第12話「炎上」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
町は、燃えていた。
交差点での連鎖爆発が引き金となり、火災は町全域へ広がっていた。商店街のガス管が爆発し、店舗が次々と炎に包まれる。住宅地の木造家屋は燃えやすく、火の粉が風で運ばれ、あちこちで新たな火災が発生していた。
夜空は黒煙で覆われていた。
月は赤く染まり、まるで血のように見える。炎のオレンジ色と煙の黒が混ざり合い、町全体が地獄のような色に染まっていた。
空気は熱く、息苦しい。焼けた木材の匂い、ガソリンの臭気、そして——焼けただれる肉の匂い。それらが混ざり合い、鼻を突く。
藤原京の群れは、その炎の中を進んでいた。
数千体規模に迫る。
もはや、群れというより軍勢だった。
ズルズル、ズルズルと足音が響き、呻き声が重なり合う。炎も熱も恐れず、ただ前へ進む。
服が燃えているゾンビもいた。髪が焦げ、肌が焼けただれている。だが、彼らは止まらない。痛みを感じない。ただ、本能に従って歩き続ける。
京は、その先頭にいた。
炎の壁を突き抜け、煙の中を進む。視界は悪いが、身体は勝手に動いていく。
足元には、倒れた人々がいた。火に巻かれて逃げ遅れた市民たち。まだ息があるものもいる。助けを求めて手を伸ばしている。
だが、京の身体は——。
その上を歩き、踏みつけ、そして噛みついていく。
(やめろ——!!)
京の意識が叫ぶ。
(炎の中で苦しんでいる人を——!!)
だが、身体は止まらない。
むしろ、炎の中の獲物を「狩りやすい」と感じているようだった。
逃げられない。抵抗できない。完璧な獲物——。
澪の幻影が、京の隣を歩いていた。
彼女は何も言わなかった。
ただ、涙を流していた。
頬を伝う涙が、炎の光を反射して光っている。
京の意識が、彼女に向かって呟く。
(澪——)
(見るな——こんな姿——)
だが、澪は消えない。
ただ、泣き続けている。
商店街に、京の群れが到達した。
シャッターが半分溶け、店内から炎が噴き出している。看板が落ち、ガラスが割れ、商品が燃えている。
だが、まだ人がいた。
店の奥に隠れていた店主、二階の住居部分に取り残された家族。
炎と煙で逃げ場を失い、窓から顔を出して叫んでいる。
「助けて——!!」
「誰か——誰か——!!」
その時——ガス管が爆発した。
ドォォォン!!
巨大な爆発が商店街全体を揺るがす。
店舗が吹き飛び、破片が飛び散る。火柱が立ち上り、熱波が襲ってくる。
窓から顔を出していた人々が、巻き込まれた。
悲鳴が途切れ、静かになる。
京は、その光景を見ていた。
意識はあった。全て見ていた。
(俺が——俺がここに来たから——)
心の中で呟く。
(この爆発も——この死も——)
(全部、俺のせいだ——)
だが、身体は進み続ける。
炎を突き抜け、崩れた建物の瓦礫を踏み越え、前へ。
群れが、それに続く。
千を超えるゾンビたちが、商店街を飲み込んでいく。
住宅地も、炎に包まれていた。
木造の家屋が次々と燃え、屋根が崩れ落ちる。
まだ中にいた住民たちが、玄関から飛び出してくる。
老人、子供、母親——皆、煤で顔を真っ黒にし、咳き込みながら逃げてくる。
だが、その先に——ゾンビの群れが待っていた。
悲鳴が上がる。
母親が子供を抱きしめ、必死に走る。だが、群れに囲まれる。
老人が杖をついて逃げようとするが、転倒する。
若者が誰かを助けようとするが、自分も囲まれる。
一人、また一人と倒れ、噛まれ、そして——仲間になっていく。
京は、その中にいた。
炎の明かりに照らされた京の姿は、もはや人間には見えなかった。
血と煤で汚れ、目は濁り、口からは唾液が垂れている。
だが——他のゾンビとは違う存在感があった。
群れの中心。象徴。
まるで、怪物の王のように。
(俺は——何になったんだ——)
京の意識が問う。
(人間でも、ただのゾンビでもない——)
(これは——)
その時、遠くで剣の閃光が見えた。
キィン、と金属が空気を切る音。
京の視線が、そちらへ向く。
神谷刃がいた。
彼は、住宅地の路地で戦っていた。
背中に真剣を差し、その刀を振るっている。
周囲には、十数人の生存者がいた。子供、母親、老人——炎から逃れてきた人々を、刃が守っていた。
刃の刀が閃く。
シュパッ——!
ゾンビの首が飛ぶ。
返す刀で、別のゾンビを斬る。
シュバッ——!
また一体、倒れる。
だが、ゾンビの数は多すぎた。
路地の両側から、次々と現れる。
刃は息を切らしていた。額に汗が浮かび、腕は重くなっている。
だが、止まれない。
背後には、守るべき人々がいる。
「走れ——!!」
刃が生存者たちに叫ぶ。
「俺が時間を稼ぐ——その間に裏路地へ——!!」
母親が子供の手を引き、走り出す。老人も杖をついて必死に歩く。
刃は、その背中を守るように、ゾンビたちと対峙した。
炎の明かりが、刃の姿を照らす。
炎に照らされる孤剣——。
一人で、何十体ものゾンビを相手にしている。
(この人が——)
京の意識が、刃を見ていた。
(この人なら——もしかしたら——)
(澪を——守れるかもしれない——)
一瞬、京の心に希望が芽生えた。
だが——。
次の瞬間、京の身体が反応した。
本能が、刃を「最大の獲物」として認識した。
強い。速い。危険——。
だが、だからこそ——倒せば、大きな報酬がある。
京の身体が、刃へ向かって歩き出した。
(やめろ——!!)
京の意識が絶叫する。
(あいつは——あいつは人を守ってる——!!)
(襲うな——!!)
だが、身体は止まらない。
むしろ、加速した。
周囲のゾンビたちも、同じように刃へ向かっていく。
まるで、京に従っているかのように。
群れ全体が、刃を狙い始めた。
刃は、それに気づいた。
視線を上げ、京を見る。
二人の目が、一瞬だけ合った。
刃の目には、驚きがあった。
(こいつ——他のゾンビとは違う——)
刃の心が呟く。
(まるで——指揮しているかのような——)
だが、考える暇はなかった。
数十体のゾンビが、一斉に刃へ襲いかかった。
刃は刀を構え、迎え撃つ。
一閃、二閃、三閃——。
だが、数が多すぎる。
刃は後退した。
生存者たちが逃げた方向へ、自分も退く。
「クソ——切りがない——!!」
刃が呻く。
だが、彼は諦めなかった。
刀を握り直し、再び構える。
(救えるのは、ごく一部だけだ)
刃の心が呟く。
(だが——それでも——)
(守れる命は、守る——!!)
刃は、再びゾンビたちへ突進した。
刀が閃き、また一体が倒れる。
だが、すぐに別のゾンビが現れる。
終わりがない。
京は、その光景を見ていた。
刃が必死に戦い、人々を守ろうとしている姿を。
(俺も——昔なら——)
京の意識が呟く。
(澪と一緒に——あの人みたいに戦えたのかな——)
だが、その想像は虚しかった。
今の京は、刃の敵だった。
人を守る者の——敵。
群れは、さらに膨張していた。
炎の中で倒れた人々が、次々と起き上がる。
商店街で、住宅地で、路地で——。
ゾンビになり、群れに加わっていく。
もはや、人類の抵抗では止められない規模だった。
警察も消防も壊滅し、軍隊もまだ来ない。
町は、完全にゾンビの支配下に入ろうとしていた。
炎は、さらに広がっていった。
ビルに燃え移り、学校に燃え移り、公園の木々まで燃え始めた。
町全体が、火の海になろうとしていた。
京は、その炎の中を歩いていた。
群れを率いて、前へ。
澪の幻影が、まだ隣にいた。
彼女は泣き続けていた。
声も出さず、ただ涙を流し続けている。
(澪——)
京の心が呟く。
(もう、何も言ってくれないのか——)
(俺に——もう何も言えないほど——)
(失望したのか——)
だが、澪は答えない。
ただ、泣いている。
その姿が、京の心を引き裂く。
遠くで、刃の戦いはまだ続いていた。
刀の閃光が、炎の中で光る。
だが、それも——もうすぐ消えるだろう。
数の差は、圧倒的すぎた。
京の群れは、進み続ける。
炎を突き抜け、煙を抜け、死体を踏み越え——。
次の区画へ。
次の獲物へ。
そして——都市の心臓部へ。
夜空は、完全に黒煙で覆われていた。
星も月も見えない。
ただ、炎のオレンジ色だけが、闇を照らしていた。
町は、死にゆく獣のように悲鳴を上げていた。
建物が崩れる音、炎が燃える音、人々の叫び声——。
全てが混ざり合い、終末の交響曲を奏でていた。
京は、その中心にいた。
千を超える群れを率いて、破壊を撒き散らす存在として。
意識はあった。全て理解していた。
だが——止められなかった。
(俺は——怪物の王だ)
京の意識が、ついに認めた。
(人間じゃない——ゾンビの象徴だ)
(そして——世界を滅ぼす存在だ)
澪の幻影が、また一粒の涙を流した。
それが、炎の光を反射して、小さな星のように光った。
そして——消えた。
京は、前だけを見て歩き続けた。
炎の海を進む、怪物の王として——。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




