溺愛夫婦 ~日常ですが、なにか?~
ゆうには幼なじみがいる。正確には兄の幼なじみだが一緒になって仲良くしてもらっているので彼女の幼なじみでもある。
それが、りっちゃん、さっちゃん、クレハちゃん、だ。
今春高校生になったゆうにとって実の兄、姉とも言えるほどに特別な仲。
え? 兄ってことは男もいるのかって? いるんですよ、これが。
りっちゃん、さっちゃん、クレハちゃん―――理知、沙羅、暮羽と言い、暮羽が第二の兄である。
年齢順で言うと沙羅、理知、そして暮羽となるものの全員と対等な関係。ちなみにゆうの兄は理知と同じ年で4つ年上だ。
さて。
その大好き幼なじみの中の沙羅と暮羽の話をしよう。
単刀直入に言って二人は夫婦だ。
婚姻届を出すまでのことは連続テレビ小説化できるほどごたごたとどろどろが入り混じっていた。それはそれで語りがいがあるのだが今回は置いておこう。話したい本質はそこではない。
ただ、このときばかりは物事をなんでも面白おかしくかき回すことが趣味とも言える理知ですら本気で立ち回り、あわや公的権力が出動しかけたことから程度を慮ることができよう。
表向きに何もなかったことになっているのが最もすごいところである。
まず簡単に二人の紹介をしておく。
沙羅はクールビューティーに分類される無表情系美人さん。顎の高さで揃えられた艶やかでさらさらの髪に切れ長の瞳、あまり表情筋が仕事をしないので無愛想に思われることが多い。口数も多くないため近寄りがかいと遠巻きにされる学生時代だった。その事実に関して本人に思う事は特になく、静かでよかったと感想を漏らす。マイペースに我が道を往く性格をしている。もちろん親しい人たちとは会話もするし、笑顔を見せる。親しくなるまでの道のりが長く険しいだけ。
暮羽はまだ学生でこれからもしばらく学生である年下夫。ぱっと目を惹くような華やかな容姿ではないが誠実さと穏やかさがにじみ出るようなやわらかな雰囲気を持っている。この冬に受験を控えているが、実力で最高学府へ入ると公言する実力あり。それだけでなく実はとても由緒あるお家の直系で名ばかりではなくとってもお金持ち。本人が好んで地味に過ごしているが、そのおかげでほどほどに平和なのだろう。
二人は暮羽が生まれた頃からの付き合いで、つまり生きている時間のほとんどを一緒に過ごしてきた。ちなみにこれは理知も同じく。このあたりもまたとても長くややこしい話になるので割愛する。大切なのはずっと家族だったということ。その上での婚姻。
籍を入れたのはつい最近。格式と伝統と権力を有していても一国民であることに変わりないため法には従わなければならない。世の中の年度が変わってすぐの誕生日を暮羽はこの年待ち遠しく思ったことはないだろう。日が昇ってからでもいいのではという周囲の意見を跳ね除け日付が変わった直後に提出したのだから微笑ましいばかりだ。もちろん証人欄の一角には理知の名前があった。
かくして一組の夫婦が誕生した。
ちなみに婚姻の証は揃いのピアスだったりする。夫婦揃って手に何かついているのは邪魔と口を揃えたためだ。これを聞いた理知は大笑いして自分も混ぜてと言ってのけた。夫婦と色違いのピアスが彼女の耳を飾っている。お値段? 聞いてはいけない。
花が散ってしばらく経ち、薄紅色の絨毯が若草色の並木道に変わる頃。
沙羅と暮羽は部屋でのんびり過ごしていた。少し開けた窓からそよいでくる風が心地よい。もうすでに次の季節の陽気が感じられる。
「今年はいつも以上に時が早く流れていく気がする」
「でしょうね。やることが目白押しだもの。がんばれ受験生」
二人は並んでソファに腰を落ち着けていた。
しつこいかもしれないが旧家直系で資産家の若夫婦の家である。超高級マンションの一室を思い描いてもらえたらいい。この部屋を訪れた年下の幼なじみが、
「少しでも動いて何か壊したらと思うと怖い。けど何か壊したとしてもいつか壊れるものだからってあっさり受け入れちゃうさっちゃんたちも恐い」
と言ってのける感じだ。高価なものに価値は置いてないが良い物に囲まれていることは確か。そして“本物”はやはりそれなりに値が張るもの。
からかいを含む沙羅の言葉に暮羽は強めに彼女の頬を撫でる。
「他人事だと思って。しっかり巻き込むからな」
「他人事だし? でもそれはそれで楽しいわね。大学受験ってどんな感じか」
「書類との格闘と寒さ対策」
「真冬の真っただ中っていうのが大変よねぇ」
全く大変そうに思っていない口調でくすくすと笑う。つられるように暮羽もそうだなと笑った。
ただただやわらかで温かな空気に満ちている。
沙羅が暮羽の手を押し返した。
「でも暮羽はあっさりと大学生をやってくれるのよね。楽しみ」
「何に対する楽しみ?」
「私が見向きもしなかった大学生になってる暮羽のすべて」
「ふむ…。まずはキャンパスツアーから始めるか。講義に混じっていても咎められないどころか気づかれないだろう。他の大学にも簡単に入れるようになるしな」
「ふふ。私、不審者?」
「ぼくの身内だから立派な関係者だ」
顔を寄せ合って二人で吹き出す。
誤解されそうな発言をしている沙羅であるが、彼女は大学に通っていないだけで通信制の教育課程を受講している。のんびりと確実に単位を取得しており、次の春には修士号が出る予定だ。専門はともかく一般教育の数が多くて面倒だったとは本人談。専攻は何かって? ご想像にお任せしますと返される不思議。そして思いつかない謎。全くの蛇足だが理知も沙羅と同じ道を歩んでいることを記しておく。どこまでも仲良し。
「そうだ沙羅。次に一日空いてるのはいつになる?」
テーブルに用意してあったお菓子を摘み、沙羅の口元に運びながら暮羽が尋ねる。
本日のお菓子はドライフルーツのチョコレートがけ。オレンジ、レモン、いちごと揃っていたが沙羅をオレンジを特に好むので、口に運んだのはもちろんオレンジのチョコがけ。物としては単純で、最近市民権を得てきたこともあってか種類が豊富で違いを楽しむことができるようになった。しかし一番はお料理好きの幼なじみが作ってくるもの。今日のもそれ。
「明日」
「それはいい。一緒に出掛けよう。沙羅に見せたいものがある」
暮羽は学生だが沙羅は何年も前から社会人をやっている。ただ漠然と勉強することに意義が見出せなかったのが理由だとか。最近の学生など7割はモアトリアム真っただ中、惰性で大学に身を置いているだろうにむしろよくその決断ができたと感心する。とはいえやりたいこともなかったのでどうしようかとなっていたところ、運よく出版社に拾ってもらい今に至る。事務仕事に運転手や小間使い、取材や校正、編集作業など実に激務。体力的にしんどいことは否定しない。だが苦しいと思ったことはない。次々と新しいものに触れられるので退屈する暇がない。とても面白いと毎日駆け回っている。
しかし仕事の性質上、カレンダー通りの休みは約束されない。学生の暮羽と日中一緒に過ごせる時間が少ないのは自明。暮羽の問いかけはそのためだ。もちろん不満からではない。一生懸命になっている彼女を思うことだってとても有意義だから。
すると思いがけず翌日も一緒に過ごせそうな返答に暮羽の表情がパッと明るくなった。ところがそれを目の当たりにしたにも関わらず沙羅は言ってのける。
「だめ」
そしてそのまま暮羽の胸に顔を寄せる。
暮羽は決して胸板が分厚い逞しい体格ではなくどちらかというとスレンダーなのだが、それでも男だ。女性一人を支えるのは容易い。それが大切な人ならなおさらに。ただ彼女の返答を理解するのに時間を有し、固まってしまった。それでも寄せられた顔に手を添えて自分のものも近づけるのだから反射とは素晴らしい。頭の天辺、それから額に唇を当てると顔を上げるように促す。沙羅がわずかの動きを見せたところでそっと彼女の目を覗き込んだ。
「―――――え?」
「明日は私が連れて行きたいところがあるからダメ」
続けられた言葉に暮羽は目を瞬く。
「…行きたいところ?」
「そう、暮羽を連れて行きたいところ。私を優先させて。楽しみにしてるの」
じっと見つめ返しながら沙羅は頬に触れる暮羽の手に手を重ねる。残念ながら大きさでは敵わないので包み込むことはできないけれどちゃんと熱は伝わってくれる。
「暮羽の予定はその次」
「――ぼくを連れて行ってくれるんだ」
「ええ。明日は天気がいまいちのようだからのんびりできる」
普通だったら天気がいいときに出掛けられることを喜びそうなものだが、人によって考えはそれぞれ。二人の場合は一緒にゆっくり過ごせるなら天候など二の次でいい。もう、ずっと一緒にいるのだ。口にしなくてもそれくらい伝わる。
するとくるりと返された掌に重ねた手をぎゅっと握り込まれた。それとほとんど同時に一瞬の浮遊感。すぐに着地した場所はとても温かだ。柔らかくないのはご愛敬。
「雨でも構わないところ?」
「どうだろ。天気を気にしたことはないから」
「沙羅が濡れたり凍えたりしなければいいんだけど」
「そのまま返すけど大丈夫でしょう。一緒にいるし」
「―――そう、だな」
その声は誰が聞いてもわかるほど愛しさに満している。もしも聞いてしまった他人がいたら顔を真っ赤にして心拍数を上昇させるほどの威力があった。残念ながらなのか、当然ながらなのかはわからないがそうなる者はないのだけれど。お互いだけが知っていればいい。
ただただ大切だと声が、視線が、指先が…、その身を形作るすべてが物語っている。
誰よりも何よりも大切な存在を腕に閉じ込め、他愛ない会話は続いていく。
それは間違いなく愛の形だった。
ところで。
この、人によっては砂糖や砂を吐きかねない空間の中に実はもう一人存在する、と言ったらどうだろうか。声も届かない少し離れたところというわけではない。その気になったら会話に参加できる腕を伸ばせば届く距離に。驚くかもしれないし憐みを持たれるかもしれない。状況はわからずとも気の毒にと思われることだろう。
ところが実際はそうではない。
「車出すんだったらガソリン入れといて。1/4切ってたから」
どう見てもラブラブな恋人、の上を行く夫婦の時間を貫いているところにそんな生活環溢れたこと言う? はい、言うのです。それができるのが理知なのだ。
彼女は沙羅と暮羽のいるソファの斜め向かいにある一人掛けのソファに腰を掛けていた、ずっと。夫婦のやりとりが始まる前からずっと。なんなら最初は理知と沙羅が団らんしていた。そこに暮羽がふらりと現れて流れるように夫婦の時間になった。なんなの、こいつ、などと思うことはない。ああ、いちゃいちゃしたいのね、どうぞご自由にとなる。弟分が片思いしていた時分を知っているので感慨深いし微笑ましい。
邪魔するなんて無粋よね、とどこからか取り出したタブレットとノートを駆使し自分の時間に移行する始末。本当にここまで自然な流れである。夫婦に理知を邪険にする意思はないし、理知が夫婦を不快に思うことはない。
「あ、今日の夕飯は中華だから。もう頼んじゃった」
「回鍋肉」
「かに玉」
「ばっちり」
ちょっとしたタイミングでニッと笑い合える。それが三人の形。
ついでに。
「中華っぽいご飯、完成―っ! 今日の杏仁豆腐は神がかった出来だからで出来だから楽しみにしてて! 明日はご飯一緒に食べるから!」
「ピザにしよう」
「チキンも」
「ポテトがいいわ」
「ジャンクフードパーティーね、よし来た!」
キッチンからひょこりと顔を出すのが、幼なじみの形だ。三人のかわいいかわいい妹分。
一緒にいるときは常に触れ合っていないと落ち着かない夫婦のおはなし。
【蛇足】
年下の幼なじみのゆうは高級マンションから徒歩3分の場所にある普通の一般家庭向けマンションに住んでいてよくやって来る。お料理大好きなため広いキッチン使い放題、食材も使い放題と喜んでおさんどんしに来る。料理人顔負けの腕の持ち主だが知らぬは本人ばかりなり。かなり親しい人にしか手料理を披露しないため。




