30.革命軍の参謀 テュール=ムーア=ヨルムンガンド
砦の外壁には、魔獣を管理する一角がある。防御結界と外壁の間に広く敷地を取った場所には、ヨルムンガンドとフェンリルが飼われていた。
(教科書に載っている太古の大魔獣。実際、見られるなんて思わなかったな)
長寿になると人間並みの知能と言語を操る個体も現れる魔獣が柵の向こうで大人しくしている姿が不思議だった。
柵に近づき中を覗き込む。
赤い瞳が鈍く光った。こちらを値踏みする目だ。
ロキは目を逸らさずに、暗闇に光る瞳を静かに見つめる。
「近づきすぎると、食われるかもしれんぞ」
首筋に手を伸ばしてきたのはテュールだった。
「テュールも気配を消すのが巧いんだね。魔族って、皆そうなの?」
「魔獣を祖に持つ魔族の特徴かもな。アジムは竜神だから、魔獣とも言い難いが」
アジムはユリウス同様、竜神ミツハの眷族だ。多くの竜人が精霊国側に移った際、魔国側に残った少数派の一族なので、ユリウスとは遠縁の親戚みたいなものだろう。
「なら、テュールの先祖の魔獣って?」
「そこにいる、ヨルムンガンドだ」
柵の固定を確認して中を覗き込む。
大きな腹をうねらせた大蛇が、赤い目を細める。
「大昔は大陸全土を覆うほどの巨体を誇ったそうだが、今はこの様だ。魔獣も弱体化してきている。これも瘴気の影響なんだろう」
ロキの目には今でも十分大きく見える。神話の昔の巨体であれば、魔獣というより神獣だったろうと思う。
「瘴気はいつから大量発生しているの? 昨日今日の話じゃないよね?」
この街の規模から察するに、少なくとも十年以上は経過しているはずだ。でなければ、これほど大きな要塞は築けまい。
「五十年、いや、もっと前か。国王の妻だったリンリー妃が崩御された後からだ」
「現国王の、御后様?」
「ああ、第二皇子のカルマの母親だ。精霊国から来た、人間だよ」
初めて聞く話だ。
ノエルからも、魔国の国王の話は聞いていない。もしかしたら、ノエルが知らない情報かもしれない。
柵の一つ一つを確認して回るテュールの後を付いていく。
「リンリー妃は、どうして亡くなったの? もしかして、瘴気の影響?」
「いいや。リンリー妃が存命の頃の魔国は豊かだった。瘴気は適量なら生き物に生気と活気を与える。瘴気のコントロールは基本、王族の務めだ」
「瘴気って、魔族の核だけじゃなく、大地からも出ているものなんだよね」
ロキは自分の胸に手をあてた。
今のロキの核からは瘴気が流れ出ている。自分でその量を調節することも出来る。だから、大地から湧き出る瘴気を肌で感じられる。
人だった時にはなかった感覚だ。
「瘴気は創世の神フレイの産物といわれている。魔族にとってはあって当然のものだが、精霊国の人間にとっては、違うらしいな」
「そうだね。俺はずっと、毒だと思ってた」
なんて愚かなのだろう。そう考える今の自分に、改めて驚く。
人だった時にはなかった考えと感覚だ。
瘴気は上手く使えば魔力や魔術の増強もできる。決して悪いばかりのものではない。扱えない人間の方が不便ではないかとさえ思う。
(今の俺の思考が魔族に寄っているんだと思うけど、今までの、人だった時の常識がどれだけ偏っていたかも、改めてよくわかる)
精霊国における魔国や魔族に関する教育方針を改めて疑い始めていた。
「リンリー妃の死因は単なる寿命だ。魔族に比べ、人間の寿命は短い。あの時は、国中が悲しみに沈んだよ。王妃は国民に愛されていたからな」
「人間の王妃が、魔国で愛されていたんだね」
ロキにとっては、これもまた意外な事実だった。
精霊国の人間と魔国の魔族は常に敵対関係にあると思っていたからだ。
「人間は魔族を恐れるが、魔族は人に対し嫌悪の感情はない。だが、リンリー妃は特別だったな。彼女は間違いなく、国母だったよ」
少しだけ俯いたテュールの表情は、昔を懐かしむように笑んでいた。
(そうか、その頃のテュールは国の宰相だった筈だから、リンリー妃を間近で見て良く知っていたんだ)
テュールもまた、国母を愛した国民であったのだと、伺い知れた。
「そのリンリー妃が亡くなって瘴気が増加したってことは、リンリー妃が瘴気をコントロールしていたってこと?」
テュールが首を振った。
「コントロールしていたのは国王だ。陛下はリンリー妃を失ったショックで公務から外れ、今でも臥せっておられる。今は、何も知らないユミルが代行を務めている」
「何も知らない? 知らないって、何を? 瘴気のコントロールの仕方を?」
「まぁ、そんなところだ」
総ての柵の確認を終えたテュールが、早足で歩きだす。
ロキはまた後ろを付いて歩いた。
突然、テュールが振り返った。
「ここ数日、色々と嗅ぎまわっているようだな。何を企んでいるのか知らんが、お前に帰る場所はない。革命軍に加わるほうが賢明だろう」
テュールの腕がまた、ロキの首に伸びた。
何事もないような顔で、ロキは返した。
「確かに俺は今のところ、ここにいるしかないからね。自分がいる場所について、知っておきたいだけだよ。何せ人間だったからね、知らないことが多すぎる」
「革命軍に身を投じる気は無いか」
テュールがやけにしつこく食い下がる。
「俺はミツハの眷族だ。ミツハが革命軍に加担するなら、加わるよ。けど、俺の一存で決めることじゃない」
「眷族とは従順な生き物なのだな。便利な駒だ。主を言い訳に出来るのも、さぞ便利だろうな」
掴んだロキの首を引き寄せて、テュールが噛み付いた。
「俺の血は、そんなに美味しい?」
テュールには会う度に吸血される。
初めのうちは、新しい能力が開花していないかの確認だと言われていたが、最近は違う気がしてきた。
「美味いな。純血の人より半魔の方が、俺は好みだ」
「ふぅん」
冷めた目でテュールを見下ろす。
つまりは嗜好に気付けるくらい、テュールは吸血行為をしているということだ。吸血中の魔族は本能が勝るせいか、口が軽くなる。
テュールには特にその傾向が見られる。
(アジムもムラドも、俺に吸血を迫らない。衝動が強くも見えない。テュールの吸血衝動は、三人の中では異常だ)
普段から血を吸いなれているように思えた。
「本当はノエルやユリウスの血も吸ってみたいが、アジムに止められているからな」
「あの二人に手を出したら許さない。特にノエルに何かしたら、殺すよ」
怒気を孕んだ声が静かに流れる。
テュールが鼻で笑った。
「さすがは、従順な眷族様だ」
夢中になり始めたテュールに気が付いて、ロキは怒りを収め気を取り直した。
「たまには俺にもテュールの血を吸わせてよ」
声色を変えて、耳元で囁く。
テュールの首筋に指を滑らせ、吐息を吹きかける。
肩がピクリと跳ねて、テュールの力が抜けた。
(これは、いけそうだ。術の工夫をしといて良かった)
ロキの血魔術を警戒しているテュールは、吸血を許さない。
だから、吸われた時に術がかけられるように仕込んでおいた。
肩口にそっと唇を寄せると、牙を滑り込ませる。優しく吸い上げた。
「ぁっ……、離せ!」
テュールがロキの体を突き飛ばした。
顔色が悪い。吸血されたからという蒼さではない。
「たまには俺にも分けてくれたって、良いだろ。テュールは会う度に吸うんだから」
舌なめずりして、テュールを眺める。
「魔族は吸血される行為には慣れていない。これからは事前に許可を取れ」
「吸血って一方的な搾取だろ。テュールは俺に許可なんか取らないよね」
一歩、テュールに近づいて顔を寄せる。
明らかに警戒した表情で、テュールが顔を離した。
「同意の元の吸血はある。分けてやるから、次からは許可を取れ」
テュールがロキから離れて逃げるように歩き出す。
ロキは思い出したように声を掛けた。
「ねぇ、ここの魔獣たちって普段は何を食べてるの? こんなに大きいと餌も大変じゃない?」
テュールが足を止めた。
「魔獣や家畜だ。死んですぐのものか、生きているものを与える時もある」
それだけ答えると振り返らずに去っていった。
「家畜、ね」
呟いて、自分の首筋をなぞる。
中途半端に動かれたせいで血が流れ、襟が汚れていた。
(吸った量が少なかったから、あんまりよく見えなかったなぁ。でも、どうやらノエルの読みは当たっていそうだ)
次に願い出れば、テュールは吸血させてくれるだろう。
ロキの血魔術に対抗策を取ってくるはずだ。
恐らく、欲しい情報は得られない。
(吸血したせいで俺の術に掛かっているとは、思っていないだろうけど)
慎重に探ればチャンスはまだあるだろうと思えた。
大きく伸びをして、ロキは空を眺めた。
「そこそこ情報も集まったし、ノエルとミツハの準備も整ったみたいだし、そろそろユリウス先生を虐めにいこうかな」
空に向かって手を伸ばす。
届くはずのない太陽の光を握り潰した。
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