第9話「孤剣の進路」
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ほんのひとときでも、あなたの心に何かが残れば幸いです。
どうぞ、ゆっくりと物語の世界へ。
夜の高速道路は、静寂に包まれていた。
二台のトラックが、並走しながら進んでいる。白い車体が月光を反射し、ヘッドライトが前方を照らし出す。エンジン音だけが、闇の中に響いていた。
神谷刃は、先頭のトラックを運転していた。
フロントガラス越しに見える景色は、不気味なほど静かだった。街灯は消え、道路脇の看板も暗い。遠くに見える町の灯りも、まばらになっている。
助手席には、中年の男性が座っていた。町で救出した市民の一人だ。彼は窓の外を見つめながら、不安そうに呟いた。
「本当に……都市部なら安全なんでしょうか」
刃は前を見たまま答える。
「わからない。だが、ここよりはマシだろう」
荷台には十三人の市民が乗っている。主婦、サラリーマン、高校生、老人。皆、刃が救った人々だ。
後続のトラックにも、同じくらいの人数が乗っているはずだ。運転しているのは、町の運送会社で働いていた男性だった。
二台のトラックは、都市部を目指していた。
前方に、料金所が見えてきた。
高速道路の出口。普段なら、係員がいて車を誘導している場所だ。
だが、今は違った。
料金所のゲートは上がったままで、無人だった。そして——。
「何だ、あれ……」
助手席の男性が呟く。
刃は目を細めた。
料金所の向こう、道路を塞ぐように、無数の車が放棄されていた。
セダン、ワゴン、トラック、バス。様々な車両が、まるでバリケードのように並んでいる。ドアは開いたまま、ヘッドライトがつけっぱなしのものもある。
そして、その周囲を——ゾンビが徘徊していた。
数十体ではない。
百体以上。
目が濁り、服は血と泥で汚れ、よろめきながら歩いている。料金所の灯りに照らされ、その姿がはっきりと見える。
刃はアクセルから足を離し、ブレーキを踏んだ。
キィィ——。
タイヤが地面を擦り、トラックが停止する。後続のトラックも、すぐ後ろで止まった。
刃は窓を開け、外の様子を確認する。
風が吹き込み、血と腐臭の混じった匂いが鼻を突く。遠くから、ゾンビたちの呻き声が聞こえてくる。
「ウゥゥゥ……」
「アァァァ……」
それらが重なり合い、不気味な合唱となっている。
料金所までの距離は、約五十メートル。
その先の車両バリケードは、道路を完全に塞いでいた。脇道もない。迂回する道もない。
ここを通るしか、都市部へ行く方法はなかった。
後続トラックの運転手が、車を降りて近づいてきた。
「どうします——? あれじゃ、通れませんよ——!」
彼の声は震えていた。
荷台からも、市民たちが顔を出す。料金所の状況を見て、顔が青ざめる。
「嘘でしょ——」
「あんなの、突破できるわけない——」
「どうするの——? どうすればいいの——?」
絶望が、市民たちを包み込む。
ここまで来て、行き止まりだった。
刃は静かに車を降りた。
ドアを閉め、後部へ回る。背中に差した刀の柄に手をかける。
「おい、何を——」
運転手が声をかける。
刃は振り返り、静かに言った。
「俺が切り開く」
その声は、低く、だが揺るぎなかった。
「トラックは、ここで待機しろ。俺が合図したら、全速力で突っ切れ」
「そんな——無茶だ——! あんなに数がいるのに——!」
だが、刃は答えなかった。
ただ、刀を抜いた。
シャキン——。
鞘走りの音が、夜の静寂を破る。
刀身が月光を反射し、銀色に輝く。刃紋が浮かび上がり、切っ先が空気を震わせる。
刃は前を向き、歩き出した。
料金所へ向かって、一人で歩いていく。
足音が、アスファルトに響く。
タン、タン、タン——。
規則正しく、迷いなく。
ゾンビたちが、刃に気づいた。
首を刃の方へ向け、ゆっくりと歩き出す。
十体、二十体、三十体——。
次々と刃に向かってくる。
だが、刃は止まらない。
ただ、歩き続ける。
市民たちは、トラックの荷台から見ていた。
誰もが、息を呑んでいた。
「あの人、一人で——」
「死ぬ気か——?」
だが、主婦が娘の手を握りしめながら呟いた。
「いいえ——信じましょう」
「あの人は、私たちを救ってくれたわ」
「また、救ってくれる——」
刃は、ゾンビの群れの前で止まった。
距離、十メートル。
目の前には、百体以上のゾンビがいた。
目が濁り、手を伸ばし、口から唾液を垂らしている。
刃は深く息を吸った。
スゥゥゥゥ——。
そして、吐く。
フゥゥゥゥ——。
刀を構える。
中段の構え。足を開き、重心を落とし、切っ先を前に向ける。
そして——駆けた。
地面を蹴り、一気に加速する。
ゾンビの群れへ、真正面から突っ込んだ。
最初の一体に接触する瞬間、刀を振るう。
一閃——。
シュパッ!
首が飛ぶ。
返す刀で、隣のゾンビを斬る。
シュバッ!
また首が飛ぶ。
刃は止まらない。
群れの中を、疾風のように駆け抜ける。
刀が閃く。
横薙ぎ——シュパッ! 三体の首が同時に飛ぶ。
縦斬り——ズバッ! 頭蓋骨が割れる。
回転斬り——シュバババッ! 周囲のゾンビが一斉に倒れる。
刃の動きは、まるで舞のようだった。
だが、それは死の舞だった。
刀が通った場所に、ゾンビたちが倒れていく。
血が飛び散り、肉が裂け、骨が砕ける。
市民たちは、ただ見ていた。
言葉を失っていた。
月光に照らされた刃の姿は、まるで剣の神のようだった。
一人で、百体以上の群れを相手にしている。
そして——押し返している。
刃は、群れの中心を突破した。
背後には、数十体のゾンビが倒れている。
だが、まだ半分以上が残っていた。
ゾンビたちが、刃を囲もうとする。
前後左右、全方位から迫ってくる。
だが、刃は慌てなかった。
刀を構え直し、回転する。
グルリと身体を回し、刀を水平に薙ぎ払う。
シュバアアアッ——!
円を描くように、周囲のゾンビが倒れる。
刃が作った空間——それが、トラックの通り道だった。
刃は大きく息を吸い、叫んだ。
「今だ——!!」
声が、夜の闇に響く。
トラックのエンジンが唸る。
ブォォォォン——!
先頭のトラックが動き出す。アクセル全開、一気に加速する。
料金所を通過し、車両バリケードの隙間へ突っ込む。
ガシャン、ガシャンと車を押しのけながら、進んでいく。
後続のトラックも続く。
二台のトラックが、刃が切り開いた道を突き抜けていった。
荷台から、市民たちの歓声が上がる。
「やった——!!」
「通れた——!!」
「あの人が——あの人が道を作ってくれた——!!」
主婦が娘を抱きしめながら、涙を流している。
老人が手を合わせ、祈るように刃を見ている。
だが、刃は振り返らなかった。
ただ、残ったゾンビたちと対峙していた。
まだ数十体が残っている。
彼らが刃を囲み、じりじりと距離を詰めてくる。
刃は刀を構え直した。
額には汗が浮かび、呼吸は荒い。腕は重く、握力が落ちている。
だが、目は鋭かった。
(これが、俺の役目だ)
刃の心が呟く。
(救える命は、僅かでも守る)
(それが、剣を持つ者の覚悟だ)
刃は再び、ゾンビたちへ突進した。
刀が閃き、また一体が倒れる。
また一体、また一体。
疲労が限界に近づいていた。だが、止まれない。
トラックが完全に視界から消えるまで、ここで戦い続ける。
それが、刃の選んだ道だった。
遠く、都市部のシルエットが見えた。
高層ビルが夜空に浮かび、窓の灯りが点々と光っている。
だが、その一部は——炎上していた。
黒煙が立ち上り、炎が建物を舐めている。
都市部も、既に侵食が始まっていた。
感染は、止まらない。
町から都市へ、都市から国へ、国から世界へ——。
刃は、それを見ながら思った。
(この戦いに、終わりはあるのか)
(俺は、いつまで剣を振り続ければいいのか)
だが、答えは出ない。
ただ、今できることをするだけだ。
目の前の敵を倒し、一人でも多くの命を守る。
それだけだ。
数分後、最後のゾンビが倒れた。
刃は刀を下ろし、深く息を吐いた。
ハァ、ハァ、ハァ——。
全身が汗で濡れ、服は血で染まっている。
足元には、百体以上のゾンビの死体が転がっていた。
刃は刀を鞘に納めた。
シャキン——。
月光が、刃の姿を照らしている。
一人、料金所に立つ青年。
その影は、長く地面に伸びていた。
孤剣の影——。
刃は、都市部へ向かって歩き出した。
トラックは、もう遠くへ行っただろう。
市民たちは、無事に都市部へ着くはずだ。
それでいい。
刃は、また一人で歩く。
次の戦場へ。
次の救うべき命へ。
風が吹き、刃の髪を揺らした。
月が雲に隠れ、闇が深くなる。
だが、刃は止まらない。
ただ、前へ進み続ける。
剣を背に、孤独に——。
(了)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
あなたの時間を少しでも楽しませることができたなら、それが何よりの喜びです。
また次の物語で、お会いできる日を願っています。




