4.何よりも怖いこと
魔獣の森に入るのは、思ったよりも簡単だった。
入り口から奥地まではウィリアムの転移魔法で移動した。徒歩移動だけなら五日はかかる工程だ。
学生で転移魔法を使えるのは、恐らくウィリアムくらいだろう。
「目的地は、森の最も奥だったな」
ウィリアムの問いにノエルが頷いた。
「木々が茂る最奥に、一か所だけ開けた場所があるんだけど、月明かりが差し込んで魔性スズランを照らすから、とても明るいはずなんだ。すぐにわかると思う」
さすがに地図が見られる明るさはないので、記憶だよりだ。火を使えば魔獣に気付かれるので、月明かりを頼りに進む。
「雲がなくて、良かったな。月明かりがなかったら、歩けていたかも、わからない暗さだ」
雲一つない晴れた夜空を見上げて、アイザックが安堵の息を漏らす。雲はなくても木々が月明かりを遮っているので、歩きやすいとも言い難い。
(ゲームだと、あっさり魔性スズランが手に入っちゃうんだけど、やっぱり現実はそうもいかないか)
念のために持って来た地図に触れる。
場所の目星は、皆で付けた。木々が大きく開けた奥地は一か所しかない。魔性スズランは月明かりがないと咲かないので、そこにある可能性が高い。
そっと、左手の指輪に触れる。
(指輪のせいで居場所、ばれるかもしれないな。でも外せなかったんだよね)
今まで外そうと思わなかったから気付かなかったが、この指輪は外れないらしい。どんなに引っ張っても回しても、外せなかった。
(すごーく、ユリウスらしい。ばれたら、やっぱり怒られるかな)
もし叱られたら、自分のせいだと話そう。他の皆を巻き込んだことも、謝ろう。と心に誓う。
どうにも弱気になってしまうのは、この森の雰囲気だろうか。暗いからとか、魔獣の気配があるから、というのとは、違う。何か禍々しさを感じる。
前にウィリアムとリヨンを追いかけた時は、こんな気配は感じなかった。昼間だったし、森の手前側だったからだろうか。
(あまり考えないようにして、早く花を見付けて帰ろう。何事もなければ、それでいいんだから)
勝手に震える手を、ぎゅっと握る。
「ノエル、大丈夫? 震えているけど、寒い?」
上着を掛けようとしてくれるロキを拒んだ。
「大丈夫だよ。それじゃ、ロキが寒いでしょ。私はちゃんと着込んでいるから」
季節は、もう晩秋だ。夜の風は乾いて冷たい。
ノエルの顔を覗いたロキが、表情を変えた。
「だったら、手を繋いでおこうか。暗いし、もし迷子になったら、ノエルは小さいから探すのが大変そうだよね」
「ならないよ。いくら背が低くても、さすがに見失うほどではないよ。猫じゃないんだから」
「猫みたいなもんだよ。すぐに腕をすり抜けて、どこかに行っちゃうんだから」
ロキの手がノエルの手を包む。ノエルより大きくてごつごつした手だ。剣の鍛錬でマメができている。
(小柄で可愛らしい感じだけど、ロキもやっぱり男の子なんだな)
ふと、お見舞いに来てくれた時のことを思い出した。ノエルを強引に抱き締めるロキの腕はいつも力強くて、抗えない。
(こんな時に、何を考えているんだろう。今日はなんだか、変だな)
ノエルは大人しく、ロキに手を引かれて歩いた。
しばらく歩くと、樹齢何千年かと思うほどの大樹が道を二分していた。
「この大樹を左だな」
アイザックの問いにノエルが頷く。
レイリーが、一歩下がった。ノエルにも、その気持ちが分かった。その奥から流れてくる気配は、先ほどまでの比ではない。酷く禍々しい。
(でも、ここで戻ったら、マリアを起こす手掛かりがなくなる)
ミニイベントは他にもあるが、このタイミングで使える手段はこれしかない。引き返すわけにはいかない。
ノエルは歯を食い縛り、一歩前に出た。
歩き出すノエルの腕を、レイリーが思い切り引っ張った。
「ダメだ、ノエル。この奥は危険だ。別の道を探そう」
「別の道も、きっと変わらないよ。奥に進まないと、魔性スズランは手に入らない」
「それでも! 一度、止まろう。進むばかりが賢者ではない」
ノエルはレイリーを振り返った。震える手でレイリーの手を握る。
「止まったら、進めなくなる。レイリー、お願いだから、進ませてほしい」
恐怖に飲まれたら、もう足は動かない。今止まったら、ノエルは終わる。
「ノエルは、どうしてそこまで、マリアを想うんだ」
ぽつりと零れたレイリーの言葉に、首を傾げた。
「そうだね、自分でも不思議だけど。マリアが起きない未来の方が、私には怖いからかな」
もしマリアがこのまま眠り続けたら、たとえレイリーがフレイヤの剣を継承しても、この世界は壊滅するかもしれない。主人公不在の物語など存在しないのだから。世界が壊れる時の恐怖は、きっと今の比ではないだろう。原作者として、恐ろしい。
(元々、勇気なんか持ってる人間じゃない。それでも動こうと思うのは、それこそが神様が私をここに転生させた理由じゃないかと思う)
原作者としての意地。自分が造った世界を守る使命感。この世界も人も愛してやまないのだから。
怖いとか言っていられない。
(一歩前に出れば、何かが変わる、かもしれない。とりあえず一行書けば変わるかもしれない原稿と同じ!)
レイリーの手が緩んだ。
「ノエルは、勇敢だ。戦士を目指す私が諭されているようでは、いけないな」
ノエルは首を振った。
「レイリーの判断は、きっと正しいよ。勇気と無謀は別物だ。この先は、きっと危険だと思う。だから……」
戻ってくれて構わない、という前に、ウィリアムに言葉を遮られた。
「それ以上は、飲み込んでくれるかい? 戦士に恥をかかせるわけには、いかないからね」
レイリーを慮っての言葉だと、理解した。
「俺もこれ以上、ノエルに先を越されるわけにはいかないな。マリアを想う気持ちまで負けたら、彼女が起きた時に合わせる顔がない」
困った顔で息を吐くアイザックが、前に出る。
両手を合わせて、加護の詠唱を始めた。
『清祓術』
アイザックの周囲から風が逆巻くように気が祓われる。
澱んだ空気が清浄になった気がした。
「もしかして、瘴気が祓われた……?」
さっきまでの不安も、いつの間にか消えていた。
「知らぬ間に、瘴気を吸い込んでいたのかもしれないな」
ウィリアムの呟きに、納得できた。
魔獣の森には常に瘴気が流れている。瘴気は人の負の感情を煽り、本能や欲を刺激する。
中てられていることにすら気が付かない状況も充分、考えられる。
「充分に気を付けて進もう」
レイリーが浄化結界を展開する。皆でレイリーに身を寄せて歩き出す。
「ノエル、行こう」
ロキがノエルの手を握った。
強く握り返して、ノエルは一歩を踏み出した。
この先に進んだことをノエルは後悔することになるのだが、たとえ後悔すると知っていても、戻る選択肢は未来にすらなかった。
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お読みいただき、ありがとうございました。 (霞花怜)