32 勇者討伐【ブレイヴ・ソード編3】
「たのもーー!」
ブレイヴ・ソードが拠点としているという屋敷の正面玄関の前に立ったユリは、大声で声をかけた。
「…………」
普通、これぐらい大きい御屋敷ならば、使用人のひとりくらいは顔を出しそうなものなのだが、ユリの声に返事はおろか、何の反応もない。
「誰かいませんか~?」
「…………」
大声で問い合わせても、うんともすんとも応答がない。
「ここには呼び鈴も、ドアノッカーもありませんね。
『みっちゃん、あ~そ~ぼ~!』みたいな科白の方が良かったんでしょうか?
これで中で全員死んでたら、笑っちゃいますね~」
危険と隣り合わせのハンター相手にそんな笑えないボケを言っても、誰一人ツッコミを入れてくれないことに、少々苛立ちを覚えてきたユリ。
「この際ですから、殴り込みでもかけちゃいましょうか? あ~、でも、殴り込みのときの恰好いい科白って何かありましたっけ?」
ユリが見たことのある時代劇では、投げ銭する岡っ引きでも、自由奔放な将軍様でも、なんとか侍とかでも、悪党の塒に単身で乗り込む者たちは、みんないつの間にか屋敷の中に入り込んでいて、奉行所ならばともかく、個人が名乗りを上げて殴り込む姿は見た覚えが無かったのだった。
「まぁいっか」
目的を見失ったユリが、そう言って扉に手をあてて、体重をかけて力いっぱい押し開こうとすると、何の抵抗もなく、あっさりと開いてしまった。
「おっとっと」
ユリは、勢いあまって、たたらを踏んで足を踏み入れてしまう。
「見るからに下品な金持ちの屋敷なのに、なんて不用心な。
入っちゃいますよ~~」
そんなことを小声で呟きながら、広いエントランスに入り込んで、辺りを見回してみても、誰もいないし、誰も出てこない。
「物音ひとつしないけど、幽霊屋敷ってことはないですよね?
西洋屋敷の幽霊とか霊体って、どんな登場の仕方でしたっけ?
こんなことなら、お塩を持って来るんでした」
ユリの『幽霊には塩』というのは、日本文化の誤った認識によるもので、本来、清めの塩というのは、神道において土地や空間を清めるためのものだ。仏教やキリスト教ではそういった教えはない。塩害の要因でもあるため、呪いの儀式に使われることさえある。ただし、西洋でもユダヤ教では神道と同じように、清めの象徴とされているので、全くの間違いというわけでもなかった。
ユリは、多少のカビ臭さや腐敗臭を感じたので『幽霊屋敷』などと言ったが、掃除は行き届いていて埃も積もっていない。ユリは、ブレイヴ・ソードが暫く王都を留守にしていたことによるものだろうと自分に言い聞かせ、屋敷の中を見て回ることにした。その時『不法侵入』という言葉は、ユリの頭から完全に抜け落ちていた。
ユリが屋敷の前で大声を上げていたのを、大勢の通行人に見られていたが、その後、内開きの扉に吸い込まれるように入っていったのが見えたので、不審に思われなかったのは幸いだった。
「誰かいませんか~」
各部屋のドアを開けるたびに、そうやって声を掛けているが全く返事がない。
そうやって、五番目の部屋に入ったとき、住人たちの姿を発見した。
「あれ?」
部屋の中央に長テーブルがあり、それを六人分の椅子が囲んでいる、いわゆる食堂だった。テーブルの上には、食い散らかした食事の跡や酒瓶や酒を飲むのに使ったらしき器が散らかっており、テーブルに突っ伏した人間や、床に転がった人間が、全部で六人いた。
「殺人現場キターー!!」
つい大声を上げてしまったが、すぐに冷静さを取り戻したユリが現状の考察をする。
「ええっと、これは極めて危機的な状況です。このままでは、第一発見者の私が疑われてしまいます。
それよりなにより、冒険譚の山場になるターゲットがここで死んでたら話になりません! 編集担当に全力でラリアット咬まされちゃいます」
相変わらずのユリであった。
「たしか、昔読んだ推理小説では、毒殺現場を発見した男が、青酸カリを飲まされた若い女性に、マウスツーマウスで人工呼吸しようとして、青酸ガス吸って死ぬとかいう間抜けなことしてましたからね。同じ轍は踏みませんよ」
推理小説で毒としてよく使われる青酸カリの即効性は、それを飲み込んだときに、胃酸によって遊離した青酸ガスを『ゲップ』したのを肺に吸い込んで、一気に体内に吸収されることによるものだ。小説では「アーモンド臭がする」と書かれているものが多いが、その臭いを確認できた時点で死に至る恐れがあるので、絶対にその臭いを確認してはならない。ちなみに、ユリが子供の頃に読んでいたのは祖父が持っていた昭和の中頃に出版された本で、それには「巴旦杏の臭い」と書かれていて、当時のユリには何の臭いなのか全く分かっていなかったのだった。
足元に倒れている女性の首筋に指をあててみるが脈がない。唇は青く変色して息をしていないし、瞼を開いてみれば、白目が燻んで血走って瞳孔が開いていて、完全に死んでいる。他の五人の男女も順に調べたが、全員こと切れていた。
「まったく、何てことしてくれるんですか!
冒険譚の読者に私はどう言い訳したらいいんですか!
悪党だったら、死ぬときは派手に死んでくださいよ!
仕方ありません。警備兵に連絡を入れますか……」
そう言って小走りに屋敷を出ると、ここに来る途中にあった警備兵の詰め所に駆け込んで、事件の発生を知らせた。
「大変です! 大事件です!
この先の屋敷で、ハンターパーティーのブレイヴ・ソードのメンバー全員が殺されてます!」
「「「「なにーーっ!!」」」」
すぐに数人の警備兵を連れた小隊長と共に、駆け足で現場に向かうと、屋敷の前を行き過ぎそうになったので、慌てて呼び止める。
「待ってください! この屋敷です!」
* * *
「この大馬鹿野郎!!」
屋敷に入った小隊長が、現場を見るなり、ユリに大きな雷を落とした。
「私は野郎じゃありません!」
「うるせー、このバカ娘が!
なにがブレイヴ・ソードが屋敷で全員殺されてるだ。
いい加減なこと言いやがって」
「えっ、まさか、あんなんで生きてるんですか!?」
「そうじゃねー! ここはグレッグ商会の会長の屋敷で、そこで死んでんのは会長とその家族だ!」
「えええっ!? ここブレイヴ・ソードの屋敷じゃなかったんですか?
だって、ほら、ハンターギルドで紹介された地図で、そうなってますよ」
そう言って、ハンターギルドで渡された地図を見せると、小隊長が呆れたように答えた。
「はぁぁぁ、お前なぁ、略図だから分かりにくかったのかも知れんが、剣の館があるのは、もう一本向こうの通りだ。あんな見てすぐ分かる、使いっ走りの子供でも絶対に間違えようのないもんを、よく間違えたな。むしろ感心するぜ」
「え~~っ、屋敷の趣味が悪いから、絶対に合ってると思うじゃないですか」
ユリは、ブレイヴ・ソードのメンバーが聞いたらタコ殴りしてきそうなことを、平気で言ってしまう。
小隊長は、何か可哀そうなものを見る目で、ユリに問いかける。
「なあ、お前、あの六人がハンターに見えるのか?
そのうちの二人は、どう見たって年寄りだろう。
服装だって違うよな?」
「そんなこと言ったって、私はブレイヴ・ソードのみなさんの顔を知りませんし、魔術師なら年寄りにだって勤められますから、こういう人たちだったのかなーって。服だって、休みの日なら何着てたっていいじゃないですか」
そのとき警備兵のひとりが、小隊長に報告を入れに来た。
「ゴードマン小隊長、死因は全員毒殺です。昨晩のうちに死亡したものと思われます」
またひとり、報告をしてきた警備兵がいた。
「小隊長、屋敷の中に使用人たちの姿がありません。使用人部屋の荷物もいくつか無くなっているようなので、全員逃亡したものと思われます」
そしてまたひとり。
「小隊長、屋敷の地下室に、五人分の白骨遺体がありました。ひとつは頭蓋骨が割られていて、死後10年は経っていると思われます」
(こ、これは大事件の予感が。あぁ、ブレイヴ・ソードなんか放ったらかして、こっちの捜査に参加したい!)
ユリの思いをよそに、小隊長にハンターギルド証と、斡旋証書を見せて自分の身元を明らかにすると、ブレイヴ・ソードに雇われる予定のユリをいつまでも足止めするとまずいと思ったのか、屋敷からさっさと追い払われてしまった。
ユリは、仕方なく屋敷をでて、本来の目的地に向かうしかなかった。
* * *
例によってラッシュ・フォースの四人はユリの跡を付けてきていた。
ユリがどういうわけか関係ない屋敷に入って行き、暫くしたら飛び出してきて警備兵数人を連れて戻ったと思えば、いくら待っても出てこない。心配になったので、ジェイクが屋敷の表に立った警備兵に事情を聞きに行ってきた。
「ユリが『ブレイヴ・ソードが屋敷で全員死んでいる』といって駆け込んできたので、来てみたら、実際はグレッグ商会の会長の屋敷で、死んでいたのも会長の家族だったそうだ」
「まったく、あのバカ」
「まぁ、あの子らしいわね」
「ユリさんは、相変わらず困ったことですねぇ」
「それで、ジェイク。ユリはどうしてるって?」
「疑いは掛けられていない。発見時の状況の聞き取りと、身分確認が終わったら開放すると言っていた」
「そうか、ならまぁいいか」
そんな話をしていたら、ユリが屋敷から蠅のように追い払われて出てきて、トボトボとブレイヴ・ソードが屋敷に向かうのが見えた。
* * *
ユリが小隊長に教えられた場所に来てみれば、本当の剣の館もまた、上級平民の住宅街に構えられた、庭のない、建物だけの下級貴族の屋敷だった。ただし、見た目は全然違う。
「ああ、これは確かに、小隊長さんが言うように、間違えようがない建物ですね。受付のお姉さんが、この見た目を言ってくれれば、私だって間違えなかったのに。
たしかにこれは『剣の館』です。
ブレイヴ・ソードのみなさんは、やっぱり厨二病なんですね」
屋敷を見上げていたユリが呆れて、厨二病だと断言するのも無理はない。その屋敷の屋根の縁には、剣先を上にした大小さまざまな無骨な青銅の剣が、約1m間隔でぐるりと取り付けられていたうえに、二階から上の全ての窓の両脇にも斜め上に向けた剣が何本も生えていたのだ。はっきり言って病的で、美的センスの欠片もない。
「あれって、そのうち錆びて落ちてきて、誰か怪我するんじゃないの?
やっぱり館の主がアホなんですかね~」
そう言って、屋敷の扉の前に立つと、ここもまた呼び鈴もドアノッカーもないので、改めて大声で言った。
「たのもーー!」




