第11話「交差点の地獄」
この物語を手に取ってくださり、ありがとうございます。
ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
町の中心にある大きな交差点は、混乱の極みにあった。
六車線の広い道路が十字に交わる場所。普段なら信号機が交通を整理し、横断歩道を人々が渡り、秩序が保たれている場所だった。
だが今は違った。
信号機は点滅を繰り返し、やがて消えた。制御システムが機能していないのだろう。
道路には、数百台の車が詰まっていた。
セダン、ワゴン、トラック、バス——全ての車両が渋滞し、身動きが取れなくなっている。ドアが開き、人々が車を捨てて逃げ出している。クラクションが鳴り響き、エンジン音が重なり合い、悲鳴が混ざる。
空気は排気ガスと恐怖で満ちていた。
歩道には、避難誘導を信じた市民が集まっていた。
数百人——いや、千人近くいるかもしれない。
老人、子供、母親、サラリーマン。皆、荷物を抱え、怯えた顔で周囲を見回している。
「本当にここで待っていれば、救助が来るのか——?」
「わからない——でも、役場の人がそう言ってた——」
「嘘だろ——こんな場所で待ってたら——」
不安が、群衆の中を駆け巡る。
だが、警察も消防も、もう機能していなかった。
数人の警察官が交差点の端に立っていたが、彼らも疲弊していた。制服は汚れ、顔には絶望が浮かんでいる。
拡声器を持った警官が、震える声で叫んだ。
「落ち着いて——! もうすぐ——もうすぐ救助が——」
だが、その言葉は虚しく響くだけだった。
その時、遠くから音が聞こえてきた。
ズルズル、ズルズル——。
足を引きずる音。
そして、低い呻き声。
「ウゥゥゥ……」
「アァァァ……」
市民たちが振り返る。
交差点の北側——商店街から、黒い影の群れが現れた。
ゾンビだった。
数百体——いや、それ以上。
藤原京の群れが、交差点へ向かって歩いてきた。
パニックが広がった。
「ゾンビだ——!!」
「逃げろ——!!」
市民たちが一斉に動き出す。
だが、逃げ場はなかった。
四方を道路に囲まれ、車両で塞がれている。歩道は人で溢れ、身動きが取れない。
車の中にいた人々も、慌てて車を動かそうとする。だが、渋滞で前にも後ろにも進めない。
クラクションが一斉に鳴り響く。
ブォォォォン、ブォォォォン——!
耳をつんざくような音が、交差点全体を包み込む。
そして、事故が起きた。
一台のトラックが、パニックになった運転手の操作ミスで急発進した。隣の車に激突し、ガシャーン! と大きな音を立てる。
その衝撃で、別の車が押し出される。横転し、ガソリンタンクから燃料が漏れ出す。
火花が散った。
ボッ——!
炎が上がる。
オレンジ色の炎が車を包み込み、黒煙が立ち上る。熱が空気を歪め、火の粉が舞う。
爆発した。
ドォォォン——!!
衝撃波が広がり、周囲の車を吹き飛ばす。ガラスが割れ、破片が飛び散る。人々が地面に倒れ、悲鳴が響く。
炎は次の車へ燃え移った。
また爆発する。
ドォォン!
また一台。
ドォォン!
連鎖爆発だった。
交差点は、炎に包まれ始めた。
ゾンビの群れが、その炎の中へ突入してきた。
炎を恐れず、ただ前へ進む。
服が燃えても、肌が焼けても、止まらない。
彼らは既に死んでいる——痛みを感じない。
京は、その群れの先頭にいた。
炎の壁を抜け、交差点の中央へ歩いていく。
足元には、倒れた人々がいた。爆発で吹き飛ばされた市民たち。血を流し、呻き、助けを求めている。
京の身体は、その上を歩いていく。
そして、交差点の真ん中——信号機の真下で、止まった。
周囲は地獄だった。
炎が燃え盛り、煙が立ち上る。車は黒焦げになり、道路は血で濡れている。
人々が逃げ惑い、ゾンビが追いかける。
悲鳴、爆発音、クラクション、呻き声——全てが混ざり合い、狂気の交響曲を奏でている。
京は、その中心に立っていた。
視界に映るのは、四方八方から迫るゾンビたち。そして、逃げ場を失った人々。
京の意識は、それを見ていた。
(これは——俺が作った地獄だ)
心の中で呟く。
(俺が——こんな光景を——)
だが、身体は違った。
京のゾンビ化した顔が、わずかに歪む。
まるで——笑っているかのように。
それは意志ではない。ゾンビの本能が、獲物に囲まれた状況を「喜んでいる」のだ。
(やめろ——!!)
京の意識が絶叫する。
(笑うな——! こんな状況で——!!)
だが、身体は制御できない。
口元が引きつり、唾液が垂れる。
澪の声が、聞こえた。
「京——止まって——!!」
それは、今までで一番強い声だった。
京の視界に、澪の幻影が現れる。彼女は京の目の前に立ち、両手を広げて叫んでいた。
「お願い——止まって——!!」
「これ以上——これ以上は——!!」
涙が頬を伝い、声が震えている。
京の意識が、澪に向かって叫ぶ。
(止まれない——!!)
(俺、もう——止まれないんだ——!!)
(澪——助けてくれ——!!)
だが、澪の幻影は消えた。
炎と煙の中に溶けるように、姿が消えていく。
「京——」
最後に、彼女の悲しそうな声だけが残った。
京の身体が動き出した。
交差点中央から、逃げ惑う人々へ向かって歩き出す。
背後には、数百体のゾンビたちが続いている。
彼らは京に従うように、同じ方向へ歩いていく。
まるで、京が率いているかのように。
(俺は——群れの象徴なのか——?)
京の意識が問う。
(俺は——怪物の王になったのか——?)
人々が、京を見て凍りついた。
炎に照らされた京の姿は、異様だった。
目は濁り、口から唾液を垂らし、服は血で染まっている。
だが——他のゾンビとは違う何かがあった。
存在感。
圧倒的な、恐怖の象徴としての存在感。
一人の男性が、震える声で呟いた。
「あいつ——何なんだ——」
「他のゾンビとは——違う——」
だが、その疑問に答える暇はなかった。
群れが、彼らに襲いかかった。
交差点は、完全に地獄と化した。
東西南北、全ての方向からゾンビが侵入してくる。
市民たちは囲まれ、逃げ場を失い、次々と倒れていく。
炎は燃え広がり、ビルの一階部分にも燃え移り始めた。
爆発が続き、衝撃波が空気を震わせる。
京は、その中を歩いていた。
人々を襲い、噛みつき、血を流す。
意識はあった。全て見ていた。
だが、止められなかった。
(澪——)
京の心が呟く。
(もう、お前の声も聞こえなくなる——)
(俺の最後の人間性が——消えていく——)
また爆発が起きた。
ドォォォン!
巨大な火柱が立ち上り、熱波が襲ってくる。
京の身体は、その熱も感じていなかった。
ただ、前へ進む。
群れを率いて、前へ。
数分後——。
交差点は、静かになった。
炎だけが燃え続け、煙が空を覆っている。
地面には、無数の死体が転がっていた。
そして——立ち上がる。
次々と起き上がり、ゾンビになっていく。
彼らは京の群れに加わり、次の場所へ向かって歩き出す。
京は、再び交差点の中央に立っていた。
炎と煙に包まれた中、一人——いや、群れの象徴として。
背後には、千を超える群れがいた。
彼らは全て、京と同じ方向を向いている。
まるで、京の指揮を待っているかのように。
(俺は——何になったんだ——)
京の意識が問う。
(人間じゃない——ただのゾンビでもない——)
(これは——何だ——)
遠くで、サイレンが聞こえた。
消防車だろうか。だが、もう遅い。
この交差点は、もう人間のものではなかった。
京は歩き出した。
群れが、それに続く。
千を超えるゾンビたちが、一斉に同じ方向へ歩き出す。
その光景は、まるで軍隊のようだった。
だが、それは人類の軍隊ではない。
新しい種族の軍勢だった。
炎が燃え盛る交差点を背に、群れは進んでいく。
次の区画へ。
次の獲物へ。
そして——都市の心臓部へ。
京の意識の中で、澪の声がかすかに聞こえた。
「京——」
それは、もう何も言わなかった。
ただ、悲しそうに名を呼ぶだけ。
京は、その声に答えられなかった。
ただ、歩き続けた。
炎と煙の中を、怪物の王として——。
交差点には、死体と炎とゾンビの群れだけが残った。
人間の秩序が交わる場所は、死の象徴へと変わった。
信号機は倒れ、横断歩道は血で染まり、道路標識は炎に焼かれていた。
月が、雲の間から顔を出した。
その光が、京の背中を照らす。
長い影が地面に伸び、群れ全体を覆うように広がる。
京は、振り返らなかった。
ただ、前だけを見て、歩き続けた。
心が壊れていくのを感じながら。
それでも、止まれなかった。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




