9.稀代の魔導師 サーシャ=アーサー=カリシア
ノエルの腕を掴んだまま、サーシャは森の奥へとぐんぐん進む。散歩というより、目的地に向かって歩いているような雰囲気だ。
「歩くと、遠いな」
ぽそりと呟いて、サーシャがノエルの腕を摑まえた。
「ふぇ⁉」
次の瞬間には、目の前の景色が切り替わっていた。
(移動……、どこかに移動した? ここ、見覚えがある洞窟……)
恐らく、リヨンが死んでいたあの洞窟だ。ノエルがステルスを破るために放った魔法で削れた岩肌が、そのまま残っている。
「リヨンは、どうして死んだのだと思う?」
「呪い、でしょうか」
サーシャの唐突な問いに、うっかり答えてしまった。
(この人は何故、リヨンのことを知っているんだ?)
「確かに死因は呪いだな。けれど彼は、望んで死んだのだよ。ここから別の世界へ魂を送るために」
ノエルのことが浮かんだ。
自分がこの体に転生する前の、リヨンと恋をしていたノエルを。
(ノエルの元に旅立てただろうか。二人がまた出会って、恋をしていたらいい)
そう願うのは、希望でもあり、ノエルの勝手な贖罪のような気持でもある。
「どうして知っているの? と思っているだろ?」
ノエルを眺めて、サーシャが笑む。
その顔はノエルよりワクワクしているように見える。
とりあえず頷いた。
リヨンの話を詳しくすると、ボロが出そうな気がする。
「この場所には私の精霊の子供たちが住んでいてね。彼らが教えてくれたのさ」
サーシャが大きく両手を挙げた。
「久しぶりだね、皆。今日は、私の後継者を連れてきたんだ。顔を見せておくれ」
「後継者ですか⁉ なんのですか?」
慌てて突っ込むが、サーシャは聞いていない。
彼女の周りに淡い光が一つ二つと灯り始める。
洞窟の奥から溢れんばかりの光が湧きだして、流れてきた。
「うわっ⁉」
思わず腕で顔を庇い、目を瞑る。
「もう、目を開けていいよ」
サーシャに肩を叩かれて、ゆっくりと目を開く。
上を指さされて顔を上げる。
小さな竜が数匹、洞窟の中を飛び回っていた。
「この子たちが君の精霊候補。この大陸の命を司る竜の息吹から生まれた精霊だ。仲良くなれれば力を貸してくれる」
「私でも契約できる精霊が、いるんですか?」
楽しそうに飛び回る竜をぼんやりと眺める。
「竜って、精霊国神話の創世の物語に出てくる竜神ミツハですか?」
サーシャが嬉しそうに頷いた。
「その通り。この子たちはミツハが吐いた息から生まれた子で、それぞれに火や水、土や風などの自然の原始を司る。ミツハの分身であり眷属だ。勤勉で博識って噂は本当だね、ノエル」
幼い子供にするように頭を撫でられた。
「お褒めに預かり光栄です」
どこの誰の噂だろうかと、釈然としない気持ちで撫でられる。
「この子たちは神話に出てくる精霊そのものだ。私も同じ種の精霊と契約している。我々には、ぴったりだと思わないかい?」
何がどう、ぴったりなのかよくわからない。
ニコリ、と笑みを向けられて、聞かずにはいられない状況になった。
「あの、間違いでしたら申し訳ないのですが、サーシャ学長、ですよね?」
きょとん、とした顔でサーシャがノエルを眺めた。
「そうだよ。気付いていると思っていたけど」
「いえ、初対面だと思います」
「そうだね、初対面だ。けど君は、私を知っているだろ?」
意味深な問いかけに、怪訝な気持ちになる。
(ユリウスから何か聞いたのかな? それとも、心を読まれた? 闇魔術なら可能だけど、禁忌の術式に抵触する)
ノエルの顔を眺めていたサーシャが、カラカラと笑った。
「色々考えているみたいだけど、深い意味はないよ。ただ君の目は私を知っていると感じただけだ。名前も、適性も中和術についても、ユリウスとの関係も。だから、警戒しながらも拒絶しなかった。違うかい?」
ノエルは目をひん剥いて驚いた。
(目を覗いただけで、私の思考や感情まで推理したってこと? どういう思考回路と観察力してんの?)
ただの当てずっぽうにしては当たりすぎている。
驚くを通り越して、気味が悪い。
言葉が出ないノエルに、サーシャが無遠慮に近づいた。
「ひっ!」
思わず下がるが、もれなく同じ距離でサーシャが付いてくる。
サーシャがノエルの左目をそっと撫でた。
「赤みが濃いな。体質が魔族に寄っている。闇魔法の力が強まっているんだ」
どきっとして、逃げる足が止まった。
ユリウスとの話を思い出す。
(このままじゃ、どんどん魔族に近づいてしまう。自分じゃ止める術はない)
一度傾いた天秤を戻す方法をノエルは知らない。
サーシャがノエルの胸に手をあてた。
「君の中に眠る魔石は、とても懐かしい匂いがするね。きっとユーリの坊やが与えたものだろう?」
「サーシャ学長は、ユリウスから私の魔石の話を聞いていないのですか?」
「魔石どころか、何も聞いていないよ。今日、婚約者が精霊術の講義に行くから宜しく、と言われただけだ。あの坊に婚約者だなんて、いつの間にか大きくなったものだね」
本当に嬉しそうに、サーシャが微笑む。
(ユリウスのこと、とても可愛がっているんだな。ユリウスが坊やって呼ばれているの、何か新鮮かも)
思わず笑みが込み上げた。
「君は、自分の中にある魔石について、ユーリに何か聞いているかい?」
「いいえ。詳しいことは何も」
魔石は魔石だと思っていた。自分も設定の詳細を詰めていないから、それほど種類があるとも思っていない。
「魔国にあれば魔石、精霊国にあれば結晶石。呼ばれ方は違うが同じ石だよ。君の胸の中にある石は、フレイヤの剣と魔剣にはめ込まれている石と同類だ。この世界に一つしかない、私がユーリに渡したお守りだよ」
「え……?」
色んな情報が一気に入ってきて、理解が追い付かない。
何から質問していいかもわからない。
「いいかい、ノエル。今の君は、フレイヤの剣と魔剣に次ぐ、三本目の剣だ。それぞれの剣はそれぞれの国を守る。君は、何を守りたい?」
自分が守りたいもの、ここに来た理由、それは最初から変わらない。けれど、変わったこともある。
「この世界が、崩壊しないように、幸せに暮らせるように、大好きな人たちを守りたい。ユリウスと一緒に生きる時と場所を、守りたいです」
身構えた訳でもなく、するすると言葉が流れ出た。
「うん、とても良い答えだね」
サーシャが満足そうに頷く。
「精霊国と魔国は、元は同じ台地の同じ国だった。魔族や魔獣を恐れた人間が結界を張り、国が別れたんだ」
それならノエルも知っている。
何せ、自分が作った設定だ。
「もう千年以上、魔族は人を食っていない。もちろん、多少の例外もあるがね。魔国に住まう民の半数以上は、ローズブレイド領から流れた半魔の流れを汲む人々だ。純血はほとんどいない」
ノエルは頷いた。それもまた、没になったシナリオの設定だ。
この世界がどの方向で動いているか、改めて納得する。
「人を食わなくなった魔族は純血種ですら、吸血衝動のない者が多い。かといって、絶対に人を食わないと断言できるものでもないがね。何せ食欲は本能だからね」
サーシャが何を言いたいのか、何となくわかった。
何年も魔国に追放されていたサーシャだからこそ、魔国の現状を肌で感じているのだろう。
「サーシャ学長は、吸血衝動はないのですか?」
「あるよ」
変わらぬ笑みで、サーシャが答える。
「私は半魔だが、魔族の血が濃いからね。何百年と生きていられるのは、血を吸って生きてきたからだろうね。私が、怖いかい?」
ノエルは首を振った。
「サーシャ学長を怖いとは思いません。けど、前に私の血を吸った半魔には、まだ少し恐怖心があります」
カルマを思い出す度、湧き上がる感情は、最近では怒りに変わってきている。しかし、あの時の恐怖が総て消えた訳ではない。
「半魔にとって血は嗜好品だ。吸わなければ死ぬというものでもない。けれど、一度衝動を覚えたら、やめるのは難しい。それは純血も同じ。むしろ純血種ほど、血を求めるだろうね」
サーシャの目が少しだけ色を落とす。
「精霊国と魔国の間の結界は解かれるべきだと、思いますか?」
ノエルの問いかけに、サーシャは首を振った。
「食われるものが食われないために策を弄するのは当然の話さ。言葉を話す生き物が言葉を話す生き物を食うんだ。軋轢がないわけがない。けどね、幼稚臭い希望を言うなら、分かり合える道を探そうと願うよ」
それはきっとサーシャだからこその願望だろう。
両方の国を知っているからこそ、両方の種族を知るからこその、幼い願いだ。
「私もその、幼稚臭い願望の道を模索したいです」
ゲームのシナリオでは、精霊国が魔国を制圧してハッピーエンドだった。没になったシナリオは、魔国のクーデターを精霊国が制圧して終わった。
(ならば、この世界で私が書く三つ目のシナリオは、両国の和解だ)
結界は解けなくても、歩み寄る一歩を作れれば、何か変わるかもしれない。一朝一夕でどうにかなる話ではない。千年以上も分かれていた国と国の関係だ。簡単にどうにかなるとは思わない。それでも、礎が築けるだけでも、大きな一歩だ。
ノエルの手を取ったサーシャが、ノエルの胸に手を重ねる。
「君の中の石を魔石と呼ぶか結晶石と呼ぶか、全く別の何かと呼ぶかは、君次第だ。この石を纏っているのは、二本の剣以外では君だけだ。君の守りたい願いが叶うように、祈っているよ」
胸の中が熱くなる。
サーシャの魔力に石が反応しているのだとわかった。
「精霊たちにとっては魔族も人も変わらない。同じ大地に住まう命だ」
サーシャの目が優しく細まる。
「さぁ、私の子供たち、ノエルに力を貸しておくれ」
頭上を飛び回っていた竜の中の一匹が、ノエルの肩に降りてきた。
白い体をした竜がノエルに顔を摺り寄せた。
「おや、白竜か。なかなかにノエルにぴったりな精霊だよ」
「そうなんですか?」
「うん。この子は器だ。自らに何かを宿すことで成長していく。今はまだ何もないが、君と共に歩むことで、大精霊にも進化できるだろう」
サーシャがノエルの頬に手を添えた。
「いいかい、ノエル。これから向かう未来の中で、どれだけ辛い現実が眼前に広がっても、決して自分を手放してはいけない。逃げてはいけない。いいね?」
サーシャを見上げる。その瞳は、悲しい色をしていた。
「君は運命に耐えうる強さを持った子だ。だからこそ、石は君を選んだ。君がこの世界に生きる意味は他者に与えられるものじゃない。自分で作るんだ。これから君は、もっと自分を大切にして生きなければいけないよ」
サーシャの言葉が、胸に刺さった。まるで、ノエルの事情を知っているかのようだ。
(この人には、何もかも、見透かされているような気がする)
「大切な人たちを守るために、自分を大切にすること。出来るね?」
ノエルは素直に頷いた。
サーシャの目が優しく微笑む。
「私が君のためにしてやれるのは、この程度だ。どうか許しておくれ」
言葉の意味が理解できずに、首を傾げる。
白竜がノエルの首にキスをした。
体の中から魔力が消えていくのを感じた。
(なにこれ? 魔力を、吸われてる?)
しかし、気味の悪さはない。むしろ、体が軽くなった気さえする。
「白竜が増えすぎた闇の魔力を吸ったんだ。魔族に吸血された時に流し込まれた魔力だろう。白竜がいれば、光と闇の魔力の均衡が保てる。これからは自分でもバランスよく強化するといい」
白竜がノエルに頬ずりした。
どうやら、無事に契約が成立したらしい。
「無事に契約出来て、良かったね。さぁ、そろそろ帰ろうか。皆が待っている」
歩き出したサーシャの背中を眺める。
(サーシャ学長も、こんな風にバランスを取っていたんだろうか)
同じ全属性適応者で禁忌の中和術の使い手、更には半魔だ。同じ悩みの先駆者なのだろうと思う。
「あの、サーシャ学長」
洞窟から出ようとするサーシャを呼び止めた。
「ありがとうございました。もし私が迷ったり悩んだりしたら、話を聞いていただいても、良いですか」
頭を上げたら、目の前にサーシャがいた。
「勿論だよ。いつでも話においで。同じ学院内にいるんだからね。私が知らないユーリの話も、たくさん聞かせておくれ」
頭を撫でる仕草は、やはり幼子にする手つきだ。
だが、嫌な感じはしなかった。
どこかユリウスに似た雰囲気の彼女に安心感を覚えつつ、ノエルはサーシャに連れられて、皆の元に戻った。
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お読みいただき、ありがとうございました。 (霞花怜)