ストップ! 温暖化
夏の正しい過ごし方。というものがあるなら、私は間違いなく正しい夏の過ごし方を実践していただろう。
32歳、独身。適度にクーラーの効いた部屋で好きなことをして過ごすだけ。
窓を閉め切っていても、ミンミン、ジージー。蝉の鳴き声が聞こえてくる。近くに森や木なんてない。都会のビル群に程近い安アパートの、一体どこから聞こえてくるのやら。
そんなことを思いながら窓の外を見れば、日射しが目に痛い。
すぐに窓から視線を反らして、壁掛け時計を見れば時刻は13時を過ぎた頃。
そろそろお昼にしよう。暑いから素麺でいいや。……と、冷蔵庫を開ければ麺つゆが切れていた。
「うわ、最悪……」
作ればいいとも思うけど。作り方も知ってるけど。
肝心の出汁がない。我が家のキッチンに鰹節や昆布なんてものはない。便利な顆粒の出汁の素もないとなると、買いに出るしかない。
素麺を諦めれば済む話かもしれないが、残念ながら多少の野菜と素麺くらいしかない。
窓の外と冷蔵庫の中身を見比べ、諦めた私は鞄を引っ掴んで外に出た。
玄関の扉を開けた時点で……いや、窓の外を見るだけでわかっていた暑さと熱気。
「暑……」
言うつもりがなくても、自然と口から出てしまう。
コンビニは徒歩10分。スーパーは徒歩15分。
暑さを我慢するか、価格を取るか……で、足はスーパーに向かう。
行きは何の問題もなかった。
目的のスーパーに到着し、目当ての麺つゆの他、ついでに食材を少し買い足そうと、店内をウロウロ。
店内で涼み、買い物を済ませたら後は帰るだけ。
自動ドアが開いた瞬間、家を出た時と同じように暑さと熱気に襲われ、気分が悪くなった。
(……あ、ヤバいかも)
そう思ったのは、スーパーを出て5分ほど歩いた頃。
全身から吹き出して止まらない汗。込み上げる吐き気。呼吸をする度に目の前が、視界が狭くなって、何もかもがボヤけて見える。
熱中症の文字が頭に浮かんで、日陰を探してふらふらな足を動かす。……足、動いてる?
吐き気を伴う気持ち悪さと、強烈な不快感に全身を襲われながら、ギリギリのところで何とか意識を保っていた。
「大丈夫ですか!?」
遠くの方で、人の声がした。
大丈夫じゃないから水でもぶっかけて、と思ったところで倒れた。
* * *
「起きろ!」
バシャッ、と頭の上からバケツをひっくり返したような水が降ってきた。
いや、水でもぶっかけて……とは思ったけど。本当に水ぶっかけるヤツがあるか。
熱中症の対応マニュアルに載ってないからね。そんなこと。
「あ、」
一応、助けてもらったお礼を言うつもりだった。
ありがとうの「あ」を口に出して、そのままフリーズ。
見間違いでなければ、凄いクオリティの高いコスプレイヤーさんがいる。
あのアプリゲーム、あんまりメジャーじゃないのに。……なんて感想は心の中に留めておいて、コスプレイヤーさんから背景に視線を動かす。
(スタジオですか、ここ……)
っていうくらい、見たことのある背景。小道具。……エトセトラ。
その中心に、コスプレイヤーさん。
え、運ばれた? いや、普通病院じゃない? スタジオなんか近くにあったっけ? え、自宅?
頭の中が軽くパニックになってきたところで、コスプレイヤーさんが不快なモノを見るような目で睨んできた。
(キャラの作り込みというか、入れ込みが……プロだわ)
感心する私を他所に、コスプレイヤーさんが鼻で笑う。
「なんだ。立ったまま寝てられるほど図太い神経をしてるくせに、水をかけられただけでしおらしくなるのか」
(うわぁ、声まで……)
声まで? と思ったところで、流石に「え……」となる。
いくら何でも無理がある。
いや、探せばいるかもしれない。ゲームから飛び出してきたようなクオリティのそっくりさんで、おまけに声まで似てる(一緒の)人。
しっかり現状逃避した私の頭の中で、なんでやねん! と、関西特有の鋭いツッコミが入った。
もうただのノリツッコミでしかないけど、それくらいパニックだ。
「コルネリウス・ブラウエル……?」
一生のお願いだから違うと言ってほしい。
私の一生のお願いも虚しく、名前を呼んだだけで軽蔑の眼差しを向けられた。
「お前に名を呼ばれることほど不愉快なことはない!」
不愉快なことはない? こっちはもう、笑うしかないわよ。
コルネリウスが名前を呼ばれることすら嫌がるなんて、相手は1人しかいない。
要するに、アレだ。……こんにちは、異世界。さようなら、地球温暖化。
32歳、独女。会社員改め、悪役令嬢です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
至らない点は多くあると思いますが、生暖かい目で、気長にお付き合いいただけると幸いです。