45.魔獣の森を抜けて
マリアたちが馬車に揺られている頃、ウィリアム達は魔獣の森の中を歩いていた。
「魔獣の森から魔国に入れば、その先がすぐウルズの泉で、その畔にユグドラシルの大樹がある。この森は元々、ユグドラシルの大樹を護るための鎮守の森だったんだ」
カルマが安全な道を探しながら先導する。
「魔性スズランを探しに来た時とは、瘴気の量が全く違う。ほとんど流れていないな」
レイリーが辺りを見回した。
瘴気が少ないせいか、昼間のせいなのか、あの時とは景色まで違って見えた。
「あの時は俺が瘴気をコントロールしてたせいもあるなァ。侵入者だと思ったから警戒した。実際、侵入者だったしな」
「自国の森に入って何が悪い。お前の方こそ、侵入者だろう」
ムッとして、ウィリアムはカルマに食って掛かった。
カルマは怒るでもなく、ウィリアムを白々しい目で眺めた。
「まァ、そうなんだけどよ。そろそろ、その考え方は改めたほうが良いぜ。すぐには無理だろうが、お前らの仲間ン中で、お前だけが固定概念に囚われすぎてるように見える。苦しくねェか?」
ウィリアムは何も言えなくなった。
ノアの話を聞いた後、各々が考え方を変え、成すべきことを定めたように見えた。
何より同じ王族のアイザックが、誰よりも早く切り替えた。
(兄上は昔から、そういう人だ。だが、俺は違う)
アイザックは昔から何でも器用にこなす。ウィリアムの方が優秀に見えていたのは、アイザックが『呪い』のせいで本来の力を発揮できていなかったからだ。
本来のアイザックは、ウィリアムよりもずっと有能な人間だ。それはウィリアムが一番よくわかっている。
ウィリアムは前を歩くカルマに視線を向けた。
(コイツも、兄上と同類の生き物だ)
粗野な話し方と雑な振舞で隠してはいるが、頭も切れるし行動力もある。本当はユミルよりカルマの方が優秀なのだろうと思う。
なのに、アイザックもカルマも権威に執着しない。自分ではない誰かを立てようと、下がる生き方をする。
ウィリアムにとってはそれが、堪らなくもどかしい。
(ユミルはカルマのことを、本当はどう思っているんだろうな)
優秀になることを求められ続け、期待に応えようと努力を重ねても優秀になり切れなかった自分だ。今更、幼少より埋め込まれた固定概念を簡単に覆すことなど、出来るはずがない。
ちらりとレイリーを眺める。
レイリーは自分と似た人間だと思う。だが彼女はカルマと出会い、触れ合うことで自然とその概念を取り払った。
それが悔しくもあり、羨ましくもあった。
(結局、変われないのは俺だけか)
ウィリアムは小さく息を吐いた。
「もう少し行くと、魔性スズランの生息地だ。その先に、魔国と精霊国の境界線になる結界がある」
カルマの指さす先は、大きな木で二つの道に分かれていた。
魔性スズランを探しに来た時、強い瘴気を感じて立ち止まった場所だ。
「ここで立ち止まった時は、怖くて進むのを止めようかと思ったな」
レイリーが懐かしそうに呟く。
左側の道を選んで歩を進めながら、カルマがぼやいた。
「そこで引き返してくれていりゃァ、今頃こんなことには、なっていなかったかもしれないぜ。何せ、ノエルの奇石に気付いたのは、あの時だったからなァ」
「あの攻撃的な瘴気は、お前だったんだろ。俺たちを追い払うためだったのか?」
「どうだろうなァ。俺は人間、嫌いだし、脅したかっただけかもな」
ウィリアムはカルマの腕を掴んだ。
「誤魔化すな。たまには、ちゃんと答えろ!」
本当は警告を発していたのではないのか。魔族に遭遇せずに済むように、あえて恐怖を煽っていたのではないのか。
もしそうだとしたら、何故本音を隠すのか。何故、自分の優しさや手柄を声高に主張しないのか。その態度が、ウィリアムは気に入らなかった。
少し驚いた顔でカルマが振り返った。
「何を怒ってんだ? 別に嘘は吐いちゃァいねェよ」
はっと我に返って、ウィリアムはカルマから手を離した。
「いや、すまない。何でもないんだ」
顔を逸らして、後ろに下がる。
そんなウィリアムの姿をカルマが横目で眺めていた。
しばらく歩くと、魔性スズランの群生地が見えた。
昼間のせいか、スズランは一様に花弁を閉じている。あの夜の夢のような光景とは全く違って、ただ白い花が咲いている花畑だった。
「この場所に魔性スズランが咲いていられんのは、ウルズの泉から水脈が流れているからだ。水そのものに魔力があるとされる命の水だ」
花畑の脇をすり抜けて、先に進む。
「水脈は精霊国も魔国も関係なく流れているんだな」
カルマの説明に感心しながら頷くレイリーは、どこか嬉しそうに見えた。
一時間ほど、歩いただろうか。
虹色の壁が視界を遮った。
ジャンヌが敷いているフレイヤの結界だと肌で感じた。
「これが結界だ。ウィリアム、開けてくれ」
カルマが親指で結界の壁を指さした。
ウィリアムはポケットから鍵を取り出す。
「すごい防御結界だ。さすが、国王陛下だな。カルマはあの時、どうやってこっち側に入ったんだ?」
結界に手をあてて見上げるレイリーがカルマに問い掛ける。
「革命軍のムラドって奴が結界を渡るレベルの術を使えんだよ。空間魔法と転移魔法の合わせ技みてェな技だな」
「そんな魔術が存在するんだな」
レイリーと同じように、ウィリアムも驚いた。
「ムラドだから使えるんだろうぜ。何せアイツ、天才魔導師サーシャの一人娘だから。娘っても、普段は男の姿してるけどな。ロキの姿でクラブ室に乗り込んで来た、アイツだ」
思わず鍵を落としそうになった。
驚くポイントが多すぎて、どこから突っ込めばいいのか、わからない。
「サーシャ学長はムラドの侵入に気が付かなかったのだろうか。自分の娘が来たのなら、魔力の気配でわかるだろう」
ノアやカルマがサーシャを革命軍側と疑う気持ちが、今更ながらに分かった。夫と娘が革命軍にいれば、連絡を取り合っていると思われても全く不思議ではない。
「さァなァ。サーシャは当時、赤子だったムラドを置き去りにして精霊国に帰還しているからな。娘っても、成長した姿も気配もわからねェんじゃねェの?」
ウィリアムもレイリーも黙ったままだった。
サーシャの精霊国への帰還が本人の希望ではなかったことくらいは、ウィリアムも知っている。国政に翻弄された魔導師だと記憶している。
精霊国の事情で魔国に追いやられ、同じように戻されたサーシャの心情は、どれだけだっただろう。
サーシャの家で話した時のあの反応は、サーシャのこれまでの人生の反映のように思われた。
(だからこそ、このままでは、いけないんだな)
突き付けられる現実や新たに知る事実が、変化を求めているように聞こえる。国の境を超えるほどの変化を必要としている。
(ノエルはもっと早くから、その事実に気が付いていたんだな)
ウィリアムは鍵を握り締めた。
結界の一部を一時的に無効化できるカギだ。ジャンヌがこれを貸し出すことは今までになかった。息子の自分でさえ、預かったのは初めてだ。
ジャンヌもまた、変化に対応しようとしている一人なのだろう。
「開けるぞ」
ウィリアムは鍵を結界に差し込んだ。時計回りに九十度回転させる。
虹色に輝いていた壁が、溶けるように消えた。
先頭を切って、カルマが結界の穴を潜る。レイリーが後に続いた。最後にウィリアムが渡ると、振り返り、結界を閉じた。




