38.ヨルムンガンドの子孫
引き続きロキ目線です。
静かに扉を開けて入ってきたのは、テュールだ。
眠るノエルに近づくと、呼吸を確認する。
「悪く思うなよ。竜神が復活してからでは、取り返しがつかない。お前も覚醒しないまま精霊国に帰れた方が嬉しいだろ」
テュールの腕がノエルに伸びる。
ばたん、と大袈裟な音を立てて扉を開くと、ロキは部屋の中に姿を現した。
「テュール、何してるの? ノエルに何か、用があった?」
ロキを振り返ったテュールが、ノエルから手を離す。
「今日にも竜神が復活するんだろう? ノエルの顔を拝めるのも、今日までだ。せめて見ておいてやろうと思っただけだ」
「へぇ? テュールがノエルを慮るなんて、意外だよ。碌に話したこともないのに、思い入れがあるの?」
テュールがロキを横目で睨む。
「思い入れなどないさ。竜神に魂を喰われるために生まれた哀れな娘だと思う程度だ。奇石など存在しなければ、静かに暮らせただろうにな」
テュールがノエルを見下ろす。
その瞳は言葉の通り、可哀想な生き物を憐れむ視線だった。
「竜神に選ばれたこの娘も、眷族の血を継ぐユリウスもアジムも、選ばれたお前も、皆、不憫だ。千年以上も昔に廃れた魂に縛られ生きるのは、馬鹿らしい」
「今更ノエルをどこかに連れ去っても、何も変わらないよ。アジムは眷族の血から解放されないし、ミツハの復活も止められない」
テュールが静かにロキに視線を向ける。
「愛する女が消えてなくなると知っても平然と主の復活を願う。それがどれだけ異常な思考であるか、眷族であるお前はもう気付けない。それが眷族の血の恐ろしさだ」
ロキはテュールを見据える。
「俺はノエルを諦めるつもりはないよ。どっちも護る。それがミツハの意志であり、俺の希望だからね」
ロキの表情を眺めていたテュールが冷めた目を向けた。
「本当にお前の希望か? ミツハの意志に飲まれている自分に気が付いていないだけじゃないのか? ミツハがノエルを諦めれば、お前は喜んでノエルを捨てるだろう」
テュールの瞳の奥には、怯えが見え隠れするように感じた。
「テュールは何を、恐れているんだ? アジムがアジムの意志を失くして、ミツハの意志に飲まれるのが、怖いの?」
テュールがあからさまに表情を曇らせた。
「竜神が復活し、アジムが眷族になれば、今までのように、この街を維持できなくなる。魔国の様相は変わってしまう」
「ならば何故、ノエルを攫った? アジムの変化を恐れるなら、反対すればよかったんだ。テュールならアジムにいくらでも意見できただろ?」
「竜神の復活は革命軍の目的でもあった。だがもし、竜神がこの街の存続を望まなければ、どうだ。お前がノエルを切り捨てるように、アジムはこの街を切り捨てる」
ロキは黙り込んだ。
正直なところ、自分がミツハの意志に支配されている自覚はない。それは恐らく、ミツハがそれを望まないからだ。
もしミツハが独善的な支配欲を持つ神だったら、テュールの言葉の通り、眷族の自我までも支配していたのかもしれないが。
(もし支配されていたら、ミツハの声にうんざりしたりしないと思うんだけどな)
毎日流れてくるミツハの、正直どうでもいい話を適当に切り上げたり、聞こえないふりをする眷族は、果たして従順だろうか。
(竜神ミツハが、実は寂しがり屋の緩々な神様だって知っているのは、今のところノエルと俺だけなんだよね)
更にミツハの目的が自分を消し去ってもらうことで、その為に桜姫を選んだのだと知っているのも、ノエルとロキだけだ。
それを伝えたら、違う意味でアジムは卒倒するかもしれないが。
「俺は俺の意志でノエルと、さよならしたんだ。むしろミツハには責められてるよ。主ならもっと応援してくれてもいいのに」
愚痴に近い言葉に、テュールが顔を顰める。
気を取り直して、ロキはテュールに向き合った。
「まぁ、いいや。テュールが恐れている事態にはならないってことだけは、断言してあげるよ。竜神ミツハの眷族としてね」
テュールはまだ、納得できない表情だ。
仕方なくロキは、話の流れを変えることにした。
「テュールはさ、俺と違って頭が良い人だから、考えすぎるんだろうね。革命軍では参謀で、国政では宰相だったんでしょ?」
「昔の話だ。革命軍では参謀といっても名ばかりで、やっていることといえば魔獣の世話程度だ。この場所に参謀など必要ないのは、見てわかるだろう」
テュールの目が窓の外に向かう。
確かに、ここは軍というより街だ。街を護る程度の軍事力があれば足りるだろう。
「この場所は、平和だよね。正直、驚いたよ。もっと殺伐としていると思ってた」
「アジムが作りたかったのは軍隊ではない。魔族が平和に暮らせる場所だ」
「テュールはアジムやアジムの考えが大事なんだね」
「街を護るリーダーは、ああいう男でないと、いかん。アジムを護ることは、街を護るに等しい。必要であれば俺は、竜神からもアジムを護る」
テュールの言葉に嘘はないのだろう。表情を見て、よくわかった。
だが、彼の行動原理がそれだけではないことに、ロキは気が付いていた。
「だからテュールが汚れ仕事を買って出るんだね。頭が良い人って、損な役回りを引き受けたがるの、なんでなんだろう」
テュールが口を引き結んだ。
「ここは地産地消で色んなものを賄っているみたいだけど、それだけじゃ立ち行かないよね? これだけの街を維持するなら、資金が必要だ。資金源は、これだよね?」
ロキは拾ったメモを広げて見せた。
「精霊国の売人に魔獣や魔族を売る。テュールは時に人を買っているみたいだけど、ほとんどは金に換えているんじゃない? そういう時、吸血衝動を抑えるの、大変でしょ?」
シャツのボタンを開けると、肩を広げる。
「いつもみたいに吸わせてあげるよ。俺はテュールが好きな半魔だから、少しは満たされるんじゃない?」
「魔獣の売買については、アジムも納得済みだ。資金集めのためには、仕方がない」
テュールが俯く。
「なら、魔族は? 魔族の人身売買についても、アジムは承諾済み?」
テュールが口を噤んだ。
「勘違いしないでほしいんだけど、俺は別にアジムに告げ口しようと思っている訳じゃないんだ。テュールの取引先を教えてほしいだけなんだよ」
「知ってどうする? 精霊国側に直訴でもするか?」
ロキは拾ったメモを取り出し、文字を指さした。
「鬼、一匹。これ、隠語だよね。ノエルに聞いてみたんだ。隠語で鬼って何だと思うって。神じゃないかって、返事だった」
テュールの顔色が変わった。
「ここから出荷できる神様は、今のところ一人だ。ノエルをどこの誰に引き渡すつもりだ? 前にも忠告したよね。返答次第では、俺はお前を殺すよ」
ロキの周りを風が逆巻く。
強い旋風に、テュールが顔を腕で庇った。
少しずつ後退り、扉に近づく。
「それ以上は退がれねぇぜ。逃がすわけにゃ、いかないんでね」
アーロがテュールの真後ろに立った。
魔法を仕掛けようとした腕を、ロキの風が弾いた。
「俺は精霊とも契約しているんだ。特に風の精霊スーとは仲良しでね。この砦くらいなら、今の俺なら一吹きで瓦礫にできる」
四人の精霊がロキの周りを飛び回る。
テュールが諦めたように肩を落とした。
「お前たちは、どこまで優秀揃いなんだ。精霊国に行っても、これほどの魔術師には滅多に遭わないぞ」
テュールが吐き捨てるように笑う。
「お褒めに預かり光栄だけど、俺はテュールに踊らされてあげたつもりだよ。このメモも、今日ここに来たのも、全部計画通りだろう? 俺が気付くようにわざと仕込んだんだ。俺に糾弾させるために」
テュールの視線がロキに流れた。
「魔獣の柵の前で俺に吸血させたのも、わざとだよね。テュールなら、誤魔化そうと思えばもっと巧くやれたはずだ。なんで、俺に誘いをかけた?」
ロキを眺めていたテュールが、鼻で笑った。
「やはり存外、頭の切れる男だな、ロキ。気付かなければそれまでと思っていたが。俺もそろそろ黒い商いには飽きたからな。お前たちの手を借りて切るのもいいと思ったんだ」
「本当に、それだけか? 人を買えなくなったら、テュールは困るんじゃないの? 好きに人を喰えなくなる。アンタからは、吸血以上に濃い血の匂いがするよ」
ロキは目を細めた。
テュールが息を吐いた。
「人の血肉は美味い。特に心臓と脳は格別だ。こればかりは、魔獣を祖に持つ魔族でないと、理解できないだろう。アジムには、きっとわからない」
テュールが視線を落とした。
「けどな、魔族と同じ形をした生き物を喰わねばならん心境は、もっとわかるまい。本能は血肉を欲するのに、心は抉られる。吐き気をもよおしながら美味いと貪り喰らう衝動で、自分の心と体がばらけそうになる。もう、疲れたんだよ」
ロキは息を飲んだ。
食われる側の気持ちなら、考える。今までずっとロキは捕食される側だった。
だが、喰らう側の気持ちなど考えたこともなかった。
「テュールは人を喰わなきゃ、死ぬの?」
「別の食い物でも、体の維持には問題なかろう。だが、こればかりは本能だ。衝動的に求めてしまう。それを押さえる魔法も薬もない。いっそ死んでしまえばいいと、思うよ」
ロキは視線を下げた。
魔族とは、もっと身勝手に我欲で捕食する生き物だと思っていた。そうであってくれたら、どれだけ楽だったろう。
喰らう側も悩んで、自分の本能に抗おうと必死なのだ。
(アジムが『人喰鬼団』の噂を放置している理由は、テュールの事情を察していたからか。あながち嘘でもなかったってことだ)
その噂があったほうが、テュールは精霊国から人を買い付けやすい。
あの時、無音結界を張ったのも、テュールへの配慮だったのだろう。
「取引先なら、教えてやる。鬼一匹の受取先だ。奴らは魔石を持つノエルを求めている。人を魔族にできる存在をな」
ロキは顔を歪めた。
「何故、ここにノエルがいることを知っている? それを話すほど、テュールは軽率じゃないだろ?」
「事情を知ることができる立場の人間だからだ。俺の取引先は、聖騎士団団長の家系である、メイデンバルク家だ」
ロキは思わず言葉を詰まらせた。
それ以上に、後ろに控えるアーロの顔色が変わった。
「あの家の嫡男は貴族でありながら魔術が使えない。それに頭を悩ませているんだろうよ。ノエルの血で息子を魔族にでもして、魔術が使えるようにしたいんだろう」
それは確かに大変な事実だ。
だが、それ以上に大変な事実がある。
「メイデンバルク家は、フレイヤの剣の先代継承者の実家、だったよね」
ロキの問いかけに、アーロは静かに頷いた。
つまり、ジャンヌの御婆様の御実家、ということになる。王家とは親戚関係にあたる家柄だ。
王室の近衛兵団団長の家系であるカーライル家とも付き合いは深い。
「こいつぁ、思った以上に面倒なことになってきやがったなぁ」
ずっと黙っていたアーロが思わず零した言葉には、同意しかなかった。
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