一人じゃないから
「水原さん!次教室移動らしいですよ。一緒に行きませんか?」
休み時間、緑川葉子は隅の席に座っている少女に明るく話しかけた。
「…あなたに言われなくても分かってるわ。」
声をかけられた少女は葉子に目を向けることもなく、そう冷たく言い放って教室から出て行こうとした。
「あ、水原さん!」
葉子はついていこうと声をかけるが、振り返った相手の少女のきつい視線に思わず立ち止まる。その間に少女は、次の授業がある教室へとさっさと歩いて行った。
「葉子!私らもそろそろ移動しないと」
「…なかなか手強い相手のようね」
「花琳さん、水波さん…」
金髪でスカートを非常に短くした不良女(と、あだ名される)・赤羽花琳と、対照に肩にかかる黒髪をおろした落ち着いた雰囲気の生徒会長・青井水波が葉子に話しかける。
「それにしても、葉子よく頑張るよね」
「ホント、私なら心折れちゃいそう」
さらに二人の少女が彼女の元へとやってくる。高校生ながら小学生のような外見の黄谷雷亜と、全くモテない美少女・桃山愛里だ。
「雷亜さん、愛里さん…。…いいえ、自分で決めたことですから。私…やっぱり水原さんを追いかけてきますね!」
そう言って、葉子は走って教室を飛び出した。
「…ホント、『氷姫』に対してよくやるわ」
「愛里!あんたその言い方…」
「ごめんって!ついちょっと…」
花琳にたしなめられ、愛里は決まりが悪そうに下を向いた。
『氷姫』。葉子が必死に声をかけていた少女・水原氷奈は三日前にこのクラスに転校してきて早々、このようにあだ名された。薄い灰色の髪に色白の肌、冷たい眼差し、そしてあらゆる人間を拒絶しようとする態度…。雪女のようだとも言われている美しい少女は、葉子に限らず誰とも打ちとけようとせず、クラスの中ですすんで孤立していた。
「あんなに人を拒むなんて…。やっぱり病弱だからってことでいろいろあったのかな?体育も受けられないし…」
「そうかもしれないわね。だけど、放っておくことは…」
「分かってるよ、水波。ま、今は葉子に任せてみていいんじゃない?…って、そろそろ行かないと本当にまずいんじゃ」
「そうね、行きましょう。」
四人は小走り気味に次の教室へと向かった。
――――――
「水原さん!私今日図書委員の仕事お休みなんです。一緒に帰りませんか?」
相変わらず、氷奈は葉子の言葉など気にせず、黙々と帰り支度をしていた。
「そうだ、昨日新しいクレープ屋さんがオープンしたって愛里さんが言ってました!もしよければ…」
「…いい加減にして」
氷奈が手を止めて、葉子を睨みつける。
「………水原さん?」
「一体何が目的なの?もう私にかまわないでくれる?」
「目的なんて…。私はただ、水原さんと仲良くなりたいだけで…」
「私は一人でいたいの。分かったらもう話しかけないで」
「………嫌です」
葉子は氷奈の目を見てはっきりとそう言った。
「え?」
「一人でいたいって…それは水原さんの本心ですか?」
「…当たり前でしょ。何言ってるの」
「じゃあ、なんで一人でいるとき、悲しそうな表情してるんですか?」
「してないわよ…。勝手なこと言わないでくれる…」
「本当は、みんなと仲良くなりたいんじゃ…」
「あんたに何がわかるっていうのよ!」
珍しく大声を上げた氷奈の様子に、教室中が静かになる。
「水原さん…」
「……私だって…」
俯きながら発せられたその言葉は、誰にも聞こえなかった。氷奈の顔には、葉子の言うように悲しみの色も見られる。しかしそれは一瞬のことで、きっと顔をあげ、自らの荷物を葉子にぶつけると、すたすたと教室を出て行ってしまった。
あまりの出来事に呆然として、誰も動くことが出来なかった。氷奈の歩くスピードは決して速くなかったが、彼女はすでに曇り空の下に消えていた。
「…これ、届けてあげるんでしょ」
しばらくした後、花琳が落ちた氷奈の鞄を拾いあげて言った。
「花琳さん…」
葉子は弱々しく答えるも、氷奈の鞄を受け取ろうとはしなかった。
「私…やっぱり間違ってたんでしょうか…」
「え?」
「私はずっと一人でいて…それでも仕方ないって思ってました。でも、花琳さん達と話すようになって、仲間になれて、私…知ったんです。誰かといる喜びを。…それを、水原さんにも感じて欲しいなって思って頑張ってたんですけど…やっぱり、迷惑だったでしょうか…」
葉子の眼鏡の奥の瞳は、自信なさげに揺れている。
「…あんたが諦めてどうするの」
「花琳さん…?」
「あの娘から悲しみを感じ取ったあんたが諦めてどうすんの。葉子が一番、あの娘のこと分かってあげられるんじゃないの?…それに、自分で決めたこと、でしょう?」
「………そう…ですよね。私が諦めたら、ダメですよね!…ありがとうございます、花琳さん!」
いじめられていた自分を、助けてくれた人。仲間として受け入れてくれた人。そんな彼女の言葉を受け、葉子は再び明るさを取り戻した。そして、花琳から氷奈の荷物を受け取ると、それを両腕で抱えて教室から走り出した。
葉子が氷奈を探していた、その時。
「何…何なの?!」
氷奈の声が聞こえてきた。そして同時に、
(これは…妖気?! 水原さん!)
葉子は足に力を込めて、妖気が漂う方へと向かう。
たどり着いた先には、5メートルほどの大きさの、白いスライムに手が生えたような怪物…魔物。町の人々へと無差別にその手を伸ばしている。人々が悲鳴をあげて逃げ回るなか、氷奈は足がすくんでいるのか、じっと魔物を見つめたまま、その場に立ち尽くしていた。
「水原さん、危ない!」
氷奈の方へと伸びた手が彼女に触れる寸前、葉子は彼女に体当たりしてその攻撃を避けた。
「水原さん、大丈夫ですか?!」
地面に倒れこんだ氷奈へと声をかける。
「緑川さん…?」
「水原さん、早く逃げてください!ここは私が何とかします!」
「何言ってるの…。あなたに何ができるっていうのよ」
「私は、大丈夫ですから…。だから、早く!」
それでも氷奈は、まだ動こうとしない。いつの間にかその場から人々は皆去っており、残るは葉子と氷奈だけだった。魔物はターゲットを探そうとキョロキョロとしている。
「あんた…なんでここまで…」
「私は…一人で辛そうにしている水原さんを、放っておけないだけです」
葉子は優しくそう言うと、しゃがんで氷奈の両手を自分の両手で包み込んだ。
「私も…本当は怖いんです。誰かと交わること。裏切られて、傷ついてしまうんじゃないかってびくびくして、それならいっそ一人でいた方がいいんじゃないかって、ずっと、そう思ってました…」
「…緑川さん…」
葉子の言葉に、氷奈は自らを重ねた。昔から病弱で、学校を休みがち。激しい運動をすることもできない。そんな自分に、最初は優しくしてくれていた級友たちも、次第に離れていくようになり…。いつしか氷奈は、どうせ捨てられるのならば、と自分の心に鍵をかけ、孤独を貫こうとするようになっていた。
「でも、それだけじゃないって…教えてくれた人達がいるんです。誰かと触れ合うことは怖いことかもしれない、けど、温もりも感じられるんだって」
葉子は握る手に力を込める。
「だから、今度は私があなたに教えてあげたい…。人の温もりを。そして、一人じゃないって…味方がいるって、感じて欲しいんです」
そこまで言うと、先ほど落ちた氷奈の鞄を拾いあげ、彼女に手渡す。魔物は二人に気付き、ゆっくりとこちらへ近づいてきているようだった。
「さあ…とりあえず、今は逃げてください」
葉子は立ち上がり、魔物に向き合う。
「………もう…いいわ…」
「え?」
氷奈は静かにそう言うと立ち上がり、そして葉子の前に立った。
「私が囮になる…。あなたは逃げなさい」
「水原さん?! 何を…」
「私もずっと怖くて…目を背け続けてきた。でも、本当は私も、誰かの温もりを求めていた。だから…あなたを信じてみたい。私に手を差し伸べてくれたあなたを、今度は私が守りたい」
その時だった。落ちていた氷奈の水色のボールペンが、それと同じ色で強く輝き始めた。
「何…?!」
「これは…まさか…」
「葉子!…水原さん?!」
妖気を感じ取ったのか、花琳と水波がその場に駆けてきた。
氷奈がそのボールペンを掴むと、水色の光が大きくなって彼女を包み込んだ。
―――
「まさか、水原さんが8人目の戦士だったなんてね…」
「『水』原で水色とか、そういうのもあるのね…」
先ほどの白い魔物は、戦士に変身した花琳、水波、葉子、そして新たに目覚めた氷奈の力で倒された。
「ま、とりあえず、これからよろしく、氷奈!」
花琳が氷奈に手を差し出す。氷奈はその手をじっと見つめるものの、どうしたらよいか分からないようで、握り返そうとはしなかった。
「まあ…いきなりいろいろあって大変よね。こうなったから、ってわけじゃないけど、ゆっくり打ち解けていきましょう」
「……ええ…」
静かに花琳の手を取って下ろさせた水波に、氷奈はぎこちなく答えた。
「でも、水原さんとこういう形で仲間になれたなんて、本当に嬉しいです…!それに、さっきの言葉も…。ありがとうございます、そして、よろしくお願いします、水原さん!」
氷奈の目の前に来て笑顔でそう言う葉子に、彼女は静かに口を開いた。
「………下の名前で、呼んでくれてかまわないわ…」
「…え?ああ、そうですね、氷奈さん!」
「…呼び捨てでかまわない、って言ってるの…」
少し言いにくそうな氷奈の言葉に、葉子はきょとんとしたが、すぐに満面の笑みで氷奈の左腕に抱き付いた。
「…うん!氷奈!」
氷奈は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、やがて無表情に近いくらいかすかに微笑んだ。
分厚い雲から、一筋の光が差していた。