16.レイリーの気持ち
隣に腰掛けて、パンを食べるカルマを見守る。
ノエルの話では、カルマは魔国の第二皇子だ。粗野な言葉遣いの割に仕草が綺麗だったり、行動がスマートなのはそのせいなんだろうと思う。
(知れば知るほど気になって、もっと知りたいと思ってしまう)
レイリーがカルマの所に通い出して、もう十日程になる。毎日、何か差し入れをして、たわいない会話をして寮の門限までには帰る。
一度、門限に間に合いそうもなくて泊まったことがあった。その時はレイリーをベッドで寝かせて、カルマは狭いソファに小さくなって寝ていた。
さすがに申し訳なくなって、ちゃんと帰るように気を付けている。
(何かしてくるかと思ったのに、何もされなかった)
最初に会ったあの日以来、カルマはレイリーから吸血しない。会う度、抱き締めたりはするが、キスもされない。
(されても、困るけど)
何もされないのも、何となく歯痒い。そんな自分の気持ちを見て見ぬ振りをして、レイリーは今日もカルマの隣にいる。
(ノエルやユリウス先生は、何となく気付いているんだろうな。それに、リアムも)
毎日、何のかんのと言訳をしてクラブに顔も出さずに、こうしてカルマに会いに来ている。その行動を咎める者はない。詮索もされない。それが逆に怖い。
一度だけ、ノエルに呪詛を確認された。あの時に、きっと何かに気付いていたんだろう。その上で、泳がされているのかもしれない。
(私のせいでカルマが捕まったら、どうしよう。それ以前に、きっとこれは、仲間を、リアムを裏切る行動だ)
考えが後ろ向きになって、どんどん顔が下がっていく。
カルマの手が、レイリーの髪をふわりと撫でた。
「そんなに不安になるなら、来なくていいんだぜ」
カルマが困った顔で笑う。
それがとても切なくて、レイリーはカルマの手を握った。
「私が来たくて来てる。カルマに会いたくて、我慢、できないから」
「それが俺の呪詛だったら、どうする? お前の本当の気持ちじゃないぜ」
「呪詛ならノエルに無いって確認された。あったら中和術で消されてる」
「それ、疑われてんじゃねェか。本当に大丈夫なのか?」
カルマの心配は自分が捕まることじゃない。
レイリーが仲間たちに白い目を向けられることを心配している。それはこの十日間一緒にいて、充分すぎるほどわかった。
「一度、魔国に帰ったほうが良い。私のせいでカルマが捕まったら、私は……」
「帰る理由がねェよ。捕まって困る理由も、まぁ、なくはねェけど」
カルマが苦い顔をする。
何を案じているのか、すぐに分かった。
「魔獣の森で、どうしてノエルにあんな酷い真似をしたんだ? あんな風に噛み跡を残したり、瘴気塗れにしなくても吸血はできただろ?」
カルマがレイリーの血を吸った時は、噛み跡すら残っていなかった。瘴気など感じもしない。現に今、一緒にいてもカルマから瘴気の気配はない。
「ノエルの魔石を覚醒させてみたかった。そうすりゃ、ユミルの魔力を本来の状態に戻せる。今でも諦めてはいねェけど、本人が望まねェなら利はねェなァ。あとは、ユリウスを怒らせてやりたかった」
意外な答えに、レイリーは首を傾げる。
「レイリーは知らねェか。俺とユリウスは知己でさ。俺と同じ半魔のくせに何でもできる天才で、精霊国で貴族としてのうのうと生きてる。俺にねェもんを全部持っているアイツに一泡吹かせてやりたかっただけだ。酷ぇだろ」
確かに酷い話だ。ノエルには何の非もない、ただの被害者だ。なのに、責める気になれなかった。
「カルマは精霊国で生きたいのか? 人が、好きなのか?」
カルマが飲み掛けたカップを置いて、動きを止めた。
「人は好きじゃァねェ。もし好きだったら、吸血なんか、出来ないぜ」
「だから私から、血を吸わないの……?」
思わず零した言葉に、自分ではっとした。慌てて口を覆っても、言った言葉は戻らない。
カルマがレイリーに向き合って、頬を撫でた。
「それ、言うのは狡いだろ。何なら今から、吸ってやろうか」
カルマの手が肩に伸びる。服をずらして、肩が顕わになった。思わず体に力が入る。カルマの顔が肩に掛かる。髪が耳に、さらりと触れた。
舌が薄い皮膚を舐めあげる。声が出そうになって、ぐっと堪えた。
「なんで逃げねェんだよ」
レイリーの肩に唇を当てたまま、カルマが呟く。
「約束、したから。だから、吸ってもいい」
カルマの背中に腕を回す。こんな口実でもないと、カルマに触れられない。
カルマの腕が腰に回って、レイリーの体を強く抱き締めた。
「今、お前の血を吸ったら、気持ちが全部わかっちまうな」
レイリーの服を整えると、額にキスを落とした。
「吸わなくても、わかるけどな」
離れていく体温が切なくて、レイリーはカルマの背中に抱き付いた。
「おい、あんまりくっ付くと……」
「今だけ。今だけでいいから。お願い」
こんな言葉、ウィリアムにも言ったことがない。我儘なんて、耐えるものだと思っていた。なのに、どうしてカルマには、こんなにも素直に言えてしまうのだろう。
カルマが振り向いて、レイリーを腕の中に囲いこんだ。ベッドに足を放り投げて、胸に抱く。大きなカルマの胸に、レイリーの細い肩は簡単に収まってしまう。
「あんまりくっ付くと、俺が我慢できねェだろうが」
「我慢しないでよ。最初に会った時みたいに、好きなようにしてよ」
無茶苦茶なことを言っていると、自分でもよくわかっている。それでも、言わずにいられない。
頭の上で、カルマが息を吐いたのが分かった。
顎に指が掛かって上向かされる。唇を強く貪られた。舌が割って入ってきて、レイリーの舌を絡めとる。
「ぅ、ん……ぁ……」
こんなキスは初めてで、息がつまる。
口内を犯されたまま、押し倒された。
離れた唇が首の皮膚を吸い上げる。シャツのボタンがゆっくりと外されて、カルマの唇が胸に落ちた。
強く吸われて、ピリッとした痺れが走る。
「ぁっ……」
カルマが顔を上げた。レイリーの乱れた髪を撫でて、頬にキスする。
「お前は、俺に似てんだよ。お前がノエルに抱く気持ちは、俺がユミルに持ってる気持ちそのものだ。だから、わかる。今、俺に抱かれたら、お前は一生、後悔するぜ」
涙が溢れて止まらなかった。
血なんか吸わなくても、カルマにはレイリーの気持ちは筒抜けだった。
(私は、ただ逃げたいだけだ。今の辛い気持ちから、一瞬でも逃げたいだけだった)
でも、だからこそ、本当の気持ちは伝えたい。
カルマがどんなに悪人であっても、レイリーに向けてくれる気持ちは嘘ではないと信じている。
「初めてなんだ。誰に勧められたわけでもなく、自分から人を好きになったのは。でも私はリアムが大事で、だけどカルマにも、どうしようもなく惹かれてしまう」
婚約者という建前もなく、自発的に恋に落ちた。ただの逃げ道じゃない。カルマという人を好きになった。
「俺は人じゃァねェよ」
「人と同じだ。同じものを食べて話ができて、感情がある。魔族だからって、半魔だからって、何が違うの? 私にとってはカルマは人と変わらない」
腕を伸ばしてカルマの首にしがみ付く。気持ちを伝えたら、きっとカルマはもう会ってくれない。どこかに行ってしまうと思った。
「お前が、こういう女じゃなかったら、俺も好きになっていなかっただろうなァ」
カルマがレイリーの胸に顔を埋める。
「まさか、人間の女を本気で好きになるとは、思わなかったぜ」
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