34.竜神ミツハの願い
桜姫はミツハと見詰め合っていた。
「消すって、どういうこと? 死ぬ、ってこと?」
「死、といえば、そうなのかもね。だって、おかしいでしょ? 私はもう千年以上も奇石の中でじっとしているのよ。総てが見えても何もできないのに、世界を見続けているなんて。フレイもフレイヤも、この世界には、もういないのに」
何も言えなかった。
千年もの長い間、たった一人で奇石の中に存在し続けるのは、どれだけ辛かっただろう。
「消えることが、ミツハの願いなの?」
「そう。でも、私が人に巣食うと、人の方が死んでしまうから。だから、私を消せる人を探していたのよ」
「それが、私? どうして?」
「だって、桜姫って図太そうだから。私に魂を喰われたりしないでしょ」
明るく笑うミツハを睨みつける。
「真面目に聞いてる。私はミツハを消す方法を知らない。それに、私は」
ミツハに消えてほしくないと思っている。
さっき出会ったばかりだが、直感的にそう思った。
「ミツハはきっと、私を助けてくれる。私が間違いそうな時、止めてくれる。私は、ミツハともっと一緒にいたい、いてみたい」
竜神ミツハを創作したのは、自分ではない。
竜神ミツハなんてキャラを、桜姫は知らない。
だからこそ、神だと思える。だからこそ、頼りに思う。
「いいよ」
ミツハがあっさりと答えた。
「私の願いが叶うまで、私は桜姫と一緒にいて、ノエルを助けてあげる。だから私の願いを、叶えてくれる?」
桜姫は考え込んだ。
「ミツハはどうして、消えたいって、思うの?」
桜姫の顔を見て、ミツハが笑った。
「桜姫は優しい子よね。私が消えたくないと思えるように一緒にいようとしてるんでしょ? ここは心の中だから、声は丸聞こえだって、教えたじゃない」
言葉に詰まった。
やっぱりミツハの方が何枚も上手だと思う。
「ユリウスがあんなに必死にノエルの吸血を拒む理由には、もう気が付いたでしょ? 血の本能に抗ってでも桜姫を失いたくないから。眷族の血より竜神ミツハより、ユリウスは桜姫を選んだ」
胸の奥が熱くなる。
そうであってほしいと感じていた願望も、ミツハに言葉にされると真実味を帯びてくる。
「私が存在することで、振り回される眷族がいる。生きるはずの命を一つ消してまで、復活を願う人たちがいる。諍いや悲しみの連鎖にしか、ならないわ」
精霊国神話の序文が、頭に浮かぶ。
竜神ミツハはいつだって諍いを好まない。自分がどれだけ理不尽に遭っても、争わず恭順して平穏な生活を望む神様だ。
「ミツハを消すためには、どうしたらいいの?」
俯いたまま問う桜姫に、ミツハが困った顔で微笑む。
「私の核を探してほしいの」
「核って、魔力の核?」
「そう。フレイヤの剣と魔剣に填め込んである石は、それぞれフレイとフレイヤの核が石化したものよ。核の中で眠りに就けば、魔力だけを内包させて消えられる。私は核を失くしたから、自分が抉った左目を依代にするしかなかったの」
「どうして、そんな大切なもの、失くしたの?」
やや呆れた声が出てしまった。
自分の胸の中にある核を、どうしたら失くせるのだろう。
「奪われちゃったの、フレイに。離れたくなさ過ぎて核を持っていかれちゃったのよね。そのすぐ後に、フレイヤに幽閉されちゃったから、返してもらえなくて」
「えっ」
濁音の付いた声が出た。
愛が深いにも程があるというか、愛なのかさえ疑わしい行為だ。
「よく死ななかったね。魔力も使えたの?」
「核が体から離れた程度で死なないよ。いまだに私の核、動いてるし。だから死ねないのよ。魔力もあるし魔法も普通に使える。でも力は極端に下がるよ」
「だから奇石の中にいるのか」
妙に納得してしまった。
「だとしたら、ミツハの核は魔国にある可能性が高いのか。王族が何か知っているかもしれないし、長らく王族に仕えていた革命軍のアジムやテュールなら、ヒントになること知っているかもね」
ミツハがキラキラした目で桜姫を見詰める。
「ほら、やっぱり桜姫なら考えてくれる。きっと、私の核を探し当ててくれる」
期待に満ち溢れた瞳に、桜姫は目を細めた。
「探すのは手伝うけどさ。目の前の問題として、ノエルの体に二つの魂が内在している状態はアリなのかってのが不安なんだけど」
「ナシね。今、ユリウスがノエルから吸血したら、ユリウスの覚醒と共に私が復活して桜姫が消えるね」
桜姫はその場に崩れ落ちた。
「それだよ! 一番の問題はソレ! それに関してミツハは打開策がありますか?」
「ないわね。桜姫に考えてもらおうと思っていたから」
「どうしてだ! 何か手段があるから私を選んだんじゃないの?」
出来る神なんだか抜けているんだか、さっぱりわからない。
「桜姫なら、出来るからよ。だって、この世界を造ったのは桜姫なんだから」
ミツハからとんでもない台詞が飛び出した。
「それ、私の前世の話? だったら無理だよ。私はミツハを造ってない。知らないキャラも知らない設定もたくさんあり過ぎる。もうこの世界は私の手を離れた別の世界なんだよ」
自分で言った言葉に自分で傷つく。
「無理じゃないよ。だって、今でも桜姫は桜姫でしょ」
ミツハの言葉の意味が、いまいちよくわからない。
「この世界の未来は桜姫が書くのよ。桜姫が思い描く先に、未来があるの」
「それじゃ、まるで神様みたい。私が、全部丸く収まれって思ったら収まるってこと?」
「それは無理ね。結論しか書いてない物語ってないでしょ?」
全く理解できずに、眉間に皺が寄る。
「だからね、小説を書く時を思い出してみて。結論に至るまでに、その経過を書くでしょ? 矛盾があったら物語にならない。辻褄があっていれば、結論に辿り着ける」
「物語みたいに上手くいかないよ。シナリオからは外れてるし、知らないことばっかりだし、いつもギリギリでどうにかなってきた感じ……」
そう、どうにかなってきた。
リヨンの行動がシナリオと違った時も、ノアに空間魔法で閉じ込められた時も。
(私だったら、こう書く、って思って行動してきた)
「そう、それ。自分だったら、きっとこんな風に書く。それが、大事なのよ」
ミツハを振り返る。
「この世界をよく理解している桜姫にしか、出来ないことよ。中和術より、神力より強い力。白紙に文字を綴るように、未来を描く力よ」
ミツハの表情が今までにないほど神様然として見えた。
「だから、考えてみて。ノエルの自我を消さずに、竜神ミツハを復活させるには、どうしたらいいか。桜姫だったら、どう書く?」
桜姫は黙り込んだ。
今の桜姫はミツハと魂が繋がっている。
ユリウスの吸血というきっかけで、どちらかの魂が表在化する。
選ばれなかった方は消滅するが、優先順位が高いのは明らかにミツハだ。
「ユリウスは確実に桜姫を迎えに来るよ。それでも、表に弾き出されるのは多分、私よ。どうする?」
桜姫の思考に合わせて、ミツハが助言をくれる。
「ユリウスだけじゃ、眷族の意志だけじゃ、どうにもできない。血がミツハを選んでしまうってことだよね」
「うん、そうね」
ミツハが悲しそうに俯く。
心の同じ場所にいるから、痛いほどわかる。ミツハがユリウスと桜姫の関係を心から祝福してくれていることを。
ユリウスが桜姫を表に引き出せれば、その時点でミツハは消えることができる。それを望んでいることも。可能性がかなり低いことも、わかっている。
「だったら最初から、外に出てしまえばいいんだ」
桜姫の呟きに、ミツハが顔を上げた。
「私が契約した精霊の白竜に、ミツハの依代になってもらおう。ミツハが先に別の体に入ってしまえば、ここに残っている魂は私だけだ。ユリウスが引き出せる魂は私だけになる」
ミツハの表情が確信を深めた。
桜姫の考えに既に納得している顔だ。
「サーシャが、白竜はミツハの分身で器だと言っていた。多分、このために私に白竜と契約させたんだ。ミツハという神力を吸い上げるために。契約している白竜なら、魂が繋がったままでも二人とも生きられる」
そこまで言って、ふと疑問が湧いた。
「あれ? でも、サーシャには、こうなることが予見できなかった筈では?」
「それなら矛盾はないわよ。サーシャはノエルの中にある石が奇石だと知っていた。彼女はアジムの妻よ。魔国から奇石を持ち帰りユリウスに手渡したのも彼女だしね」
桜姫は絶句した。
早速、知らない設定が飛び出した。サーシャとアジムの夫婦設定なんか、作っていない。
「もしかして、サーシャがあの時、奇石の話をしなかったのは」
ミツハが頷いた。
「ノエルに奇石を認識させないためだと思う。ユリウスと同じ理由ね。サーシャもきっと、ノエルを護りたかったのね。彼女は誰よりも強いのに、誰にも勝てない大魔導師だから。他に守り方が、わからなかったのね」
色を落としたミツハの表情を見て、戸惑いながらも桜姫は口を開いた。
「ミツハに似てるって、私も思うよ」
ミツハが困り顔で微笑む。
きっとミツハは、三神の中で最も強かった。でも、誰にも勝てなかった神なのだ。
だからこそ今も、桜姫を犠牲にした復活ではなく、自分が消滅することを望むのだ。
「そういう不器用なミツハが、私は好きだよ。ユリウスにも、似てるから」
誰よりも強いはずの最強チートはノエルとの静かな暮らしを望んでいる。
国なんか、世界なんか、どうでもいいと、ユリウスは言っていた。
「だから私は、ユリウスと静かな暮らしができる世界を造って、護るんだ」
桜姫はミツハを振り返った。
「ミツハの核は私が必ず見つけ出すと約束する。だから、それまで私に力を貸して」
ミツハが頷く。
「勿論よ。早速、白竜に呼びかけないとね」
「もし核が見つかっても、まだ消えたくないと思えたら、その時はまた一緒にいてね」
ミツハが桜姫に腕を伸ばす。桜姫の顔を抱き締めた。
「ずっと思ってたけど、桜姫って人誑しよね。一緒にいると、いつの間にか好きになっちゃうの」
「ずっと思ってたの? ていうか私、あんまり他人に好かれる人間じゃないよ」
可愛げがないと散々言われるし、自分でもそう思う。
「そう思っているの、自分だけよ。だって私、もう少し桜姫と一緒にいたいって、思い始めているもの」
「それは、良かったよ」
自然と笑みが零れた。
長い時をたった一人で過ごしてきたミツハが、少しでも笑って過ごせるように、短い時でも側にいようと思った。
読んでいただき、ありがとうございます。
面白かったら、『いいね』していただけると嬉しいです。
次話も楽しんでいただけますように。




