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ゾンビサイド ― 俺は、まだ人間か ―  作者: MOON RAKER 503
第1部「黎明《れいめい》」

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第13話「幻の声」

この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。

ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。

どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。

 夜明けが来た。


 だが、太陽は灰にさえぎられ、薄暗い光しか届かなかった。


 町は、焼け野原になっていた。


 建物は骨格だけを残し、黒く焦げている。車は焼け焦げた鉄の塊となり、信号機は溶けて地面に垂れ下がっている。道路は亀裂が走り、所々に穴が開いている。


 そして、灰が降っていた。


 雪のように、静かに、絶え間なく。


 灰色の粉が空から舞い落ち、全てをおおっていく。瓦礫がれきの上に積もり、道路を白く染め、風に舞う。


 空気は冷たく、乾いていた。


 炎の熱は去り、代わりに死の冷たさが満ちている。焼けた木材の匂い、灰の匂い、そして——腐敗の匂い。それらが混ざり合い、息をするたびに鼻を突く。


 


 人影は、なかった。


 生きている人間は、もういない。


 ただ、ゾンビの群れが緩慢かんまんに歩いていた。


 数千に迫る規模。


 彼らは町の中心部を、目的もなくさまよっている。足を引きずり、ズルズルと音を立てる。低いうめき声が、静寂の中に響く。


 


 藤原京は、その中心に立っていた。


 焼けた交差点の真ん中。倒れた信号機のすぐ横。


 全身はすすと血にまみれ、服はボロボロになっている。髪は焦げ、顔は灰で白くなっている。


 だが——京の目は、空を見上げていた。


 濁った瞳が、灰色の空を映している。


 


 京の口が、わずかに動いた。


「……澪……」


 声にはならない。


 ただ、唇が彼女の名前を形作っただけ。


 だが、その動きを——周囲のゾンビたちが見ていた。


 まるで、京の動きに反応しているかのように。


 京が動けば、群れも動く。


 京が止まれば、群れも止まる。


 


(これは——何なんだ——)


 京の意識がつぶやく。


(俺は——群れを——操ってるのか——?)


 


 その時、声が聞こえた。


「京……」


 みおの声だった。


 だが——今までとは違った。


 幻聴にしては、明瞭すぎる。


 まるで、すぐ隣にいるかのような。


「まだ聞こえる?」


 声が続く。


「あなたはまだ——戻れる……」


 


 京の視界が、揺らいだ。


 焼け野原が消え、別の景色が浮かんでくる。


 


 夏祭りの夜。


 提灯ちょうちんが並び、屋台が立ち並ぶ。人々の笑い声、子供の歓声、祭囃子まつりばやしの音。


 そこに、澪がいた。


 浴衣姿で、金魚すくいの前に立っている。ポイを手に、水槽を見つめている。


「ねえ京、見て——!」


 彼女が振り返る。


 笑顔。


 無邪気な、幸せそうな笑顔。


「また破れちゃった——」


 手元のポイが破れ、金魚が逃げていく。


 澪が笑う。


 京も笑う。


 風鈴の音が響く。


 チリン、チリン——。


 


 手を取った。


 澪の手は、温かかった。


 柔らかくて、小さくて——。


 


 その瞬間、視界が赤く染まった。


 澪の浴衣が、血で濡れる。


 笑顔が消え、恐怖にゆがむ。


「京——何をしてるの——?」


 彼女の首筋から、血が流れる。


 京の手が、彼女をつかんでいる。


 口が、彼女の肉を噛んでいる。


「やめて——京——!!」


 悲鳴。


 


 視界が戻った。


 目の前は、焼け野原だった。


 灰が降り、瓦礫が転がり、ゾンビが歩いている。


 


 だが——そこに、一つの遺体があった。


 瓦礫の上に倒れている、焼け焦げた女性の遺体。


 髪は焼け、服は炭化している。


 だが、その輪郭が——澪に見えた。


(違う——!!)


 京の意識が叫ぶ。


(違うんだ——澪は——海外にいる——!!)


(俺は——守りたかったのに——!!)


 


 だが、遺体は動かない。


 ただ、そこに横たわっているだけ。


 灰が、その上に積もっていく。


 


「京——」


 再び、声が聞こえた。


 今度は、もっと近くから。


 京が振り向くと——。


 


 澪がいた。


 幻影だった。


 だが、今までよりもずっと鮮明だった。


 浴衣姿ではなく、普段着。ジーンズにシャツ。髪を後ろで結んでいる。


 彼女は、微笑んでいた。


「京、こっちよ……」


 手を差し伸べる。


「あなたの居場所は、ここにある」


 


 そして——歩き出した。


 町の中心部へ向かって。


 地下鉄駅の方向へ。


 


 群れが、動き出した。


 一斉に、澪の幻影の後を追うように。


 数千のゾンビたちが、同じ方向へ歩き出す。


 京も、その中にいた。


 止められなかった。


 足が勝手に動き、澪の後を追っていく。


 


(違う——そこは——!!)


 京の意識が叫ぶ。


(人が隠れてる場所だ——!!)


(行くな——そこに行ったら——!!)


 


 だが、身体は止まらない。


 群れ全体が、まるで何かに引き寄せられるように、地下鉄駅へ向かっていく。


 


 地下鉄の入口が見えた。


 階段が地下へ続いている。


 入口は半分崩れ、瓦礫でふさがれているが、隙間がある。


 澪の幻影が、その隙間を通り抜けていく。


 群れが、それに続く。


 


 地下鉄構内。


 照明は落ち、非常灯だけがわずかに点滅している。


 薄暗い中、プラットホームに人々の姿があった。


 数十人——いや、百人近くいるかもしれない。


 彼らは静かに座り込み、息をひそめている。


 子供、老人、母親、サラリーマン——。


 


 遠くで、音が響いた。


 ズルズル、ズルズル——。


 足を引きずる音。


 人々が顔を上げる。


 恐怖が、顔に浮かぶ。


「まさか——」


「見つかった——?」


 


 階段から、ゾンビたちが降りてきた。


 一体、二体、十体、百体——。


 次々と地下へ流れ込んでくる。


 


 悲鳴が上がった。


「逃げろ——!!」


 人々が走り出す。


 だが、逃げ場はなかった。


 地下鉄のトンネルは暗く、行き止まりになっている。


 階段は、ゾンビで塞がれている。


 


 京は、その中にいた。


 階段を降り、プラットホームへ。


 視界に映るのは、逃げ惑う人々。


 


 澪の幻影が、目の前に現れた。


 彼女は京を見つめ、手を差し伸べてくる。


「京、もう苦しまなくていい」


 その声は、優しかった。


「この世界には、もう何も残っていない」


 彼女が一歩、近づく。


「一緒に——終わろう」


 


 京の心が、揺れた。


(澪——お前が——俺を——)


 幻影の手が、京の頬に触れる。


 冷たかった。


(なら——俺は、何のために——)


 


 背後で、悲鳴が響いた。


 ゾンビたちが、人々を襲っている。


 母親が子供をかばい、倒れる。


 老人が転倒し、群れに飲み込まれる。


 若者が誰かを助けようとするが、自分も囲まれる。


 


 京の視界に、それが映る。


 意識はあった。全て見ていた。


(やめろ——!!)


 心の中で叫ぶ。


(やめてくれ——!!)


 


 だが、澪の幻影がささやく。


「京——見なくていいの」


「もう、何も考えなくていい」


「全部、終わらせましょう」


 


 京の目から、何かが流れた。


 涙だった。


 ゾンビであるにも関わらず、頬を伝う透明な液体。


 それが、灰で汚れた顔を濡らす。


「澪……俺は……」


 声にならない声が、喉から漏れる。


「まだ……終われない……」


 


 幻影の表情が、変わった。


 優しい笑顔が消え、悲しみと——怒りが浮かぶ。


「——そう」


 彼女の声が、冷たくなる。


「なら、もっと苦しみなさい」


 


 幻影が、霧のように消えた。


 澪の姿が、空気に溶けるように薄れていく。


「澪——!!」


 京の意識が叫ぶ。


 だが、彼女はもういなかった。


 


 京が見上げると、天井が崩れていた。


 瓦礫が落ち、穴が開いている。


 そこから、光が差し込んでいた。


 灰色の、薄暗い光。


 だが——それは地上への道だった。


 


 群れが、その光へ向かって動き出す。


 階段を登り、地上へ戻っていく。


 プラットホームには、もう人間はいなかった。


 全て、ゾンビになっていた。


 彼らも群れに加わり、地上へ向かう。


 


 京も、歩き出した。


 階段を登り、光へ。


 だが、心の中は——空っぽだった。


 


 地上に出ると、灰がまだ降っていた。


 町は静かで、ゾンビの群れだけがうごめいている。


 


 京は、町の中心で立ち止まった。


 周囲を見渡す。


 焼け野原。


 死体。


 そして——数千のゾンビたち。


 


(澪の声は、もう聞こえなかった)


 


 京の心の中で、最後の何かが壊れた音がした。


 それは、人間性の最後の欠片かけらだったのかもしれない。


 


 群れは、再び動き出した。


 町の外へ。


 都市部へ。


 次の獲物を求めて——。


 


 空から見れば、それは灰色の波のようだった。


 数千のゾンビたちが、一つの塊となって進んでいく。


 その中心に、京がいた。


 立ち尽くしているように見えるが、群れと共に動いている。


 


 町は、完全に死んだ。


 人間の営みは消え、秩序は崩壊し、希望は失われた。


 残ったのは、灰と死体とゾンビだけだった。


 


 そして——京の心の中から、澪の声は消えた。


 もう、彼女は現れない。


 もう、彼女の声は聞こえない。


 


 京は、完全に孤独になった。


 意識を持ったまま、怪物として。


 人間でも、ただのゾンビでもない——何かとして。


 


 灰が、京の肩に積もっていく。


 風が吹き、灰を舞い上げる。


 群れは、黙々と歩き続ける。


 


 町の向こうに、都市のシルエットが見えた。


 高層ビルが立ち並び、まだ窓の灯りが見える。


 そこには、まだ人間がいる。


 まだ、秩序がある。


 


 だが——それも、もうすぐ終わる。


 京の群れが、そこへ向かっている。


 数千の死が、都市を目指している。


 


 京は、ただ歩き続けた。


 心は空っぽで、涙は枯れ、声は失われた。


 ただ、本能のままに——。


 


 澪の声は、もう聞こえなかった。


(了)

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。

また次の物語で、お会いできる日を願っています。


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