31.ローズブレイドの血筋
ユリウス目線です。
幼い頃から自分の周りには人と魔族がいるのが当たり前だった。見分けることも偏見もなく、当然に共に暮らしていた。
家庭教師のサーシャは長らく魔国で暮らしていたらしい。家族を連れてくることができずに魔国に置いて来たのだと話していた。
何故、連れてこれないのかが、不思議でたまらなかった。
カルマという青年が父の元に遊びに来るのは常で、兄弟がいなかったユリウスにとっては兄のような存在だった。
やがて、自分が成長しても見目が変わらないカルマを見て、魔族なのだと改めて思った程度だった。
カルマにはよく「魔国に来い」と誘われた。一度、遊びに行こうとして父にきつく叱られた。いつも温厚な父親が、その時ばかりは目を吊り上げて怒鳴った。
理由はわからなかったが、それがどれだけ危険な行為だったのか、父の顔を見て感じ取った。
九歳で聖バルトル魔術学院に入学した。左目が赤い自分を好奇と恐怖の目で眺める生徒や教師が多くいた。今まで向けられたことのなかった視線に恐怖した。
世間に触れ、学院で魔術史を学び、ローズブレイド家がどれだけ特殊な家系であるかを知った。
それからは、他者と関わる気にならなくなった。
ただ一人、ノアという同い年の生徒だけは、ユリウスに執拗に突っかかってきた。初めのうちは鬱陶しいので無視していた。些細なきっかけで話すようになってからは、隣にいるのが苦痛ではなくなった。ノアはユリウスを家柄や血で区別したりしなかった。
学院を卒業してからもノアとの友好関係は続いた。数年後、ノアが教会に入ることが決まった時、「闇魔術を捨てて自分と来い」と誘われた。
誘いを断ると、ノアとの友情も終わった。結局ノアも、血筋や家柄を重んじる普通の人間になったのだと思った。
責める気はない。精霊国で生きる以上、当然の常識だ。ローズブレイド家が異端なのだと、この頃のユリウスは理解できていた。
研究所に所属したのは、出来るだけ人に関わらず好きな分野に没頭したかったからだ。すぐにローズブレイド家に戻らなかったのは、あの場所が懐かしくて大好きだったからだ。
学生の頃から天才と称されたユリウスは、この時すでに聖魔術師に名を連ねていた。自分が領地に帰れば家にも領民にも迷惑を掛ける。だから、帰らなかった。
聖魔術師に加えられたのは、半分は実力、半分は監視であると知っていた。アーロという、やたら世話焼きな気のいい男が研究所の副室長になった。彼は自分の役割をユリウスに包み隠さず話した。
監視と世話焼きのために傍にいると話したアーロは、一年のほとんどを偵察のため外部で過ごす。本当に監視する気があるのか不思議だった。
総てはシエナの手配だろうと予想できた。
親戚関係にあるローレンス家とは、事実上の付き合いはない。なのにシエナはよくローズブレイド家に遊びに来ては、両親に咎められていた。
大人になり付き合いが希薄になったシエナとは、聖魔術師になってまた、付き合いができた。
子供の頃、無邪気にカルマを言い負かして遊んでいた従姉弟は、鉄の宰相と呼ばれる笑わない女になっていた。
周りはやけに自分を「天才」と呼ぶ。そう呼ばれるほどの偉業などなしていないというのに。何故、そう呼ばれるのか、不思議でならない。
何を期待されているのか、ユリウスにはわからない。
ただ、逆らわずに静かに生きていれば、今以上の迫害を受けることなく平和に過ごせる。それだけで、充分だ。
窮屈で息がつまる生活に気付かない振りをして毎日をやり過ごした。
そんな毎日の延長に、ノエルは突然現れた。
「この世界を『呪い』から救う英雄が私の中に召喚されます。どうか、彼女を守ってください」
千年以上も精霊国に根付いている不治の病と忌むべき『呪い』から、救う?
初めは意味が分からなかった。
英雄、召喚、守る。
ユリウスの中で、何かが動いた。
サーシャに渡された『お守り』が、本当は何なのか、知っていた。
ローズブレイド家当主が代々受け継ぐ秘宝である『奇石』は、約百年前にリンリーという人間の女性と共に魔国に渡ったはずだった。
それを、サーシャが持ち帰った。結局、奇石は誰も選ばなかった。
その奇石が今、自分の手の中にある。
世界を救う英雄なら、奇石に選ばれるかもしれない。
そんな考えが過ったのは一瞬だけだ。
期待はしていなかった。
あの大魔導師サーシャですら、魔国に渡ったリンリーですら選ばれなかった。
でも、もしかしたら―――。その程度の小さな出来心だった。
奇石が英雄を選ばなくても、召喚の助けぐらいにはなるだろう。
召喚が済んだら、回収すればいい。
魔石だと偽っておけばバレる心配もない。そもそも奇石の価値を知る者など、精霊国にはほとんどいないのだから。
ノエルに奇石を渡した時のユリウスは、それくらい、軽い気持ちだった。
だから、バルコニーから落ちてきたノエルを拾った時、息が止まるかと思った。
奇石が、ノエルの中にある。魔力の核と融合し始めている奇石は、ユリウスにはもうどうすることも出来ない。
奇石は、この娘を選んだ。
止まっていた変革の時計が、動き出す。
窮屈で退屈な何もない毎日が崩れ去る。そんな予感がした。
後悔と期待が、胸の中で渦を巻いた。
奇石が人を選ぶのは、行き詰ったこの世界を変えるために、竜神ミツハがこの国に降臨するためだ。
竜神の因子を血に持つローズブレイドの半魔として、祖である竜神の復活は一族の悲願であり希望だ。
しかし、その為にこの娘を贄にしなければならない。奇石に選ばれた人間は竜神を目覚めさせ降ろすための依代に過ぎない。
初めは、それでもよかった。
だから自分の魔力を分け与えて、奇石をノエルの体に定着させた。
そうしなければ、ノエル自身の命にも関わる。自分にそう、言い聞かせた。
ノエルに過剰な愛情を注いで、他の男に目を向けさせないようにも務めた。ノエルの胎に種を注ぐのは、ローズブレイド家の血筋でなければならない。他の男に手を出されては、竜神の血が穢れる。
すべては竜神を内包する奇石のために、竜人の血がさせていることのはずだった。いつからそうではなくなったのか、ユリウスにもわからない。
もしかしたら、始めからだったのかもしれない。
バルコニーから拾い上げ、ノエルの中に奇石を見付けた瞬間、ユリウスはノエルを抱き締めていた。
「僕が君を守る。この命を懸けて永遠に、君を守るから。一生、離さない」
まだ話したこともない相手に一方的に交わした約束は、奇石と血の契りだと思っていた。竜神の血が奇石に惹かれているだけなのだと。
なのに、どうして、こんなにもノエルの血を吸いたくないと思うのだろう。
血が覚醒し始めた今なら、わかる。ユリウスが吸血すれば竜神因子の覚醒と共に、ノエルの中の奇石は目覚める。
竜神ミツハが復活する。
血が求める主への渇望以上に、ノエルを失いたくない。
ノエルが消えてなくなる未来など、想像したくない。
吸血さえしなければ、奇石は目覚めない。
目覚めさえしなければ、奇石は只の魔石と大差ない。
だからこそ今まで、自分自身に暗示をかけてまで、奇石を魔石と偽り続けた。ノエルに奇石を意識させないために。
ノエル自身が奇石と認識しなければ、今まで通り、ノエルはノエルのままでいてくれる。
あの時一方的に交わした約束は、竜神ミツハではなく、ノエルへの誓いだったのだと、いつの間にか確信した。
本当は初めから、何事もなく過ぎてくれることを、ひたすらに祈っていた。ノエルがノエルでい続けられる未来を願っていた。
奇石を与えてしまった後悔と、血も石も関係ないユリウス自身のノエルへの想い。
(二人で生きたいんだ、これからも、ずっと。誰よりも、何よりも、君が大事だ)
「桜姫……」
自分の呟きで、目が覚めた。
頭が重くて、気分が悪い。長い夢でも見ていた気分だった。
ぼんやりと霞む視界の目の前に男が立っていた。
見覚えはあるが、会ったことはない男性だ。
桜姫が絶対的な信頼を寄せる恩師。ユリウスが唯一超えられない存在。
「……健人?」
健人がユリウスに向かい、微笑んでいた。
『不安がる必要はない。君なら、彼女を護れる』
健人はユリウスに向かい、手を伸ばそうとした。
『君の中には僕がいる。恐れずに、進め』
近づいた健人の体が、ユリウスに同化して溶け込んでいく。
『僕と同じ後悔を君にさせはしない。日高君もユリウスも、今度こそ幸せになるんだ。その為に、僕がここにいる。一緒に戦っている。だから、大丈夫だ』
記憶の中でしか聞いたことのない声が、ユリウスの名を呼んだ。
「そうか、健人は、僕の味方か」
『抗えない血の本能なら、魂で抗え。既に廃れた竜神の因子なんかに屈するな。今、この時を生きている魂は、他の誰でもない。君だ、ユリウス』
健人に触れようと、手が空を彷徨う。
「君と一緒に抗うよ、健人。桜姫は僕が護る」
譫言のような声が、勝手に口から零れた。
胸の奥が熱い。強い何かが、ユリウスの中に根付いた気がした。
腕を引こうとして、せき止められる。それ以上、動かせないことに気が付いた。
手枷と足枷がはめられている。魔力も込められないから、封印が掛かっているのだろう。
「おはよう、ユリウス先生。気分は、どう?」
声の方に目を向ける。
さっきまで健人が立っていた場所には、ロキがいた。
椅子に掛けて、ユリウスの様子を眺めている。
片目が赤く染まっているのを見て、瞬時に察した。
「ロキ、まさか。ノエルの血を?」
「うん、分けてもらったよ。だから今、生きていられる」
歯噛みして、項垂れた。
あの状況でロキを救う手段は、恐らく他になかった。
それでも、自分の生徒を魔族にするしかなかった口惜しさと、ノエルにその決断をさせた自分自身が許せなかった。
「すまなかった、ロキ。僕のせいだ」
「先生のせいじゃないよ。あれは事故みたいなもんだし、先生が防御結界を破壊したのも、俺を魔族の攻撃から守るためだ。結局、俺が弱かったせいなんだよ」
ユリウスは顔を上げた。
ロキの口調はいつもの通りに聞こえるが、何か違和を感じる。
「寝ている間に、先生からも血を分けてもらったんだ。俺の血魔術は、吸血するほど強くなるってやつみたいだから。魔族でも人でも、沢山吸っときたいんだよね」
ロキの視線がユリウスを捉える。
ぞくり、と背筋に寒気が走った。
ロキの言葉も視線も、人の頃のロキそのままだ。だが、明らかに魔族の気配を纏っている。
言葉が出てこなかった。
「ねぇ、先生。俺、先生と話をしに来たんだよ。少し俺に付き合ってくれない?」
舌なめずりするロキに、ユリウスは頷くしかなかった。
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