41 勇者討伐【ブレイヴ・ソード編12】
翌日、第二ダンジョンの入り口にはブレイヴ・ソードの六人の姿があった。そう、固定メンバーの六人のみ。ラドックの奮闘の甲斐もなく、ハンター資格のある補助要員を連れて来ることはできなかったのだ。にもかかわらず、ハンスとゼノビアは手ぶらで、ベックがハンスの荷物を持たされ、リザベルがゼノビアの荷物と、前回はユリが運んでいたポーションを持たされている。ゼノビアは荷物を持てないので仕方ないが、ハンスが手ぶらなのはただの我儘だ。
軽いスクロールはラドックが持った。回復系のスクロールは教会で二枚仕入れてきたが、高価であるにもかかわらず単純回復のものしかなく、完全回復のものは入手できていない。それでも全員一度に施術できるので、人数分の治癒ポーションを持つよりは軽いし役に立つだろうと買っておいたのだった。
今回は照明担当のユリがいないので、ハンスとゼノビア以外の四人が松明を持っているが、ユリの照明よりかなり暗い。この松明は、物理的な攻撃を行う者は、戦闘時には地面に投げ捨てて戦うことになる。自分たちの足元に置くときは、火を消しておかないと、自分たちが敵から丸見えになってしまうので、可能なら相手の足元に放り投げるのがよいのだが、それもなかなか難しい。ユリの照明を失ったのは、実はかなりの戦力低下となっていた。
このダンジョンの場合、魔物は階層間を自由に移動できるので、階層によって出現する魔物が決まっているというわけではないが、二階層目に降りると、今回もまたクレイフォックスが現れた。ただし、数だけは三頭に増えている。
その姿を確認すると、今回もまた、ハンスが勝手に飛び出して行き、一頭の脇を擦り抜けざまに、その首を切り落とそうとして大剣を振った。
スカッ!
「くそっ!」
タタタッタッタッ!
思いもよらず空振りしたハンスは、悪態をついて、そのまま勢い余って踏鞴を踏んで、クレイフォックスに背を向けた状態で止まった。
ハンスに続き、トゥーラが槍でその一頭の足を払って、さらに頭を突く。
ガシッ! ガツッ!
「なに!」
なんと、足払いは出来たものの、槍は刺さらず、トゥーラが驚きの声を上げた。
そのとき、ハンスが飛び出したときから続けていたゼノビアの詠唱が完了した。
「……遍く敵を追ってその身を焼け、ホーミングファイヤーボールズ!」
その叫びと共に、直径30㎝ほどの火球が三つ、長い尾を引いて勢いよく飛び出した。クレイフォックが火球を避けて、右へ左へ前へ後ろへと変則的に動きを変えて逃げ出そうとするが、三つの火球は逃げるクレイフォックをそれぞれ追尾する。途中で一頭がハンスに向かってきて方向を変えたときに、追尾する火球がハンスの頭すれすれを通過して、その髪を少しばかり焦がしたりもした。
ボンッボンッボンッ!
ドドドーン!
火球が三頭に追い付き、次々と小爆発音を立ててぶつかると、クレイフォックスは黒焦げになって動きを止め、一斉に地面に崩れ落ちた。
この結果に安堵したのはラドックだった。前回は楽勝だったハンスとトゥーラが情けない姿を見せたとき、高価なエンチャントのスクロールを使うかどうか、非常に迷っていたからだ。
* * *
一行は、そのまま四階層目に向かう。
「おい! 毒ネズミを焼き払う準備をしておけ!」
「ちょっと待って、毒ネズミは前回……」
「指示に従え!」
ハンスは、前回は毒ネズミに囲まれ手も足も出なかったので、せめて自分の指示で一掃したことにしたくてゼノビアとリザベルに毒ネズミ対策の魔法を指示していた。しかしゼノビアは、毒ネズミはほぼ全滅しているので、その指示は間違っていると指摘しようとしたが、ハンスは聞き入れなかった。しかたなく、ゼノビアとリザベルの二人は火属性の魔法の詠唱をしながら階下に降り立った。しかし、今回はゼノビアが予想していた通り毒ネズミは姿を見せず、代わりに六人は巨大なゴキブリの魔物の群れに囲まれることになった。
ゴキブリの魔物は、その巨大さ故にカサカサではなくガサガサゴソゴソと音を立てて集まってきていて、一部で折り重なって山になっていたり、共食いを始めたりしている。その様子を見たリザベルが息を止め、気絶しかけたのも仕方ないだろう。ユリだったらとっくに気絶して、その場で馘を言い渡されていたところだ。
「「「「「……」」」」」
「よりによってグロスケファードかよ」
皆が言葉を失っている中、そう言ったのはベックだ。
グロスケファードは、悪食でとにかく顎に触れたものは何であろうと、ガリガリと食う。それが仲間だろうと、防具だろうと、金属製の武器だろうと、果ては石の壁だろうと何でもだ。その体表は金属製の鎧よりも固く、それが人間の膝より低い位置から襲ってくるから、剣や槍ではどうにもならない。
そのときラドックが正気を取り戻して、防護スクロールを広げて叫んだ。
「プロテクション!」
……
しかし、何も起きずにスクロールは灰になり、ラドックは唖然とした。
スクロールは一品もので使い捨て。
それは、この世界では当たり前すぎることで、品質管理の概念がないから気にされてもいなかったが、この「一品もので使い捨て」というのが、実はスクロールの最大の欠点だった。
これがポーションであれば、大鍋で大量に製造して、その一部で効能を確認してから、瓶に小分けすることができる。効能が確認されているから、瓶に罅が入っていたり、中身が経年劣化することはあっても、最初から不良品ということはまずない。客が購入したポーションを少しだけ使って、効能を確認することも出来る。
しかしスクロールはそうではない。スクロールを書く作業も、魔法を込める作業も、一枚ずつ行われる。しかし、使い捨てだから、非破壊検査ができない。それをいいことに、最初から不良品のスクロールが売られていたりもする。不良品があって当たり前なので、偽物も平気で売られているのだ。素人が使うマジックアイテムであるにも拘らず、熟練の魔術師でないと真贋や良・不良を見抜けないという、非常に困った代物だった。
スクロールは通常、ここぞというときに、ひとつだけ使う代物だ。これが安価で大量に作られるものなら、伝説のスナイパーに倣って、必殺の一枚のために、同じスクロールを千枚買って九百九十九枚で試しておくこともできるだろうが、スクロールは高価で数も少ない。少ないから抜き取り検査すらされていないのが実情だ。
要するに、スクロールを使うのは、一種の賭けなのだ。
そして、ラドックは今回、運悪く賭けに負けて不良品に当たってしまったのだった。
そのころ、ゼノビアが詠唱を終えようとしていた。
「……不浄なるものを焼き滅ぼせ、フレイムホイップ!」
毒ネズミのときに使った魔法だ。しかし、火炎放射器のように吹きだした焔の鞭は、前回よりも火力が弱く、魔力耐性のあるグロスケファードの体を焼くことは出来なかった。
ラドックはもうひとつの防護スクロールを広げて、今度こそ本物であってくれとの願いを込めて叫んだ。
「プロテクション!」
今度は無事にスクロールに込められた魔法が発動し、防護障壁がブレイヴ・ソードの一行を取り囲んで、グロスケファードがそれ以上近づくのを防いだ。
防いだのだが……。
ガリッガリッガリッガリッ。
グロスケファードの群れが防護障壁を齧り始めた。しかも、その齧る勢いが段々加速してきている。
ガリガリガリガリガリガリガリガリ。
いよいよ防護障壁が破られそうになったとき、ゼノビアが次の魔法詠唱を終えようとしていた。
「……灼熱の大地に触れる者を全て焼き滅ぼせ、スコーチングラーヴァ!」
その叫びが響き渡ると、防護障壁の周囲の床が赤く輝く焼き石と化した。すると、上からの魔法の焔を弾き返していたグロスケファードの群れは、まずその足を焼かれて動けなくなり、次に全身に火がついて一斉に燃え上がった。
やがてその火が収まろうとした頃、スクロールの効力が切れて防護障壁が消え、ラドックが手に持ったスクロールは火で焼いたように灰になり、周囲の空気が流れ込んできた。
「おえっ、ゲホッゲホッ」
「なんだこの臭いは!」
周囲にはまだ熱気が残っていて、しかも髪の毛を焼いたような強烈な悪臭と、何だかわからない刺激臭が一面に漂っていた。
リザベルが慌てて短詠唱で使える風魔法を唱える。
「ソフトウィンド!」
弱い風だが、熱気と悪臭を遠ざけるには十分だった。
* * *
「「おえっ、ゲホッゲホッ」」
「ケホッ、ケホッ、ケホッ」
「なんなのよ、この臭いは! (ゲホッ)
ユリ! (ゲホッ)
起きて! (ゲホッ)」
ブレイヴ・ソードと同じような反応を見せたのは、ラッシュ・フォースの四人だった。
浅い階層では、他の探索パーティーもちらほら見かけられるため、ユリだけは髪の色と衣装を変えて変装しているが、特に隠れることもなく、少し離れた別の階段の近くから、ブレイヴ・ソードを監視していた。
しかし、ゼノビアが焼いたグロスケファードの群れは、傾いた床を燃えながら滑り落ちて行ったので、その悪臭と刺激臭はフロア全体に広がり、ユリたちはまともにその異臭災害に巻き込まれていた。これには、浄化魔法を扱えるミラも、咳が止まらないため詠唱できずにいた。
ユリは、魔物との戦闘で目立つのを避けるため、あらかじめ自分たちの周囲をアイテムボックスの落とし穴で囲んでいた。そのおかげで、彼らに寄って来た魔物はもれなくアイテムボックス行きとなっていたのだが、悪臭に襲われるのは想定外だった。いや、ユリならその臭いを少し嗅いだだけで対処できたはずなのだが、ブレイヴ・ソードを襲った巨大なゴキブリの群れを見た瞬間に気絶していた。ユリだけが咳をしていないのは、気絶してほとんど息をしていないからだった。
「ちょっと、ユリ! しっかりして!」
マリエラがそう言って、ペシペシとユリの頬を軽く叩いても全く起きる気配がない。
「もうっ! しっかりしてってば!」
今度は、ユリの肩を掴んでガタガタと大きく揺すると呻き声を上げた。
「う、うぅ、マリエラさん、すごく臭いです~」
「あたしじゃないわよ! 早く起きて、この臭い、何とかしなさい!」
「う、うぅ、『臭いの臭いの飛んでけ~』」
ユリが珍妙な呪文を唱えると、一瞬で周囲の空気が浄化され、マリエラ達はやっと普通に呼吸できるようになり、ユリもまた、はっきりとした意識を取り戻した。
「あれ? 私寝てました?
さっきの臭いは何なんですか?
マリエラさんの髪の毛でも燃えたんですか?」
「あたしの臭いじゃないって言ったでしょ!
さっきの臭いは、あいつらがグロスケファードを溶岩焼きした臭いよ。ったく、この前もそうだったけど、あいつら、ダンジョンみたいな閉鎖空間で火魔法の使い過ぎよ。空気が汚れるじゃない」
「マリエラさん、そのグロスケファードって何ですか?」
「あぁ、みんなはっきり言うのが嫌で、言い方を外国語に変えてるの。
グロスケファードっていうのは、あんたがさっき見た巨大ゴキ……。
ちょっと、ユリ! なんでまた気絶してんの!」
* * *
そのころブレイヴ・ソードは、態勢を整え、次の階層に向かおうとしていた。ラドックは強硬に反対したのだが、リーダーのハンスが強引に探索の継続を主張することに抗えなかったのだ。
では出発しようと立ち上がったとき、急にハンスの様子がおかしくなった。
「はがっ、かっ、かっ、かっ」
いきなり白目を剥いて、体を海老反らせて痙攣しだして、泡を吹いて倒れてしまったのだ。
「リザベル! ポーションを出せ!」
ラドックはそう叫ぶと共に、今回の遠征の失敗を確信した。
じつは、ユリが『臭いの臭いの飛んでけ~』をしたときに、周囲の悪臭と刺激臭の素がクレオソートの丸薬のようにひとつに固められて、その臭いの元凶となった場所に飛ばされたのだが、それが偶々その場所にいたハンスの鼻の奥に入って彼を昏倒させたのだった。
ラドックは、リザベルから解毒ポーションと治癒ポーションを受け取ると、交互にハンスの頭から掛け、更に口に流し込んだが、相変わらず痙攣が止まらない。原因物質が鼻の奥に残っているのだから当然だろう。
そのハンスの様子をじっと見ていたゼノビアが新たな詠唱を始める。
「……その腐りかけた頭の中を洗浄せよ、サイナスイリゲイション!」
その掛け声と共に、ハンスの鼻の周りを水の塊が覆ったかと思えば、すぐに口からザーザーと水が流れ出した。もしその水を舐めた者がいれば、それが生理食塩水だと分かったかもしれないが、そんな汚らしいことをする者は誰もいなかった。
やがて鼻の周りにあった水が全てハンスの口から流れ出すと、全身の痙攣は収まったようだが、相変わらず気絶したままだった。
「ハンスがこの状態だから、今日の探索は中止する。
トゥーラ、すまんがこいつを担いでくれ」
服リーダーはトゥーラなのだが、ラドックが指示をだし、パーティーの撤退が決まった。




