53 閑話【日本編:選挙で本音を語る人々】
今回は、思い出話です。
それはまだユリがダルシンに出会う前、元いた世界で短大生だったときのことだった。
誰でも一度は学生時代に経験することがある。
その日は、大学の試験期間と衆議院議員の選挙期間が重なってしまい、リスニング試験の真最中だったというのに、候補者を乗せた街宣車が大学の校舎前をのろのろと移動し、大声で候補者名をがなりたて続けていた。
(((((うるせーー!!)))))
大勢の学生たちの心の叫びが唱和した瞬間であった。
今でこそ、18歳から投票できるようになったので、選挙活動が高校生や大学生の恨みを買わないよう考慮する候補者も増えてきているが、まだ大学生の大半が選挙権を持っていなかった時代は、学校の近くで平気で騒音を垂れ流す選挙活動が物凄く多かった。
「学生時代に一度? 何言ってんの、とっくに二十回超えてるわよ!
毎度毎度毎度毎度、よくもまあ嫌がらせみたいに繰り返せるものね。
選挙事務所に苦情の電話したって全然効果ないじゃない。
あいつらの学習能力はミジンコ以下よ!」
怒り狂っているのは、ユリの同級生のミユだ。
「苦情の電話したって候補者には届かないし、ああいうのは落選して、苦情の内容は次の候補者には伝わらないからじゃないかな?」
ユリが説明するが、ミユは聞いていない。
「私はあいつらのせいで、こんなCラン大学を二度も滑ったのよ。
ハッ、こちとら、そのおかげで選挙権があるのよ。
覚えてらっしゃい!」
「ミユ、みんなの前でCラン発言はやめた方がいいんじゃない?」
「うるせー!」
(ミユって、清楚系お嬢様だったはずのに、私といると、自分を曝け出しちゃうっていうか、いつもこうなんだよね)
「じゃ、私は次の講義の試験があるから。またね」
会話の内容がやばくなってきたので、友人のもとから慌てて立ち去るユリだった。
* * *
結局、ユリがその日に受けた試験の全てで、街宣車による妨害を受けてしまった。ミユが怒り狂っていたのも当然だろう。
ユリがその日の試験を終えて、未だに耳に残っている候補者の名前に呪詛を唱えながら駅前を歩いていると、街頭演説している候補者たちに捕まってしまった。そして、耳に残っている憎たらしい候補者じゃないからまあいいやと、求められるままに次々と握手してしまう。地味なオジサンの候補者と若い女性の候補者とお爺さんの候補者の三人と。
「いきなり手を握ってくるのって、セクハラじゃないの?」
コンプライアンスに厳しくなった昨今は少なくなったが、昔は相手の同意もなく候補者が手を握ってくることが珍しくなかった。偶に思いっきり握り返して反撃する男性もいたらしいが、非力なユリにそんなことはできない。
候補者だけなら、まだよかったのだが、その後で、候補者でもない応援の議員まで握手してくるし、取材に来てたテレビ局スタッフに肩を押され、脇にいた女子アナにぶつかって睨まれたりして、散々な目にあってしまった。
(自分に選挙権があったら、試験中に迷惑を掛けてこなかったこの人たちの中から投票する相手を選ぶかもしれないのに)
そう思って振り返ってみると、女性候補が街頭演説を終えて、街宣車の中に入るのが見えた……、ところまでは良かったのだが、街宣車のスピーカーからとんでもないセリフが聞こえてきた。
『先生、お疲れ様です。はい、冷たいお水をどうぞ』
『ゴフッ、ゴフッ、ゴフッ、プッハー!
ちょっと、これ温いじゃないの!
ちゃんと冷やしとけって言ったでしょ! 使えない子ね』
『申し訳ありません。
氷と一緒にしてたんですが、まだ冷えてなくって』
『まったくやってらんねぇっての。
こっちは来たくもない、こんなド田舎の駅にわざわざ来てるってのに、小学校だの大学だの近くだからって、ガキばかり集まりやがって。
選挙権持ってない奴は邪魔だから来んなっつうの。
とくに小坊!
目の前に集って来られたら、相手がクソガキだって分かってても握手しなきゃいけないってのに、あいつら手加減てもの知らないんだから。骨折するかと思ったわよ。
スケベ爺も嫌らしい目であたしの胸見ながら握手してくるし、気持ち悪いったらありゃしないのよ。ここら辺に住んでる奴って、変態かおかしなのしかいないのかよ』
『先生、当選するまでの我慢ですよ、我慢』
『まっ、そうね。当選しちゃえば公約なんか知ったこっちゃない。
こっちのもんなんだから』
『先生、公約は守った方がよろしいかと……』
『あんたは黙ってなさい!』
街宣車から聞こえてきた女性候補者の声に、聴衆がざわつきだした。
「おい! 今の発言はどういうことだ! 出てきて説明しろ!」
「ちょっと、ここには変態かおかしなのしかいないって、どういう意味よ!」
「そっちから握手してきたのに、巫山戯たこと言うな、クソババア!」
「「「出てこーい!!」」」
『先生、大変です! マイクのスイッチ切り忘れてます!』
『はぁっ、あんた何を言って(プツッ)……』
聴衆がざわつく中、暫くしたら顔を赤くした女性候補者が街宣車の上に姿を現した。
『あ、あ、あ。
えー、先ほどは手違いでネット動画の音声がスピーカーから流されてしまいました。決して、オバカ市のみなさんを馬鹿にしたわけでは……』
「動画ってなんだよ、お前の声だったろうが!ふざけてんのかこの野郎!」
「ちょっと、オバカ市ってなによ。馬鹿にしてんの!?」
『先生、違います。ここはオバカ市じゃありません』
『えっ違う? すみません、間違えました。マヌケ市のみなさんには深く……』
「マヌケ市でもねぇっての!」
「あんた、ここがどこかも分かってないの!?」
……ギャー、ギャー、ギャー……
ぐだぐだになる候補者と、暴動寸前の聴衆の様子を離れて見ていたユリだったが、求められたから握手したのに、それも恨まれてたのかと思うと、非常に残念だった。全部の候補者があんなんだとは思いたくない。
この日の駅前は、候補者が三人もいたせいで、二つのテレビの地方局が取材に来ていた。今の騒動も、きっと音声付きでニュース報道されるのに違いない。
ふと、その騒動の両脇を見ると、地味なオジサン候補者は街宣車の上であたふたしながら、聴衆に落ち着くように呼びかけ続けるばかりだったが、反対側にいた爺さん候補者はニヤついた顔でマイクを握っていた。
『あ、あ。
みなさん、落ち着いてください。
あのような、女性であることに胡坐をかいて、顔が売れればいいと考えているような候補がいることは、まことにもって嘆かわしいことであります。
私なんかは、この市のことをきちんと勉強しなおして来ております。
昨夜は、この市の奇麗な夜景の様子を皆さんに伝えたくて、晩酌の後でもう眠かったのに、自分で車を運転して見に行ってしまいました。ついつい赤信号を三つばかし無視してしまいましたが、そんなの、この市が誇る夜景を見るためならどうということはありません!!』
この候補者の周りにいた聴衆は静まり返っていた。自分たちが聞かされた話がどういうことなのか、頭が理解することを拒絶していたのだ。
すると、そこにテレビ局のアナウンサーが駆け寄ってきた。
「昨夜、飲酒運転と信号無視をしたという発言は事実なんですか!?」
『君は私を馬鹿にしているのか!
嘘の自慢話をするわけが無かろうが!!』
そう言って、爺さん候補者は、スタッフに止められることもなく、自分の不正行為を次々と自慢し始めてしまった。
聴衆は、自分たちが聞かされている話が、全く理解できない。
(え~、あれって自慢話だったんだ。
あのお爺ちゃん、元ヤンだったりする?
てか、なんであのお爺ちゃんのスタッフは止めないの?)
この日、その場所で問題を起こしたのは候補者だけではなかった。
爺さん候補の応援に来ていた現職の若手男性議員が、通行人の女性にいきなり抱き着いたのだ。
性欲の強い男性議員は少なくない。軟弱では議員なんてやってられないからだ。そして高齢の議員だと、女性に抱き着きたいという思いは正当なものだと考えていたりもする。ただ、立場上不都合なので、そういう思いは、表に出さず、会員制高級クラブで発散してたりするのだ。
だが、その若手男性議員は、自制心を失ったようにしか見えなかった。貪るように通行人の女性に抱き着いている。
「イヤーーーッ!! やめてーーーっ!!
誰か助けてーーーっ!!」
その後、男性議員は周りにいた聴衆によって女性から引き剝がされたが、今度はその騒ぎに駆けつけた女子アナウンサーに抱き着いた。
「キャーーーーー!!」
その映像と女子アナウンサーの悲鳴は全国に生放送された。
問題を起こしたのは、政治家だけではなかった。
取材に来ていたテレビ局のスタッフが、大勢の通行人と喧嘩し始めたのだ。通行人が怒るのは当然だろう。なぜなら、駅に急ぐ人々の道を、取材と称して塞いでしまって、脇を通り抜けようとした小学生を蹴り飛ばしたのだから。
その一方で、議員の抱き着きから救助され、駅前の様子を緊急生放送していた女子アナウンサーが、突然卑猥な言葉を立て続けに喋り始めた。
デジタル放送時代の生放送は完全な生放送ではない。電波に乗せるまでに数秒のタイムラグがあり、スタッフがまずい発言に気づけば、差し止めることが出来る。大事件の記者会見を全局で生中継したときなどに、局によってタイムラグに差があり、早い局と遅い局で、最大で10秒ぐらいずれているのもそのためだ。だが、この日の生放送は、スタッフも唖然としてしまっていたのか、それとも悪意があったのか不明だが、そのまま放送され続けてしまった。
あの女子アナウンサーは、深夜の低俗番組に回されるか、馘になるしかないだろう。
そして駅前では、オジサン候補者がただ一人、自分の選挙活動を放ったらかしにして、民衆に落ち着くようにと呼びかけ続けていたのだった。
駅前の騒動は、鎮圧するために機動隊が派遣されるほどに酷いものだった。
警察では、駅前にLSDの粉末でも撒かれたのではないかと徹底的に調べたが、そのような事実はなかった。そしてこの日の出来事は、集団発狂事件として永遠に未解決のまま記録されることとなったのだった。
「ああっ、もう! この街も最低!」
今日もまた、巡り合わせの悪さを嘆くユリであった。
イオトカ君の存在を、ユリはまだ知らない。
本日より、改訂版を順次投稿します。
新規エピソードもあるので、ぜひ、引き続き改訂版をご覧ください。
今後ともよろしくお願いします。




