37.さよならの準備
ロキ目線です。
砦の最奥の部屋の前で、ユリウスがロキを振り返った。
「じゃぁ、ロキ。あとは頼むね」
微笑むユリウスは特に緊張している様子もない。
何かが吹っ切れた顔をして見えた。
「失敗したら約束通り、俺がユリウスを殺してあげるから、安心してノエルを連れ帰ってきてよ」
「そっちもだけど、別件もね」
ユリウスがとある方向を指さす。
ロキは頷いた。
「ユリウスは何も考えずにノエルに集中しててよ。こっちは一人じゃないんだし、問題ない」
「それも、そうだね」
ユリウスが扉に手を掛ける。
部屋の中に消えそうになるユリウスの背中に向かって、思い切って声を掛けた。
「ユリウス先生、俺はやっぱり先生が羨ましい。でも、真似ばっかりじゃ変われない。だから、前に進むことにするよ」
振り返ったユリウスが驚いた顔をしていた。
「正直、羨ましいなんて言われる日が来るとは、思っていなかったよ」
ユリウスが照れたようにはにかんだ。
「ありがとう。きっとそういう意味じゃないだろうけど、ロキのお陰で、自分に少しだけ自信が持てた。だから僕も、応援しているよ」
ユリウスが部屋の中に消えていく。
ぱたりと、扉が閉まった。
「確かに、そういう意味じゃないよ。でも、アンタは人に羨望される立場にいるんだって、もっと自覚したほうが良い」
言葉と共に、扉に空間魔法を施す。
「さてと。俺は俺の仕事をしないとね」
背を向けて、ロキは廊下を歩き出した。
長い廊下を抜けた突き当りには大きなバルコニー付きの部屋がある。
革命軍の砦に連れてこられてすぐにノエルがいた部屋だ。
鍵を開けて中に入る。
大きなベッドにノエルが眠っていた。
「本当にただ、寝ているだけみたいだな」
ノエルの顔を覗き込む。
頬に手を添えて、するりと撫でた。
唇に、そっと触れる。
あの時、この場所で、ロキは魔族になった。
初めてのノエルからのキスは、文字通りロキの人生を大きく変えた。
(もう二度と、ノエルとキスすることは、ないんだろうな。いや、きっとあっちゃいけないんだ)
ノエルへの想いの始まりは、一目惚れに近かった。
顔も身長差も好みだったし、話し方も声も好きだった。
勤勉で努力家で、なのに慢心することなく、それどころか自己評価が低くて、どこか放っておけなくなった。
普段は論理的に話すのに、照れると何も言えなくなって、しどろもどろになるギャップが可愛いくて仕方なかった。
一緒に新しい魔法を試している時のキラキラした目が大好きで、幾つもの魔法実験をした。そのお陰で、新しい魔法もたくさん覚えた。
精霊術の講義の時にロキのためにバングルを造ってくれた時は嬉しかった。今でも肌身離さず身に着けている。
ノエルへの想いも思い出も、数え上げたらキリがない。
(ユリウスは変わった。適当にあしらったりせず、俺に正面から向き合って話すようになった)
今のロキを只の生徒ではなく、一人の人間として、同じ眷族として、対等に接してくれているからだろう。
でもきっと、それだけではないと、ユリウスの記憶を見て思った。
ユリウスは、どこかで人を恐れていた。だから誰に対しても距離を取っていた。それがあの、煙に巻くような態度だったのだろうと思う。
(だったら俺も、前に進みたい。いつまでも振られた女の子を引き摺っているのは、格好悪い)
「さよなら、ノエル」
触れた指を離して、ロキは小さく呟いた。
「いいのか? ロキ」
アーロがロキを見下ろす目は、どこか寂しげだ。
「決めたんだ。俺が決断しなきゃ、ノエルも変われない。それじゃ、ダメだろ」
「人を想う気持ちはそう簡単じゃないぜ。俺は今のままでもいいと思うけどな」
たった一人を強く思い続けるのは難しい。生きていれば、大切な人は増えていく。ノエルが少なからずロキを想ってくれているのも、知っている。その気持ちに甘えていた自分も。
相手がノエルでなかったら、それでも良かったかもしれない。たとえ、一番になれなかったとしても、納得してその場所に甘んじることも出来た。
「そろそろ二番手には飽きたんだ。それに俺にも、気になる娘ができちゃったからね。その子を二番目にはしたくないんだよ」
アーロがロキの頭を撫でる。
「こんな風に少年は大人になっていくんだなぁ。先生、嬉しいようで切ないぜ」
「少年ってほどガキじゃないよ。それより、アーロは口出ししないでよね。俺がユリウスに頼まれたんだから」
アーロの手を振り払い、顔を上げる。
「わかってるよ。ユリウスは良い教え子に恵まれたな。ロキは最初からユリウスと仲が良かったもんな」
「それは多分、父上の影響だよ。うちの父上は精霊国じゃ変わり者だから」
「ロレインは面白いおっさんだからなぁ。俺も可愛がってもらったぜ」
光属性が多い貴族階級の中で、自然属性のトップに君臨するカーライル家は、闇魔術師に対して好意的な家系だ。
それを差し引いても、ロキの父親は闇魔術や魔族に異常な関心を寄せていたように思う。その気持ちの表れが、ノエルとロキの婚約話だった。
中和術を扱い、高い闇魔術を操る魔石持ちのノエルに、父親はやけに執着していた。闇魔術師の血をカーライル家に取り込みたかったのだろう。
「そんな父上で良かったと思っているけどね」
自分が魔族になることに大きな抵抗がなかったのも、父親の教育のお陰だろうと思う。ロキが魔族の仲間入りを果たしたと知ったら、諸手で喜びそうだ。
扉の向こうから、気配が近付いてきた。
ロキとアーロは顔を見合わせると、頷き合う。
「仕事の時間だ。上手くやれよ、ロキ」
アーロが部屋の中に姿を隠す。完全に気配を絶つのを確認して、やはり優秀な闇魔術師なのだと再認識した。
「任せてよ。ここに来てから、俺も結構ずる賢くなったんだ」
ニヤリと口端を上げると、ロキは扉の側に身を隠した。
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