろした。


「すまない……」


 澪が、呟く。


「私には……できない……」


 少年が、目を見開いた。


「どうして……!」


 少年が叫ぶ。


「早く殺してくれ! 俺は……俺は……!」


 その時、少年の体が痙攣した。


 ビクン、ビクン。


 目が、濁り始める。


 口から、泡を吹く。


 発症だ。


 澪は、後ずさった。


 少年が——ゾンビになる。


 ロープが、軋む。少年が暴れる。


「グアアアア!」


 もう、言葉ではない。


 獣の咆哮だ。


 澪は、再び銃を構えた。


 今度は——迷わない。


 引き金を引く。


 パン。


 銃声が、テントに響く。


 少年の頭に、穴が開く。


 動きが、止まる。


 澪は、銃を下ろした。


 手が、震えている。


 涙が、頬を伝う。


「ごめんなさい……」


 澪が、呟いた。


「ごめんなさい……」


 誰に向けた言葉なのか——


 わからなかった。


-----


 同じ頃。


 海の上。


 藤原京は、荒れ狂う海を泳いでいた。


 波が高い。


 三メートル、いや、五メートル。


 風が強い。


 体が、波に揉まれる。


 でも——沈まない。


 京は、泳ぎ続ける。


 腕を動かし、足を蹴る。


 人間なら、とうに溺れている。


 でも、京は——違う。


 もう、人間ではない。


 ゾンビでもない。


 何か——別の存在だ。


 波が、京を飲み込む。


 水の中。


 暗い。


 冷たい。


 でも——恐怖はない。


 京は、水中で目を開けた。


 金色の瞳が、暗闇を見る。


 魚が泳いでいる。


 海藻が揺れている。


 そして——何かが見える。


 陸地だ。


 島だ。


 京は、そこへ向かって泳ぐ。


 水面に顔を出す。


 息を吸う。


 肺が、空気を求める。


 まだ、呼吸が必要だ。


 完全に、ゾンビになったわけではない。


 京は、泳ぎ続ける。


 やがて——砂浜に、たどり着いた。


 足が、砂を踏む。


 ザクザクという音。


 京は、岸に上がった。


 全身、びしょ濡れだ。


 でも——疲れていない。


 京は、周囲を見渡した。


 小さな島だ。


 木が生い茂り、岩が転がり、鳥が鳴いている。


 そして——何か、建物がある。


 京は、その建物へ向かって歩いた。


-----


 建物は——研究施設だった。


 コンクリートの壁。鉄の扉。窓には、鉄格子。


 放棄されている。


 扉が、半開きになっている。


 京は、中に入った。


 廊下が続いている。


 暗い。


 でも、京の目には見える。金色の瞳が、暗闇を見通す。


 壁に、文字が書かれている。


 日本語だ。


「実験棟A」


 実験——


 何の実験だ。


 京は、廊下を進んだ。


 部屋がいくつもある。


 一つ目の部屋。


 機材が散乱している。顕微鏡、試験管、書類。


 京は、書類を拾った。


 読む。


「感染体と人間の融合実験——第三段階」


 融合——


 京の頭に、何かが引っかかる。


 これは——


 京は、次の部屋へ行った。


 そこには——檻があった。


 鉄の檻。


 中に——骨がある。


 人間の骨だ。


 いや、違う。


 人間の骨と——何か別の骨が、混ざっている。


 変形している。


 異常に長い腕の骨。巨大な頭蓋骨。鋭い牙。


 これは——


 京は、息を呑んだ。


 実験の痕跡だ。


 人間と、感染体を——融合させようとした。


 そして——失敗した。


 この骨は、その失敗作だ。


 京は、檻から離れた。


 次の部屋へ。


 そこには——巨大な水槽があった。


 ガラスが割れ、中の水は抜けている。


 でも——底に、何かがいる。


 京は、近づいた。


 それは——人間の形をしていた。


 いや、していない。


 半分、人間で、半分——ゾンビだ。


 右半身は、人間の肌。左半身は、腐った肌。


 顔も、半分だけ人間。半分は、ゾンビ。


 死んでいる。


 動かない。


 でも——その姿は、京に何かを語りかけていた。


 これが——融合の結果だ。


 成功ではない。


 失敗だ。


 京は、水槽から離れた。


 そして——最後の部屋へ。


 そこには——壁一面に、文字が書かれていた。


 血で。


 人間の血で。


「我々は神を目指した」


「だが、神は我々を見捨てた」


「残されたのは、化け物だけだ」


 京は、その文字を見つめた。


 そして——理解した。


 この施設で、何が行われたのか。


 人間と感染体の融合。


 新しい生命体の創造。


 神の領域への挑戦。


 そして——失敗。


 すべてが、失敗だった。


 京は、施設を出た。


 外の空気を吸う。


 海の匂い。


 潮の匂い。


 そして——血の匂い。


 この島には、まだ何かがいる。


 京は、感じた。


 でも——それが何なのか、わからない。


 京は、海を見つめた。


 また、泳がなければならない。


 次の陸地へ。


 次の場所へ。


 京は、再び海へ入った。


 波が、京を包む。


 金色の瞳が、輝く。


-----


 北方の避難所。


 刃は、フェンスの外で倒れていた。


 意識が、薄れていく。


 視界が、暗くなる。


 そして——


 夢か、記憶か。


 燃える街が見えた。


 炎が建物を包み、煙が空を覆い、悲鳴が響き渡る。


 倒れた仲間たち。血まみれの体。動かない手。開いたまま閉じない目。


 血の匂い。焼けた肉の匂い。死の匂い。


 刃は、その中を歩いている。


 剣を握ったまま。


 誰かを探している。


 誰——


 その時、前方に人影が現れた。


 金色の瞳。


 輝く瞳。


 人間でもゾンビでもない、何か——


 その影が、口を開いた。


「立て、人間」


 低く、静かな声。


「お前はまだ終わっていない」


 刃は、その影を見つめた。


 顔が——藤原京に似ている。


 いや、違う。


 京でもあり、京ではない。


 何か、別の存在だ。


「お前は——」


 刃が問いかけようとした時、影が消えた。


 闇が、刃を包む。


 そして——


 刃は、目を開けた。


 フェンスの外。


 夜空が見える。星が瞬いている。


 意識が——戻った。


 刃は、体を起こした。


 傷の痛みが——消えている。


 いや、痛みはある。でも、鋭くない。鈍い。


 代わりに——鼓動が強くなっている。


 ドクン、ドクン、ドクン。


 心臓が、激しく打っている。


 力が、溢れている。


 視界が、クリアだ。さっきまで歪んでいたのに。


 音が、よく聞こえる。遠くの波の音。風の音。人の息遣い。


 矛盾している。


 感染が進んでいるのに——力が増している。


 刃は、左腕を見た。


 紫の筋が、まだある。


 でも——広がっていない。


 止まっている。


 これは——


 恐怖が、背筋を走る。


 俺は、人間なのか。


 それとも——


 刃は、拳を握った。


 まだ、人間だ。


 まだ、戦える。


 そう信じる。


 信じなければ——終わりだ。


-----


 キャンプ地。


 澪は、テントの中で膝をついていた。


 涙が、止まらない。


 これが、自分の役割なのか。


 これが、軍人の務めなのか。


 澪は、わからなかった。


-----


 海の上。


 京は、泳いでいた。


 金色の瞳が、前を見つめる。


 三人の運命が——


 再び、一つの渦へと収束し始めていた。


-----


(了)

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。

また次の物語で、お会いできる日を願っています。


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