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ある日お店に三人の人間が入って来た。
親子であろう。楽し気に店内を見て周っている。
フランス人形のお店は少し古いが内装もキレイでオフホワイトの壁にボンボン時計がかかっていたり、店内の端には木彫のベンチと丸いテーブルが置いてある。
きちんと並べられた棚には個性豊かなフランス人形が飾られていて、親子はどの子がいいのかと話ながら人形を見ていたが、小さな女の子は棚の下の段にいるエミリーをじっと見つめていた。
幼い女の子はピンクの生地に小花が散りばめられたワンピースを着ていた。
エミリーは一瞬驚いたが、自分を見ている訳ではないと恥ずかしくなった。
しかしその子はエミリーを抱き上げ、小さな腕で抱きしめ、両親に断言した。
「私、この子がいい! このやぎさん!」
その言葉に店内の両親、そして色々説明していた店員の女性、他の人形までもが驚き、小さな女の子を見つめた。
「いのり? 今日はフランス人形を買いに来たんだよ? 何故やぎのぬいぐるみを? 」
少し小さな声で父親が話しかけた。
「だって! このこ棚のすみっこにいるんだよ? 可哀想! それにやぎさんフワフワしているし、優しいお顔してるもの! 」
いのりと呼ばれた女の子は少し語気を強めて言い放った。
ぎゅっとエミリーを抱きしめて。
それからのエミリーの生活は一変した。
いのりと言う女の子の部屋で専用の椅子に座り、おままごとの遊びやら、色々と遊ぶ様になった。
可愛らしい部屋にはおもちゃが沢山あり、キッチンセットであそんだり、他のお人形達とも遊ぶ。
夜は専用のベッドで眠りにつく。
こんなに幸せでいいのかと不安にさえなる。
毎日が楽しくて嬉しくて。エミリーにとり少し不安もあるけど、充実した日々を過ごしていた。
そんなある日…。急にいのりが遊ばなくなった。
時折抱きしめてくれるものの、前の様には遊ばない。
そして時々くる父親も来なくなった。
エミリーは不安で仕方なく、むねが苦しくなり、あまり眠れない。
いのりの服装も、女の子らしいピンクや白から黒に変わった。
エミリーを抱きしめて 「パパね、天国に行ったんだって…。もう帰って来ないって…」
絞り出す様な声で呟いた。
いつかジェシカが言っていた、人形も天国って所に行けるのかしら…。
いのりのほほをつたう涙がエミリーの身体に染み込む。
ふとそんな言葉を思い出した…。
嗅いだ事のない匂い、知らない人の声。笑わないいのり。
少し前までは沢山の笑い声が響いていた家。
今は壁にかかった動かない時計と同じ様に、幸せの時間が止まる。
過ぎた夢は夢で終わる。不安の中の幸せさえもが消え去っていく。
エミリーは椅子に座りただただ、いつまで続くかわからないこの現実を、お店にいた頃の様な気持ちで耐えるしかない。そんな日々を過ごしかない。
諦めた思いでいのりを見つめた。
それからどのくらい時間が過ぎたのだろうか。
いのりは笑う様になった。そして日々成長していき、あの頃の様な遊びはもうしない。
自分だけで色々と楽しむ様になり、可愛らしい部屋も段々と変わっていった。
エミリーはただ座っているだけ。いのりの姿を静かに見ている。
そしてエミリーは自分の心が壊れていく事に気がついた。
けれど。どうする事もできない。
薄汚れた自分の身体。壊れゆく心。
笑う事すら忘れて、ある日エミリーは椅子から転がり落ちてしまった。
耐えられない。もう耐えられないと…。
不思議と身体が動き、エミリーは外に出た。
自分の居場所を探して…。