幕間 世界に一つだけの指輪
魔性スズラン騒動から三月が経ち、年が明けた。
精霊国も年始は盛大に祝う。
学院だと、学生は帰省せずに学院内でパーティをするのが慣例だ。
マリアも復帰し、久々にクラブメンバー全員でのお祭り騒ぎは、なんだかんだ楽しかった。
お祭り気分も抜けてきた一月中旬。
ノエルは魔道具造りのため、ノアの研究室に通っていた。
「ノア先生、この辺りの本は、何関連ですか?」
壁一面の本棚を見上げる。
ノアの研究室はユリウスの部屋とは違って、無駄なものがあまりない。
ユリウスの部屋は、アーロの影響か、割と生活感がある。
「そのあたりは精霊術関連だ。来月、お前たちが受ける授業の資料もあるぞ」
本に目を落としながら紅茶を飲んで、ノアが答えた。
(精霊術! 物語後半に入る前にメインキャラたちが踏むイベントだ。担当教員はノアだった)
レイリーの能力開化に向け、ノエルは精霊術に目を付けていた。
(レイリーの得意分野を伸ばすなら結界術だけど。精霊の力を借りれば、別の能力が開花するかもしれない)
本に手を伸ばそうとしたら、ノアにがっつり頭を鷲掴みにされた。
「期待に満ち溢れた顔で眺めても、ユリウスのように構ってはやらんぞ。今はこっちに集中しろ」
グリン、と首を回された先には、作りかけの指輪がそのままになっていた。
(そうだった。こっちも大事。ユリウスがいない隙に完成させないと)
ノエルを案じてか、ユリウスがノアの研究室に時々、顔を見せる。内緒にしているので、隠すのが大変だった。
(お陰で三カ月も掛かってしまった。本来なら一カ月もあれば出来上がるのに)
ちなみにユリウスはノエルの指輪を十日で作ったらしい。どれだけ器用なんだろうと思う。
席について、ゆっくり目を瞑る。集中して、魔力を高める。
台座の真ん中に深紅の結晶石をはめ込む。カチリ、と小気味いい音がして、結晶が指輪に吸い付いた。
両手を翳し、魔力の輪の中で指輪を眺める。
(材料も石もユリウスがくれた指輪と同じもので作った。意匠もそろえたし、完璧のはず)
魔力を解いて、ノアに手渡す。
「どう、ですか?」
ノアが指輪全体を細かくチェックする。
「悪くないな。初めてにしては、上出来だろう」
普段、辛口のノアに褒められて、素直に嬉しくなった。
「そうやって素直に笑っていれば、多少は可愛げもあるんだがな」
ノエルの手に指輪を返して、ノアが呟く。
「余計なお世話です。可愛げがないのは個性ですから」
べぇっと舌を出して見せる。
「でも、ありがとうございました。ノア先生に教えてもらえて、良かったです」
ぺこり、と頭を下げる。
「次からはユリウスに習え。これ以上、ユリウスから無駄な敵意を向けられるのは、面倒だ」
「魔道具はノア先生の専門分野ですよね? もう一つ、作りたい魔道具があるから、それも教わりたいです。餅は餅屋っていうじゃないですか」
「もち? よくわからんが、何を作りたい?」
ノアが怪訝な顔をする。
「バングルが良いかなぁ。自然属性にちなんだ四つの石を嵌めて、光の加護を付けたいんです。ロキは瘴気に弱いから守れるようなものを」
「ロキに頼まれたのか?」
「いいえ、でも、あったほうが便利でしょう?」
この後の精霊術の講義でも、きっとロキの役に立つ。だから今のうちに完成させたい。
ノアが盛大に息を吐いた。
「お前とウィリアムとの婚約話の直後に、幾つか候補に名乗り出た貴族がいたのを、知っているか?」
「? いいえ……知りません」
突然、話が飛躍して、首を傾げる。
「ローズブレイド家、カーライル家、ファーバイル家だ。ユリウスが独断専行したせいで、うやむやにはなったがな」
「え? なんで?」
「ロキはお前に好意を持っているんだろう? だが、それとは関係なくロキの父親がお前の中和術に御執心だ。まだ諦めては、いないだろうな」
さぁっと、血の気が下がった。
「お前の方からロキにちょっかいを掛ければ、良い口実を与えることになる。気を付けるんだな」
「そんなの、なんだか」
如何にも貴族の勢力争いに巻き込まれている感じだ。
(今までみたいに、ロキと普通に友人でいることも、出来ないのかな)
「作るのは、構わん。私の指示だとでも言って渡せ。どうせ私が渡してもロキが素直に受け取るとは、思えんしな。それくらいの根回しは常に考えろ」
俯きかけた顔を上げる。
ノアは変わらぬ表情で本を開き始めた。
(ファーバイル家が名乗りを上げたのは、御家再興の足掛かりにするためだろうな)
とはいえ、ノアと婚姻を交わす未来など、想像もできない。それはきっとノア自身も同じだろう。
「私にとっては女など、どれも同じだ。別にお前でも構わない。話の順番が回ってくれば、断る道理もないぞ」
気持ちを見透かされたような言葉に、怖気が走る。
当主でありながら誰とも婚姻を結んでいないノアだ。どれも同じ、の言葉の意味を深追いするべくもない。
「断ってください、そこは絶対に」
ノアがノエルに目を向けた。
「そうなる前に、ユリウスを摑まえておけ。揃いの魔道具、特に指輪は、魔術師同士の魂を繋ぐと言われる。アイツは、喜ぶだろう」
手の中の指輪を見詰める。
「はい、何があっても、離しません」
指輪を握り締めて、ノエルは目を伏した。集中して、指輪に魔力を送り込む。黒い光に包まれて、指輪が宙に浮く。
『汝、災いから逃れる糧となれ。主を守る盾となれ。傷を癒す闇となれ』
詠唱を終えると、黒い光が消えて、指輪がノエルの手に戻った。ブラックシルバーのように薄く黒に染まった指輪に、深紅の石が鈍く光る。
「お前、ユリウスと何か……、いや、聞くのも野暮か」
ノアがなにやら独り言ちている。
不思議に思っていると、研究室の呼び鈴が鳴って、アーロが顔を見せた。
「なぁ、こっちにユリウスが来ていないか? 朝から姿が見えねぇんだが」
困り顔のアーロに、ノアが手を挙げた。
「ああ、うちの書庫に籠っている。そろそろ出てくるだろう」
「え⁉ ユリウス先生、ここにいるんですか?」
ノアが涼しい顔で肯定した。
「ノエルより先にノエルを探しに来たから、閉じ込めておいた。お前はどうせ今日中に指輪を渡すだろうし、ちょうど良いだろう」
そういう問題ではない。あのユリウスをどうやって閉じ込めたのだろう。
「また空間魔法ですか? 出口を塞いだんですか? 研究室を破壊されますよ」
ノアをじっとりねめつける。
「お前がいるんだ。破壊はしないだろう。来るたびにお前の名を叫ばれ続けるのは、いい加減苛立たしい。静かに待たせるためには、ちょうど良かった」
それは確かに腹が立つだろうな、と思う。
部屋の奥から、バタバタと足音が聞こえる。
扉が開いて、顔を引き攣らせたユリウスが飛び込んで来た。
「どういうつもりだ、ノア。部屋の本、全部燃やそうかと思ったじゃないか」
手の上に火魔法を展開させて、ユリウスがノアに迫る。
「どうもこうもない。お前がうるさくてノエルが集中できないと、困るだろう」
「僕は邪魔しに来ている訳じゃない。見守りに来てるんだよ」
ユリウスの気持ちは有難いが、ノエル的にも見守りは困る。ユリウスの指輪を作っていたのは、本人には秘密だ。
ノアが部屋に閉じ込めたくなる気持ちには、同意できる。
「わかった、わかった。ノアが今更ノエルに手を出すことはねぇから。安心しろ、ユリウス」
アーロがユリウスを宥める。
突然、ノアがノエルの手を握った。
「お前が不要になったら、ノエルはファーバイル家で引き取ってやる。そうならんよう、精々囲っておくんだな」
ノアの目に嗜虐心がチラ見えする。
(好きな子をいじめたい衝動なんだろうなぁ。ノアはユリウスとこんな風に過ごせる今が、楽しいのかもしれない)
教会の神官などやっているよりずっと気楽な身分で、大好きな友人とじゃれ合っている方が幸せだろうと思う。
ユリウスの目に怒気が昇るのに気が付いて、ノエルは立ち上がった。
「こっちに来て、座ってください」
ユリウスを無理やり長椅子に座らせる。
「ノエル? 急にどうしたの? まさか、ノアに変なこと、吹き込まれていないよね?」
不安そうな顔をするユリウスの前で、片膝を付いた。
ユリウスの左手を取り、薬指に、完成したばかりの指輪を嵌める。
指輪はユリウスの指に吸い込まれるようにぴったりと収まった。
(サイズもぴったり。あとは外れないように、ここで私の魔力を吹き込む)
指輪の上から、ユリウスの薬指に口付ける。
『貴方に、神の加護と祝福があらんことを』
唇を離すと、黒かった指輪がシルバーのように白く光った。
(闇魔法と光魔法、両方込められた。光と闇両属性適応者ならではの仕上がりだ。これならユリウスにとっても、きっと役に立つはず)
「ユリウスがくれた指輪と同じ材料で作りました。お揃いの魔道具です」
見上げると、ユリウスが呆然とノエルを眺めていた。
「へぇ、ノエルが作ったのかぁ。もしかして、ノアのとこに通ってたのは、これを作るためだったのか?」
「ノエルは、なかなか器用だったぞ。魔道具造りには、向いているかもな」
アーロの問いに、ノアが答える。
作ってる時は一度も褒めてくれなかった。ノアはツンデレ気質だなと思う。
「ユリウス、私と、魂を繋げてくれますか?」
手を添えたまま、ユリウスを見上げて微笑む。
見る間に赤くなる顔を片手で覆って、ユリウスが困った顔をした。
「ノエルが男前すぎて、言葉にならない」
想像以上に狼狽えているユリウスに、慌てる。
(しまった、ちょっとやり過ぎた。やってみたかっただけ、なのに)
お姫様の手を取って指輪をはめる皇子様的なシチュを皇子様側で経験してみたかった。絶好の機会だと思ったのだが。
思いっきり照れるユリウスは、ノエルの目から見ても可愛いと思う。
(ノアがいるところで、やるべきではなかった。こんな可愛いユリウスをノアに見せてやる義理はない)
ユリウスが頬を染めたまま、ノエルの手を引いた。
思わず長椅子に片膝を付く。ユリウスの顔が間近に迫った。
指輪をした薬指を重ねて、石を触れ合わせる。
「じゃぁ、誓いのキスだね」
顔を上げて、ノエルの唇に口付ける。
いつもよりずっと柔らかくて甘い、ふわふわの綿あめみたいなキスだった。
体を引き寄せられて、膝の上に座らされる。
見上げたユリウスの顔は、いつもの笑みに戻っていた。
「いちゃつくなら、帰れ。ここでされても迷惑だ」
ノアの声で、我に返った。
ユリウスがノエルを抱き上げて、立ち上がる。
「言われなくても帰るよ。もうノエルをここには近づけさせない」
「ノエルにはまだ作りたい魔道具があるようだぞ。学生のやる気を教員が削ぐのか?」
大変、困惑した表情でユリウスがノアとノエルを見比べる。
「学院の魔道具の授業は、実技がないから、できればまた通いたい、かも」
ノエルの返答に、ユリウスが、がっくりと肩を落とした。
「なら、今度は僕も一緒に来るよ」
しょんぼりした声で言いながら、ユリウスがノアに背を向ける。
「そう気を落とすな。ノエルに束縛された喜びにでも、浸ってろ」
「今回だけは、素直にお礼を言っておくよ」
ノアの顔が、笑んで見える。
振り向いたユリウスも、少しだけ笑んでいた。
世界に一つだけの指輪を相手に贈る意味は、束縛。転じて唯一無二の愛なのだと、ノエルに教えてくれたのは、ノアだった。
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お読みいただき、ありがとうございました。 (霞花怜)