26.奇石を持つ者の血と竜神因子
外に出た瞬間、アジムがユリウスに向かい攻撃魔法を放つ。
ユリウスの視線がノエルに向いた。
ノエルはユリウスに向かい手を伸ばした。
「ユリウ、……ス?」
首筋にアジムの唇が吸い付いている。吸血されているのだと気が付くまでに時間がかかった。
(全然、痛くない。ただ、気持ちいい)
体の力が抜けていく。手がかろうじてアジムの服を握り締めていた。
「今だけお前に呪印を刻む。ユリウスが大人しくなれば消してやる。今は俺に縋り付いてろ」
言葉が頭に沁み込んでいく。
「ん……ぅん」
手が、体が、勝手にアジムに絡みつく。
真っ直ぐに飛び込んで来たユリウスを避けて、アジムが部屋の中に退避した。
ノエルを抱きかかえて蹲るアジムの前に、ユリウスが立つ。
「随分派手に砦を破壊してくれたもんだな。街には住人もいるんだ。あまり暴れられては迷惑だ」
「お前たちの事情は知らない。壊されたくないのなら、始めからノエルを返せばよかった。何度も忠告したはずだ」
「俺も何度も忠告したはずだ。今のお前たちには俺たちが必要だと。精霊国に帰っても、飼殺されるのがオチだ。お前もローズブレイドの人間なら、わかるだろ」
「やっぱり、話にならないか」
ユリウスがアジムに向かい手を翳す。
「どうでもいいんだよ。精霊国も魔国も、どうなろうと、どうでもいい。ただ静かにノエルと暮らせれば、僕はそれでいいんだ」
ユリウスの深紅の左目が鈍く光った。冷たい瞳がアジムを見下ろす。
(こんな目をしたユリウス、私は知らない)
手を伸ばしたいのに、伸ばせない。アジムの呪印のせいじゃない。恐ろしいと感じている自分がいるのだ。
「それだけの力を持っているのに聖魔術師としても滅多に前線に出ないのは、魔族への配慮かと思っていたが、存外自分勝手な理由だったんだな」
アジムが鼻で笑う。挑発しているのだと、ノエルにもわかった。
「そうだよ。僕にとっては、人も魔族も変わらない。勝手に恐れて勝手に利用して勝手に捨てる。そういう生き物だ。だから僕も勝手に生きる」
ユリウスが抱えていたロキをベッドに放り投げた。
「ロキ!」
ぐったりと動かないロキに手を伸ばす。
駆け寄ろうとするノエルの腕をアジムが引いた。
「動くな。俺から、離れるな。誰も死なせたくないならな」
びくっと体が強張って、ノエルはその場に座り込んだ。
ノエルの首筋に入った呪印を見付けたユリウスが、顔を顰めた。
「ノエルに何をした?」
「吸血しながら呪印を刻んだ。コイツに精神操作はきかないが、行動を縛るだけなら可能だ。ノエルは今、俺の命令に逆らえない」
アジムの指がノエルの首筋をなぞる。くすぐったくて体が震える。
「ならば、お前を殺す。術者が死ねば呪印も消える。それでいい」
大きく膨らんだ攻撃魔法が閃光になってアジムに一閃に向かう。
「待って、ユリウス、やめて!」
中和術の白い塊が、ユリウスの攻撃を打ち消した。
「ノエル……? 何、してるの?」
驚いた顔でノエルを眺めたユリウスが、すぐにアジムを睨む。
「今のは俺の命令じゃない。見ていて、わかっただろ。俺は何も命じていない」
ユリウスの視線が、ノエルに向き直る。
「そんな理由で、殺しちゃダメだよ。ユリウスに人殺しなんか、してほしくない」
「コイツ等は人じゃない。魔族だ」
「魔族でも同じだよ! 人も魔族も、この大陸に生きる命だ!」
ノエルは立ち上がり、ユリウスに抱き付いた。
(こんなの、いつものユリウスじゃない。でも、全然知らないユリウスでもない)
いつも温厚なユリウスだが、時々物騒な発言をする。そういうのは何度もあった。国王と面会した時、ユリウスがローズブレイド家の半魔として精霊国で窮屈な立場にある事実を知った。
だから、アジムの言葉も今のユリウスの心情も理解できる。
「一緒に帰ろう、ユリウス。人なんか殺さなくてもいい世界で、これからもずっと一緒に暮らそう」
ユリウスの中には、鬱積した黒い感情が常に押し込められているのかもしれない。
(一番近くにいたはずなのに、私の事情でユリウスに頼りっぱなしでユリウスの内心に、本当の気持ちに気が付かなかった。ユリウスの辛い気持ちを、知ろうともしなかった)
本当は何もせず、ただ魔術の研究をしていたかったのかもしれない。ノエルが相談したシナリオの展開なんか、ユリウスにとっては迷惑でしかなかったのかもしれない。
(それでもユリウスは、私のために嫌な顔も見せないで、協力してくれたんだ)
ユリウスが攻略対象だろうとサブキャラだろうと、巻き込まざるを得ないと考えていた。しかし、その考え自体がノエルのエゴだったのではないかと思えた。
ユリウスがその場に膝を付く。ノエルの体を包み込んだ腕が震えていた。
「ノエル、ごめん。僕は君から吸血した。変わらないと言ったのに、僕は僕のままだと、言ったのに。結局、ノエルが心配していた通りになった」
首を振って、ユリウスを見上げる。ユリウスの顔が、辛そうに歪んでいる。
「一緒にいたら、また血を吸いたくなる。今だって、喉が渇いて、君の血を吸いたくて、たまらない。ノエルを、傷つけたくないのに、こんな風に近くにいたら、きっとまた。だから、近くにいちゃダメだ」
ユリウスの震える指がノエルの首から肩をなぞった。
「吸っていい。血なんか、いくら吸ったって構わないから。ユリウスになら、何をされても、嫌じゃない。だから、だから」
離れていくなんて、言わないでほしい。
怖くて、言葉にできなかった。
「血を吸って、覚醒したら、僕はもっとノエルを傷付ける。だから、ここから逃げたら、僕から離れて」
ユリウスの頬に手を伸ばす。自分からユリウスに口付けて、続く言葉を封じた。
「だったら私は、ここから逃げない。ユリウスと一緒にいられる方法を探す」
奇石の寄辺だと言っていたアジムなら何か知っているかもしれない。
(革命軍への協力を仄めかせば、何か情報を得られるかもしれない)
「二人で静かに暮らせる未来を、一緒に探そうよ」
「ノエル、僕は……。これからも、ずっと、ノエルと一緒に、いたい」
ユリウスの唇が降りてくる。
重なった唇は、すぐに離れた。
「でも、今の僕は、ダメだ。離れて、早く。でないと……、君の血の匂いで、どうにかなりそうだ」
ユリウスの震える手がノエルの両肩を掴む。
唇が無遠慮にノエルの肩に吸い付く。すぐに牙が皮膚を貫いて、血の匂いが漂った。
「あぁ……やっぱり、ノエルの血は、美味しい……」
強く吸い上げられて、体に痺れが走った。腹の奥が疼いて、力が抜ける。
「ユリウス……ぁ、……ぅ、ん」
誰に吸われるよりも気持ちいい。
いっそこのままユリウスに抱かれたい衝動に襲われる。
がつん、と大きな衝撃で体が揺れた。
ユリウスの体が倒れ込み、ノエルに覆いかぶさった。
「やっと大人しくなった。一度、血の味を覚えると衝動が抑えらんないんだねぇ」
倒れたユリウスに手枷を付けながら、銀髪の少年が楽しそうに話す。
「竜人因子が奇石に惹かれるのは当然だ。吸血衝動は俺たちより遥かに強いだろう」
アジムがノエルを振り返った。
「魔力封印を施した手枷で拘束させてもらう。また暴れられては困るからな。お前が何を期待しようと、俺たちの目的は変わらない。ユリウスにはお前の血を吸って覚醒してもらう。お前も準備をしておけ」
ノエルの首筋にアジムの手が触れる。
重いものが取れる感じがした。
(呪印を解いてくれたんだ。約束を守ってくれた)
てっきりそのままにされると思っていたので、アジムの行動は意外だった。
「ねぇ、僕の玩具、壊れちゃったかなぁ。動かなくなったんだけど、もしかして死んだ?」
ベッドに横たわるロキを少年が覗きこむ。
ノエルはロキに駆け寄った。
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