17.優しい半魔
カルマが顔を上げて、レイリーの耳に手を翳した。
「けど、俺じゃ、ダメだろ。お前は結局、ウィリアムを忘れらんねェんだ。だったら俺への気持ちは邪魔なだけだろ。俺も、他の男を想う女を抱くのは嫌だしな」
カルマが何をしようとしているのか、すぐに分かった。
「ヤダ、記憶を、気持ちを消さないで。忘れるなんて、絶対に、嫌だ!」
カルマの手を掴んでも、ピクリとも動かない。他に何も思いつかなくて、レイリーは咄嗟に顔を上げた。
がつん、と鈍い音がして、カルマがくらりとふらついた。レイリーの額がカルマの額に大袈裟にぶつかったらしい。
「お前……、他に方法はねェのかよ。魔術師だろ」
眉間を押さえて、カルマが苦悶の表情を浮かべる。
「ごめん、そんなつもりじゃ」
慌てて治癒魔法をかける。
「魔法の使い所は今じゃねェだろ。この程度なら放っておいて平気だ」
「ダメだ、眉間を強打すると獰猛な魔獣も死ぬって、ノエルが言っていた」
「またノエルか。いてもいなくても面倒な女だな」
ぶつぶつ言いながら、素直に治療されているカルマが可笑しくて、レイリーは吹き出した。
カルマが怪訝な顔で見上げる。
「ありがとう、カルマ。私の中からウィリアムの記憶じゃなくて、自分の記憶を消そうとしてくれて。やっぱりカルマは優しいな。だから、損するんだ」
カルマが何故、革命軍に身を置き、ノエルを狙うのか、今なら理解できる気がした。ユミルのため、魔国のため、悪役を買って出るくせに悪くなり切れない、不器用な人だ。
「優しくねェし、損もしてねェよ。だったら、お前の中からウィリアムの記憶を全部消して、本当に魔国に攫ってやろうか」
「出来ないよ。私に、そんなことしたら、カルマは一生、後悔するんだろ」
カルマの顔を胸に抱く。
「私はカルマが大事だよ。リアムを想いながらカルマを好きなった私は狡いと思う。思うけど、本心だ。この気持ちを知れて良かったと思っているんだ。だから、私にカルマを守らせてよ」
「本当に狡いこと言ってんな。どうやって俺を守ってくれるんだ?」
大人しくレイリーに抱かれたまま、カルマが笑う。
「一緒にいる。カルマが望む未来に、私が連れていく。ユミルも魔国の未来も、一緒ならきっと勝ち取れる」
「俺の欲しい未来が、お前と一緒になることだったら、お前は叶えてくれるのか?」
カルマを離して、正面から向き合った。
「もう一度、よく考える。今の私には、リアムもカルマも、同じくらい大事だ。だから、考える時間が欲しい。嘘だと思うなら吸血して確かめてみてくれ」
シャツのボタンを外そうとするレイリーの手をカルマが慌てて止めた。
「今更、疑っちゃァいねェよ。ったく、面倒くせェ女を好きになっちまったなァ」
カルマがレイリーの額に手をあてた。魔法が発動したのに気が付いて、慌ててカルマの腕を避ける。
「記憶の改ざんをする気はねェよ。お前の額も赤くなっているから、治療するだけだ。ほら、顔こっちに寄こせ」
訝しい気持ちのまま、顔をずいと前に出す。
「闇魔法でも、治癒ができるのか?」
「人が使う光魔法の治癒術とは勝手が違うぜ。闇魔法の治癒は体が損傷を受ける前の状態に戻すんだ。治すのとは違う。精霊国にはない闇魔法かもな」
カルマの手から闇色の光が溢れた。心が落ち着く、優しい温かさを感じた。
「すごいな。ノエルが知ったら大興奮するよ。教えろって食い下がるだろうな」
ノエルがカルマに絡む姿が容易に想像できて、思わず吹き出す。
そんなレイリーを見て、カルマが笑った。
「結局お前は、ノエルが好きだよな。俺がユミルを好きなように」
独り言のような言葉は、カルマの本音なのだと思った。
カルマの腕を両手で包む。胸の奥から温かい光が昇ってくる感覚がした。
瞬間、カルマの魔法が強く光った。
ぱん、と目の前で闇色の魔法が弾ける。レイリーの額が治っていた。
「今の、一体、何……?」
「お前の手から魔力が、いや、あれは、魔法か? 何かが流れてきて、俺の魔法が膨れ上がった」
カルマが驚いた顔でレイリーを眺めている。
「今のは、高揚術じゃァねェのか?」
「高揚、術?」
聞いたことがない魔法だ。
「ああ、他の魔術師に働きかけることで、相手の魔法や魔術に倍以上の効果を付与できる高等魔法だ。精霊国でも魔国でも何百年も使い手が現れていない、奇跡の魔法だぜ」
「そんな魔法、私が使える訳が……」
自分の両手を呆然と眺める。
『レイリーなら使えるよぅ。だって僕がいるからねぇ』
レイリーの胸からひょっこり顔を出したのは、精霊だ。ノアの精霊術の講義の時に契約を交わして以来、ずっと寝ていて話したこともなかった。
「おい、こいつは何だ? 精霊か? 虫か?」
カルマに摘まみ上げられて、精霊が慌ててジタバタし始めた。
『掴むなよぅ。僕はずっと、レイリーが目覚めるのを待っていたんだよ。やっと起きたね、眠り姫。僕の名前はウル、水の精霊だよ』
カルマに摘ままれたまま、ぺこりとお辞儀をする。
「えっと、よろしく」
つられて、レイリーも頭を下げた。
『レイリーがさっき使った魔法は、カルマの言う通り、高揚術だよ。他者の魔法の増強というより、眠っている力を覚醒させる魔法だ。で、カルマは抑止術の使い手だね。総ての魔法を止める力だ』
ウルがカルマを振り返る。
「俺が? そんな力、使ったことがねェぞ」
『もう一つ、増強術ってのがあるんだよ。魔法を増幅させる力。さっきカルマが言っていたのは増強術の方さ。本来、三つが揃うのがとってもバランスが良いんだ。その使い手に会わないと、力がちゃんと発動しないんじゃないかなぁ』
カルマがレイリーと同じように自分の手を眺めた。
「確かに、俺は回復魔法が得意じゃねェが。今なら上手く使える気がするな」
『でしょう? レイリーのお陰で目覚めたのさ。増強術の使い手とペアでレイリーに高揚術を試してもらえば、カルマの抑止術もちゃんと目覚めるんじゃない?』
ウルがしたり顔で説明する。
「じゃぁ、増強術の使い手を探さないといけないんだな」
『探す必要ないよ。レイリーのすぐ近くにいるよ』
レイリーとカルマは顔を見合わせた。
『ウィリアムだよ。僕の仲間のスルが契約した子』
カルマがあからさまに嫌な顔をした。
「俺は、いいわ。抑止術? 使えなくても、困っちゃいねェから」
「いや、行こう、カルマ。私と一緒に、皆と合流しよう」
及び腰なカルマの腕を摑まえて、レイリーが引っ張る。
「学院になんか行ったら、それこそユリウスに八つ裂きにされるだろうが。お前と会ってんのがバレてもマズいだろ」
「今更、マズくない。私がちゃんと説明する。一緒にいるって約束しただろ。考えて答えを出すまで、傍にいてくれないと困る」
カルマの腕に抱き付くレイリーを見て、カルマが頭を抱える。
「だからな、そういう可愛い顔で言うんじゃねェよ。断りづらくなるだろうが」
『僕も説明してあげるよぅ。レイリーがカルマに恋をして、カルマもレイリーを好きになったから、高揚術が開花したよってねぇ』
レイリーの頬が熱くなる。他者に改めて言葉にされると、とても恥ずかしい。見上げると、カルマの耳も赤くなっていた。
「レイリーの高揚術の開花は、そういうロジックなのか?」
疑いの眼差しでカルマがウルを睨む。
『そうだよぅ。君たちは出会うべくして出会ったんだ。同じ系統の魔術師は惹かれ合うんだよ。特に上位魔法は出会いがきっかけになることが多いよ。だからカルマはウィリアムに会うべきだと思うなぁ』
ウルがニヤリ、とカルマを眺める。
「俺は魔族だぞ。精霊国の王族が会って気持ちいい相手じゃねェよ。しかも婚約者に手ェ出してんだぞ。向こうだって会いたかねェだろ」
『そういう事情は知らないなぁ。僕ら精霊にとって、人も魔族も変わりないしねぇ。カルマのお陰で力が開花したんだから、カルマの方がレイリーとお似合いなんじゃないの?』
面倒そうに吐き捨てたウルの言葉に、二人は黙り込んだ。
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