10.ついに始まった、ゲーム第二章
ついに二年生の四月を迎えた。
乙女ゲーム『フレイヤの剣と聖魔術師』は、物語第二章がスタートする。
ノエルがまず最初に手掛けたのは、ゲーム後半に追加になる攻略対象であるユミルとの接触だった。
ユミル=ルーン=ヘルヘイム。魔国の第一皇子で、白子でありながら、強い魔力を持つ皇太子だ。純血の魔族であるユミルは、本来なら更に強い魔力を持っていたのではないかといわれている。
しかし、感情が希薄で他者はおろか、自分の感情にすら疎い。
ゲームの中では主人公に出会うことで、少しずつ感情を開花させ本来の自分に成長していく。
(シナリオ通りなら、ユミルは人との和睦を望んでいる。現時点で一番、安全な立ち位置のキャラであるはずだ)
少なくとも、カルマに比べたら安全であるはずだ。ユミルは純血の魔族でありながら吸血衝動がない。出会い頭に血を吸われる危険はない。
ノエルは図書室の二階に向かう。更に、一番奥の棚に向かった。
奥の棚には、属性毎の分厚い専門書が並んでいる。その隣の棚には、この国の歴史書が、これまた分厚い装丁で何十冊も並べられている。
その隅に、ユミルがいた。
小窓の下に置かれた二人掛けのソファに腰掛け、精霊国神話を読んでいる。ノエルが療養中に読んでいた本である。
(一年前に読んだなぁ。あの時はマリアに借りてきてもらったっけ。ここにあったんだ。なんかもう懐かしい)
本棚の陰からユミルを見守る。何と声を掛けようか悩んでいると、本に落ちていたユミルの視線が上がって、ノエルに向いた。
「僕に何か用だろうか? そう、まじまじと眺められては、本に集中できない」
見付かってしまったので仕方なく、ノエルはユミルの前に出た。
「貴方と話がしたいと思って、会いに来ました」
「何故、僕と? 編入生が珍しいからか? そういう人たちは、すでに僕に飽きて離れてしまったと思っていたが」
聖バルトル魔術学院に二年次から編入する生徒は珍しい。どれだけ優秀で名のある魔術師でも一年次からの入学になることがほとんどだ。
つまり編入は『何かしらの事情を抱えた生徒』であると公言している。ユミルの場合は、魔国からの使者であるが、正体は隠しての編入だ。
魔族の、しかも王族が精霊国の学院に入学など、無駄な恐怖と混乱を呼びかねない。内密にする代わりに、『何かある人』というレッテルを貼っておく訳である。
(しかも今回のユミルの編入は、使者より人質の意味合いが強い。カルマが精霊国に侵入していた責を取るためだ)
魔獣の森でノエルから吸血した魔族がカルマであるとの報告は、ユリウスを介して上げていた。それが三月の話だ。国王はかなりスピーディーに魔国に働きかけたことになる。
(もっと前からユミルの編入は決まっていたんだろうけど、理由がなぁ。ゲームシナリオとは大幅に違ってしまった)
ゲーム通りなら『フレイヤの剣の後継者候補を暗殺するため』、没になったシナリオなら『革命軍からの亡命、精霊国との和平のため』だった。
(まぁ、没シナリオの理由がまだ活きてるかな。けど、ユリウスが言う通り、シナリオ展開は参考程度に考えた方が良さそうだ)
さすがに最初からこれだけ違う展開になると、焦るというより諦めが先に立つ。原作者だからって自分のシナリオを信じる気にはなれない。
(やっぱり、魔石持ちのノエルがいるせいなんだろうか。自分のせいだろうか、切ない)
弱音ばかり吐いてもいられない。
ノエルは周囲を確認して、無音結界を張った。
「魔国の第一皇子である貴方と話がしたいのです。私は、貴方の弟のカルマに血を吸われた魔石持ちの魔術師です」
ユミルが持っていた大きな本を閉じた。ノエルの前に立ち、深々と頭を下げる。
「弟が多大な迷惑を掛けた。本当に申し訳なく思う。本来なら僕から貴女を探し、謝罪すべきだった。わざわざ訪ねてきてもらったことに、礼を言う」
「貴方の責任ではありません。ですからどうか、頭を上げてください」
「いいや、弟は、僕のために貴女から吸血したのだ。責任は、僕にある」
ノエルはユミルの手を取った。
「そのあたりのお話を、詳しく聞かせてほしいんです。ユミル様にしか、聞けない話です」
ユミルの目がノエルを捉えた。
ソファに腰を下ろし、隣をポンポンと叩く。
促されるまま、ノエルは隣に腰を下ろした。
ユミルがノエルの首元に顔を近づけた。クンクンと匂いを嗅いでいる。
驚いて身を仰け反らせると、ユミルが顔を離した。
「すまない。確かに良い匂いがする。だが、吸血したいとまでは、思わないな」
「ユミル様には元々、吸血衝動はないでしょう」
呆れ交じりの発言に、ユミルが驚いた顔をした。
「何故、君がそれを知っている? 魔族の中にも、特に純血は吸血衝動を生まれながら持つ者は多い」
ノエルは、ドキリと顔を引き攣らせた。
原作者だから設定として知っているだけだ。
(しまった、やってしまった。衝動のあるなしなんて、本人しかわからない話だった)
「そのあたりもカルマから聞いたのか? 魔石が覚醒すれば、人すら魔族にできる血を君は持っている。僕の吸血衝動を呼び覚まして魔族因子を強めるために、弟は今でも君を狙っている」
「ちょっと待ってください。何ですと?」
(待て待て待て、知らない設定が飛び出してきたぞ。どういうことだ?)
魔石が覚醒したら人を魔族化できる。そんな設定は作っていない。しかも、本来吸血衝動がない魔族の衝動を目覚めさせ魔族因子を強めるということは。
(魔族にとって御馳走だし、かなり利用価値のある駒だ。絶対に魔石を覚醒させちゃダメだ)
真っ青になるノエルを、ユミルが覗きこんだ。
「心配しなくても、僕は君から吸血する気はない。魔族の吸血衝動など、衰退すべきだ。カルマも元々は吸血衝動などないんだ。無理に人の血を吸って自分の価値を上げようとしているだけだ」
「血を吸って、人を捕食して強くなりたいってことでしょうか?」
半魔であるカルマは、自分の出自に劣等感を持っている。だからこそ、無理に人の血を吸って魔族因子を強めようとしているのだろう。
「無作為に人の血を吸っても、因子が強まる訳ではない。だが、カルマは君を見付けた。可能性を見出してしまった」
ユミルが視線を落とす。表情はあまり動かないが、悲しんでいる顔に見えた。
「ユミル様は、魔族が人喰することに反対なのですね」
「今の魔国は他国の援助を受けなければ民を生かせない。人喰をする生き物と外交する国はないだろう。千年以上の長きに渡り人喰できなかった我ら魔族の本能は確実に衰退している。今更人を食うメリットなど、ない」
なるほど、為政者の思考だ、とノエルは思う。
原始的な時代であれば、人喰で生き永らえる発想でも良かっただろう。しかし、倫理観を備えた生き物が文化的に生き始め、国と国が外交を始めるまでに至った現代において、人喰では生きていけなくなった。
他国の現状も含め、魔国がどう生き残っていくべきか、ユミルはよく理解しているし、彼なりの未来へのビジョンがあるのだろう。
「だったら、私はきっとユミル様の力になれます。カルマを止めることも、魔国を救うことも出来る。だから私に、力を貸していただけませんか」
戸惑った目が、ノエルに向いた。
「何故君が、僕にそこまでしてくれる? 君はカルマに血を吸われ、酷い状態で放置されたと聞いている」
確かに、酷い惨状だった。今でも思い出したくもない。
(けど、カルマの狙いがユミルを助けることだったとしたら、この先、何が起こるのか想像がつく。何より、アイツも私が生み出したキャラだからな。ムカつくけど)
「ユミル様を助けることが、精霊国を救うことにも繋がるからです。私は狭量な人間なので、自分の利にならないことなどしませんよ。それに」
ノエルは、自分の胸に手をあてた。
「この石は、魔国にあれば魔石と呼ばれ、精霊国にあれば結晶石と呼ばれるそうです。サーシャ学長が教えてくれました。精霊国と魔国は大昔、同じ国だった、とも」
ユミルを見上げる。
「この学院にユミル様を呼んだのは、学長でしょう?」
ユミルが目を逸らし、俯き加減に頷いた。
(やっぱり。長いこと魔国にいたサーシャがユミルやカルマを放置できるはずはない。あの人は、情に厚い人だ)
不当な扱いから少しでも遠ざけるために、自分の元に保護したのだろう。サーシャらしいと思う。
同時に、現状に心を痛めてもいるはずだ。だからこそ、精霊術の講義で、ノエルにあんな話をしたのだろう。
「幼い頃に、サーシャに精霊国の話を聞いた。人に会いたいし、仲良くなりたいと思っていた。けれど、それがどれだけ難しいことかも同時に知った。今回の編入は、色々と理由があっても、僕には嬉しかった。だがやはり、人と話すのは、難しいな」
編入という特殊な入学のせいで人が寄ってこないのもあるだろう。しかし、最初はそれなりに話しかけてくる者もあったはずだ。
今の彼が一人で過ごしているのは、人との関わり方に失敗してしまったせいだ。高校デビュー失敗みたいなものである。
(それは仕方ない。ユミルは感情が欠落してる子だから。今から色々覚えていかないとね)
ノエルはユミルの手を取った。
「まずは人に慣れましょう。私が所属しているクラブがあるので、そこに入りませんか? クラブメンバーにユミル様を紹介します。あ、友達になる一歩として、敬称はなしで、ユミルでいいかな?」
ユミルがノエルの手を握り返す。
腕を肩に回して、ノエルの小さな体を抱き寄せた。
「何故だろう。君に呼び捨てにされて、抱き締めたくなった。胸がじんわり、温かい気がする」
「それはきっと、嬉しいって感情だよ。そういうのを少しずつ、覚えていけばいい。皆と一緒にいたら、きっと色んな感情を覚えるよ」
ユミルに微笑み掛ける。
呆けた顔のユミルが、ノエルを見下ろしていた。
「でも、女の子をむやみに抱き締めるのは、良くないよ」
本棚の陰から出てきたロキが、ノエルとユミルを引き剥がした。
身構えるユミルに、ノエルが紹介する。
「クラブメンバーのロキだよ。ユミルのことはある程度知っているから、大丈夫。私が信頼している相手だから、ユミルにとっても敵じゃないよ」
ユミルに会いに行く際、クラブメンバーにはあらかじめ話をしていた。一人ではダメだと言われていたので、ロキに待機してもらっていたのだ。
「俺だって我慢しているのに、簡単にノエルに抱き付くとか、やめてほしいよ」
不機嫌な顔になるロキに、ユミルが頭を下げた。
「すまない。今後は気を付けよう。悪い行動をとっていたら、注意してほしい」
あまりにも素直な意見に、ロキが閉口した。
二人の姿を、ノエルは遠巻きに微笑ましく眺めていた。
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お読みいただき、ありがとうございました。 (霞花怜)