52.淑女の懺悔
部屋に駆け込んで、ベッドに突っ伏した。
どうしてあんなことを話してしまったんだろう。
どうして自分の心は今、こんなにも真っ黒なのだろう。
嫌なのに、元の自分に戻る方法が、わからない。
とんとん、と部屋の扉がノックされた。
「ノルン、レイリーだ。少し話をしないか?」
今一番、話したくない相手だと思った。
自分を心配してきてくれたのは、わかっている。だからこそ、ひねくれた心を知られたくない。
言い訳が見つからなくて、返事ができない。
「ノルンにお願いしたいことがあるんだ。泉の浄化を手伝ってほしい。ノルンは浄化術が使えるんだろう。私の浄化術は拙いから、手伝ってもらえたら、もっと捗ると思うんだ」
レイリーの言葉は穏やかで、ノルンを慮ってくれているのが伝わってくる。
「拙いなんて、レイリーの浄化術は私なんかよりずっと……」
母親譲りのノルンの能力は占術だけではない。浄化術は母が最も得意とした術式だ。それはノルンにも引き継がれた。けれど、母には及ばない。ノルンが半魔で、人の血が薄いせいだ。
人間で、光魔術師のレイリーにだって、きっと遠く及ばない。
「違う血が混じり合うと優秀な個体が生まれるんだそうだ。半魔は本来、純血の魔族や人間より優秀なんだそうだよ。これはノエルの受け売りなんだが」
ノエル、カルマたちが挙って褒める人間の娘。ノルンに似ているという女の子。レイリーの声は、あまり明るい色には聞こえない。
「私はノルンが思うほど完璧でも優秀でもない。ノエルに嫉妬して、出来ない自分から逃げて、ウィリアムからも逃げた、只の弱い人間なんだよ」
高揚術を使えるほどの人間が、優秀じゃないなんて、俄かに信じられない。けれどレイリーの声は、まるでノルンに縋るように弱々しい。
ノルンの足は扉に向いていた。
開いた扉の向こう立つレイリーを見上げる。
「レイリーくらい素敵な女性でも、嫉妬なんかするの?」
微笑んだレイリーの指が、ノルンの涙を拭った。
「どうしようもないくらい嫉妬して、いなくなってしまえばいいとさえ思ったよ。けど、私を信じてくれるノエルが同じくらい大好きで、どうしていいかわからなくなった」
「レイリーは、どうしたの?」
「逃げたよ。嫌になって、全部捨ててしまおうと思った。けど、カルマが逃げていいと言ってくれたから、頑張らなくていいと言ってくれたから、戻ろうと思った」
レイリーの手がノルンの頬を包んだ。
「今のノルンは、あの時の私みたいに見えたから、放っておけなかったんだ。本当は一人になりたかったかもしれないけど。ごめんね」
ノルンの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。
「私、とても醜いわ。ウィリアム様とレイリーがお別れになって、良かったって思ったの。王子様が迎えに来てくれたって勝手に舞い上がって、レイリーが婚約者だと知って勝手に落胆して、馬鹿みたい。こんな自分が、大嫌い」
屈んで目線を合わせたレイリーが、ノルンの涙を拭う。
「ウィリアムのこと、好きなんだろ? 普通の反応じゃないか。自分を嫌いになんか、ならなくていい。むしろ私は少し嬉しいよ。自慢のウィリアムを一目で好きになってくれた娘がいるなんて。私の元婚約者は格好良いだろって自慢したい気分だ」
俯いた顔を上げる。
レイリーの目が微笑んでいる。
「でも少し、嫉妬もするかな。別れた相手とはいえ、今までウィリアムは私だけの婚約者だったわけだし。もう他の人に取られるのかと思うと、複雑な気分だ」
眉を下げるレイリーに、ぽそりと呟いた。
「それはきっと、ウィリアム様も同じだと思うわ。レイリーはカルマ兄様と恋人になるのでしょう?」
レイリーが目を逸らして、とても困った顔をした。
「それなんだが、いいのかな? リアムと婚約を解消してすぐにカルマと恋人になるなんて、節操がないと思わないか?」
レイリーの表情は、本気で悩んでいる顔だ。
「でも、好きなのよね? カルマ兄様はきっとレイリーが大好きよ。あんな風に誰かを見守る兄様、初めてだもの。すごく大事に想っているの、私にもわかるわ」
他人を寄せ付けないカルマが、まるで真綿で包むようにレイリーを大切にしている姿は、ノルンには新鮮だった。同時に、本気で大事なのだと感じていた。
「そう、なのかな」
レイリーが顔を真っ赤にして逸らした。
その顔は、ノルンが見ていた完璧な淑女ではない。等身大の、自分と同じ女の子の顔に見えた。
「私、レイリーを御姉様って呼びたいわ。だから、カルマ兄様とレイリーのこと、応援するわ」
レイリーの首に腕を回して抱き締める。
「私もノルンを応援するよ。リアムはちょっと弱腰なところがあるけど、優しい人だから。きっとノルンを幸せにしてくれる。あと、鈍いところもあるから、もうちょっと頑張ってアピールしたほうが良いよ」
悪戯に笑むレイリーの顔を眺める。
何だか可笑しくなって、くすりと笑った。
〇●〇●〇
この日から、ノルンは泉の浄化に加わることになった。
「ノルン、ここに座って」
レイリーの膝の上に腰掛ける。
「私が高揚術をノルンに流し込むから、ノルンは浄化術を展開して」
レイリーの両手がノルンの肩に乗る。
「わかった」
集中して浄化術を練る。練った術を泉に流し込む。
レイリーの肩に手を添えるウィリアムとカルマからも、魔力が流れ込んでくるのがわかる。
(この三人はきっと、会うべくして出会った三人なのね。こんなにも近しい魔力が、絡み合って流れ込んでくる)
ノルンの中から、三人の大精霊が姿を現した。
『過去と、今と、未来を流れる金の絹糸。紡げ、繋げ、来るべき明日へ』
ノルンの中から流れ出た金糸が泉の中に吸い込まれる。
湖面が金色に淡い光を放つ。
見る間に毒が浄化されていく。
金色の光が消えると、透き通るように透明な水が、小さく跳ねた。
「たった一度で泉の浄化が終わった、のか?」
目の前の光景に、ウィリアムが驚きの声を上げる。
「ノルンの浄化術はすごいな。マリアにも匹敵するんじゃないか」
レイリーの声も、驚きを隠せない様子だ。
「ノルンの魔術は母親譲りだからな。母上の光魔術は、今のマリアとそっくりだ。広範囲浄化術も使える術師だったぜ」
「その御母上の能力を譲り受けているのなら、ノルンの能力の高さも頷ける。精霊国にも二人といない、光魔術師だ」
ウィリアムに褒められて、ノルンは顔が熱くなった。
「でも私は半魔だから、光魔術は本来なら使えないはずで、得意でもないの。きっとレイリーの高揚術のお陰よ」
「言っただろ、半魔は優秀だって。ノルンには人の血が通っている。光魔術が使えるのは必然なんだよ」
必然、というレイリーの言葉が、妙に心に沁み込んだ。
「この調子で、もう一度、泉の浄化をしよう。その後は、大樹の再生だ。ノルン、また手伝ってくれるかい?」
ウィリアムの問いかけに、ノルンは大きく頷いた。
「手伝わせてほしいわ。私も皆の力になりたいの」
ノルンに向かって微笑んでくれるウィリアムの顔は、まさに理想の王子様だ。
顔が熱くなるのを感じて、ノルンは少し俯いた。
ウィリアムが不思議そうな顔をしているのに気が付いて、レイリーがノルンを膝から降ろした。
「泉の浄化の続きは、明日にしよう。ノルンを休ませてあげないと、疲れてしまうからね」
ざわり、とユグドラシルの大樹が揺れた。
風もないのに、葉が擦れ合って音を奏でる。
「何だ、一体……」
不穏な空気を感じて、当たりを見回す。
スルとウル、ノルンの大精霊たちが飛び出した。
『奇石が、動いた』
『娘の中で、竜神が目を覚ましたわ』
『復活の時は、もうすぐ』
ウルズ、ヴェルサンティ、スクルドが、次々に言葉を紡ぐ。
『もう、止まらないわね』
『でも、依代の娘の方も、生きているね』
ウルの言葉に、ウィリアムが迫った。
「本当か? ノエルは、無事なんだな」
切羽詰まった表情のウィリアムとレイリーを交互に眺めて、ウルは呟いた。
『ちょっと様子がおかしいんだ。一つの体に二つの魂が内在している』
『本当なら、すぐ竜神に魂を上塗りされちゃうのに、しぶとい娘ね』
スルの言葉を聞いて、レイリーが思わずといった具合に吹き出した。
「ノエルらしい。彼女ならきっと竜神も誑し込んでしまうね」
「その図太さは洒落にならねェだろ。創世の神に勝つ気かよ」
呆れるカルマの顔にも、どこか安堵が浮かんで見える。
「本当に、どこまで心配させるんだ、ノエルは」
疲れた顔で頭を抱えるウィリアムを眺める。ウィリアムは少なからずノエルに好意を抱いているのかもしれないと、ノルンは直感した。
(私の見た目とか、性格とか、ノエルって娘に似ている、のよね)
何となく切なくなって、考えを切り替えた。
(ダメよ、ダメ! 卑屈になっちゃダメだわ。ちゃんとアピールしなさいって、レイリーにも言われたじゃない)
それに、ノエルはウィリアムやレイリーにとって大切な仲間だ。その仲間がピンチの時に、自分は何を考えているのだろう。
改めて、反省した。
「ウルズ、ヴェルサンティ、スクルド、力を貸して。竜神ミツハがノエルを飲み込まないように、祈りを送りましょう」
手を合わせて、念を込める。
『紡げ、繋げ、金の絹糸、明日に魂が届くように。金の糸をミツハとノエルの元へ』
空に向かって大きく手を伸ばす。
三人の大精霊が紡いだ糸が、空高くに舞い上がった。
「ノエルの魂が、この世界に留まり続けてくれますように」
空に消えていく金の糸が見えなくなるまで眺める。
「ありがとう、ノルン。俺たちの仲間のために祈ってくれて。嬉しいよ」
ノルンの肩に手を置いて、ウィリアムが微笑んだ。
その笑みが決して自分のためではなくても、今は嬉しかった。
「私も、いつかノエルに会ってみたいの。だから、無事でいてほしいわ」
少しずつざわめきを収めるユグドラシルの大樹を、ノルンとウィリアムは静かに眺めていた。




