2.降り積もる雪から君を守る②
「レイリーには、無理を強いている。何もない俺なんかのために、彼女に辛い思いをさせていると、思うんだ」
ウィリアムの声が沈んだ。
「ノエルにも、迷惑を掛けている。母上には、見抜かれたんだ。俺の気持ちが揺らいでいるって本音を」
「あの婚約は政治的な手段だよ。ウィリアムは利用された側でしょ。突っぱねて良い案件だ」
「それだけではないよ。俺はあの時、確かに君に惹かれ始めてた」
ノエルを抱くウィリアムの腕の力が強まる。
「今でも自然に目が君を追いかける。迷った時、ノエルならどうするだろうと考える。君が俺の中に溢れてくる」
肩に回ったウィリアムの手がノエルを振り返らせる。顔が近付いて、唇が重なった。熱く濡れた唇が、押し付けられる。
ウィリアムの腕がノエルを強く胸に抱いた。
「今も、ここでノエルのことを考えていた。そうしたら、君が来た。我慢、出来なった。いけないと、わかっているんだ。わかっているのに」
胸に顔を押し付けられて、ウィリアムの鼓動が聞こえてくる。
ノエルは案外、冷静だった。
(ウィルがこれじゃ、レイリーの開花は見込めない。どうしてウィルが私を想ってくれているのか、わからないけど。なんか、違和感があるな)
ウィリアムとはロキほど絡みがなかった。ここまで好かれる理由がわからない。
「わかったよ、ウィル。だったら私と婚約しよう」
「ノエル?」
戸惑った表情が、ノエルを覗き込む。
「レイリーとの婚約は破棄してくれるよね? 私も、ユリウスとの婚約を破棄する。そうすれば、私はウィルの婚約者だよ。レイリーがフレイヤの剣の後継者になる必要もない。無駄に努力させなくて済む」
「いいのか?」
弱々しい問いに、頷く。
力の抜けた目がノエルに迫る。ノエルはウィリアムの口付けを受け入れた。
背中に腕を回して、撫でる。
両頬を包み、耳に触れる。
(……あった。これは、呪詛だ)
魔力探知を纏った手が、ウィリアムの左耳に異物を見付けた。
中和術を展開し、ウィリアムの耳に押し当てた。
白い光の塊が呪詛を捉えて飲み込むと、泡のように消えた。
「ノエ、ル……」
ウィリアムの上体がノエルに凭れ掛かる。
「ウィル、最近、変わったことなかった? 知らない人と接触したとか」
「知らない……、人? 誰かが、囁いて、顔に触れた……? 黒髪の、男」
ウィリアムが顔を顰める。
「私のことばかり考えるようになったの、それからじゃない?」
「そう、かもしれない。ノエルが、欲しくて、ノエルのこと、ばかり……」
ウィリアムの腕がノエルに縋る。
頭を押さえて呻く。
(呪詛は解除したのに、まだ混濁している。きっと呪詛に術師を忘れろと吹き込まれていたんだ。消した後も影響が残る呪詛。なんて強い魔術)
ウィリアムが強い魔術師だからこそ、抗って余計に負担がかかってる。
これ以上、思い出そうとするのは、ウィリアムの精神に異常をきたす危険がある。
「君のことは以前から、妹のように大切に、思っている。こんなことが、したかったわけじゃ……」
「うん、わかってる。ごめん、きっと私のせいだ」
ウィリアムの意識が途絶えて、全身の力が抜けた。
崩れそうになるウィリアムの体を持ち挙げたのは、木陰から姿を現したユリウスだった。
「いつから、見てたの?」
「君がウィリアムと婚約すると話した辺りから。気付いてたから、あんな話し方をしたんでしょ? 僕をここに呼んだのは、ノエルなんだから」
薬指の指輪を撫でる。
「私のやり方は、やっぱり間違っていた?」
「正しくはないよ。けど、仕方ないね。下手に否定したら、ウィリアムの精神が壊れてしまうかもしれなかった」
ユリウスの表情は静かな怒りを孕んでいる。
その怒りは、ノエルでもウィリアムでもない、呪詛を掛けた術師に向けられているのだと、わかった。
「ユリウス、私は多分、ウィルに呪詛を掛けた魔族を知っている」
カルマの顔が浮かんだ。
呪詛は魔族が使う縛りを伴う魔術だ。感情や行動を操作できる。
厄介なのは、呪詛を掛けられた本人が、その事実に気付かず自分の変化を受け入れてしまうことだ。
「ノエルの血を吸った魔族、か。興味本位の捕食じゃなかったってことだね」
ユリウスの目が鋭くなる。
(少しずつ分かってきた。カルマがやりたいこと。この世界は今、ゲームのシナリオじゃない、没になったシナリオの方で動いてる)
ユリウスの半魔設定も、カルマの早すぎる行動も、それなら総て説明が付く。
(わからないのは、どうしてカルマがそこまで私に執着するのかってことだけど)
思い当たる仮説なら、一つある。
(主人公が、マリアからノエルに置き換わっているとしたら。モブであるはずのノエルがこれだけ持て囃される理由も納得できる)
月の言霊イベントでノエルがマリアを起こす流れになった時に、直感はあった。
腕の中でぐったりするウィリアムを眺める。
(私が今日、ここに来たのは偶然だ。もしここでウィルの呪詛を見付けられなかったら、ウィルは公の場でレイリーとの婚約を破棄していたかもしれない)
そうなれば、レイリーはフレイヤの剣に選ばれない。後継者がいなければ、精霊国の結界は将来的に維持できなくなる。
(魔国にとって有利な状況だ。なら、次に狙われるのは、レイリーかマリア。あとは、ユリウスだ)
他のクラブメンバーにも、すでにカルマが接触している可能性は高い。
(守らなくちゃ、全員。物語の後半戦は、もう始まっているんだ。今までのやり方じゃダメだ。私も、やり方を変えないと)
前半のシナリオですら、後手に回ってノアにやり込められた。何一つ、思い通りには進まなかった。
(後半はそれじゃ、乗り切れない。歯車が一つでも狂えば、何もかもがダメになる)
ノエルはユリウスを見上げた。
「ユリウス、大事な話があるんだ。私が抱える秘密の総て、一緒に抱えてくれる?」
「ノエルとなら、冥府の底の果ての先まで、一緒に行っても構わないよ」
ユリウスの手がノエルの頬を包む。
「業が深すぎるね。でも、そういう話だよ。巻き込まれてね」
原作者以外のキャラを巻き込んで世界に歪みが生じないのか、わからない。
(わからないけど、正しいと思う方法を試すしかない)
「巻き込む、じゃなくて協力でしょ。ノエルから僕にお願いなんて、初めてだ。嬉しいよ」
ユリウスがノエルに口付けた。
「消毒ね。むやみに他の男とキスするなんて、今後は許さないよ」
苦笑して、ノエルからユリウスに口付けた。
ノエルにとっては決意のキスだ。
魔獣の森で後手に回った口惜しさを思い出す。
あの時は恐怖が先に立って何もできなかった。
(カルマ如きに後れを取って堪るか。ここは、私が造った世界だ。これ以上、好き勝手には、させない)
ノエルは決意を新たにした。
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お読みいただき、ありがとうございました。 (霞花怜)