18.レイリーの開花
『そうじゃないでしょ、ウル。今まで寝てたせいで、まだ寝ぼけているのかしら』
スルの声が聞こえた瞬間、炎の矢がカルマ目掛けて飛んできた。
闇の結界がカルマとレイリーを守り、炎の矢が消滅する。
『あ! それそれぇ。抑止術って、それも含まれるからねぇ』
嬉々として話すウルに、カルマが怒鳴った。
「今、それどころじゃねェだろ! 手前ェ、仲間に連絡しやがったな」
『ん? ああ、僕が目覚めたのにスルが気付いたんだろうね。だから、来たんじゃない?』
カルマが腰を上げようとしたところで、炎の刃が首元に突き付けられた。
「レイリーから離れろ。出来ないなら今すぐ殺す」
ウィリアムの声は殺意を隠していない。
カルマの後ろに立つウィリアムに、ぞっとした。こんな顔は見たことがなかった。
立ち上がろうとするレイリーをカルマが制する。
「首に剣を当てられちゃァ動くに動けねェよ。手元が狂ってレイリーを傷付けるかもしれねェぜ」
カルマの手がレイリーの腕を掴む。
「そうか、なら死ね」
ウィリアムの剣がカルマの首に刺さる直前に、白い魔法が飛んできた。ノエルの中和術だと、すぐに分かった。
「ウィル、心中お察しするけど、カルマを殺されるのは、困るよ」
暗闇からノエルの姿が浮かび上がる。後ろにはユリウスの姿もあった。
「レイリー、迎えに来たよ。一緒に帰ろう」
ノエルが伸ばした手を、握れない。戸惑がきっと顔にも表れているはずだ。
「レイリーは帰りたくないらしいぜ。随分と早いご到着だが、無駄足だったな」
レイリーの代わりに、カルマが答えた。
(またそうやって、自分が悪役ぶろうとする)
「違う、ノエル、話が……」
前に出たレイリーをカルマが抱き寄せる。言葉を封じるように口付けられた。
「!っ……」
反射的に動いたウィリアムの手を、ノアが止めた。
「ウィリアム、ここは穏便に。カルマへの制裁は今ではない」
「貴方はレイリーの兄だろう。妹があんな真似をされて平気なのか!」
目を血走らせるウィリアムとは裏腹に、ノアは落ち着いていた。
「兄だからこそ、妹の意志は尊重したいと思っているが」
ノアの視線がレイリーに向く。
びくっと、体が震えた。
自分の行動は、兄の期待を裏切る行為だ。どう言訳しても、きっと許してはもらえない。そう思ったら、体が竦んだ。
レイリーの震えを感じ取ったカルマが舌打ちした。
「手前ェらが寄って集ってレイリーに重荷を背負わせるから、俺みてェな奴の所に来る羽目になったんだろうが」
カルマの声が怒気を孕んで、低く響いた。
「誰か一人でもコイツの本音を聞いてやった奴がいるのかよ、いねェだろ! 弱音はいても諦めても逃げても良いって、言ってやった奴はいんのか? 追い詰めれば出来る奴ばっかりじゃねェんだよ!」
カルマがレイリーの体を抱き寄せた。
「誰もコイツを守らねェなら俺がレイリーを魔国へ連れ帰る。そこのヘタレ皇子に文句は言わせねェぜ。たとえレイリーが後悔しても、俺が無理にでも忘れさせてやる」
目からどんどん涙が流れる。
どうしてカルマは、自分が欲しい言葉を知っているんだろう。言いたくても言えなかったレイリーの心情を全部話してくれた。いや、カルマに言わせてしまった。
(私が自分で言わなきゃならない言葉だったのに、またこの人に損な役回りを背負わせた)
レイリーの腕が、カルマの首に絡まる。カルマの顔を抱き締めていた。
「もういい、もういいよ、カルマ。それ以上、悪役になろうとしないでよ。私は皆に、カルマが悪い人じゃないって知ってほしいんだ。本当は優しい人だって、説明したいのに、これじゃ、話せないじゃないか」
零れた涙が、カルマの頬に掛かる。カルマの指が、レイリーの涙を拭った。
「お前に泣かれたら、何も言えなくなるだろうが」
困ったような声と笑顔が、レイリーを見上げる。
その先で、皆が呆気に取られている姿が目に入った。
目の前で、何故かノエルが泣いている。
「カルマ、もしかして、もしかしてだけど、本気でレイリーを好きに、なっちゃったのかな?」
ノエルの話し方がカタカタしている。
ユラユラと揺れながら、ノエルが二人に近づいてくる。その肩をユリウスが慌てて止めた。
「ノエル、カルマに不用意に近付いちゃダメだって。約束したよね?」
「でも、ユリウス。これは、おかしいぞ。こういう展開は、シナリオに無い。カルマがレイリーに恋とか、想定すらしていなかったんだが?」
「その話はあとで聞くから! とにかくちょっと落ち着いて!」
ノエルとユリウスのやり取りが、いまいちよくわからない。
ぼんやり眺めていたら、レイリーの視界をウィリアムが遮った。
「レイリー、君は、俺の婚約者であることが、重荷だったのか? ずっと無理して俺と一緒にいようとしていたのか?」
さっきまで怒気を昇らせていたウィリアムが項垂れている。
「違う! 隣にいたかったから、だから、努力して。リアムに相応しい婚約者になりたかったから、だから……」
弱音も我儘も言わずに耐えてきた。たとえ重荷でも、頑張っていれば隣にいられると思ったから。
しかし、それを今のウィリアムに伝えたら、彼はどう思うのだろう。
そう考えると、それ以上、言葉が出ない。
「手前ェの隣に立っていたいから、弱音も我儘も耐えてきたんだろうが。昔も今もレイリーの一番は手前ェなんだよ。そのお前が、どうしてレイリーを信じてやらねェんだ」
またカルマが、レイリーの気持ちを代弁してくれた。
ウィリアムが勢いよく顔を上げる。
「どうしてお前がレイリーの気持ちを知った風に語る? 俺の知らないレイリーを知っているとでも言いたいのか⁉」
ウィリアムがカルマの胸倉を掴み上げる。
カルマが咄嗟にレイリーを後ろに突き放した。
「知っているぜ。だから教えてやったんだよ。お前が頼りねェから、俺がレイリーを慰めてやったんだ。その程度で要らなくなる花嫁なら、俺がもらうって言ってんだ」
口端を上げるカルマの横っ面をウィリアムが思いっきり殴り飛ばした。
カルマの体が吹っ飛んで、壁にぶつかった。
「へェ。精霊国の第二皇子は第一皇子より為政者然とした温厚な男だって聞いていたけどな。女のために殴ったりできんだなァ!」
カルマが勢いよく飛び出して、ウィリアムを殴り返した。
「誰が相手だろうとレイリーを手放す気はない! レイリーがお前に惚れていようと知ったことか!」
「好きな女の気持ちも尊重してやれねェのか! 大した為政者だなァ。手前ェといてもレイリーは幸せになれねェだろうぜ!」
「お前なら幸せにできるのか? 魔国の第二皇子でありながら革命軍に身を投じているお前が! ユミルの苦労を考えろ!」
「ユミルは関係ねェだろうが! 俺には俺の役割があんだよ。手前ェこそ、知った風な口を利くな!」
言い合いをしながらの殴り合いが始まってしまった。
止めに入りたいが、どうしていいかわからない。
腕を伸ばすレイリーの隣に、ノエルがすっと座り込んだ。
「とりあえず、男子二人は殴らせとこう。魔法使ったらノア先生かユリウスに止めてもらうから、それまで放置ね。で? レイリーはどうなの? ぶっちゃけ、どっちが好きですか?」
ずいっと何かを握った仕草の手を向けられて、言葉に詰まる。
「どっちも好きって答えも、アリだよ」
小さく零れたノエルの言葉に、目を見張る。
「そこに関しては、私もレイリーに何も言えない。気持ちは、わかるから」
耳元でこそっと聞こえたノエルの声は、きっとユリウスには届いていない。
ロキのことを言っているのだと、直感した。
「リアムのことを、とても大事に想ってる。それは変わらない。けど、辛い気持ちを救ってくれたカルマに感謝以上の気持ちが、好きって気持ちがあるのも事実なんだ。自分がすごく狡いことを言っているって思う。でも、誤魔化せない、から」
ノエルがレイリーの手を握った。
「私はレイリーのそういうとこ、好きだよ。素直で嘘が吐けないとこ。魔族とか人とか関係なく、好意を持てるとこも。正直、有難いと思ってる。レイリーがカルマの心を溶かしてくれた。私じゃ絶対に、できなかったから」
ノエルが少し、俯いた。
「ごめんね。私がレイリーに頑張れって言い過ぎた。もっとレイリーの気持ちを考えるべきだった。追い詰めたのは、私だ」
ノエルの手を握って、レイリーは懸命に首を振った。
「違う、ノエル、違うんだ。才能があるって言ってくれて、本当に嬉しかった。けど、応えられない自分が辛くて。ノエルみたいにできない自分が情けなくて。期待に応えられる自分になりたいのは、本当なんだ」
今でもそう、考えている。
ノエルを疎ましく思う自分も、大好きな自分も、教えてくれたのはカルマだった。
「でも、逃げた先で新しい能力を見付けたんだね。頑張るばっかりが、良いことじゃないね。高揚術開花、おめでとう。フレイヤの剣は、きっとレイリーを選ぶ」
「え……? どうして?」
「高揚術は精霊国神話に出てくる奇跡の魔法だ。魔術師の能力の覚醒に大きく作用する。中和術と同じくらい希少だし、中和術よりフレイヤの剣に向いた能力だ」
ノエルの笑みは確信を帯びていた。
「ただね、高揚術を鍛えるのに、対になる能力があってね」
「もしかして、抑止術と増強術? さっきウルが話してた」
「そう、それ。増強術はどうやらウィルが内包しているらしい。スルが話してた。それに気付いていたから、スルとウルは二人と契約したんだって。で、抑止術は……」
ノエルがカルマを眺める。
依然、拳での殴り合いを続ける二人をレイリーも眺めた。
「カルマの抑止術なら、もう開化しているよ。さっき、リアムの火の矢を防いだ魔法がそれだって、ウルが教えてくれた」
「えぇ⁉ 本当に?」
ノエルが心底驚いた顔でレイリーを振り返る。
レイリーは、戸惑いながら頷いた。
「もしかして、カルマの方が愛が深いのかな。それとも相性がいいのかな」
ノエルが小さく零した言葉にドキリ、と心臓が跳ねる。
「なら、無駄な喧嘩を止めようか。そろそろ二人とも分かり合えたんじゃないかな」
「殴り合ってるだけだよ、分かり合えるの?」
立ち上がったノエルがレイリーを振り返った。
「男ってのは、拳で分かり合う生き物なんだよ」
ニヤリと笑って、ノエルがユリウスとノアに声を掛けに行った。
「ノア先生、二人を止めてください。ユリウスに頼むと間違って殺しちゃうかもしれないので」
「私も割と殺したい気分だ。可愛い妹に手を出されたんだからな」
「あぁ、そっか。ノア先生、シスコンでしたね。じゃぁ、私が」
「いいよ、僕が止める。殺さないし、殺しかけてもノアが治してくれるよ、きっと」
「その物騒な他力本願、やめてほしいな。カルマはレイリーの大事な人だから、絶対に殺してはいけません」
三人のやり取りが、やけに遠くに聞こえた。
ノエルは十六歳なのに、時々妙に大人びて見える時がある。今だって、ノアやユリウスと話す姿に違和感がない。
(私の大事な人だって。人って、ノエルが言った。あんなに酷い目に遭ったのに、ノエルはカルマを排除しようとはしない)
敵わないと、心底思った。
思えばノエルは最初から、魔国や魔族そのものを精霊国から切り離して考えてはいなかった。
「私よりノエルの方がずっと、聖女だよ」
属性が闇特化でなければ、フレイヤの剣に選ばれるのは、ノエルに違いない。
だからこそ、ノエルの期待に応えたいとレイリーは強く思った。
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