56.亡霊の復活
アイラからノアに緊急召集が掛かったのは、竜神復活の報せを受けた明くる日だった。
アーロが革命軍の砦に到着してから、精霊同士の情報交換が可能になった。事情を汲んで結界を緩めてくれたようだ。
精霊を介した情報はあまりにも衝撃的な内容が多すぎて、さすがのノアでも面食らった。
(ロキが魔族に、しかも竜神の眷族になった、などと、ロレイン殿にどう説明すればいいんだ)
しかもノエルは復活した竜神を同朋、つまり友達にしたらしい。それに伴い、ローズブレイドとカリシアという竜神の眷族をごっそり味方に付けた。
結果、革命軍は事実上、ノエルが動かせる組織になった。
「転んでも只では起きないと思っていたが、想定外すぎるな」
ノアは、ニヤリと笑んだ。
「ならば、こちらも動き出さねばな」
謁見の間の扉を開く。
その場にはすでに、呼び出された団長たちが揃っていた。
「お早いご到着ですな、元大司教殿。先達を待たせるとはさすが、栄光のファーバイル家御当主様だ」
いの一番に嫌味を投げてきたのは、聖騎士団の団長のカルスロット=アンナ=メイデンバルクだった。
聖魔術師が主に魔術を主体に戦うのに対し、聖騎士団は武術を主体にした集団だ。特性上、自然属性の魔術師が多く、光と闇の魔術師が多くを占める聖魔術師とは、普段から反りが合わない。
特に教会を嫌う傾向が強く、元大司教であるノアは現職の頃からカルスロットに敵対心を向けられていた。
「大変申し訳ございません。私のような若輩者が錚々たる実力者の揃う末席を汚すなど恐れ多く、少々勇んでしまいました」
大司教時代さながらの張り付いた笑みで礼をする。
「いいじゃないか、カルス。遅れたわけじゃないんだ。俺たちが早く来過ぎなんだよ。爺になると気が急っていかんね」
ロレインが豪快に笑う。
四十近いとは思えない筋肉美を誇る大柄な男は、内面も豪快で豪胆だ。ロキの父親らしいと思う。だが、息子の今の状態を聞いたらどんな反応をするのかと考えると、全く笑えない。
舌打ちしそうな顔つきでノアを睨みつけるカルスロットを目の端で眺めながらロレインに穏やかな笑みで一礼する。
ノアはシエナの横に並び立った。正面を向いたまま、声を顰める。
「何故、私がこの場に呼ばれたのです。今の立場ではあまりにも場違いだ」
聖魔術師を束ねるシエナ、聖騎士団団長のカルスロット、近衛兵団団長のロレインという顔触れは、この国の兵力そのものだ。
何の肩書も持たないノアが居合わせていい場所ではない。
返答がないシエナに、ノアは話を続けた。
「革命軍から第一報が届きました。今日にも報せるつもりでいましたが、この後お時間を頂けますか」
ノアの隣で、シエナが息を飲んだ気配がした。
「今日のこの場に最も必要だったのはお前だ、ノア。革命軍の話は今は忘れろ」
潜めたシエナの声は、本人のものとは思えぬほど焦りを帯びていた。
思わずシエナを振り返る。顔にも焦燥が、それ以上に緊張が滲み出ていた。
「事情が大きく変わった。我々はもう、自由には動けんだろう」
「どういうことです」
シエナが目だけで振り返った。
「偉大なる大御婆様が、復活された」
大きな衝撃が、ノアの中に走った。
「まさか……」
開きかけた口を閉じる。
謁見の間に、黒い影が現れた。
その場の全員が片膝を付き、胸に手をあて首を垂れる。
黒い影が玉座に向かいゆっくりと歩を進める。
目に映らなくてもわかる。尋常ではない魔力の塊が動いているような禍々しさを感じる。肌が痺れるような威圧感に気圧される。
魔力の塊が玉座に坐した。
「頭を上げなさい」
女にしては低い声が響く。声に持ち挙げられるように、ノアは顔を上げた。
玉座に坐す魔力の塊は、間違いなく偉大なる大御婆様、メロウ=メイソン=フォーサイスだった。
(何故、今になって動き出した。数年に一日か二日、動ける程度の魔力しか残ってはいなかったはずだ)
ジャンヌが国王を拝してからの二十年近くは、政務に干渉することはなかった。それだけの魔力は残っていなかったからだ。
メロウの目がノアに向く。見下ろした目が笑んだ気がした。
「よくぞ集まってくれました。我が精霊国の精鋭たちよ。お前たちに火急の知らせがあるわ」
メロウの後ろにはアイラが控えている。
ノアの中にあった違和感が、確信を帯びた。
「国王ジャンヌは病に伏した。恐らく目を覚まさないでしょう。次の国王を決めなければいけないわ。取り急ぎ、不在にしているウィリアムとアイザックを城に戻す手配をしている所よ」
メロウがノアに視線を向けた。
「国のために大事なお役目を果たしている最中だけれど、仕方がないわよねぇ」
ノアは口を引き結んだ。
表情を変えないように、感情を押し殺す。
「次期国王が決まるまで、国政はこの私が引き継ぐわ。大臣であるアイラと宰相のシエナには補佐に回ってもらうわ。お前たちも倣うようにね」
シエナの顔が緊張で強張る。
普段、表情などどこかに落としてきたのかと思うほど顔色が変わらないシエナの、こんな顔は初めて見た。
「聖騎士団団長として、メロウ様の御役に立てるよう尽力いたします」
カルスロットが迷いなく頭を下げる。
その顔には優越がありありと浮かぶ。
「恐れながら、メロウ様。ジャンヌ国王陛下のご容体は治療院でも手が施せない程、お悪いのでしょうか」
隣に立つロレインが真っ直ぐに問いを投げる。
メロウが、後ろのアイラに目を向けた。
「残念だが、治療院の魔術でも、如何様にもならない状態だ。国王の務めを全うするのは、もう」
そこまで言って、アイラが顔を背けた。
「なんとも急な話だ。アイラ様の心中をお察しいたします」
ロレインは眉を下げて沈痛な面持ちになった。
「それであれば、近衛兵団は全力を持って王家の護衛に尽力しましょう」
胸に手を添え、ロレインがカルスロット同様に頭を下げる。
それに倣い、シエナも礼をした。
一同を満足げに眺めたメロウの目が、ノアに止まる。
「ノア、今日ここにお前を招いたのは、他でもないわ。教会に戻りなさい」
突然の命に、ノアは表情を固めた。
「教会に戻り、アイラの補佐をしてほしいの。大司教までを勤め上げたお前なら、このお役目を立派にこなしてくれるはずね。悪しき魔族を退けるのよ」
後ろに控えるアイラが、にこりと笑んだ。
ノアはすぐに返事ができなかった。この強烈なまでの違和感と強引な展開に気後れしたのもある。だが、誰もこの異常な状況に異を唱える者がない。その空気に怖気が走った。
(これが、偉大なる大御婆様、メロウの力なのか。悪魔が復活、したのか?)
長い年月、教会が最も恐れ続けた事態、国防を掲げ続けた真意を、大司教だったノアは誰より深く理解している。
(フォーサイス家に巣食う悪魔は、アイザックの中の呪いと共に消滅したのではないのか?)
もしかしたらこの違和感は、元大司教であるノアでなければ感じられない異常さなのかもしれない。
もう一人、感じ得る者があるとすれば、メロウの後ろで微笑み続けるアイラだが。
なかなか返事を返さないノアに、メロウが表情を曇らせる。
一歩後ろに控えていたアイラが前に出た。
「あまりに急な状況に、きっと混乱しているのでしょう。ノアには私から、順を追って正しく話を致しましょう」
アイラがメロウに語り掛ける。
その表情は心酔している臣下の顔だった。
アイラの顔がノアに向く。アイラの目が何かを訴えている。メロウに向けた目とは違う何かをノアは感じ取った。
「申し訳ございません。私のような末席の若輩者がメロウ様に謁見できる機会など、今生にいただけるとは思っておりませんでしたので、尊きお姿に見入ってしまいました。無礼な振舞をお許しください」
胸に手をあて、礼をする。
なるべく優雅に振舞い、普段通りに言葉を並べる。
メロウの気配が一瞬、緩んだ気がした。
「聖魔術師に名を連ねるお前が、今更何を言うのかしら。まぁ、いいわ。アイラ、ノアの役割をじっくり教えてあげなさいね」
メロウの指がアイラの顎を掬う。
「メロウ様の御心のままに」
すべてを受け入れて、アイラがメロウに一礼した。




