22.未来を変えるための手記
ノア目線になります。
一冊の手記を手に、ノアは王城の廊下を歩いていた。
国王ジャンヌへの謁見許可を得たのは、魔族の襲撃より二日後だ。異例の事態に対する国の動きは速かった。
以前にノエルを招いた非合法の話し合いに使用した離れに招かれている。
(ここでジャンヌを言いくるめられなければ、ノエルとユリウス、恐らくロキの命もないだろう。そうなれば、精霊国の存続すら、危うい)
ノエルに託された手記を見詰める。
(本当にお前は、奇想天外な発想をする。だが今は、お前に掛けるぞ、ノエル)
扉の前に立ち、ノアは大きく息を吸った。
二日前の、魔族襲撃の後。
学院内に侵入した魔族を追ってクラブ室に戻ったノアは愕然とした。
学生と魔族二人が意識不明で倒れている。
一緒に学院内の見回りに出ていたロキの魔力も消えている。
ノエルとユリウスの姿がない。魔族に連れ去られたのだと、すぐに理解した。
何より驚いたのは、その場にサーシャが立っていたことだった。
「遅かったね、ノア。君でもテュールには、梃子摺るかい?」
一人一人の容態を確認しながら、サーシャが問う。
「全員、生きていますか?」
サーシャの質問には答えず、問いを投げる。
「問題ないよ。ノエルが命懸けで守ったからね。広範囲中和術に続いて、慣れない広範囲治癒魔法なんか使うから、魔力切れを起こしたんだ」
よく見れば、誰一人、怪我をしていない。それどころか、魔力すら削られてはいなかった。
「だから抵抗できず、連れ去られたと? ノエルが中和術を使ったのなら魔族など容易に退けられたはずだ」
広範囲中和術はサーシャが精霊国を追われる原因になった術だ。本当に術を行使したのなら、ここにいる魔術師は全員、死んでいてもおかしくない。
「ノエルは守るために術を使った。だから魔族の魔力を中和しきれなかった。皆に掛けられた幻術を解き、怪我の治療を優先したんだ。ノエルが無意識に選んだのは、命だったよ」
見据えるノアの視線に、サーシャが困った笑みを返した。
「ここに来た魔族は、ノエルとユリウス以外の全員が死んだと思っているはずだ。今の私に使える魔術は、その程度だ。守るというのは、難しいね」
ノアは思わず口を噤んだ。
サーシャは精霊国に戻った際、魔力の半分以上を封じられている。特化した闇魔術を使うのが精々だったのだろう。
(今後の追撃を回避するために、死んだと思い込ませる幻術を使ったのか。魔族までも騙す幻術。魔力を封じられて尚、それほどの高等魔術が使えるのか)
魔族は幻術などの精神操作系魔法への耐性が強い。だからこそ、サーシャの幻術には意味がある。魔族は自分たちが幻術に犯される事態を想定できない。まして人間に騙されるなど、考えもしない。
サーシャに対して、薄気味悪さと怖さを感じた。
「ここに来た魔族は幻術使いだ。自分が幻術に犯さている事実など、気付いてすらいないだろう。アレは、まだまだ未熟な魔術師だからね」
「知り合い、ですか?」
長らく魔国に身を置いていたサーシャだ。革命軍の中に知り合いがいても、不思議ではない。ノアが対峙した魔族のことも知っているような口振りだった。
(まさか、サーシャが手引きを? 可能性は、なくはない。サーシャがどちら側の人間なのか、国王も測りかねている)
サーシャは長い時を掛けて精霊国と魔国を行き来している。国の方針に翻弄された身の上だ。精霊国に遺恨を持ち、革命軍や魔国の王族と強く結びついていても、おかしくはない。
だからこそ、魔力を半端に封じた。サーシャに対して国王が課した中途半端な縛りは、心情の表れと言っていい。
「私はもう、誰の味方にも敵にもなるつもりはないよ。けれど、強いて言うなら、ノエルの味方かな。あの子は本気で国々の未来を変えようとしている」
思わず後退りそうになる身を、ノアはギリギリで堪えた。心を読んだようなサーシャの言葉に怯んだ己を悟られたくなかった。
サーシャが立ち上がり、ノアに手を伸ばした。
「ノエルから君への伝言だ。攫われる間際に、残りの魔力を振り絞って残したんだろう」
翳したサーシャの手の上で、言霊魔法が浮いている。
ノアは手を伸ばし、言霊魔法を受け取った。手の中で弾けた言霊が、ノアの中に沁み込んでくる。
ノエルの声も言葉の内容も総てが、逼迫した状況を伝えてくる。
(もっと早くに私が戻っていれば、こんなことには)
歯噛みしながら、ノエルのたどたどしい言葉を受け止める。
ノエルの言葉は残された仲間やノアを案ずる内容ばかりだ。助けに来てほしいなど、一言も言いはしない。
流れてきた言葉の一つが耳に止まり、ノアは俯きかけた顔を上げた。
「未来を変えるための、手記?」
思わず呟いた。
ノアの中に流れ込んだノエルの話は、俄かに信じ難い内容だった。
「ノエルが君を信頼し、託した言葉だ。君にしか成し得ない仕事なのだろう。どうか、ノエルの描く未来を繋いでやってほしい。ノエルたちを、救ってくれ」
サーシャが片膝を付き、ノアに頭を下げた。
その敬礼が本意であるか、ノアには図りようもない。
だが今は、信じるより他にない。
「貴女が私に礼を尽くすというのなら、頼みがあります。ここにいる生徒たちを、守ってください。もちろん、魔族の二人を含めてです」
サーシャが顔を上げ、ノアに笑いかけた。
「ノアの口から魔族を守ってくれ、なんて言葉を聞く日が来るとは思わなかったよ。魔族が大嫌いな教会の大司教様がね」
「私はもう、大司教ではありませんよ。その二人は、今後の精霊国に必要だ。魔族であろうと人であろうと、国益に繋がるのなら保護するのが道理です」
サーシャが徐に立ち上がる。
「心得たよ。ここにいる生徒たちは私が責任を持って預かろう。後の守備は、お願いするよ」
サーシャに会釈して、ノアはクラブ室を出る。急ぎ、ノエルの部屋に向かった。
(サーシャの言葉通りだ。以前なら魔族など、初めから切り捨てていた。私も大概、ノエルに毒されているな)
課された縛りのせいなのか、大司教を辞したためなのか。理由が何であろうと、今の自分は以前より身軽に動ける。それが小気味よいと感じていた。
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