29.一番になれない気持ち
アジムと話を終えて部屋を出た時には、陽は傾いていた。
偽物の空でも夕暮れになって夜が来る。
これだけの魔術を維持しているの誰なのか、とても気になった。
「ロキ! どこに行っていたのさ。探し回っちゃったよ。玩具のくせに持ち主に探させるって、どういうつもり?」
廊下を歩く後ろから、ムラドが大股で歩いてくる。
怒り顔がロキに迫った。
「ごめんね、アジムと話していたんだ。大事な話だったから、つい長くなっちゃって」
この我儘で大変傲慢な少年には、何故かとても懐かれている。
何のかんの、ロキに一番血を分けてくれるから、血魔術が効きすぎているのかもしれない。
(覚えたてでコントロールできないって言訳してるけど、ちょっと申し訳ないな)
魔族になってすぐ、テュールに吸血された。テュールの血魔術は、吸血した相手の魔術を見抜く術らしい。
その時点で、ロキの手の内は大体、バレた。
それ以来、テュールはロキに血を分けてくれない。
(俺の魔術はバレても支障ないから別にいいんだけど。テュールの血は吸ってみたいな)
この発想がもう人間じゃないんだろうと考えて、苦笑する。
それでも今の魔族の体は、ロキにとって悪いものではなかった。
「父さんと話って、もしかして、革命軍に加わるの? だよね、ロキにはもう、帰る場所なんかないもんね。ここにいたらいいよ」
痛いところをガンガン突いてくれる。
ムラドはキラキラした目でロキを見上げている。
「まだ決めてないよ。俺は竜神様の眷族だから、独断は出来ないんだ。それより、ムラド。父さんて呼んだら、また叱られるんじゃないの?」
ムラドはアジムの一人息子だが、革命軍内では名前で呼ぶように躾けているらしい。特別扱いはしないということなのだろう。
ムラドが頬を膨らませて、上目遣いにロキを睨んだ。
まだ見目が幼いせいか、その顔は女の子にも見える。
「余計なお世話だよ。ちょっと間違っただけだから。もう呼ばない。それより、俺の部屋に行こう」
ムラドがロキの首に腕を回して、顔を耳に寄せる。
「一緒に気持ちいいことして、遊ぼうよ」
囁かれた言葉に、ロキは目を細めた。
「そういうことがしたいなら、行かない」
ムラドの腕を解き、廊下を歩き出す。
「なんでだよ。別にいいだろ。男同士なら子供なんかできないんだし、減るものでもないんだから」
文句を言いながら付いてくるムラドに、げんなりした。
「そういう問題じゃない。男でも女でも、そういう行為は好きな人とだけするものだよ。軽々しく口にするのもダメです」
子供に言い聞かせるように指でバツを作る。
また駄々を捏ねるだろうかと思ったが、ムラドの反応は意外なものだった。
「ロキは僕のこと、好きじゃないのかよ」
涙目になってムラドが俯く。
下唇をギュッと噛んで泣きそうになる顔に、ドキッとした。
魔族だからなのか、整った顔立ちは中性的で可愛らしい。自分を欲して涙目になる少年に、一瞬だけ欲情した。
そんな自分に瞬時に幻滅する。
(俺は何をしてんだろ。ムラドに血魔術が強く掛かり過ぎてるんだ。どうにかしないと)
ノエルが起きていれば中和術で全部なかったことに出来るのに。彼女はまだ、目覚めない。目下、ミツハと談笑中だ。
とりあえず、今後の吸血は控えようと思った。
「部屋にはいくよ。でも何もしないよ。アジムに殺されたくないからね」
男同士とはいえ、アジムは真面目そうだし、バレたらどれだけ恨まれるか知れない。大事な息子を傷者には出来ない。
「うん、わかった」
珍しく素直に頷いて、ムラドがロキの手を握って歩き出した。
部屋に入るなり、やはりロキは後悔していた。
ソファに腰掛けたロキの膝に乗ったムラドが、ロキに抱き付いている。
(どうして、こうなった? ムラドの行動がどんどん大胆になってきてる気がする)
注意した通り、おかしな行為を求めてはこないが、密着度がおかしい。
最近、前より懐いているなと思ってはいたが、今日は一段と変だ。
(懐いているというか、甘えたいのかな? まるで幼い子供が親に甘えているような感じだ)
もしかしたら、そういう行為はムラドにとって甘えなのかもしれない。だとしたら、さっきは注意して正解だったと思った。
(俺がここにいる間にムラドにちゃんと性教育しておかないと。将来が心配だ)
そう考えて、我に返る。
ムラドがどういう貞操観念を持っていようと、ロキには関係ない。見目も中身も幼いが、魔族のムラドはロキよりずっと年上のはずだ。
今更ロキが口を出すことでもない。
ロキの胸に顔を預けてウトウトし始めたムラドに声を掛けた。
「ムラド、眠いならベッドに行かないと。運ぼうか?」
寝ぼけ眼に、ムラドが首を振った。
「一緒に寝てくれるなら、いく」
「それは、ダメ」
「じゃぁ、いかない」
眠そうにしながらも不機嫌な顔になる。
子供っぽい表情が可笑しくなって、ムラドの頬を摘まんだ。
「今日は随分と駄々を捏ねるね。まるで子供だよ。ムラドは俺より大人なんじゃないの?」
ロキを上目遣いに見上げたムラドの表情に、また胸が跳ねた。
様子を窺うような表情は、どこか儚げで弱々しい。長い睫毛が綺麗で、年頃の女性に見えた。
心なしか、体付きも女性のように感じる。ロキの胸に、柔らかい何かが当たる。
視線を下げて、ぎょっとした。ムラドの胸に、大きな張りのあるボールみたいなものが二つ、付いている。
(何か仕込んで驚かそうとしてるのか? いや待て、落ち着け。ムラドの血魔術じゃないのか?)
ムラドの血魔術は、吸血した相手に化ける変化術だ。相手が生きている間だけ、本人そのものになり切れる。クラブ室を襲った時、ムラドがロキに化けていたのは、直前にロキがムラドに吸血されたからだった。
(どこかで女の子の血を吸ってきたのかな? いやでも、砦内で吸血行為はしないって話していた気が)
混乱して、思考が纏まらない。
仕方がないので、本人に聞いてみることにした。
「ムラド、今日、誰かの血を吸った? 体が女の子になってるみたいだけど」
なるべく下を見ないように顔を逸らして、声を掛ける。
ムラドが眠い目を擦って、自分の体を確認した。
「あ、いけね。戻っちゃった。眠いとたまに術が切れるんだ。父さんには内緒にして。ロキの前で戻ったってバレたら、また叱られる」
「戻る? 術が切れる? え? ムラドは、男の子だよね?」
ロキにしがみ付いたまま、ムラドが首を振った。
「僕、女の子だよ。父さんの言付けで普段は男の子に化けてるだけ。名前も姿に合わせてミドルネーム使ってるけど、本当はルティアっていうんだ」
血の気が下がった。
慌ててムラドの体を引き剥がす。
「だったら、俺にくっ付いて寝たりしちゃダメだろ! 離れて、ベッドに寝なさい!」
引き剥がすロキの腕にムラドがしがみ付く。
「いーやーだ! 何もしない代わりにくっ付いても良いって言ったのはロキだろ」
「良いとは言ってない。勝手にくっ付いて来たのはムラドだろ!」
何とか膝から降ろそうと試みる。
どこを触れば無難なのかわからなくなって、動きが止まる。
「僕の気が済むまで抱いててよ! ロキは僕の玩具だろ! してくれないなら、父さんに言付けるから」
睨まれて、言葉に詰まった。
さっき大きな協力を取り付けたばかりだというのに、ここでアジムの機嫌を損ねる訳にはいかない。
自分の娘を男に変化させてまで守りたいものなど、決まっている。
ムラドの貞操観念の希薄さが余計にアジムの行動の裏付けになっている。
もし手を出したなどと誤解されたら、色んなものが総て終わる。
「わかった。あんまりくっ付き過ぎは、ダメだからね」
悩んだ挙句に出た結論は、現状維持だった。
満足したのか、ムラドがロキの胸に抱き付く。柔らかい胸が無遠慮に当たって、どうしていいかわからない。
「どうして今日は、俺に甘えたいの? 何かあった?」
自分の気を紛らわせるために、話しをすることにした。
「何もない。ただちょっと、ユリウスと話をしただけ」
「どんな話をした?」
ムラドが目だけを上げる。
自分でも、言葉尻がきつくなったのは、わかっていた。
ロキがあえてユリウスを自分に委ねてほしいとアジムに願い出た理由は、主にムラドだった。
ここ数日、ムラドは度々ユリウスに絡みに行く。その後に必ず、ユリウスが消耗して意識を落としている。
術を使われているのか、ただ話をしているだけなのかは、わからない。しかし、この状況はロキにとっては非常に都合が悪い。
「昔の話だよ。ユリウスが子供の頃の話。アイツは覚えていないだろうから、思い出させてやろうとしているだけ」
ムラドがユリウスとどんな関り方をしているか知りたかったから、この状況は都合がいい。
「子供の頃のユリウス先生を、知ってるの?」
「先生? ああ、そうか。ロキにとっては学院の先生か。学院でも、一緒だったんだな。子供の頃から独占してたくせに、今でも同じ場所にいるんだ。僕は、抱いてすらもらえなかったのに。なんでアイツばっかり」
ムラドの目尻から涙が流れた。
「ムラド? 誰の話をしてるの?」
「サーシャは僕の母さんだ。ユリウスのじゃない。ユリウスには自分の母親がいるのに、どうしてサーシャまで、持って行っちゃうんだよ。なんでアイツは半魔なのに、精霊国で普通に暮らせるんだよ。僕は母さんと一緒にいけなかったのに、なんで」
ムラドがロキの腕を強く掴んだ。
その手を、振り払うことはできなかった。
(サーシャって、学長だよな。精霊術の講義で講師だった人だ。魔国にいたって、確かに聞いた)
サーシャの事情はノアとノエルから聞いて知っていた。稀代の大魔導師と呼ばれる実力者でありながら、いや、それ故に国に翻弄された半魔だ。
(すごい人だって魔力を感じてわかったけど、諦めた目をした人だった)
国に翻弄されたのはサーシャだけではない。夫であるアジムも、二人の子であるムラドも、国政に引き裂かれた家族だった。
(サーシャ学長はユリウス先生の家庭教師だったって、ノエルが言ってたっけ。ローズブレイド領なら、魔族でも覗きには行けたんだろうな)
けどきっと、声は掛けられなかったんだろう。
ユリウスを我が子のように可愛がるサーシャを見付けてしまったムラドがどんな行動に出たかは、何となく想像できた。
(只の八つ当たり。ユリウス先生は悪くない。でも、ムラドの気持ちが俺には少しだけ、わかるよ)
どれだけ愛を投げても、立ちはだかる壁は高くて愛する人には届かない。どれだけ努力しても二番目で、ノエルはきっとロキを選ばない。
ユリウスさえいなければと、思わないはずがない。
(一番になれない辛さは、誰よりも理解できる。できてしまうから)
気が付いたら、肩を抱いてムラドの髪を撫でていた。
「ロキ?」
ムラドが顔を上げた。髪に顔を寄せて、表情を誤魔化した。
「何もしないって約束するなら、ムラドが寝付くまで添い寝してあげるよ」
その優しさは、正解ではないのだろうと思う。きっと優しさですらない。只の傷の舐め合いだ。それでも今は、そうしたかった。
「じゃぁ、ベッドに行く」
素直に頷いたムラドを抱き上げる。
抱き直す振りをして、ムラドの髪に口付けた。
全く可愛げのない性格の悪いこの娘が、今はやけに愛おしかった。
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