『呪われた早死に侯爵家』の幸せな婚約者
貴族はもちろん平民でさえも魔力の高い者が一定数存在し、魔法を武器にして世界にその名を轟かせる国・イングール。
強力な攻撃魔法を操る貴族が数多いる中で、闇魔法を司る唯一の家系であり、人々に「呪われた侯爵家」と言われているのがエレストール侯爵家である。
そもそもこの国で「魔法」とは、大昔にご先祖様がそれぞれの属性を司る精霊と「契約」し、その「加護」を得たことが始まりとされている。
ただ、闇魔法だけは精霊ではなく悪魔と契約したと言われていて、加護を得る代償として当主が自らその身を差し出したとさえ言われている。そのせいか闇魔法は使役者の身体を蝕む魔法とされていて、実際エレストール家に生まれる男子は病弱だったり不慮の事故で突然死したりと短命で、長生きできない。しかもどういうわけか、男児がなかなか生まれない。
そんな噂や風聞なんかがもろもろあるせいで「呪われた侯爵家」と言われるエレストール家に、待望の男児が生まれたのが19年前。
四人姉弟の末っ子でもあるレヴィン様が生まれたとき、エレストール侯爵夫妻は考えた。この子が長く生きられる方法はないものかと。
そして、「治癒や解毒ができる神聖魔法の使い手がそばにいてくれれば、闇魔法に身体が蝕まれたとしてもどうにかできるのでは」との考えに至った。
神聖魔法を操る家系はいくつかあれど、レヴィン様と同年代の子どもがいる家はそう多くはなかった。そこで白羽の矢が立ったのが、ファラサール伯爵家である。
はじめは、レヴィン様と同じ年で私より一つ年上のシェリル姉様に婚約の打診があった。でも姉様は、
「『呪われた早死に侯爵』のとこになんか行きたくない!」
と断固として言い張った。確かに、嫁いでもすぐに旦那様が亡くなってしまったら、若くして未亡人になっちゃうし。
ていうか、すごい二つ名だと思う。誰がつけたんだろう。ネーミングセンスがすごい。
そこで両親は、たまたま姉様の後ろに立っていた私の方に顔を向けた。
「アリエルはどう?」
両親は別に無理強いしようとしていたわけではない。断ることは、もちろんできた。
でも。
「私、お受けします」
それが、11歳のとき。
なのでもう、かれこれ七年になる。
婚約が決まり、顔合わせと称してエレストール侯爵家が初めてうちに来たとき、レヴィン様はあからさまに不機嫌そうな顔をしていた。
「どうせすぐ死ぬんだし、婚約する必要なんかない」
大人に二人きりにさせられてきちんと言葉を交わしたら、レヴィン様は真っ先にそう言った。
「お前だって、嫌だろ? こんな呪われた闇魔法を使う家なんか」
「全然」
「は?」
「むしろ望んで受けたと言いますか」
「は?」
「好きで婚約したのは私なので。お気遣いなく」
「は?」
レヴィン様は意味が分からないとでも言いたげな表情のまま、私を見つめる。
「……嫌じゃ、ないのか?」
恐る恐るといった様子で、ちょっと上目遣いのレヴィン様。
「嫌なわけないじゃないですか。むしろ、お慕いしておりますと言いますか。レヴィン様みたいな人と将来結婚できたらなーと思っていたので」
そうにっこり笑って答えると、レヴィン様はほんのりと頬を染めながらも明らかに狼狽えた。
「なんで」
「レヴィン様、去年の第二公子の誕生日を祝う会を覚えていますか?」
それは前年、つまり私が10歳のとき。
この国の第二公子が11歳になったことを祝う会があった。
その会には、第二公子と近い年齢の令息令嬢たちが集められていた。そう、いわゆる「側近探し」も兼ねていたのだ。
「あのとき、一人の令嬢がある令息たちに嫌がらせを受けていたんです。令嬢は眼鏡をかけていて、令息たちはそれを面白がって揶揄っていたんですよ。おまけに眼鏡を取り上げようとしたので、私は咄嗟にそれを止めようと近づいたんです。そしたら、令息の一人が自分でバランスを崩してすぐそばにあった噴水に落ちてしまって」
「ああ、そんなことあったな」
「噴水に落ちた令息が、私のせいで落ちたと言い掛かりをつけてきたんです。大人たちも集まってきてどうしようかと思っていたら、レヴィン様がいらして『こいつが自分で落ちたんだ。この令嬢は何もしていない』と言ってくださって」
「ああ……、あったな」
「それで、なんて素敵な人なんだろうと」
「お前、ちょろすぎじゃね?」
レヴィン様は、困惑を通り越してはっきりと憐れむような顔をした。
そんなことはない。そんなことはないのだ。
だってレヴィン様は、長く真っすぐな黒髪を後ろでまとめていて、11歳というわりにはなんだかとても麗しく妖艶で、100人いたら100人がその圧倒的美貌にひれ伏すだろうという端正な顔立ちだったんだもの。
しかも、人が困っているところに颯爽とやってきて助けたあとは名乗りもせずにいなくなるなんて、なんて素敵な人なの? あの方は誰? となるのは当たり前のことだと思う。
ちなみに、そのときの眼鏡をかけた令嬢とはそれがきっかけでとても仲良くなったのだけど、彼女も「素敵な人ね」と言っていた。
ただ、レヴィン様の姿を見て、「あれがエレストールの」と言っていた大人が何人もいた。そのときはよくわからなかったけれど露骨な嫌悪が透けて見えて、なんとなく不愉快な気持ちになったのを覚えている。
「とにかく、レヴィン様と婚約できるなんてもう、夢のようで」
「お前わかってんのか? 俺は呪われたエレストール家の人間。早死にするんだぞ」
「レヴィン様は早死にしませんから」
「何を根拠に」
吐き捨てるように言って、レヴィン様は目を逸らした。
世界のすべてを諦めているような、寂しい目だった。
「エレストール家が闇魔法の使い手で、そのせいで男子が短命なのは有名な話だ。巷でも『早死に侯爵』なんて言われてるし、これまでの家系を辿っても『早死に』は歴然とした事実だ」
「それはそうかもしれませんけど。でもレヴィン様は早死にしませんよ?」
「お前、父上たちが言ってること真に受けているのか? 神聖魔法の使い手がそばにいたところで、闇魔法がこの体を蝕むのを食い止めることなんかできるわけないだろ?」
途中から、もう半分以上怒っているような口調でレヴィン様が言い募る。
尖った声は、本当は私の身を案じてのことだと容易に推察できた。
だってその透き通る白銅色の目には、深い哀しみが沈んでいたから。
呪われた身だからこそ他人と距離を置こうとするレヴィン様の優しさが、痛いほど尊い。
とはいえここで私が何を言ったとしても、レヴィン様はそれを信じるどころか耳を貸すこともしないだろう。
だから少しだけ考えて、レヴィン様が納得してくれるような妥協案を思いつく。
「では、こうしましょう。レヴィン様がそこまで早死にされるとおっしゃるのでしたら、亡くなる前にたくさん子を生しておくのです」
得意げな顔でこう言うと、レヴィン様は途端に耳まで真っ赤になって「な……!」と言ったまま、私の顔を凝視する。
多分、こいつとんでもなくやばい、とでも思っていたのだろう。
確かにこのときの私には、子を生すために具体的に何をするのかといった詳細な知識はほぼなかった。レヴィン様がどれくらい知っていたかは知らないが。でもあの反応を思い返すに、私よりはいろいろ知っていたのではないかと思う。
とにかく、簡単に引き下がってくれないということだけはわかったらしいレヴィン様は、眉間に皺を寄せて大きくため息をついたのだった。
婚約をして月に二~三回は会うようになると、はじめは刺々しさしかなかったレヴィン様の塩対応も、次第に本来の優しさが見え隠れするようになる。
でも、無愛想で私と距離を取ろうとする態度は変わることがなく、「どうにかしてこの婚約を解消させたい」という意図が事あるごとに感じられた。
はじめのうちは、私がエレストール家に行くと鬱陶しそうな顔で
「また来たのか」
と言って先に応接室に行ってしまうレヴィン様だったけど、それでも会う約束を反故にされたことはなかったし、会えば会ったで私の話をいつも面白そうに聞いてくれた。
婚約をした次の年、レヴィン様はこの国の魔法学園に入学する。
我がイングール魔法公国の教育システムについて少し説明すると、貴族の子女と魔力を持つ平民の子は13歳で魔法学園に入学し、基礎的な学問はもちろん礼儀やマナー、魔法や剣術などについて五年間学ぶことになる。
一般的にはそこで卒業となるわけだが、中にはもっと専門的な学びを深めたいという者もいて、そういう人は「魔法学科」か「魔法騎士科」に進学し、さらに二年間学ぶこともできる。
13歳で魔法学園に入学したレヴィン様は、魔法をはじめとする多くの授業で当然のようにトップの成績を修めた。
でもそれ以上に、剣術でもその類まれな才能を発揮し始める。
レヴィン様の剣さばきにはまるで魔剣を自在に操るような妖しさと鮮やかさがあったようで、いつからか「闇の魔剣士」と呼ばれるようになっていた。
13歳にして、二つ目の二つ名を持つ男になったのである。
ただ、やはりエレストールの名に畏敬の念を抱いて遠巻きに眺める者も多く、生徒たちとレヴィン様の間には絶えず一定の距離があるようだった。
それについて嘆くことも憤ることもないレヴィン様を見て、私はとてつもなく切ない想いに駆られていた。
次の年、いよいよ私も学園に入学する。
入学して早々、私はレヴィン様を探しては追いかけ回すようになった。
「レヴィン様。お昼はどうされますか?」
「あ? ああ、じゃあ、一緒に食うか」
「はい!」
この頃になると、レヴィン様も私を婚約者として認めてくれたのか(諦めたという説もあるが)、嫌がる素振りを見せることはなくなっていた。
「学園はどうだ?」
「うーん、そうですね。いろんな人がいますね。あ、フレダと同じクラスになれたのはうれしかったです」
「フレダ? ああ、ハルディール伯爵家の令嬢か?」
フレダは、私とレヴィン様が出会うきっかけを作ってくれた、あの「眼鏡をかけた令嬢」である。
「そうですそうです。それとですね、あのときの意地悪をした令息たち覚えてますか? あの人たち二人とも同じクラスになっちゃって」
「それは、誰だ?」
「えーと、ダレル・フルグリム伯爵令息とライリー・グースレッド子爵令息、だったかな? 噴水に落ちたのはフルグリム伯爵令息ですけどね。なんか、フレダとあの令息二人の家は親同士の仲が良くて家族ぐるみのつきあいが長い、いわゆる幼馴染的な存在なんですって。それで小さい頃から会うたびに嫌がらせを受けることが多かった、とフレダが」
「お前は大丈夫なのか?」
レヴィン様が、ちょっと食い気味で心配そうに私の顔を覗き込む。
「私ですか? 何が?」
「あのときのことを根に持って、何かされたりしてないのか?」
「多分覚えてませんよ、そんなこと。万が一あの人たちがあのときのことを思い出して何かしてきたとしても、別にどうってことありませんし」
事もなげに私が言うと、レヴィン様ははあ、とこれ見よがしにため息をついた。
「アリエル」
「はい」
「お前は無防備すぎる。そいつらが根に持って、お前に何かしないとも限らないだろう?」
「大丈夫ですよ。何かしてくるほどの度胸もなさそうだし。私よりもフレダの方がよっぽど心配です。さすがに、もうあからさまな意地悪はされなくなったと言ってたんですけど、クラスも同じになっちゃったし何があるかわかりませんからね。まあ、何かあったら私がこてんぱんにやっつけてやりますけど」
「いや、何かあったらすぐ俺に言え」
「レヴィン様のお手を煩わせるようなことじゃないですよ」
「相手は男だぞ。腕力で来られたら勝てないだろ」
「それは、そうかもしれないですけど」
なんとなく納得がいかなくてふくれっ面になる私を見て、レヴィン様がふっと表情を緩める。
「とりあえず、やばいときは俺の名前を出せ。お前の婚約者がエレストールの人間だとわかったら、相手も迂闊な真似はできないだろうから」
「え、レヴィン様のことなら、もうとっくにお名前を出してますけど」
「は?」
「ですから、入学して最初の自己紹介のときにレヴィン様が婚約者だということはもちろん、いかに傑出した奇跡の存在かということをみんなに説明したんです。私はまだまだ話し足りなかったんですけど、先生に『もうその辺で……』とやんわり止められてしまって」
「……お前、何を言った?」
「何って、いつもレヴィン様に言ってることですよ。レヴィン様は孤高にして唯一の闇魔法を操るエレストール家の長男で、眉目秀麗、頭脳明晰、文武両道、長い黒髪をなびかせて剣を振るう姿はさながら精霊王の降臨のごとく、その人となりも清廉潔白、冷静沈着、時折垣間見える優しさは……」
「もういいもういい」
「まだ言い足りません」
「うるさい。その口を塞ぐぞ」
言ってしまってから、レヴィン様はその言葉が微妙に別の意味を含むと気づいたらしい。
なぜなら、私の顔が、想定外ににんまりしたからである。
「それは、レヴィン様。私にくちづけをしてくださるということでしょうか?」
「違う違う! そんなわけねえだろ、こんなとこで」
「では、場所を変えます?」
「そういう問題じゃねえ!」
無駄にぜーはーぜーはー言ってるレヴィン様を尻目に、私は満面の笑みで説明した。
「レヴィン様。私のこの学園での最大にして最終的な目標は、レヴィン様の神懸かり的な素晴らしさを世に布教することなのです」
「は?」
「レヴィン様の素晴らしさを、みんなが知らずにいるなんてもったいないことでしょう? 世界はもっと、レヴィン様という存在の尊さにひれ伏し、崇拝すべきなんです」
「お前の頭は一体どうなってんだ」
そんな感じで学園生活は始まったのだけど、それからしばらくして、レヴィン様が危惧していた通りのことが起こり始めた。
「なんかあの人、最近よくこちらを窺ってるわよね?」
いつも一緒にいるフレダが、後ろをちらちらと気にしながらつぶやく。
教室を移動する途中、ランチに行くとき、帰りに馬車まで歩いている道すがら、なんとなく気づくとフレダの幼馴染でもあるライリー・グースレッド子爵令息の視線を感じるのである。
「なんだろ? ちょっとキモい」
「私たちに用があるのかしら?」
「用があるならあるで、はっきり言えばいいのに」
でもグースレッド子爵令息が私たちに何かを言ってくることはなく、そのままの状態が三週間ほど続いた。
そして、とうとう。
「アリエル・ファラサール伯爵令嬢!」
学園の授業が終わって教室から出ると、グースレッド子爵令息がいきなり私の前に立ちはだかったのである。
たまたまフレダもいなくて、私は一人きり。
あれ、これってもしかして、レヴィン様の言ってたやばい状況なのかしら。
どうしようかと思いながらグースレッド子爵令息を見返すと、彼は私の前に立ちはだかったものの何か言いたげな表情のまま、「あの……、その……」などと言い淀む。
「なんでしょうか?」
「あ、いや……」
「アリエル!」
切羽詰まった声に呼ばれて振り返ると、何故か血相を変えたレヴィン様が後ろの方から全速力で走ってきている。
そして私とグースレッド子爵令息の間にさっと入り込むと、子爵令息を悪魔のような形相で睨みつけた。
「俺のアリエルに何の用だ?」
「……レヴィン・エレストール様!!」
グースレッド子爵令息はレヴィン様を見るとそう叫んで、一歩下がったかと思うと勢いよく深々と頭を下げた。
「どうか、僕を、あなた様の弟子にしてください!」
「は? 弟子?」
「弟子がダメなら従僕でも付き人でもいいです! どうか、僕をあなた様のおそばに……!」
とりあえず、訳がわからない私とレヴィン様はお互い顔を見合わせる。
「俺は弟子なんか取らないし、従僕も付き人もいらない。帰れ」
「そんなことおっしゃらずに!」
「まあまあ、レヴィン様」
冷淡な口調で一刀両断するレヴィン様を見上げながら、私は宥めるように首を傾げた。
「ひとまず、話を聞きましょうよ。何か事情がおありなんでしょう?」
私の言葉に、グースレッド子爵令息はぶんぶんと音が鳴るくらい頭を縦に振り続ける。
苛立ちと不愉快さを隠そうともしないレヴィン様の機嫌を取りつつ、グースレッド子爵令息から聞いた話はこうだ。
グースレッド子爵令息、長いのでライリー様と呼ぶことにするが、彼は幼い頃から実はフレダのことが気に入っていたらしい。
でもその好意を素直に表現することができず、同じ幼馴染のフルグリム伯爵令息と一緒に揶揄ったり意地悪したりしていたという。
そんな中、あの第二公子のお誕生会があって「これではダメだ」と思い直し、接し方を変えようとしたがどうすればいいのかわからない。
そのまま時は過ぎて学園に入学し、せっかく同じクラスになったのに他人行儀に接するフレダにショックを受けたライリー様は一念発起する。
婚約者に一途に想われる、レヴィン様のようになりたいと。
「もしかして、それでアリエルのことをつけ回していたのか?」
「アリエル嬢にレヴィン様との間を取り持っていただきたくて……。でもアリエル嬢はいつもフレダと一緒にいるので、なかなか言い出せず……」
「何が目的なんだ?」
「はい! 婚約者を虜にする手腕を、是非ともご教示願いたく!」
苦虫を嚙み潰したような顔の模範といっても差し支えないほど渋い表情をしたレヴィン様は、私にちらりと目を向けたあといつものように大きなため息をついた。
「あのなあ。そんなの、フレダ嬢に素直に言えばいいだろ? 今まですまなかった、本当は君のことが好きだとかなんとか。そうすりゃフレダ嬢だって許してくれるかもしれないし、もしかしたらうまくいくかもしれないだろ」
「それができてたら苦労しません」
「だからって俺がお前に教えられることなんか何もねえよ。アリエル、帰るぞ」
すっと立ち上がったレヴィン様の袖をくいっと引いて、私はニヤリと口角を上げる。
「まあまあ、レヴィン様。いいではないですか。ライリー様をお弟子さんにしてあげたら」
「はあ? なんで」
「私がレヴィン様を一方的に激烈にお慕い申し上げていることは事実ですし、ライリー様がどうしていいかわからなくて困っているのも事実です。しばらくレヴィン様のおそば近くに控えて、自分が今後どうすればいいのか考えるきっかけを与えてあげるのもまた、必要なことかと」
私の言葉に、レヴィン様ははっきりと眉根を寄せ、それから舌打ちをした。
うわ、舌打ちまで!? と思っていたら
「……ったく、どいつもこいつも……。もう勝手にしろ」
と言ってさっさと歩き出す。
「え? どういう……」
「レヴィン様の『勝手にしろ』は『認める』ってことだから。明日から、お弟子さんとしてがんばって」
そう言って小さくガッツポーズをして見せると、「アリエル! 早くしろ!」なんて鋭い声が飛んでくる。
どうしてもニヤついてしまう顔を我慢することができないまま、私は急いでレヴィン様を追いかけた。
それから、ライリー様はレヴィン様と一緒にいることが増えた。
ライリー様がどんなときでも生真面目にレヴィン様の後を金魚のフンのようについて回っているという描写の方が正しい気もするけど、まあ、ライリー様は根気強く、諦めることはなかった。
フレダはそんな様子をとても不思議そうに眺めていたけど、
「ライリーってレヴィン様を崇拝していたのね」
とちょっと納得したようにつぶやいていた。
「でも、レヴィン様に同年代で同性の知り合いができたのは良かったわね。アリエルがずっと心配していたことが解決したじゃない」
そう。
レヴィン様はとにかく、人と仲良くしようとしない。常に他人と距離を保って接するから、この学園でも友だちと言える同性の知り合いがいないことがずっと気になっていた。
やっぱり、そういう、友だちと呼べる存在って、大事だと思うの。
私では役に立たないことだって、あるだろうし。
だから、どういう形であってもレヴィン様の近くに同性の人がいてくれるのはありがたかったし、ライリー様を優先するよう私が身を引く場面も多くなった。
これを機にレヴィン様の尊さが世の中に知れ渡り、みんながレヴィン様を崇め奉るようになれば私の目論見は半分以上達成されたと言っていい。
と、ほくほくしながら帰ろうとした矢先、目の前にだいぶご立腹といった様子のレヴィン様が現れた。
「あれ、レヴィン様。ライリー様は?」
「今日はもう、帰らせた。……俺たちも帰るぞ」
そう言って、何故かエレストール家の馬車の方に連れていかれる。
「え? 私はうちの馬車で帰りますから」
「今日からうちの馬車で送っていく。明日の朝も迎えに行くから」
「どうして?」
私の素朴な疑問に、レヴィン様は不貞腐れたような口調をしながら視線を逸らす。
「ライリーが一日中俺につきまとってるおかげで、お前と一緒にいる時間がなくなったからだろ」
その言葉を頭の中で何度も復唱しながら、馬車の中で一人ニヤニヤする私。
それを呆れた様子で一瞥してから窓の外に目をやるレヴィン様も、なんだか少し、うれしそうだった。
その後もライリー様はレヴィン様の付き人のようにぴったりと張りつき続け、レヴィン様も次第にライリー様に対して不器用ながらも気安く接するようになった。
フレダは当初、ライリー様のことをなんとも思ってなかったみたいだけど、素直に好意をさらけ出すようになったライリー様のことを意識するようになった。
そして学園の三年生に上がる頃、二人の婚約が決まった。
ちなみに、フルグリム伯爵令息も実はフレダのことが好きだったのだと、だいぶ後になって知ることになる。ご愁傷様、としか言いようがない。
「結局、ライリーにとって参考になったのは俺じゃなくてアリエルだったんだよ」
「ん? どういうことですか?」
「自分の感情を素直に表現することの重要性を認識したってことだろ」
レヴィン様の言ってることはよくわからなかったけど、満足そうだったから良しとしたい。
その後の私たちの学園生活は、とても穏やかに、そして楽しく過ぎていった。
私は相変わらずレヴィン様の尊さを布教する活動に余念がなかったし、レヴィン様は行き帰りの馬車はもちろんできるだけ私のために時間を割いてくれて、以前よりだいぶ丁寧に接してくれるようになった。
それに、ライリー様やフレダはもちろん、他の方々とも少しずつ交流を持つようになった。
そうして、私より一年先に学園を卒業した。
その後「闇の魔剣士」の二つ名の通り、魔法騎士科に進学する。
私はというと、ひとまず18歳で卒業することになった。
魔法学科に進学することも考えたのだけど、エレストール侯爵夫妻がレヴィン様とのできるだけ早い婚姻を願っていたこともあるし(エレストール家はレヴィン様が早死にすると思い込んでるので)、レヴィン様自身にも「お前が卒業したら、すぐに結婚するからな」と何故か脅すように言われていたので進学はしないことにしたのだ。
そして今日。
先ほど神殿で、厳かながらも和やかな結婚式を挙げた私たち。
今夜は私たちにとって、夫婦として初めての夜。つまり初夜なのである。
夫婦の寝室で、何をしてればいいのかわからずあちこちうろうろしていると、控えめなノックの音と共にレヴィン様がすっと入ってきた。
「アリエル」
湯浴み後のレヴィン様、なんだか無性に色っぽい。
「何してるんだ?」
「ちょっと、落ち着かなくて」
その言葉にレヴィン様はふっと笑って、半ば当然とでも言うようにベッドの上に腰掛けると「ここ」と促す。
おずおずと隣に座ると、レヴィン様は少しだけ距離を詰めてから、私の右手をそっと握った。
「お前に、話しておきたいことがある」
「なんですか?」
大きく深呼吸したあと、思い詰めたような表情で私の顔をじっと見つめるレヴィン様。
「一度しか言わないからな。ちゃんと聞けよ」
「はい」
「……俺は……お前を、愛している。婚約してからの七年間、お前は常に真っすぐその想いを伝えてくれたが俺だってお前のことはずっと愛しいと思ってきた。愛しいなんて言葉じゃ足りないくらい、お前が可愛くて、眩しくて、触れたくて、独り占めしたくて、そんな気持ちを長い間抑え込んできたんだ。俺が早死にするのはわかっているが、それでもお前と少しでも長い時間を共に過ごしたいし、できればその、お前が言った通り、できるだけたくさんの子を、儲けたいと思ってる」
そう言って、これまで見たこともない艶っぽい熱を孕んだ目をしながら、静かに私の頬に触れる。
その甘美な温度に、心臓がどきりと跳ねる。
「レヴィン様……」
「俺は、お前とずっと一緒にいたい。できる限り長く、お前と生きたい」
そしてゆっくりと、レヴィン様の白銅色の目が近づいてきたけど私は目を閉じることもせず、にんまりと笑った。
「アリエル。こういうときは」
「レヴィン様。ついに、言いましたね」
「は?」
唐突に、しかもこれからという絶妙のタイミングで、目の前の妻がこの状況に相応しくない反応をしたことでレヴィン様ははっきりと気の毒なくらい戸惑っている。
「今、『長く』『生きたい』と言いましたよね?」
「あ? あ、ああ」
その返答を待たずに、ふふ、と笑ってしまった私は勢いよくベッドから立ち上がり、仁王立ちした。
「その言葉を、待っていたのです!」
「は?」
「レヴィン様。以前から申し上げていたでしょう? あなたは早死にしないって」
「まあ、そうだが。それ、今関係あるか?」
「大いにあります! ありますとも! 何故レヴィン様が早死にしないと言い切れるか、不思議でしょう? 以前、『根拠がない』と言ってましたもんね。でも、根拠ならあります。それは精霊王様がそう言ってるからです!」
この大事なときに何を言ってんだこいつ、とでも言いたげな、怪訝な顔をするレヴィン様。
「精霊王様が言ってる? なんだそれは」
「レヴィン様。この国の魔法の成り立ちを知ってますよね? それぞれの属性を司る精霊と大昔の人間が契約を交わしたのだと」
「あ、ああ」
「そのうち、精霊以外のものと契約して得られた魔法があります。知ってますか?」
「馬鹿にするな。闇魔法だろ? 悪魔と契約したと言われる」
「そもそもそれが、間違っているのです。精霊以外のものと契約した魔法は、神聖魔法です。なんせ精霊ではなく、精霊王様と直々に契約を交わしているのですから」
「はあ?」
「いろいろあって、その辺が歪曲されて後の世に伝わってしまったんです。闇魔法は闇の精霊と契約してるんですよ。でも、闇の精霊は人間が『闇魔法は悪魔と契約した結果』と思い込んでることに腹を立てて、だいぶやさぐれてますけど」
「お前、それ……」
「ああ、何故そんなこと知ってるのかって? 実は私、『精霊の愛し子』なんですよね」
「はあ!?」
レヴィン様は驚愕のあまり、私と同じように勢いよくベッドから立ち上がった。
「精霊の愛し子!?」
「はい。私も、ちゃんと知ったのは11歳のときです。エレストール家から婚約の打診があった前の日なんですけど」
もちろん私だって、自分がそんな大それた存在だなんて思っていなかった。
でも、あの婚約の打診があった前日の夜、初めて精霊王様が私の夢の中に現れたのである。
「アリエル・ファラサール。唯一無二にして森羅万象のすべてを統べる創世主・精霊王の名において命ずる。明日、この家にもたらされる婚約の話を受けよ」
「いやいやいや。いきなり現れて何言ってるんでしょうね、この人は。一体何の話ですか? あなたが精霊王様? 証拠あるんですか?」
「……そんなものはない」
「じゃあ、信用できませんよ。ほかを当たってください」
夢の中でくるりと背を向けると、精霊王は驚いて私を引き留める。
「わかった、わかった。ちょっと待て。婚約の打診はエレストール家からだ。お前が昨年、第二公子の誕生会で出会った見目麗しい男子、レヴィン・エレストールが相手だ」
「え? まじすか? それだったらもう、むしろ進んで受けますよ。でも、どうしてわざわざ私の夢に出てきて教えてくれるんですか?」
「それは、お前が『精霊の愛し子』だからだ」
「いや、それこそ初耳なんですけど」
「そんなはずはない」
言われて、私は思い返す。
確かに私の視界には、幼い頃から本来人には見えないはずの、「ふわふわと飛び回る羽の生えた人型の小さな光」が見えていた。
私が困ったり、「こうなったらいいのに」と思ったりしたときにはすかさず手助けしてくれる、小さな光たち。
あの第二公子の誕生会のとき、フルグリム伯爵令息が噴水に落ちたのだって本当はあの光たちの仕業だったし、何かあっても「こてんぱんにやっつけてやる」なんて言えるのは光たちがうまいこと助けてくれるだろうと思っていたから。
「なんか、ちっこいのがいつも手を貸してくれて助かるなーとは思ってたんですけど。あれ、精霊だったんですね」
「いや、気づくだろ普通」
それから精霊王様は、この世界の魔法の成り立ちや神聖魔法の由来、闇魔法についての誤った認識の数々を説明してくれた。
「闇魔法が使役者の肉体を蝕むなど、あろうはずもない。他の魔法と同等なのだから」
「でも、実際にエレストール家の男子は短命だそうですよ。これまでの歴史を振り返っても、それは事実かと」
「それが、恐ろしいところだ。闇魔法が使役者の肉体を蝕むという事実はない。しかしエレストール家の男子が短命なのは、世の中の人間はもちろん彼の家の者たちでさえも『そう思い込んでいる』からだ」
「は?」
ちょっと理解が追いつかず、私は目の前の精霊王様をじっと見つめた。
声色は明らかに男性なのだけど、その出で立ちは完璧なまでに優美にして秀麗、まさに人ならざる者という佇まいである。
「人間というものは誠に不思議な存在である。ひとたび『こうだ』と思い込むと、まるで以前からもずっとそうであったかのように振る舞い始める。そして自ら、その思い込み通りの結末を引き寄せてしまう。エレストール家の男子が短命なのは、人々が『短命なはず』と思い込んでいるからにほかならない。逆に言えば、その思い込みがなければ短命という呪縛を打ち破ることができる」
「え、じゃあ、レヴィン様も」
「そうだ。やつが自ら『生きたい』と願えば、そう難しいことではない。やつは他の者に比べ、生命力もあるからな。生きたい、と願えば、それなりの年齢を重ねていくことができるだろう」
「じゃあ、それを本人に伝えたらいいのでは?」
「伝えたところで、信じはしないだろうよ。広く知れ渡り、もはや常識として人々の生活に深く根付いてしまった『思い込み』というものは、そう容易く打ち破れはしない。しかしそうだな、やつが『長く』『生きたい』と心から願ったときこそ、真実を明かすタイミングかもしれないな」
そう。そうなのだ。
私はずっと、このときを待っていた。
レヴィン様が、自ら「長く」「生きたい」と願ってくださるときを。
「というわけで、レヴィン様は早死にしません」
そう断言すると、それまでずっと眉間に何本もの皺を寄せたまま黙って私の話を聞いていたレヴィン様は、気の抜けたような、泣き笑いのような、なんとも言えない顔をする。
「つまりだな」
「はい」
「闇魔法がこの体を蝕むことはないし、この家も呪われてないし、俺も早死にしないと」
「そうですね。理解が早くて、助かります」
私がにっこりと笑うと、レヴィン様は何か言おうとして口を開きかけ、でも何も言えずに今度は思案顔で視線をさまよわせ、それから自分の頭をガシガシと掻きむしった。
そして、頭を搔きむしったその手をまじまじと見つめてから、ぽそりとつぶやく。
「……本当、なのか?」
「はい。本当です」
「早死にしないのか?」
「はい。しません」
「……早死にしないなら、やりたいことが、たくさんあるんだが」
「そうですよね。全部、やりましょう」
「でもまずは、愛しい奥さんの願いを叶えないとな」
「ん? 私の願いですか?」
思い当たることがまったくなくてきょとんとしてしまった私に、レヴィン様が一歩近づいて手を伸ばした。
優しく私の頬に触れたかと思うと、そのまま髪の間に指を滑らせ、蕩けるような目で微笑む。
「たくさん、子を、生すんだろ?」
そう言ったレヴィン様は妖しく、麗しく、ぞくりとするほど魅力的で、それから私たちは、とても甘い、甘い夜を過ごしたのだった。