修学旅行のときに・使われていない倉庫で・ウイスキーボンボンを・さかさまにしたら何かが落ちました。
「なんでこんな物を持ってくるんだ」
悧位は腹の底にある怒りを抑えきれずに言葉にしながら顔から湯気が出そうだった。修学旅行という参加必須の学校行事において、似つかわしくないウイスキーボンボンが手元にある。
彼は高名な祓い師の末裔である。国の機密において、太古の昔から鬼という存在が子の国の歴史に絡みついているのは言うまでもない。その鬼は、とうの昔に人間社会から消え失せてしまったというのが人間の共通認識だ。だが鬼は現在も存在している。その身は巨大で力が強く、気性が荒いのが特徴だ。狐憑きなどの理性が外れてしまった存在ではなく、鬼は元来から人間離れした特徴がある種族である。そんな鬼は、人間社会において暮らしている。だが人間側の協力があってのことだ。国家単位で保護、観察されて、祓い師の一家が鬼の一族と共に暮らすことになっている。鬼は人間に化け、祓い師は鬼が暴走したら鎮めるのが役目だ。悧位は鬼の子供、緒丹のお目付役である。その鬼は、彼と同じ中学生だ。傍目には恵体を持つ学生である。その緒丹は、今座りながら眠りこけていた。それは悧位が手にしている、ウイスキーボンボンの効果だった。
鬼は酒に弱い。それは古代の頃から何も変わらない気質である。そのため、鬼の一族は皆残らず下戸である。それは緒丹とて変わらない。
まさか修学旅行において、背伸びをするためにウイスキーボンボンを持ち込んでくる学生がいるとは思わなかった。緒丹を気に入って、いつも周囲にいる明るい悪童の見本のような人間のせいだ。まさか保冷剤込みでウイスキーボンボンを持ち込み、酒を飲んでみようという羽目を学校行事で外すとは、同じ人間であるも品行方正に生きてきた悧位には予測が付かなかった。緒丹はどちらかというと内向的で、いつも悧位に頼って生きている節がある。鬼の気性を自覚していないからか、あえて内向的にしているようだが、とにかく押されてしまうとそのまま流れに任せることが多い。緒丹がウイスキーボンボンを口にした後、すぐにその体が脱力してぐでんぐでんと泥酔したのを見て、小柄な方とは思えぬ素早さで悧位は緒丹を抱え、彼らに振り当てられた部屋を飛び出したのだった。背後で、先生に言うなよ!とその悪童が叫んだのを聞いたが、うるさいと思って悧位は返事をしなかった。
悧位は緒丹を抱えたまま、周囲を見回した。学校行事を受け入れる旅館だ。5、6人ほどの班に雑魚寝で一部屋が当てられている。出来れば人気の無い部屋で、緒丹が正気を取り戻すまでは隔離したかった悧位は必死に周囲を見回した。オットウと呼ばれる実の父も似たような苦労をしたのだろうか、そんな考えが頭をよぎるが、今は子の場にいない父を想っていても仕方がない。同じ階は同級生の笑い声やはしゃぐ声でいっぱいだが、ふと気が付くと端のほうは静かだ。もしかしたらと緒丹を引きずりながら向かうと、そこは倉庫のような部屋があった。関係者立ち入り禁止とあるが、鬼に対応する祓い師には多彩な能力を身につけている。時すら止められる鬼に対抗するためだが、一礼した後、悧位は指でなにやら模様を切ると、鍵がかかっているはずの扉を開けたのだった。そうして今に至る。悧位の手にあるウイスキーボンボンは、すでに泥酔している緒丹に二個目を食わせようとした悪童の手から奪い取ったものだ。そのまま持ってきてしまった。これを先生のいる部屋に向かって、証拠として提出したらば悪童は摘発されてこれ以上の悪事を重ねることはないだろう。だが今の悧位はぐったりと疲れてしまって、教師のいる階に行く気力もない。握りしめていたせいで、チョコレートの部分は溶けてしまっているだろう。悧位は包み紙を乱暴に開くと、なにを想ったか自分の口に放り込んだ。口の中にチョコレートの甘みと、酒であろう鼻から抜ける妙な苦みとどろりとした甘みが絡まり合って、気持ちが悪くなってくる。だがここで吐き出すと後片づけが面倒だ。仕方なくごくりと飲み込むと、そのお菓子は変な苦みを喉に引きずりながら胃に転がっていった。オットウが言っていたことを思い出す。
「私達祓い師は、酒に酔わない体質なんだよ」
そう言われたから信じて口にしたものの、かっと胃が熱くなったので後悔した。悧位は酒を飲んだことがない。だが体質なんだということを信じただけだ、ではこの熱はアルコールの熱だろう。慌てて吐き出すことも出来ず、酒の香が胃からたちのぼってくるのを感じるだけだった。そこでふと、旅行に行く前にオットウが渡してくれたものを思い出す。匂い袋、ポプリと言われるもののの袋だった。何かあったら使いなさい、と言われた不思議なものだ。悧位は慌ててそれを胸ポケットから取り出す。緒丹はのんきなもので、何かの機材にもたれかかってこっくりこっくりと船を漕いでいた。こんな時にとその頭をはたきたくなるのを堪え、とにかくその袋の紐を解いて、両手でくっと引っ張ってみた。
そこには、白い粉薬のようなものが入っている。ビニール袋に無造作に突っ込んであるようだが、袋の入り口は綺麗だった。それと合わせて四つ折りに折り畳まれた紙が一枚。その紙を開いてみると、効能:酔い醒まし、容量:一なめと簡素に書いてあった。これだと分かり、ビニール袋を必死にほどくと、少し大きなその粉薬を指一本突っ込んで付いた分を口に突っ込む。じん、とした苦みが上顎にも舌にも広がって、思わず目も口も一文字になってしまった。だがすぐに胃の熱やもやもやとした頭がすっきりとして、効果覿面、一気に元の自分に戻った気がした。次に緒丹の口を片手で無理に引っ張り、歯と頬裏の間に掬った薬を突っ込む。もう酔っぱらっているからあまり期待はしていなかったが、すぐに意識が無かった緒丹は吐き出すようにむせ込む。
「げ、え・・・なにこれ、ニガイ・・・」
「よかった。起きたんだな」
「悧位くん、な、なんかあった・・・」
「おまえは酒が入ったお菓子で眠ってたんだ。思い出せよ」
「あ、ああ・・・そうだったね・・・ご、ごめんね」
緒丹はおどおどとしながら謝る。この態度を奥ゆかしいと取るか、卑屈と取るかで人間の印象は天と地の差があろう。幸い、同じクラスの生徒からは奥ゆかしいと取られているようだ。むしろ悧位のほうが緒丹を無理矢理従わせようとしているとかえって嫌われている。ままならないものだが、それでも悧位は緒丹を必死で見守っているつもりだ。今日も酔いから救ってくれたと、緒丹はにこりと笑った。
「ありがとう、悧位くん」
「うるさい。さっさと戻るぞ。ここ勝手に忍び込んでるんだからな」
「え、そうなの。じ、じゃあ戻ろう」
「ふん」
悧位はそう言って、内鍵を開けた。そして廊下に誰もいないことを確認する。先生の見回りがあるからと、皆おとなしく宿泊する部屋にこもっているようだ。その隙にと悧位が呼び寄せて緒丹も大きな体を縮めて付いていくのだった。
「おい悧位! おまえ先生にちくってないだろうな」
「そんな馬鹿なこと、しない」
「なんだと」
いきり立って悧位の胸ぐらを悪童が掴む、慌てて緒丹が間に入ると、おまえは本当に優しいよなと悪童は悧位を掴んでいた手を離し、緒丹の肩をぽんぽんとたたいた。この流れはいつも通りの物だ。
「しかしどこにいたんだよ。まさか保健の先生のとこか?」
「い、行ってないよ。それに言ってないし」
「じゃあどこにいたんだよ?」
悪童が悧位に聞こえるようにわざとらしく尋ねる。これは嫌みだと悧位にも分かっていたので、ただ黙って自分の荷物を確認する。どうせいつも通りなら、彼らの手によっていじられているようだから。
「悧位くんが看病してくれたんだよ」
そう緒丹が言ったので、悪童も周囲もそれ以上に追及が出来ずに終わった。仕方なく、悪童は次の遊びを見つけるためトランプをしようと言い出した。悧位は当然誘われないので、しおりを確認して次の行程を眺めることにしたようだ。そろそろ集合時間が近いことを確認する。
「その前に、やることあるでしょ」
「はあ?!」
「ま、まあまあ悧位くんの言うことももっともだよ」
「しょーがねーな。じゃあ準備するか!」
悪童は緒丹にそう言われて提案を呑んだようだ。悧位が人知れずに睨むが、緒丹だけが気付いたようで気まずそうに目を伏せるが、まだ緒丹は嬉しそうに悧位を見つめる。悧位にはその意味がよく分からなかったが、とにかく矛先を少しだけ収めるのだった。