49.新しい目覚め
また一つ、金の絹糸が伸びる。
ウィリアムの目の前に、精霊が現れた。
『スクルドが見せる未来は、必然よ。ウィリアムが迎える、いずれ来る明日の話。ウィリアムを受け入れたウィリアムが迎える朝に、素敵な陽が昇るよう祈るわ』
スクルドがウィリアムの額に口付ける。
ウィリアムは素直に目を閉じた。
どこかの国を空の上から眺めていた。
見覚えがある国が見覚えのない国に繋がっている。
友人たちが、父が、母が、兄が、笑って暮らせる国なんだと思った。
気に食わないカルマも、自分に似ていると思う魔族のユミルも、大事な友人だと認識している自分がいる。
新しい仲間が増えて、敵だと思っていた人が味方になったり、味方だと思っていた人が敵だったり、人生の縮図のような感情が、光の速さで胸中を流れていった。
自分の隣にレイリーは、きっといないんだろう。
(でも俺は、笑っている。誰かに、笑いかけている)
伸ばした手を握ってくれる温かい手を確かに感じる。
(そうか、俺はもう、歩き出さないといけないんだな。一人で蹲っていては、いけないんだな)
歩き出したいと、皆と一緒に歩いていきたいと、そう願った。
浮遊していた体が、地に足を付ける。
自分の足で大地を踏みしめ、歩く感覚だ。
『こっちよ、ウィリアム』
金糸を纏ったスクルドが、導いてくれる。
『長い夢は、どうだった?』
「辛かったよ。けど、覚悟が決まった。だから、良かったと思うよ」
ウィリアムの顔を眺めていたスクルドが笑った。
『ウィリアムが歩む道の先に、光あらんことを願うわ。私たちはこれからも、ウィリアムを見守っているからね』
目の前が明るく開けた。溢れる光の中に、ウィリアムは自分の意志で足を踏み入れた。
〇●〇●〇
目が覚めると、ベッドに横になっていた。
すぐそばにある窓からは、陽が差し込んでいる。
(温かいな)
右手を誰かが包んでくれている。
視線を向ける。
ノルンがウィリアムの手を握ったままベッドに突っ伏して眠っていた。
(ああ、やっぱり)
ノルンの柔らかい猫っ毛を撫でる。
「ん……」
少しだけ身じろいで、ノルンがまた眠りに入った。
「やっぱり、君だったんだな」
手を握ったまま、ウィリアムはノルンの髪に口付けた。
起こさないように、そっと抱き上げてノルンをベッドに移す。
そっと部屋を出て、階下に向かった。
一階に降りると、カルマが部屋の掃除をしていた。
「やっと起きたか。お前、三日も寝ていたんだぜ。腹減っただろ、何か作ってやるよ。そこに座って水でも飲んでろ」
水差しとコップを目の前に置かれる。
「レイリーは?」
水を飲みながら尋ねる。
部屋の中に姿が見当たらない。
「泉の水質を調べるってさ。レイリーが契約してんの、水の精霊だろ。ウルとか言ったか。一緒に調べているよ」
「そうか」
何となく、ほっとした。
今、顔を見ても、きっとすぐに言葉が出てこない。
「おい、寝ぐせついてんぞ。そういや、顔洗ったのか? 洗面所そこにあるから洗って来いよ。ちゃんと歯も磨けよ」
ウィリアムの髪の毛を引っ張りながら、カルマがタオルを渡してくる。
「お母さん、みたいだな」
ウィリアム的には乳母か侍女だが、こういう場合はきっと、お母さんを連想するのだろう。
カルマが、あからさまに顔を顰めた。
「あ? 手前ェに生活力がなさ過ぎんだよ。このヘタレ皇子が」
ぱしん、と頭を叩かれる。
なんだがおかしくなって、ウィリアムは小さく笑った。
「随分とすっきりした顔してんな。そういや、ノルンは? お前の側にいただろ」
「眠っていたから、ベッドに移動させた。もしかして、ずっと付いていてくれたのか?」
「占いが終わってもお前が目覚めないから心配して、な。責任を感じたんだろ。実際、負荷は大きかったみてェだし」
カルマがじっとウィリアムを見詰める。
確かに、少し疲れた感じはする。魔力が削がれているような感覚だ。
それよりも、ノルンがずっと手を握ってくれていた事実の方が、ウィリアムには大事だった。
「で? ノルンの『占い』は、どうだった?」
カルマの問いかけに、ウィリアムは問いを返した。
「あれは本当に『占い』か? まるで福音、いや、予言だ。神がかった力を感じた」
「あながち間違いじゃァねェな。ノルンは魔剣の巫女だ。神の声の代弁者だからな」
「魔剣の巫女……、フレイヤの剣の継承者のような存在か?」
「継承者とは、違うかな。魔剣の守護者みてェな。継承者の伴侶が魔剣を護るのが魔国の昔からのしきたりだ。魔剣は男ばかりを継承者に選ぶから、基本は王が選ばれる」
そのあたりはフレイヤの剣とは違うらしい。
フレイヤの剣は継承者の性別を問わないし、必ずしも王になるとは限らない。王族の身内にはなるから、限りなく権力に近い場所にいることにはなるが。後者に関しては、どちらかといえば剣ではなく人の都合だ。
「それにノルンも、正確には巫女になるはずだった、かな。ノルンが魔剣の巫女になる前に、魔剣は消息が分からなくなったから。先代の巫女である俺たちの母親が死んだ、すぐ後だ」
「お前の母親は、魔剣にも選ばれていたのか?」
カルマがまた頷く。
フレイヤの剣に選ばれた人間が魔剣にも選ばれることが、あるんだろうか。
継承権を辞退して魔国に渡る人間の方が珍しいのだから、イレギュラーではあるのだろうが。
「優秀な人だったんだな」
ウィリアムの呟きに、カルマが首を傾げた。
「優秀かどうかは、わからねェが。皆に愛された人ではあったよ。国母と呼ばれて国民にも人気があったしな。あの頃は、革命軍なんかなかった。平和だったよ」
母親について語るカルマの顔は誇らしげに見えた。
お前も愛していたんだな、なんて聞くまでもない顔だ。
それに、きっと彼にとって遠くない過去を懐かしんでいるようにも見えた。
「魔剣は何故、消えたんだ。まさか、窃盗か?」
「わからねェ。神の剣が窃盗に遭うなんて考えたくねェが、その可能性もあるし、自分から姿を消したのかもしれねェし。いまだに、わかっていねェんだよ」
リンリーの死後、姿を消した魔剣。
二人の神に愛された女性の死後に、魔国は一変して異常気象に見舞われた。
(リンリーとは一体、どんな女性だったのだろう)
同じくらい、曾祖母についても気になった。
親族の間では、曾祖母メロウについての話題は暗黙のタブーになっている。詮索など、以ての外だ。
だからウィリアムやアイザックも「偉大なる大御婆様」としか認識していない。大いなる権力を有した女帝であったと。
数回、謁見した曾祖母から感じたものは、威圧感と恐ろしさ。子供心に泣き出しそうになって、必死にアイザックの服を握り締めていたのを覚えている。
(国母と女帝、か。もしリンリーがフレイヤの剣を継承していたら、俺たちの曾祖母はリンリーだった。そんな今も、あったかもしれないんだよな)
そう考えると、カルマやノルンも他人とは思えなくなってくる。
(俺たちは知らないきゃいけない。大御婆様メロウ=メイソン=フォーサイスが、本当は何者なのかを。だよな、アイザック兄上)
今頃、ローズブレイド領にいるアイザックに想いを馳せる。アイザックならウィリアム以上に真実を受け止められる。
(だから俺は、今、自分がやるべきことをやろう)
窓から見えるユグドラシルの大樹の葉が揺れる様を眺めて、ウィリアムは決意を新たにした。




