01 達磨さんとの出会い
謎空間で目覚めたユリは、意識の後ろから声を掛けられた。
「糊鹼龥驪燐よ、聞くがよい」
「きったーーー!!!」
(これは話に聞く、異世界転生に違いないわ!)
よくある展開に、ユリが胸をときめかせて背後に首を……向けられなかったので、意識だけを向けると、そこには真っ白な口髭と真っ白な頬髯と真っ白な顎鬚でつくった真っ白な毛玉に皺だらけの顔が埋まった達磨さんがいた。
「ちょっと待ってよ! 金髪碧眼のイケメンじゃないんかい!
なんで爺さんなのよ! 人生の最期くらい、いい男拝ませてよ!」
「失敬な娘じゃな」
「で、あんた誰なのよ。
一般人の相手してるってことは、神様の役所の下っ端業務の使徒?」
「……つくづく失敬な奴じゃな。
そんなややこしいもんは、この世にはおらん。
儂は、お前さん達からしたら神様みたいなもんじゃな」
「自分で自分のことを神様だなんて、な~んか胡散臭いわね~。
言っとくけどね、力や権力があるくらいじゃ、神とは認めないわよ!」
「ほぅ、威勢がいいの」
「でっ、あたしはなんで死んじゃったの?
ブラック企業勤めで過労死した覚えもないし、道路に飛び出して『異世界トラック』に跳ねられた覚えもないし、崖から足を滑らせて落ちた覚えもないし、オタクと一緒に乗った飛行機が墜落した覚えもないし、コンビニで暴漢に襲われた覚えもないんだけど」
言い終わってから、肥溜めに頭から落ちたとか、崩れてきた本の重さで圧死したとか、ピーカンの空の下で雷に打たれたとか、神様の手元が狂って殺されたとか、生贄にされて首をはねられたとかの例も思い出したが、付け加えていくと終わりがないのでやめた。
全然相手の言うことを聞かず、勝手なことを言い続けるユリの話を、達磨さんが呆れながら聞いていた。達磨さんは「神様みたいなもん」なので、ユリが口に出さずに考えていたことも、全て聞こえていたが、ユリの思考が落ち着くと、ユリの間違いを指摘した。
「何を言うておる。お前さんはまだ死んどらんぞ。
お前さんの肉体は今、病院のベッドでのんびり寝ておる」
「なんだ~、脅かさないでよ~。
……あれ? いま『まだ』って言った?」
「よくわからん管がたくさん繋がっとって、意識不明の昏睡状態じゃ」
「超ヤバいじゃん!」
「心配いらん。
泥酔して公園のベンチで寝ておったのを通報されて運ばれただけじゃ。
死にはせん」
「本当? ねえ、本当に本当? そんなんでチューブだらけになる?
ん~~、急性アル中かな? 私そんなに飲んでたっけ?
病院に会社の上司とか呼ばれたらやだなぁ~」
「なに、今のところお前さんは身元不明じゃから呼ばれんよ。
公園で寝てる間に、バッグとか貴重品とかが、全部盗まれたようじゃな。
ついでに指輪も盗まれとる。
病院の検査で薬物反応が出たから、警察も呼ばれとる」
実はブラジャーも盗まれていて、警察への通報は「公園のベンチで、胸をはだけて、おっ〇〇丸出しの変態女が寝てる」という迷惑防止条例違反の告発だったので、その時点で警察が来ているのだが、達磨さん(神様)はそういうものに興味がなかったのか、話がややこしくなるのが面倒だったのか、どうせ目覚めれば分かることだからと、細かい話はスルーしていた。
「ちょっ、薬物反応って何よ!?
私、違法薬物なんてやってないわよ! 冤罪よ!!
こんなことしてる場合じゃないでしょ!!
さっさと起こしてよ!!」
「まぁ焦るな。
薬物は知らん間に盛られたものと警察は考えとるから心配いらん。
盛った犯人は既に捕まっておるしの」
「なんで私が身元不明なのに犯人が捕まってるのよ?」
「奴は飲み屋で働いとった小僧でな、お前さんの他にも被害者がおったので、それで捕まっとった。隣のテーブルにいい女がおったろう。奴はその女に薬を盛ろうとして、間違ってお前さんに飲ませてしまったんじゃな。その後、改めてその女に薬物入りの酒を飲ませたんじゃが、仲間が異変にすぐ気が付いて救急車を呼んだんで、お前さんと同じように薬物が見つかって警察が呼ばれてな。飲み屋の小僧の客のあしらいが色々と怪しかったことを、女の仲間が警察に伝えとったから、それですぐに奴が捕まったのじゃよ」
「あ~、あいつか~、私も何か怪しいと思ってたのよね~。
だったら尚更、起きて話さなきゃいけないでしょ」
「どうせお前さんの体は、薬が抜け切るまでは起きられん。
折角じゃから、この機会に、お前さんに教えておくことがある」
「なによ、それ。勿体ぶらないで、さっさと言いなさいよ!」
「実はな、お前さんが生まれるときのことじゃ。
お前さんは両親によって、特殊な力を与えられたのじゃよ。
いや、正確には、お前さんの両親が神々を怒らせてな、その因果の報いを受けたのじゃ」
「なになにっ!
私ってスキル持ちだったの!?
報いって言い方が気になるけど、ねぇ!何をくれたの!?」
「『イリーザ・オーロン・トン・カコン』じゃ」
「イリーザ、ポロンと加工? 何それ、なっがい名前ね~。
イリーザちゃんのおっぱいポロンの画像加工するスキル?」
「違うわい!
『イリーザ・オーロン・トン・カコン』じゃ!
特定の事物をどうこうするというものではないので、説明は難しいがの」
「お爺ちゃん、自称神様なのに情けないわね~。
本当に神様なの?
説明できないのに、なんでそんなこと教えに来たのよ」
「お前さんは両親から愛されておらん」
「はぁぁぁ!?
急に話を変えたかと思ったら何言ってんのよ!
ふざけんじゃないわよ!
そのモジャモジャヒゲ全部引っこ抜くわよ!」
「親から龥驪燐と名付けられて、疑問に思ったり不満に思ったことはなかったかのぅ?」
「放っといてよ!!
腹立つこと思い出させないでよ!
試験やらなんやらで、フルネーム書くのに毎回々々111画もあるのよ。
ちゃんと数えたんだからね、111画。
信じられる? 111画よ? 111画!
しち面倒くさいったらありゃしないっての!
でもね、『ひらがなだったらよかったのに』とは嫌ってほど思ったけど、それだけよ!」
「ほぉ」
「大体ね~、小学校の学年が上がって、名簿がひらがなから漢字に変わったときに文字化けしてたのよ。信じられる?
黒塗りされたみたいに『糊 』と三つの黒四角と『燐』(糊■■■燐)ってなってて、みんなに笑われたの!
担任教師まで『コリンちゃん』って言って笑ってたのよ? 許せると思う?
あいつ、私にユリって通称使わせてくれなかったくせに、そんなふざけたこと言うから、教育委員会に文句言ってやったわ」
「ふむ」
「その名簿は学校に直してもらったけど、それだけじゃないわ。
習字の時間に自分の名前を書くとね、画数が多いもんだから、真っ黒け(■■■■■)になるのよ。
それでクラスメイトに『まっ ■ ■ すけだー!!』って言われたの。
習字の先生は、次からはひらがなの『ゆり』やカタカナの『ユリ』でいいって言ってくれたけど、恥ずかしいったらなかったわ」
全然「それだけ」ではなかったようだ。
「この際じゃ。お前さんの両親が、お前さんの名を決めたときの様子を見せてやろう」
ユリの終わらない話を断ち切るように達磨さん(神様)がそう言うと、空中に若い男女が会話している映像が現れた。
それを見たユリは、その映像に写る男女が誰なのか、すぐにはわからなかった。しかし、見覚えがある。誰だっけ?あれはたしか、つい最近箪笥の裏に落ちているのを見つけた、昔の定期入れだ。
ユリの家にはなぜか写真アルバムがなかったし、スマホにも昔の写真がなかった。だから、ユリが見つけた定期入れには、男女の姿が映ったプリクラが張られていたが、それが誰だかすぐには分からなかった。二十歳の誕生日に現れた両親とは、言われなければ分からないぐらいの別人だったからだ。しかし、面影はあった。両親だと思い至ったときに、あまりの外見の違いに衝撃を受けたので、印象に残っている。
そして、達磨さん(神様)が見せた映像に映っていたのは、プリクラに写っていた両親の姿だった。
父「こいつの名前よぅ、ユリリンにしようと思うんだ」
母「ユリイン?」
父「ユリリンだよ! ユリリン! こう書くんだ」
そう言って、大きく「龥驪燐」と印刷された紙を見せた。
昔なら、命名は半紙に毛筆で書いて見せるものだったが、この男がA4紙に印刷したものを使ったのは、自分で書くことが無理だったからだろう。この時代にスマホがあれば、この男はスマホで済ませたに違いない。
母「ん~~~夜露死苦みたいな?
『世界にひとつだけの黒い花』って感じでいんじゃない?」
父「黒じゃねぇよ。金で刺繍するんだ。
ちゃ~んと意味だってあるんだぜ。
ユダヤ教にはリリンって悪魔がいんだってよ。
龥って字は神様を呼ぶときに使う字でな。
これで『リリン召喚』って意味さ」
それは完全に間違った解釈だったが、目の前の映像にその間違いを指摘する者は現れない。
母「わぉ!ヘビメタね」
父「ちゃんと画数も考えて決めたんだぜ」
母「そうね~、書いてる途中で息切れしそうな字よね~」
父「実はよ、龥より6画多い籲って字もあったんだ。
でもよ、糊鹼龥驪燐なら111画だからこっちにしたんだ。
6回書くと666画だぜ? 悪魔が呼べちまうぜ!」
母「すっご~い! あんたってば天才ね♡♡」
そうだ、ユリの本名は両親が付けたのだ。
1948年の戸籍法改正以降、戸籍に記載できる漢字は大きく制限され、その後何度も改正されて、ユリの出生届で「糊鹼龥驪燐」のうち、使っていいのは「糊」だけだったはずだが、まだ電子化される前のことで、窓口の担当者が老眼で仕事がいい加減だったため、そのまま登録されてしまっていた。戸籍や住民票が電子化された後、役所から字体の変更要請が何度か出されていたらしいが、ユリには届いていなかった。成人前の事だったので、両親が握り潰していたのだ。
将来的には、戸籍の名前は「フリガナ」が登録対象となって、漢字表記は付帯情報で画像で記録される可能性も無くはない。そんなことになれば、ユリと同じような苦労をする者が激増するだろう。そのときに、ユリの両親が出生届を出すとしたら、カンナダ語の「ಯೂರಿ」やマラヤーラム語の「യൂറി」なんて字で登録するに違いなかった。
達磨さん(神様)は、両親の凄まじく馬鹿っぽい会話を聞かされたユリが、少しは呆れた反応することを期待していたが、ユリの反応は違った。
「すっご~い! パパってば天才ね♡♡」
「喜ぶところではないと思うがの」
「嫌味に決まってるでしょ! ……って、これ盗撮じゃん!」
「盗撮ではない!
神にはすべての過去が見えておるのじゃ!」
神にはすべてお見通しなのに文句いうだけ無駄だろう。
「でぇ? 結局、あたしに何が言いたいわけ?」
「親が子にふざけた名前を付けるのは虐待じゃ」
「そんなの、この馬鹿親たちに言ってよ」
「そしてな、他人の飲み物に薬物を盛るのは犯罪じゃ」
「当たり前じゃない!」
「道端で寝ている者の持ち物を盗むのも犯罪じゃ」
「だから何なのよ! それ全部、被害者が私なんですけどぉ!」
「お前さんの家の近所の年寄りがカバンを引っ手繰られてな」
「それは私と関係ない」
「そうでもないんじゃ」
「はぁ~~~?」
「すべて、お前さんが受けた激レア能力、『イリーザ・オーロン・トン・カコン』によるものなのじゃよ」
「……はあっ??」
「例えばじゃ、『電車でお前さんの隣に立つと、尻を撫でずにはいられなくなる』ような力じゃ。男女関係なく発動するぞい」
「ふざけないでよ!
痴漢はされた方に問題があるみたいなこと言ってんじゃないわよ!」
「そうではない。
『誰かの』尻を撫でずにはいられなくなるのじゃよ」
「言ってることがわけ分かんないんですけどぉ~」
「お前さんに関わる者は、多かれ少なかれ悪事を働かずにはいられなくなるということじゃ。
そこにいるのがお前さんだけなら被害者はお前さんになる。そして、対象が他にもいれば、その限りではない」
「…………、ねぇ? ちょっと教えて欲しいんだけど。
私の住環境や職場との巡り合わせって、もっのすご~く悪いの。
それって、もしかして、全部そのせいだったりする?」
「全部ではないが、ほぼ全部がそうじゃな」
「私の両親が悪いことしたのも?」
「それはこの力を受ける前のことじゃから関係ないのぅ」
その頃、ユリの予感が、ガンガンに警鐘を鳴らし始めていた。
「……ひとつ確認したいんだけど。
それって日本語で言い換えられるんじゃない?
てか言い換えてくれない?」
「ふむ、『諸悪の根源』じゃな」
「んにゃ~~~!!
ユ~リア~~~!!!」
時系列は以下のとおりです。
ユリの両親が殺人を犯す
→ 直後に母がユリを受胎
→ ユリに「諸悪の根源」スキルが備わり、その影響が始まる
→ 両親がユリに最悪な名前をつける
→ ユリが生まれた直後に事件が発覚し、両親逮捕
→ 両親共に懲役20年の判決。2年後に確定
→ 両親が模範囚として18年目に仮釈放
→ ユリの20歳の誕生日に両親が顔出しだけして去る
→ ユリ20歳で短大卒業して就職
→ 5年間で4回転職
→ ユリ25歳のとき、居酒屋で薬物を盛られる
→ 帰宅途中で昏睡
→ 盗人Aにバッグとスマホを盗まれる
→ 盗人Bに指輪を盗まれる
→ 盗人Cにブラを盗まれる
→ 通行人に通報されて病院へ運ばれ、薬物反応がでる
→ 夢の中で達磨さんに出会う