37 勇者討伐【ブレイヴ・ソード編8】
四階層目に来ると、今度は16頭のサンダーフォックスが柱の陰からゆっくりと姿を現した。前に8頭、後ろに8頭で挟撃されそうになっている。
サンダーフォックスは雷を纏った体長2mの狐だ。さっきまでは無音で身を隠していたのに、今はバチッ、バチバチッと体の周りに電撃を放ちながら、じわじわと近づいてきている。この魔物は、剣や槍で攻撃すれば攻撃者が即座に感電死するから、今度もまた剣士のハンスや槍術士のトゥーラには手が出せない。
そこでゼノビアが詠唱を始めたので、ユリはまず、自分とリザベルにだけこっそり防御結界を張って完全に保護する。リザベルを保護するのは、ブレイヴ・ソードの固定メンバーの中での末席で、新人不在のときには今のユリの立場でこき使われているだろうことが用意に想像できるのと、見た目こそユリより歳上だが、母性本能をそそる雰囲気があるからだ。男に媚びるような女なら捨て置くが、母や姉を求める娘は大事にしたいと考えていた。
二人に防御結界を張ると、次に防護スクロールを広げてキーワードを叫ぶ。
「プロテクション!」
スクロールは、一枚の羊皮紙にあらかじめ一回分の魔法を封じたもので、広げた状態で決められたキーワードを唱えることで発動する。使うのは魔法使いでなくてもよく、難しい詠唱も必要としないので、旅商人が身を守るために所持することが多いのだが、今のブレイヴ・ソードのように、ハンターパーティーの後衛が使ったりもする。
ユリが使ったのは防護魔法を封じたスクロールで、キーワードを言ったことで、スクロールに込められた魔法が発動し、防護障壁がユリたちを取り囲んで、サンダーフォックスが近づくのを防いだ。これでゼノビアが詠唱中に襲われるのを防ぐことが出来る。
「……雷を導き自らを滅せ、フロウィングウォーターリング!」
ユリにはあいかわらず詠唱の最後の部分しか聞き取れなかったが、ゼノピアがそう叫ぶと、サンダーフォックスを円環状の水流が取り囲んで、周囲に張った防護障壁との間にグリグリと押し付けた。
(ちょっと待って。それ、私が防護障壁を張ってなかったらどうすんの!
っていうか、破れかけてるって!)
スクロールの防護障壁は通常魔法の物理障壁であって、ユリが扱う次元魔法の防護障壁と違って、強い力を掛けると破壊されることがある。ユリがあわててスクロールの防護障壁の外側に次元魔法の防護障壁を張り直すと、その障壁の周りでびしょ濡れのサンダーフォックスが走馬灯のような姿で連なった。
バチバチバチバチバチバチンッ!
サンダーフォックスが、自身の発する雷で猛烈な火花を発して感電し、黒焦げになる様子を、ユリは唖然として見ていた。
(えっ?なんで?
これってもしかして、乾電池100個を直列繋ぎしたら爆発したみたいな奴?)
ユリは子供の頃に、学校で悪ガキがやった悪戯に巻き込まれたときのことを思い出していた。今にして思えば、あの悪ガキの悪戯もイオトカ君の影響だったのかもしれない。
ユリの考えは、実際、正しかった。サンダーフォックスは電気ウナギと同じように、体内で直流発電して、3万ボルトほどの電気を発生させている。電気ウナギとの違いは、魔力で発電していて遥かに高電圧な点と、体表で電離させたイオンを空気中に振りまいて放電しやすくしている点だ。そのサンダーフォックスを水で濡らして、16頭を円環状に繋いでやれば、48万ボルトになる。3頭が逆向きだったとしても30万ボルトだ。その電撃を食らったサンダーフォックスは、ひとたまりもないだろう。
黒焦げ死体がプスプスと煙を上げ始めた頃、スクロールの効力が切れて防護障壁が消えたので、ユリの次元魔法の防護障壁も解除した。一方、手に持ったスクロールは火で焼いたように灰になる。スクロールは使い捨てのマジックアイテムだった。
「ゼノビアさん、凄いです! あんなやり方、前から知ってたんですか?」
興奮したリザベルの質問に、ゼノビアが泰然として答える。
「昔、砂漠で縄張り争いをしていた猛毒の蛇が二匹、互いの尻尾を噛んで死ぬのを見たことがあるのよ」
(いや、そんなんじゃ思いつかないでしょ!)
「おい! 次に行くぞ!」
どうやら活躍の場がなかったハンスは、ご機嫌斜めの様子だった。
* * *
階段を下りながら、ユリは気になっていたことがあるのでリザベルに聞いてみた。
「リザベルさんって、防護魔法が使えるって聞いたんですけど、さっきみたいな場面では使わないんですか?」
「ええっと、私のはああいう広範囲のじゃなくて、ハンスさんの前に盾のような障壁を出せる程度なんです」
なんと、ハンス専用の防護係だった。
とすると、普段は暇なので、松明担当なのかもしれない。
「それじゃ、さっきのゼノビアさんの魔法は、防護スクロールを期待して使ったってこと?」
「いえ、多分、防護障壁が無くても、結果は同じだったと思います。って言うか、障壁が邪魔してたように思います」
「えっ? スクロールの無駄遣いだったってこと?」
考えてみれば、水の流れがあれば、魚は必ず上流に頭を向ける。サンダーフォックスも円環状の水の流れに逆らうように頭を向けていた。最初から全部のサンダーフォックスを直列繋ぎするつもりだったのなら、確かに防護障壁は円周を縮める邪魔をしていたことになる。
「分かってたんならスクロールを無駄遣いする前に言ってくださいよ」
「いえ、私も後になって分かっただけで、あのときにはゼノビアさんがどういう魔法を使うのか分かりませんでしたから」
* * *
階段で五階層目に降りると、全身が血に染まった四頭の大イノシシが現れた。ユリたちの周囲は明るく照らされているが、階段を降りきるまで階下のフロアには闇が広がっている。その暗闇から血だらけで姿を現すのは、完全にホラーだった。心臓に悪い。リザベルが悲鳴を上げなかったことに感心して見てみたら、彼女は完全に硬直していた。
こいつらはローズボアだ。全身を覆う血のようなねばねばした液体は強アルカリ性で、しかも猛毒がある。その液体を浴びると、皮膚にべったり張りついて皮膚と肉が溶かされて、体中に毒が回って死に至る。直接ローズボアに触れることが無くても、水に濡れた犬のように全身を震わせて、その毒液を飛ばしてくる厄介な魔物だ。
その特性を思い出しながら、ユリは思った。
(こいつら、ローズボアっていうよりブラッドボアよね。
誰よ、ローズボアなんて名前付けたのは)
困ったことに、こいつもまた、剣士のハンスや槍術士のトゥーラには手が出せない。そして今度もまたゼノビアが詠唱を始めたので、ユリは、今度は防御スクロールを広げる振りをして、裏紙用に取ってあった羊皮紙を広げて、(本物のスクロールではないので)無意味なキーワードを叫ぶ。
「プロテクション!」
当然その効果はないが、ユリは同時に次元魔法で防護障壁を張って、パーティーの安全を確保する。防護障壁を張った瞬間、二頭のローズボアが突進して障壁に激突し、その二頭がその場で昏倒した。透明な防護障壁には、二頭が体当たりしたことで、べったりと血のような液体が張り付いている。
「……遍く獣を凍てつかせよ、フリージングウィンド!」
毎度のことながら、なぜか分からないが、ユリには詠唱の最後の部分しか聞き取れないのだが、ゼノビアがそう叫ぶと、周囲にダイヤモンドダストのようなキラキラとした風が巻いて、ローズボアが動きを止めたかと思えば、たちまち白い粉を吹いて硬直して、そして……
ボンッ!ボンッ!ボンッ!ボンッ!
倒れていた二頭を含めた四頭すべて、次々に腹部が破裂して瓦解した。そして四頭の死体と内臓は、斜面となっている床を低い方へとずりずりと滑り落ちて行ったのだった。
(えっ、何この魔法!怖!)
動物の死体に片側から冷風を当てて凍らせていくと、ごくたまにだが、凍っていない中身が反対側に押し出されて、内圧で破裂することがある。ゼノビアの魔法はそれを意図したのかどうか不明だが、結果的にそうなったのだった。
ユリがスクロールの魔法効果が切れる時間を見計らって、次元魔法の防護障壁を解除し、手にしていたスクロール代わりの裏紙用羊皮紙を魔法で燃やして灰にしていると、ハンスが悲鳴を上げてのたうちまわり始めた。
「ギャー! てめぇ、何やってやがんだ!
ポーションを早く! 早くよこせ!」
ハンスは外側が血まみれになっている防護障壁に張り付いて、食い入るようにしてローズボアの様子を見ていたため、防護障壁が消えたとたんに、そこに張り付いていたローズボアの毒液を頭から浴びたのだった。
(うぁああ、馬鹿だ、こいつ)
ユリは、その感想を噯にも出さず、手荷物から解毒ポーションと治癒ポーションを取り出すと、地面に転がっているハンスの毛髪と頭皮が溶けて出血し始めていたところにジャバジャバと振りかけた。それで出血は止まり、頭皮までは修復したが、残念なことに禿げたままだった。だがそのままだと、この我儘男はダンジョン探索を中止しかねないので、ユリは、こっそり治癒魔法を使って、ハンスの頭髪も元通りにする。
「いやぁ、危ないところでしたねー。もう少しでリーダーさんが、つるっつるのつるっ禿になるところでしたよ」
ユリがそう言うと、ハンスは起き上がって、慌てて自分の頭髪の有無を確認し、大きく安堵した様子が見て取れた。
「これも飲んでおいてください」
そう言って体力回復ポーションを渡す。ハンスは朝方にユリの荷物から盗んだポーションを腰に付けていたが、パーティー全員でいるときは、支援はユリの役目とされているので、新たに渡すことにしたのだった。
ちなみに回復ポーションには、和製ファンタジーによくあるHP回復ポーションやMP回復ポーションに相当する、体力回復ポーションと精神回復ポーションがあるが、この世界ではHPとかMPとかの数値が目に見えることはないし、そもそもHPやMPという概念や用語がない。このポーションはただの栄養剤だ。
防護障壁が消えた後は、周囲のダイヤモンドダストからより濃くなった霧と冷気がユリたちの周りに漂い始め、暫くの間視界が遮られた。
「ではお気をつけて」
耳元でアトラーパの声が聞こえたので振り返るが、何も見えない。
ガサッ!
ダダッ、ダダッ、ダダッ、ダダッ、ダダッ、……
大きな音がした後に、何か獣が走っていくような音が聞こえたが、ユリが、魔法で探索すると、アトラーパが器用な走り方で去っていくのが分かった。
(さて、ここからはひとりですか。もうひと踏ん張りしますかね~)
貴重な味方が去って、決意を新たにするユリであった。
* * *
「新人の男が魔物に攫われただと!」
霧が晴れて、辺りが見えるようになると、アトラーパが荷物を置いて消えたことが発覚して、ハンスが怒り狂った。ご丁寧にも、アトラーパが立っていた辺りに、結構な量の血痕が残されている。
(芸が細かいわね)
「ゼノビアさんが四頭倒して、アトラーパさんは気が抜けたところを襲われたんじゃないでしょうか?」
「うーん、魔物の気配は感じなかったんだけどなー」
リザベルとベックが意見を言うが、ラドックが無視して発言する。
「原因なんかどうでもいい。今はあの新人がいなくなったことで、奴が運んでいた荷物をどうするかが問題だ」
アトラーパが持っていた荷物には、八人分の毛布や水や食料などが入っていて、一人で持つには困難な重さがあった。さすがにユリに全部持てということはなく、基本的に各自で自分の分を持つことになったが、ハンスとゼノビアは『前衛だから』という理由で、その二人の荷物はユリが持たされた。ゼノビアって前衛か?とか、それならトゥーラこそ前衛だろとか、言いたくもあったが、ユリは黙って引き受けた。どうせ二人がズルしたかっただけだろうし、荷物はアイテムボックスに入れて、ばれないように荷袋は風船で膨らませて運べばいいので、荷物持ち自体は楽勝だ。




