50.ここから新しく始めよう
カルマが作ってくれた飯は、案外美味かった。
本当に何でもできるのだと思うと、少し、いやかなり悔しい。
「育ってきた環境の違いだろ。お前にだって俺より得意なことがあんだろうか」
もしウィリアムの心情に気付いたら、カルマはきっとそんな風に言うのだろう。気遣いを相手に気付かせないよう、わざと粗野な言い回しと表情で、相手が欲しい言葉を与える。
(そんなことまで、想像できるようになってしまった)
カルマはウィリアムよりずっと大人だ。
自分がどんな役回りを演じるべきか、集団の中でどう立ち回るべきか、ちゃんとわかっている。
出会ってから一月も経っていない、しかも恋敵だ。
だけど、あれ以来、カルマがレイリーに指一本触れていないことも知っている。
(大事な人の幸せを願うっていうのは、こんなにも難しいものなんだな)
鈍りそうな決意を固めるために、ウィリアムは拳を握った。
家の外に出ると、ユグドラシルの葉が風に揺れていた。
ここは防御結界が張られていて、外からくる瘴気が入り込まないようになっているとカルマが話していた。
(つまり、結界が綻んでいるのか。修復しないと、大樹の痛みが進行するな)
視認と魔力で結界を確認して歩く。上を向いたまま歩いていたら、何かにぶつかった。
「うわぁっ! リアム、目が覚めたんだな」
地面に転がっていたのはレイリーだった。
「すまない、よそ見して歩いていたから。怪我はないか?」
慌ててレイリーの手を取り、立ち上がらせる。
「私の方こそ、すまない。多分、探していたものは同じだろ」
レイリーが上を指さす。
どうやらレイリーも結界の綻びを探していたようだ。
「綻んでいる箇所があるというより、全体的に緩んでいるように感じるな。上から張り直した方がよさそうだ」
ウィリアムの言葉に頷いたレイリーが、くすりと笑んだ。
「やっぱり結界に関してリアムには敵わないな。本格的に伸ばしたら、精霊国でも指折りの結界師になれると思うよ」
昔からレイリーはウィリアムに同じ勧めをする。
その度にウィリアムは攻撃魔法を極めたいと、頑として突っぱねていた。
戦士として後衛を護るレイリーを護るなら、前衛で出るのが望ましいと思っていたから。
「うん。そうしてみようと思う」
「え?」
驚いた顔で問い返したレイリーに向き合う。
「レイリーが見出してくれた俺の才能を、伸ばしてみようと思うよ」
ウィリアムを眺めていたレイリーが、表情を変えて微笑んだ。
「そうか」
「結界の修復をしたいんだが、手伝ってくれるかい?」
ウィリアムが手を差し出す。
「勿論だよ」
レイリーがその手を取った。
手と手を合わせて、目を瞑る。
レイリーの魔力がウィリアムの中に流れ込んでくる。
魔力の核が、腹の奥にある燻ぶった力が刺激されるような感覚だ。
(高揚術って、こんな感じなのか? 体の奥から何かを引っ張り出されるよな)
大樹と泉、それにノルンの住む家の四方を円形に囲むようなイメージを造る。柔らかくて温かな炎が優しく総てを包んでくれるように。
何者も、傷一つ付けられないように、永遠に守れるように。
『友を招け、咎を焼け。永遠の炎よ、大切な友の安寧を護れ』
大きな魔力が渦を巻いた。
ヴェールのように柔らかで優しい炎が緩み掛けていた結界に重なる。
元の結界に溶け込んで、強靭な防御結界が完成した。
「風が止んだな。これでこの場所はしばらく大丈夫だ」
「しばらく、なんてものじゃないよ」
振り返ると、レイリーが泣いていた。
「レイリー⁉ どうしたんだ? 無理をさせたか?」
狼狽えるウィリアムに、レイリーが首を振る。
「いつの間に、こんなに強靭な防御結界を造れるようになったんだ? しかも火魔法と光魔法の融合なんて」
「それは、ノエルの入れ知恵で」
魔法を単体で使うより合わせて使った方が強くなると教えてもらった。折角だから侵入者を阻む炎の防壁を造った。
「前から考えていたんだ。攻撃も防御も出来る魔法。初めてやってみたけど、できたのはレイリーのお陰だ。高揚術が、俺の力を引き出してくれたんだよ」
ウィリアムは一度、俯いた。
今、この瞬間に伝えないと、きっと決意が鈍る。
拳を握って、顔を上げた。
「レイリー、大事な話があるんだ。聞いてくれるか?」
ウィリアムの表情を見詰めていたレイリーが、頷いた。
レイリーの手を取り、両手で包む。
壊れそうなものを包み込むように、大事に握った。
「君との婚約を、破棄する」
レイリーが大きく目を見開いた。
「俺はずっと依存していた。君だけが俺の誇りだった。子供の頃の思い出から抜け出せないで、君を縛り付けていたのは、俺だった」
「それなら、私だって! リアムの傍にいるためだけに努力してきたんだ。そうしていれば、余計な雑音は入ってこない。余計なことを、考えなくていい。だから」
レイリーの言葉が徐々に弱くなる。
今のレイリーは、きっとウィリアムと同じ気持ちなのだろう。
「俺たちは、このままじゃダメだ。歩き出さなきゃいけない。俺たちが行く道はきっと、違う道なんだ。婚約者のままじゃ、お互いに歩けない道だ」
「リアム……」
レイリーの目に涙が堪っていく。
涙を拭ってやりたい。けれど、その役目はもう自分ではない。
「これからは友人として、高め合おう。違う道を歩いても、また道が交わった時には、笑顔で言葉を交わせるように。都合のいいこと、言っていると思う。けど俺は、俺の人生からレイリーが全く消えるなんて、想像できないんだ」
レイリーがウィリアムの手を強く握った。
何度も何度も、首を横に振る。
「都合がいいなんて、思わない。狡いのは私だ。リアムにこの言葉を言わせた、私の方だ。私だって、私の人生からリアムが消えるなんて、考えられないよ」
ぽろぽろと涙を流すレイリーの肩を抱き寄せたい。
気持ちはずっと変わらないのに、それができなのが、もどかしい。
(自分で泣かせておいて、何を考えているんだろうな、俺は)
レイリーの手を両手で包む。
それが、今のウィリアムにできる精一杯だった。
「レイリー」
愛おしいその名を呼んで、レイリーの額に自分の額を、こつんと併せた。
「幸せになれ。俺も、幸せになるから。お互いに、幸せになろう。絶対だ」
「リアム、リアム……」
レイリーが何度も頷きながら、何度もウィリアムの名を呼ぶ。
「私も、願ってる。リアムの幸せを、ずっとずっと、願っているから」
涙でぐちゃぐちゃになったレイリーの顔を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。人前で泣くような振舞を、淑女の彼女はした試しがない。
(俺の前ですら、我慢していたんだな)
レイリーの目から流れた涙が、ウィリアムの手に零れた。
涙がウィリアムに沁み込んで、胸を熱くする。
ウィリアムの胸が、赤く光を放った。
「え? な、なに……?」
渦を巻いた魔力がウィリアムを包む。赤く畝った炎が飛び出して、またウィリアムの中に戻った。
(なんだ、胸が、熱い)
ぐらりと傾く体を、レイリーが支える。
胸の中に、確かに強い何かが宿ったのが分かった。
『増強術、習得、おめでとう』
おめでたくなさそうな顔をしたスルが、ひょっこりと顔を出した。
『レイリーと別れて術が開花するなんて、皮肉ね』
スルは表情を変えると、ウィリアムの肩に座った。
『でも、仕方ないわ。アナタたちにとってそれは必然で、通るべき道だったってことよね。私はウィル一筋だから、心配しないでね』
スルがウィリアムの頬に口付ける。
ウィリアムは困った顔で笑った。
「でも、実感が湧かないな。特別何かが変わった感じはない。強いて言うなら、自信が付いた、かな?」
その感覚も、上手く言葉にはできなかった。
『それでいいんだよ~。そんなものだから』
レイリーの胸の隙間から、ウルが飛び出した。
『ウィリアムの増強術は魔力を強める力。カルマの抑止術は魔力を押さえる力。レイリーの高揚術のバランスを取るために必要なんだ』
『でも、自分や他の魔術師の魔力の増強にも使えるわよ。逆に増え過ぎたら、カルマの抑止術で抑えてもらえばいいの』
『君たちはそういう関係性なわけだよ。カルマもわかった?』
ウルがカルマに声を掛けた。
かなり遠くではあったが、後ろの方にカルマが気まずそうに立っていた。
「ヤベェ強さの防御結界が張られたから様子見に来たら、その、なんだ。覗き見しに来たわけじゃねェぞ」
ウィリアムはカルマに歩み寄る。
その頬を思いっきりぶん殴った。
よろけたカルマが地面に転がった。
「レイリーを泣かせたらその時は今度こそ、奪い返しに行くからな。忘れるなよ」
「じゃぁ、意地でも泣かせるわけには、いかねェな」
ウィリアムが手を差し伸べる。
カルマがその手を取って、立ち上がった。
家の戸口で三人のやり取りを眺めているノルンの姿に、ウィリアムはこの時、気が付いていなかった。
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一応これが、この物語の「悪役令嬢婚約破棄」イベントです。
レイリーは全然悪役ポジじゃなくなっちゃったけど、この乙女ゲームの中ではそういう設定なので、一応。




