20.奇襲
土埃を上げて飛び込んできたのは、銀髪の少年だった。
「うっ、かはっ……」
体を強打して、咳き込んでいる。
派手に壊れた扉にはまだ土埃が舞っている。その向こうに人影が見えた。
「ロキ……?」
ロキの姿をした男が剣を片手に部屋の中を窺う。視線を定めると、口の端を上げて、ニヤリと笑んだ。
(違う、あれはロキじゃない)
そこからはまるでスローモーションのように、ロキの姿をした生き物が、突進した。
構えた剣が向かった先は、ユミルだ。
(やめろ、ロキがユミルを殺したりしたら)
たとえ中身がロキじゃなくても、精霊国と魔国の戦争が始まってしまう。
(誰か止めて、ユリウス!)
声を出したいのに、言葉が出ない。動きたいのに、体が言うことをきかない。
懸命に手を伸ばした先に飛び込んだのは、カルマだった。
座り込むユミルの前に立ったカルマの腹に、ロキの剣が迷いなく突き刺さる。
「カルマ!」
やっと声が出た時には、ロキがカルマを串刺しにしていた。
崩れ落ちそうな体を支えて、カルマが腹に刺さった剣を握ぎりしめた。
「約束が違うぜ。俺がノエルを連れて行くまで、ユミルを狙うのはナシって話だっただろ」
目の前で剣を握る男をカルマが睨み据えた。
「約束? そんなもの、本当に守ってもらえると思ってたの? 王族は呑気だね」
ロキの顔をした男が見下した顔で笑う。
「お前には無理だよ、カルマ。人間の女に惚れるような半魔だ。最初から期待なんかしていなかったさ。だから僕が、ユミルを殺してノエルを攫って帰るんだよ」
男がカルマの横腹を思い切り蹴る。勢いで剣が抜け、カルマの体が崩れ落ちる。
力なく倒れたカルマを、ユミルが受け止めた。
「お前は、誰だ。ロキの顔をしているが、ロキではないな」
ユミルの手がロキの首を摑まえた。
「魔力が使えない今のお前に、何ができるの? 僕の首をへし折って殺すつもり?」
首を掴んだユミルの手に力が入った。
「そうだな。今の僕にはそれしか手段がない。魔族といえど、首を折られれば死ぬだろう」
静かな話し声にも怒気が孕んでいるのがわかる。
「ユミル、ダメだ。今は、早くカルマを」
アイザックがユミルの腕からカルマを奪い取り、後方に下がる。駆け寄ったレイリーが治癒魔法をかけ始めた。
「カルマ! カルマ! 返事をしろ! カルマァ!」
叫び声をあげるレイリーの隣にマリアが並んで、二人で治癒魔法をかける。傷が深く、出血が止まらない。
硬く目を閉じたカルマは、ピクリとも動かない。
「くっ……くくっ……」
横目でカルマの状態を視認していたユミルが、男に目を戻した。
「お前ら、まだ気付かないの? ここはもう僕の幻術の中なんだよ。何をしたって無駄だ。カルマは、もうじき死ぬよ」
ノエルは辺りを見回した。
気付けば、真っ白い空間が広がっているだけで、何もない。
「ここは、どこだ。俺たちは、何を見せられている?」
カルマの前に慌てて防御結界を張ったウィリアムが、周囲を注意深く探っていた。
(これが幻術。ロキの顔をした男は、魔族か。カルマの話からして、革命軍のメンバーっぽいけど)
低く構えて、静かに集中する。
いつでも中和術を使えるように、体内に術を展開する。
ノエルの動きに気が付いたユリウスが、ステルス結界を張ってくれた。
「美しいよねぇ。優秀な兄を庇って無能な弟が死ぬなんてさ。お前を殺すのは惜しいよ、ユミル。でも仕方ないよね。折角の純血も、白子なんて劣性じゃぁさ。それが王族だなんて、恥ずかしくて生かしておけないよ」
至極楽しそうに語るロキにも、ユミルは顔色を変えない。
「小物はよくしゃべると言うが、本当だな」
ユミルの呟きに、ロキの顔が笑みを消した。
「黙れよ、人に寄るしか策がない無能の王が。お前らは魔国に必要ない」
ユミルの指が男の首に食い込む。
「だから言ってるだろ。ここは僕の幻術だって。殺したければ殺せばいい。それでお前の気が済むならね。精々、弟の仇討ちをした悦にでも浸ってろ」
更に指に力を籠めるユミルに向かい、別の場所から剣が飛んだ。
いつの間にかアイザックが剣を持ち、ユミルに向き合っている。
ユミルの手から、ロキが消えていた。
「何度も言ってるだろ。無駄だって。こっちには使える駒が、たくさんあるんだ」
ウィリアムが後ろからユミルを抑え込んだ。目に意志の色がない。
防御結界も解けている。
よく見ると、治療をしていたはずのレイリーとマリアが項垂れている。徐に顔を上げると、互いに互いの首を絞め始めた。
羽交い絞めにされたユミルの目の前に、アイザックが剣を持って立っていた。
「ユミルをウィリアムごと刺し殺せ、アイザック。それと、お前も動くなよ」
ロキの目が、ノエルに向いた。指を弾く仕草をする。後ろにいたユリウスがノエルの両腕を拘束した。
ステルス結界もなくなっている。
一体何が起こっているのか、理解が追い付かない。起きている光景は目に入っているのに、頭が働かない。
気が付いた時には総てが終わっているような感覚に、焦りだけが湧き上がる。
(どうして皆、操り人形みたいにされてるの? 何で私とユミルだけ、意思があるの? そんな風に仕向けられている?)
両手に中和術を展開したくても、ユリウスの邪魔が入って上手くいかない。
アイザックがユミルに向かい構えた剣を伸ばす。
(ダメだ。このままじゃ、皆、死んじゃう。どうにかしないと。どうにか……)
アイザックの剣がユミルの胸を目掛けて真っ直ぐに突く。
レイリーとマリアが首を絞め合って泡を吹いている。
地獄絵図のような現実が広がっているのに、頭の中が真っ白で、何も思い浮かばない。
(どうにか……、もう、どうしようも、ない。もう、諦めてしまえ……)
自分の頭が、諦めろと自分を急かす。
(もうダメだ、諦め……、諦めたら、本当に終わっちゃう。どうにかしなきゃ、でも、何もできない、何も……)
動かない指が、小刻みに震える。
唇を強く噛み締める。ほんの少しだけ、痛みを感じた。
なけなしの思考がほんの少しだけ戻った。
「……やめろ。これ以上、私の大事な仲間を、傷つけるな」
ノエルの中で、何かが弾けた。
『広範囲中和術』
心の中で、いつの間にか呟いていた。
体の奥から白い光が溢れ出す。
ノエルを中心に光が輪のように広がり空間を埋め尽くした。
「何だよ、これっ。一体……」
明らかに焦燥したロキの声が聞こえた。
白い空間が、更に真っ白い光で満たされて、何も見えなくなった。
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