32.ユリウス虐め
ユリウス目線です。
ユリウスに向かい、ロキがにこやかに話し始めた。
「とりあえず俺は、革命軍に残ることにしたよ。革命軍に加わる訳じゃなくて、あくまで利害の一致による協力だけどね」
「利害の、一致?」
ロキが頷く。
「竜神ミツハを復活させる。その為にユリウス先生には竜人因子を覚醒してもらう。それが利害の一致。だから、話をしにきたんだ。先生を説得するためにね」
ぞわり、と全身に鳥肌が立つ思いがした。
「竜神の復活がどういうことか、わかっているのか?」
声が震えた。
竜神ミツハが復活すれば、奇石の依代であるノエルの自我は掻き消える。
怒りとも恐れとも知れない感情が沸々と湧き上がる。
「知ってるよ。少なくとも今のユリウス先生よりは、ずっとよく知ってる」
ロキが挑戦的な視線を向けた。
「ノエルに血を貰った時に、俺はミツハの眷族になった。今の俺の行動は総て、ミツハの意志だ」
ロキの深紅の瞳に迷いはない。本気で言っているのだと、よくわかる。
だからこそ、息が詰まりそうになる。
「ロキはノエルを、好きなんじゃないのか。ノエルの中からノエルが消えても、それでもミツハの復活を願うのか?」
ユリウスが問うには狡い質問だと、自分でも思う。しかし、聞かずにはいられなかった。
「俺は今でもノエルを愛しているよ。たとえノエルが俺を愛していなくても、俺はノエルが好きだ。だからこそ、竜神の眷族としてミツハの復活を願うんだ」
表情を落としたロキが、目を細める。
「ノエルの顔をしたミツハは俺を愛してくれるからね」
思わず顔を上げる。
ロキは冷たい顔でユリウスを見下していた。
「自分が何を言っているのか、わかっているのか!」
体が前のめりになる。腕と足をどんなに動かしても手枷も足枷も外れない。手枷が腕に食い込んで、血が流れた。
「腹が立っても俺を殴ることも出来ない。それが今の先生の立場だよ。俺なら魔力がなくてもその程度の手枷、いくらでも壊せる。でも先生には出来ないんだ」
ロキがゆったりと立ち上がり、ユリウスに歩み寄った。
首筋に顔を寄せ、舌を這わせる。
「何をっ、……ぅっ」
ロキの牙がユリウスの白い肌を噛む。
「んっ……ぁ……」
優しく弱く、血を吸い上げられる。
血を吸われるたびに、体の力が抜けていく。
「俺の血魔術は一つだけじゃないんだよ。自分が今、何をされているか、わからないだろ? 先生」
耳元で囁くと、ロキがまた血を吸い始める。
呼吸が早くなり、体が熱くなるのを感じた。
「今までのこと、思い出してみてよ。先生は今まで、一度もノエルを護れていない。ノアの襲撃の時も、カルマに吸血された時も、ムラドたちに誘拐された今回もだ。ノエルが今、どんな状態でいるのかも、先生は知らないだろ」
ロキの言葉が頭の中に木霊する。
(確かに僕は何者からもノエルを護れていない。ロキの言う通りだ)
落胆が、ユリウスから最後の力を奪う。
腕の力が抜けて、手枷に体が吊るされる。
「血が覚醒すれば、今よりもっと強くなれる。ノエルを護れる。先生はまだ人なんだ。竜神の因子は眠ったままだ。早く起こさないと、ノエルを助けられないよ」
ロキの声が、言葉が、思考を絡めとる。
「覚醒、したら、ノエルが、いなくなる。それだけは、絶対、嫌だ」
残った理性で、何より強い願いを口にする。
「今のままでも、一緒にはいられないだろ。ノエルに触れたら、吸血の衝動を抑えられない。どんなに嫌だと思っても、体は勝手にノエルの血を求めて吸血する」
確かにその通りだ。
ユリウスの中の本能はノエルの血を求めている。覚醒することを望んでいる。
「それでも、ノエルがノエルのままでいてくれたら、一緒にいられなくても、それでいい」
ロキが一際強く血を吸い上げた。
「あぁ!」
火照った顔が上がって、息が苦しい。
「そんな綺麗事は要らない。そんなのは、誰のためにもならない。ただの先生の自己満足だよ。第一、血が覚醒すれば依代の娘のことなんか、すぐに忘れる。それがローズブレイドの血だと、先生自身が良くわかっているだろ」
自分の促拍な呼吸とロキの声だけが、頭の中をぐるぐると巡る。
(そうだ。僕はローズブレイド家の人間、ミツハを護る第一の眷族だ。覚醒すれば、ミツハが総てになる。だから、ダメなんだ)
「僕が守りたいのは竜神ミツハじゃない。ノエルだ。僕を愛してくれた桜姫なんだ」
偏見に塗れたこの世界で、半魔と蔑むことなく受け入れてくれた。窮屈で退屈な息苦しい毎日は、ノエルに出会って初めて呼吸の仕方を知ったように楽になった。
ユリウスを彩る世界を変えてくれたのは、桜姫だった。
「やっぱり先生は、その名前をもう知ってるのか」
至極残念そうにロキが呟く。
ロキがユリウスから離れた。
「あぁあ、やめた。先生には俺の血魔術が効きそうにないし、あんまり虐めるとミツハにもノエルにも怒られる。手枷が外れた後、仕返しされるのも嫌だしね」
ロキが両手を上げて見せた。
「竜人族になって俺が得た血魔術は三つ。一つは吸血するほど強くなる増強術。もう一つは、吸血した相手が無条件に俺に好意を持つ精神操作。最後の一つは、記憶を読み取る術だ。魔族にしても優秀だって、アジムに褒められたよ」
ユリウスは疲れた息を吐いた。
「さっき使った血魔術が精神操作なら、意味がない。僕は最初からロキに好意的なつもりだよ」
ロキが、ふん、と鼻を鳴らす。
「知ってるよ。だから虐めたくなったんだ。俺が先生に勝てるのは今だけだからさ。ノエルもミツハも一番に求めるのは俺じゃなくてユリウスだ。少し虐めるくらい、許してよね」
何も言えなくなってしまった。
もしノエルが奇石を取り込んでいなければ、恋人になっていたのは、きっとロキだったろうと思う。
奇石がなければユリウスはノエルに興味を抱かなかっただろうし、奇石がなくてもロキはノエルに好意を持っただろうから。
そういう意味ではロキの方がノエルに対する愛がずっと深いのかもしれない。
「許しを請わなきゃならないのは、僕の方だ。ロキには嫌われても文句は言えないよ」
「そう素直にされると、遣り辛い。いっそ嫌ってくれた方が楽だよ」
ロキが服をはだけて肩を差し出した。
「さっき話したことは全部、事実だ。だから、吸血に慣れてもらう。俺の中に流れる因子はノエルから引き継いだものだから、慣らすのには丁度いいだろ」
思わずロキを見詰める。
「やっぱり、本気なのか? ノエルを犠牲にしても、ミツハを選ぶのか?」
「ノエルを犠牲にはしない。それは、ミツハの意志じゃない。ノエルを救うためにミツハに復活してもらうんだよ。けど先生が、ユリウスが今のままじゃ、それも叶わない」
言葉の意味が理解できずに混乱する。
「ノエルはもう、何日も目を覚まさない。奇石の中のミツハが目覚めているからだ。でも、外に出られない。一つの体に二つの魂が内在している状態だ。ユリウスというきっかけを待っているんだよ」
ユリウスは俯いた。
今、吸血したら、確実にミツハが表に出てくる。ノエルがいなくなる。
「二人を同時に生かす方法なんて、あるのか?」
「それをノエルが思い付いたらしい」
思わず顔を上げた。
ロキが呆れた顔で息を吐いた。
「二人は中で会話しているみたいだよ。俺はミツハの言葉しか受け取れないから何を話しているか知らないけど。全く、トリッキーな行動してくれるよね。俺だってノエルを心配しなかった訳じゃないのにさ」
ロキに苦悶の表情が浮かぶ。ここ数日の苦労が垣間見えた。
「ミツハが復活したら、ノエルの自我は消えるんじゃないのか? 依代の娘のことなんか、すぐに忘れると、さっき話した、あれは?」
「だから、アンタを虐めたかっただけだよ。すぐに今の状況を教えて安心させてやるほど、俺は良い人じゃないよ」
ふん、と目を逸らすロキの表情は、あまり見たことがない顔だ。
だが何故か、とても好感が持てた。
ユリウスは思わず吹き出した。
ロキが面白くない顔でユリウスを睨む。
「笑っていられる状況でもないんだよ。ユリウスがノエルから吸血して竜神因子に吞み込まれたらノエルは消えるんだから。アンタがしっかり自我を保ってくれないと、結局意味がないんだ」
「どういう意味だ?」
「今まで、ノエルの血を吸った時の自分を思い出してみてよ。本能に任せて吸血すれば復活するのはミツハだけだ。ユリウスがユリウスとしてノエルを、いや、桜姫を求めないとダメなんだ」
ユリウスだけが知っているはずのノエルの本当の名を、ロキが口にした。
「桜姫……。どうして、ロキがその名を知っている?」
「ミツハはノエルをそう呼ぶ。ノエルの魂の名だと言っていた。俺から言わせれば、ユリウスが知っていることの方が疑問だったよ」
「確かに、そうだね」
微笑むユリウスに、ロキは顔を逸らした。
「まぁ、疑問は解消したけどさ。俺がユリウスに使ったのは記憶を読む血魔術だから。アンタの罪もよくわかった。別に救うつもりもないけど、ユリウスがノエルに奇石を与えなくても、ミツハはノエルを選んでたと思うよ」
絶句するユリウスをロキがちらりと覗く。
「眷族になれば、ユリウスにもわかると思う」
また目を逸らしたロキの表情は何とも複雑に見えた。
「それより、さっさと吸ってよ。これ以上、情けない姿をノエルに見せたくないなら血魔術の一つも覚えておいてよね」
ロキが肩口を近づける。
「わかった。それじゃぁ、いただきます」
筋肉質な肩に唇を寄せる。
「なんか、変な気分だ」
とても嫌そうな顔で、ロキが身を震わせた。
「僕もだよ。まさかロキから吸血することになるなんて、思わなかったなぁ」
「俺もユリウスに吸血されるなんて思ってなかったよ。吸うのが辛いなら、催淫術でもかけようか?」
「いらない。ロキ、そんな術も使えるの? 優秀な竜人族になったね」
「正確には半魔だけどね。俺、魔族に適性があったのかもしれないなぁ。後悔もしてない。むしろ良かったと思っているんだ」
「強くなれたから?」
「それもあるけど。先生の気持ちが少し、知れたからかな。あ、もう先生って呼ばないよ。同じミツハの眷族なんだし、ユリウスで良いよね」
「ああ、良いよ。僕も今の、遠慮がないロキの方が好きだからね」
「なんだよ、それ。俺は、ユリウスを虐めてみたかっただけだよ。ユリウスが抱える辛さなんか、今までの俺は知らなかったから」
ロキがユリウスの肩に顔を乗せる。
「半魔になったって、俺はユリウスになれない。わかっているけどさ」
閉じた目尻から涙が一筋流れていた。
ウトウトし始めたロキの頭を撫でる。ユリウスはロキの肩の傷を舐めた。
「ロキはロキのままでいい。僕はむしろ、君が羨ましかったよ」
腰を下ろし、ロキの体を抱える。
右腕を軽く引くと、壁に繋がっていた鎖が簡単に外れた。
あれ程に硬かった手枷が簡単に砕け散る。
ユリウスの中にロキの血が、ノエルの奇石の因子が沁み込んでいく感覚がした。
(たった一度の吸血で、こんなにも変わる。桜姫を死なせずに済むと知っただけで、力が漲る。健人、君の励ましのお陰だ)
胸の真ん中で燻ぶる熱に手をあてる。
もう、血の本能に飲まれる気はしなかった。
「ユリウス、吸い過ぎ。俺、動けないんだけど」
ユリウスの胸に凭れて、ロキがうっすらと目を開く。
何とも言いようがなくて、ユリウスは苦笑した。
「ごめん。でも、ありがとう。ロキのお陰で、すっきりしたよ。だから、休んでいいよ。次は僕が頑張る番だ」
舌舐めずりして唇に残った血を親指で拭う。ユリウスは、ほくそ笑んだ。
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